宮城谷昌光のレビュー一覧
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劉秀(光武帝)を大司馬として支えて、漢王朝の復興を成し遂げた呉漢の話し。
著者の作品である割には、少し単調だ。話はほとんどが戦の話で、特に下巻は珍しいことに飽きがきてしまった。
人の話は、話半分に聞いておくことだ。それは、人を信用しないということではなく、その人を信じ、長く付き合っていくのに必要なことだ。情報は、時とともに真実にもなれば、虚報にもなる。また、聞く人次第でも真実にも虚報にもなる。話半分とは、情報を広く捉えて聞くといくことだ。
利益を求めて行動を起こすと計算が狂いやすい。作物を育ててくれる地は変化しない様に見えるが、天候一つで変わってしまう。人の手は地に届くが天には届かない。つまり、人の力ではどうにもならないものがある。利益の計算は、天の気配をうかがい、先を読んで立てるものであるが、必ず計算間違いが生ずる、ということを想定しておくのが真の計算だ。
人には不思議な感覚があり、敬愛を向ければ親和が返ってくるし、憎悪を向ければ険陂が返ってくる。用心すれば、向こうも用心する。
この世には疑って得るものは何もない -
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悩める青年として描かれた上巻、有徳の名将へと覚醒する中巻、そして本巻では、苦難に遭いながらも、中華で至高の人物へと登りつめるまでの劉秀の姿が描かれる。
また、呉漢を初めとした劉秀のもとへ集まった人物のエピソードも、サイドストーリーのように描いているのが興味深かった。
「策戦に凝りすぎると、敵が無能で無抵抗であるかのように錯覚するようになる。いわば、敵の反撃にたいして用心をおこたるようになる。」『河北平定』より。
「人の成否は、徳の薄厚に在り、富や勢力の大小にはかかわりがありません」『新勢力』より。
「人は、外にある宝に目をむけやすい。が、内にある宝は気づきにくい。」『新勢力』より。
「人の巨きさと深みは、紆余曲折を経て成るのである。たやすい成功には、早い失敗がある、と思うべきである。」『草の勁さ』より。
「生きる者がみるこの世界の風景と、生かされた者がみるこの世の風景は、似ているが、まったくちがう。あえていえば、前者が虚で、後者が実である。」『草の勁さ』より。
「━━疾風にして勁草を知る。」『草の勁さ』より。
「小さなことでも見落としはないかと目配りと気配りをおろそかにしないことは、大胆なことをおこなったり人を威圧することより、失敗がすくない。それは歴史が誨えている。」『大躍進』より。
「政府という組織は複雑でも、おこなわれる政治はわかりやすいものでなければならない。」『王者への道』より。
「だが負けが込んだ人は、常軌を逸し、冷静さを失う。」『光武帝』より。
「人は足るを知らざることに苦しむ。すでに隴を平らげて、復た蜀を望む。」『光武帝』より。 -
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前巻では悩める青年だった劉文叔。その彼が戦いに身を投じていくうちに、有徳の名将へと変貌していくさまには驚きを禁じえない。何が彼を変えさせたのだろうか? 本巻は劉文叔覚醒の物語と言える。
「そもそも民に怨まれる者は、天に棄てられ、民に慕われる者は、天に助けられる。大きな事業を興すには、かならず下は民心に順い、上は天意に合わなければならない。そうであれば、大功はすなわち成る」『明暗の戦場』より。
「もしも強大であること、勇敢であることを誇り、心のおもむくままにやりたいことをやれば、たとえ天下を得ても、かならずそれを失うであろう。」
『明暗の戦場』より。
「すべきことがないと、よけいなことを考えるようになるのが、人の悪癖である。」『明暗の戦場』より。
「革命という大業において、最初に立つ者は斃れる。二番目も成功はむずかしい。三番目に立てばよい」『昆陽の戦い』より。
「常識とは、大いなる虚である。虚を衝けば活路が開ける」『王莽の死』より。
「千人にひとり、あるいは万人にひとりといわれる人は、他人には見えぬ深淵を飛び超えて、むこうのほとりに立つことをする。」『王莽の死』より。
「人とは、変わるものであり、その人の過去を知っている者が、現在のその人をみてがっかりする場合はすくなくない。」『北へ━━』より。
「人の精神の成長は、片言隻語でわかる。」『北へ━━』より。
「━━もっとも危険であることは、もっとも安全であることへの近道ではないか。」『白衣の老人』より。
「━━戦いとは、相手の心を打つことだ。」『白衣の老人』より。
「━━威張っただけ、人は隙が大きくなり、視界が狭くなる。」『白衣の老人』より。 -
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「春風がやさしく草を撫でるように吹いている」
