宮城谷昌光のレビュー一覧
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テストが終わってやっと読めた本。
十八史略では周公を扱う部分は多いが、呂尚のことは全く触れられないので是非読んでみたかった。
もちろん正史に記述がない=詳細不明なので歴史的に正しいかは怪しいが、彼を羌族の子孫として描いているのが特徴的。幼少期の避難の旅を通じて描かれる成長を見ていると、ふと未知の土地をさまよいたくなる。
その後仙人のもとで修業なんていうのはいかにも話のつじつまを合わせるだけのシーンであるように思われるが、後々伏線になってくるのだろうか・・・
上巻は、望が一族と旅を始めるところから、一人になり、本格的な旅立ちを迎えるところまで。彼の幼少期における史実と空想をうまくリンクさせている。 -
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前600年。華元の話。宋の宰相。華御事の子。宋は商の遺民が移り住んだ国で礼を尊ぶ。「宋襄の仁」でも有名。宋の襄公が敵が川を渡るまで待って攻撃を開始し,敗れたことをいい,バカ正直という意味をいう。がそれほど戦いの場においても礼を尊んだ国である。華元も嫌戦家で相手が悪かろうが,できるだけ戦いを回避する策をとった。
華元は自分を殺そうとしている者を殺して生きるということを好まず,自分を殺そうとしている者に殺されないように生きるということを好む。
華元の最大の功労は戦いに明け暮れていた晋と楚が盟いを交わすという歴史的慶事を実現させたことだろう。
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ネタバレ前550年頃。氏は公孫,名を僑,字を子産といいます。鄭の穆公の子供である子国の子供で,鄭の宰相になりました。穆公の子供では夏姫という美女が有名ですが。
鄭は小国であり,晋・楚という二大国にはさまれていたが,子産はみごとに鄭国を治めました。ただ,子産が鄭国の政治を思い通りにできたのは子産の前の宰相である子皮がいたからと言われています。子皮は子産の行動を理解できないにしても全て認め,その批判に対しては自分が矢面に立つという胆力のある人物でした。
孔子は弟子に「今の世の人臣で、たれが賢でしょうか」と問われて「斉の鮑叔と鄭の子皮。鮑叔は管仲を成功させ,子皮は子産を成功させた」と言ったぐらい,子皮の方を評価する人もいます。自分より有能な人間を推奨し、自分が一歩も二歩も引き、なおかつ、影でその人を支える、ということができる人がなんと少ないことか。
『勝つ者には偶然があり,負ける者には必然がある』この言葉好きだ! -
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前590年頃。鄭の穆公の娘。春秋時代を代表する美女。彼女の夫となった者は皆亡くなったり,亡命したりしている。
夏姫は兄の子夷や鄭の大臣の子宋,子家に通じ,穆公はこの悪い評判を気にして,早く嫁がせようとします。
夏姫は陳の夏御叔に嫁ぎ,生国の姓を姫といったため夏姫と呼ばれます。
御叔が死んだ後,兄の子夷も子宋,子家に殺されてしまいます。支えを失った夏姫は,家計を助けるため,大臣の儀行父や孔寧に通じます。さらに,陳公平国の側室ともなり,いわゆる3股のような状態になります。夏姫には夏徴舒という息子がおりましたが,徴舒はこの3股の噂を聞き陳公を殺してしまいます。儀行父と孔寧は楚に亡命しますが,楚は陳を攻め滅ぼし,徴舒は車裂きで殺され,夏姫は捕われました。この楚で夏姫は巫臣(ふしん)と出会います。楚王やその子である子反が夏姫を側室にしようとしたとき,巫臣は夏姫に関係する者は皆死ぬ運命にあると言い諦めさせます。しかし,楚王が夏姫を襄老に与えると言った時はこれを止めることが出来ませんでした。しかし襄老は楚と普の戦いで戦死し,結局最終的には巫臣の妻とりました。 -
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前1020年頃。商(殷)王朝が滅び周の時代に入る時の話。呂望は羌族の族長の子供として生まれました。姜族は度々商の狩り(人狩り)の対象となり,ましたが,呂望の一族も商に殺されてしまいます。ここで商への復讐を誓うわけです。その後,父の遺言である孤竹を目指しますが,旅の途中では鬼公や受王の叔父の箕子に出会い,影響を受けていきます。孤竹では仙人の元で修行をし剣と文字を習います。当時,剣と文字は高貴な人間しか習得できなかったため,望も次第に名声を得て,仲間が増えていきます。肉屋等の商売を行い身を隠しながら,商を倒す機会をうかがいます。商の紂王は妲己を寵愛し,妲己に言われるがままに炮烙の刑などを行うなど悪徳を行います。それを諌めたのが姫昌(後の周の文王)で,姫昌とともに商を倒そうと決意します。文王は商を倒す目前で死にますが,息子の発(周の武王)が文王の意思を継ぎ,望と周公旦の補佐で商を牧野の決戦で倒します。戦いは周軍4万5千,商軍70万と言われています。商軍兵の士気は低く,負けたのも時勢というものなのでしょう。負けた紂王は鹿台に火を放ち自刃。妲己は周軍殺されました。戦後,太公望は斉王に報じられ,ここから斉の歴史が始まりました。『この世に生まれた者は,かならず死ぬ。だが,死は人生の到着点でありながら,それは願望でも目的でもない。生きると言うことは,すべて途中である。その途中こそが大切なのではないか。』この言葉が好きだ!