という書き出して始まる本巻は、悩める青年と言える劉文叔が故郷から帝都に出て、勉学に励む様子が主に描かれる。
さまざまな人との出逢いに彩られるその日々、読んでいて、まさに春風のように爽やかな印象を受けた。
宮城谷昌光らしい清廉な筆致である。
本作は文叔の時代からみた故事の引用が多く、それも楽しかった。
「人格は貌にあらわれる。とくに四十歳をすぎると、よけいなものが剥がれてゆき、その人の本性が貌に露呈してくる。それでも人は他人を見あやまる。見るという行為は、誤差を避けられない。が、目を閉じて聞くのはどうであろう。」『春風のゆくえ』より。
「━━人は何かを信じていなければ、生きてゆけない。」『常安留学』より。
「強靭な志は堅固な信念を産む。いや、信念が志を育てることもある。つまり志と信念は切っても切れない絡りをもって、人生の道を選択させる。その選択に迷いはないだろう。」『常安留学』より。
「知ることがむずかしいのではありません。実行することがむずかしいのです。」『雲の影』より。
「人は何かを失えば、何かを得られる。多くのものを両手でかかえて生まれ育った者は、それを落とさぬようにするだけで、あらたなものを得ることはできない。」『華彩の路』より。
「━━天災は人災の反映にすぎない。」『華彩の路』より。
「人が消えてゆくのは、さびしいものである。」『地の声』より。
「大きく得ようとするあまり、大きく失うのは、人も政府もおなじです」『予言』より。
「良いものさえ作れば、かならず売れる、というのは妄想にすぎません。作るより、売るほうがむずかしいといえる。作ったものを、広く遠くまで人々に知ってもらうには、そうとうな工夫が要ります。」『予言』より。
「政治にしろ、事業にしろ、ことばがすべてであるといってよい。善政とは、良いことばの政治である。企業においては、ことばを大切にする者が成功する。」『予言』より。
「……先駆者はかならず斃れます。一歩遅れて起つ者が、革命を完成させるのです。」『予言』より。 -
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宮城谷作品には欠点がある。それは主人公の前半生の描写に多くを費やしてしまい、後半生の描写が希薄だということだ。よって世に出て、歴史上に名を現した時期の描写が駆け足になり、それが私にとりもの足りなさを感じさせていた。『奇貨居くべし』『風は山河より』がその例だ。
本作も全9巻のうち、第6巻でようやく有名な伍子胥の「死屍に鞭打つ」エピソードである。しかもライバルと言える范蠡はこの巻でもまだ本格的に登場していない。
先行きが心配だったが、うまくまとめられていて安堵した。
人にとって大切なものの一つは洞察力、卑近な言い方をすれば空気を読むということだ。范蠡の見事な退き際を見るに、彼は非常に優れた洞察力の人だった。
では、伍子胥は范蠡に劣るのかというと、私はそうは思わない。子胥の想念は全く別のところにあったということだろう。
「━━学ぶということは、生涯学ぶということだ。」『外交の妙』より。
「あるところまで学んで、これでよし、これでわかった、とすることは、おのれでおのれの発展を止めることであり、おのれの深奥をみきわめることなく、軽量の個を真の自身と勘ちがいをして生きることになる。」『外交の妙』より。
「旱にはすなわち船を資し、水にはすなわち車を資するは、物の理なり」『外交の妙』より。
「わからないことをむりにわかろうとすると判断をあやまる。わからないことを、わからないままにしておくことも、ひとつの賢明さなのである。」『外交の妙』より。
「━━功が多い臣は、君主にうるさがられることになる。」『外交の妙』より。
「非凡な思想は、しいたげられた環境から生まれる。」『人質の交替』より。
「たやすくあらわれる意望など、たかがしれている。」『人質の交替』より。
「財を失うより、時を失うほうが、損害は大きいのではありませんか」『謎の商人』より。
「財は、おのれが築き上げてこそ、まことの財となり、不動となるのです」『謎の商人』より。
「苦難のうけとりかたをまちがえると、人は卑屈に堕ちてしまう。」『西施の命運』より。
「尊大さは、愚かさの現れであるともいえる。」『仙女の飛翔』より。
「もともと策は常識からはみだした創意をいうが……」『属鏤の剣』より。
「━━人の和の堅さは、すべてを凌ぐ。」『出撃の時』より。
「人は、けっきょく、人を喜ばせた者が勝ちだな」『呉越の決戦』より。
「策は、おのれを弱、と自覚した者の発想だ。」『呉越の決戦』より。
「人は、環境と地位のちがいによって、変わるものである。他人への好悪の方向、角度、濃淡さえ変わる。」『湖上の影』より。 -
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史実または史書に描写された出来事を拾い、それへ作者自身が解釈を加えて話を紡いでいくのが歴史小説だろう。どのような出来事を採用するかといった取捨選択には作家の考え、つまり作家性が表れる。
本巻も確かに面白かったが、宮城谷の作家性には共感できない点もあった。
諸稽郢の外交交渉での活躍は実に痛快である。彼の弁舌は後の戦国時代に現れる縦横家のそれそのもので、読んでいて楽しかった。
「徹底して理を求めると、ほかの者には不合理に映るのではあるまいか。」『大戦略』より。
「策を好む者は、策に淪没する。」『大戦略』より。
「まともに押しても動かない岩も、梃をつかえば動く。交渉のこつは、それである。」『講和成る』より。
「発想が秀逸でも手段が陋劣では、けっきょく愚策におわってしまう。」『講和成る』より。
「この世には、いかなる財宝にもまさる物がある。それが人のことばというものだ」『雪中の声』より。
「推量の上に推量を積んでも、実像はみえてこない。」『楚への密使』より。
「旅行は人の精神を育てるにちがいない。」『船上の風』より。 -
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主役は伍子胥から若き范蠡へ。それでも伍子胥は輝きを失うことなく、その存在感は際立っていた。伍子胥恐るべし、である。
呉王闔廬自ら率いる呉軍の侵攻に対し、気鋭の新国主である句践率いる越軍が迎え撃つ。呉と越の存亡をかけた戦いがついに始まった。
これまで戦のシーンでもどちらかというと“静”の印象を受けていた宮城谷の筆致だが、本巻では“動”の描写の連続で、読んでいて心が震えた。
「━━人の造った物のなかで、もっとも美しい物は、もっとも醜い物になりうる。」『将来の妻』より。
「偶然とおもわれることも、天意あるいは神力がはたらいて、じつは必然であったことがあとでわかる。」『将来の妻』より。
「徳で攻め治めることは、才や威のそれにまさる。商売だけではなく政治でもおなじことがいえる。」『将来の妻』より。
「いまの自分が弱いので、強い者を避けつづけるのでは、いつまで経っても強くはなれない。」『将来の妻』より。
「人生も戦いの場であるとすれば、戦って敗れたがゆえに逃げるのは宥されようが、戦うまえに逃げては世の人々の赦しは永遠に得られない。」『将来の妻』より。
「……意いつづけていれば、いつか成就する、」『范季父』より。
「━━欲するためには、備えよ。」『国難』より。
「すぐれた人と思想があれば、たとえそれが敵側にあっても、学ばなければならない。これは、できそうでできないことである。悪感情がさきに立つと、それが自身の思考的視野をさえぎってしまう。」『越軍の策』より。
「━━威張ったら、人としての成長がとまる。」『夕映えの空』より。
「人は、聴く耳をもたない人には、語りかけないものだ。民と政府のありようもおなじで、訴えても願っても、とりあってもらえない政府には、なにもいわない。沈黙した民はおとなしい良民ではなく、不満と怒りのかたまりであるとおもうべきだ。そうなるまえに、悪感情の捌け口をつくっておく。それも政治の方法のひとつだ。」『海辺の風』より。
「勝つ、ということは、勝ちつづける、ということだ。」『諜者たち』より。
「人生にも、攻守がるのだ。まず内をかためるのが、成功への常道だ」『西施』より。
「信用を失えば、人として立てない。」『諜報戦』より。 -
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呉に勝利をもたらす孫武のあざやかな兵法には、賛嘆と痛快さを感じてならない。まさに神算鬼謀の天才軍師である。
歴史というのは、いわば集団劇のように有名無名の多くの人たちによってつくられるのか、それとも個人の英雄的なちからによってつくられるのか…… 孫武、申包胥、そして伍子胥、彼らの姿を見ると後者のように思われた。
「勝った者は、かならず美化されます。」『蔡と唐』より。
「━━戦いとは、情報戦である。」『大別山の戦い』より。
「わずかのあいだにみえた勝機をつかみそこねると、その怠慢はかならず苦戦に変わる。」『柏挙の陣』より。
「法に例外を設けると、それがとりとめのない紊乱のもとになる。」『楚都近し』より。
「性根が腐りきっていないかぎり、人はなにかのきっかけで善良にかわりうる。」『追う者』より。
「人は大事をやり遂げると満足する。同時に、人格の成長が止まる。生涯の敵がいるとおもえば、つねに用心をおこたらず、怠倦におちいることがない。」『好敵手』より。
「人がほんとうに屈するのは、武の力ではなく、徳の力である。」『好敵手』より。
「老いるとともにめんどうなことを避ける性向が強くなる。」『申包胥』より。
「━━知らぬということは、気楽なことだ。」『去就』より。
「将の優劣は、攻めるときにではなく、退くときに、あきらかになる。」『ふたりの呉王』より。
「━━大きなものを得れば、大きなものを失う。」『黄金期』より。