宮城谷昌光のレビュー一覧

  • 孟嘗君(4)

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    戦いはその先を見据えること、情報を如何に早く正確に入手すること、徳と信頼を得た集団を作ること。今のビジネス界と何ら変わらない。馬陵の戦いも徐州の戦いも神の如き全体を見定める目があったこと、敬服を超えて畏怖さえします。その眼が欲しい。

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    2012年12月17日
  • 重耳(中)

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    重耳の徳の行く末を、、期待。古代中国は本当に徳の高い人がたくさん出てくる。今の中国と照らし合わせて、極めて不思議。

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    2012年12月02日
  • 香乱記(三)

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    いよいよ楚漢戦争に田横も巻き込まれていく。
    楚漢戦争を別の視点から見てみると違う中国史が見えてきて面白くなってきた。

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    2012年11月29日
  • 重耳(上)

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    この時代の中華はちゃんと理解してないので、とても新鮮。今の中国人からは想像しづらいけど、当時から「徳」の高い人がたまに出てくるんですね。その辺りは人智を超えてる感じがしますね。

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    2012年11月28日
  • 新三河物語(下)

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    家康は天下人に上り詰めていく。大久保一族と家康配下の武将たちとの争いが描かれている。
    家康をずっと支えてきた大久保一族への仕打ちが非常に哀しい。信康を失った悲しみがあるのかもしれないが。

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    2012年11月03日
  • 新三河物語(中)

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    徳川家康が三河統一し、武田信玄との戦い、遠江攻略、長男の信康自害までを描く。
    家康は信康、築山殿を岡崎城におき、あまり構うことはなかった。今川への内通を考慮したのだろうが、父に構われない信康は粗野になり、結局自害することになる。

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    2012年11月03日
  • 新三河物語(上)

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    徳川家康の家臣、大久保一族の物語。上巻は家康が今川から独立し、一向一揆に立ち向かうところ。
    登場人物も多く、読み進むのに苦労したが、それを差し引いても、充分読み応えある作品。
    家康か天下人となった一因がよくわかる。

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    2012年10月26日
  • 花の歳月

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    ネタバレ

    時代は前漢王朝前期・呂太后の専制下、名家ながら没落した竇(とう)家の娘、猗房(いぼう)が、推されて漢の宮中に出仕することから話は始まる。
    貧しいながら助け合って暮らす家族と別れ、宮中に入るわずか十歳の彼女。
    彼女を支えていたのは、父が語ってくれた「老子」の教えと、兄の励ましの言葉。

    所々にみられる老子の教え。

    「上善は水の若し」-最上は水のようなもの。水は万物を潤し、争うことをしない。そして水は上から下へと流れる、即ち謙ることを表す。

    「高は下をもって基となす」-高いものは低いものを基本としている。

    「禍か福の倚るところ、たれかその極をしらん」-禍は福のもたれかかるところと

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    2012年10月05日
  • 晏子(四)

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    晏嬰が景公の側近となって、斉の国が誤った方向に進まずに済んだ。それにしても、紀元前500年の春秋時代の政変の生臭さはどうだろう。

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    2012年09月01日
  • 晏子(三)

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    ネタバレ

    1巻2巻に比べると格段に退屈だった。理由は明快。主人公晏子である子・晏嬰が、父・晏弱の喪に服すといって、3年間たてこもっている次期の物語だからだ。つまり晏子の痛快な戦略や説法、心意気といったものがなく、単に晏子以外の人々の政治勢力抗争が繰り広げられるだけだった巻である。次の最終巻に期待!

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    2012年08月27日
  • 新三河物語(下)

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    松平徳川家の覇権への道における柱石であった大久保一門の物語。三河物語とは大久保忠教(平助、彦左衛門)が記した記録。宮城谷昌光氏の作品を始めて読みました。個人の精神世界を語るのは司馬遼太郎が上?時代群像としての風景描写は宮城谷さんか?本多、酒井、井伊、榊原、鳥居、土井 家康から秀忠、家光に渡る徳川家の腹心達の群像描写はリアル。長子信康が信長に切腹を命ぜられる経緯を巡り、酒井、大久保一門を晩年の家康が糾弾する。依田信蕃がかなり好意的に描写されてもいる。

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    2012年07月26日
  • 重耳(下)

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     ストーリーはいたって平凡、歴史小説がすべてエキサイティングであるはずはない。中国春秋時代の晋の君主、在位紀元前636年 - 紀元前628年。姓は姫、諱は重耳のお話。全3冊を斜め読み。

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    2012年07月21日
  • 孟嘗君(5)

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    ネタバレ

    うーん。鶏鳴狗盗がクライマックスなのは充分分かってたのですが何なのでしょうか、この寂寥感は。他の方々のレビュー程楽しめませんでした。

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    2012年05月03日
  • 楽毅(三)

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    ネタバレ

    ・遠くにいる賢人を探す前に、まぢかにいる賢人に師事せよ。
    ・良将は、晴天に嵐を想うものだ
    ・目的がなければ努力しつづけにくい。が、人が目的を失った時に、目的を作るというのが、才能というものではないか。
    ・地に固執するのではなく、人に固執すべし。
    ・なぜという問いが実生活のなかから生じなければ、知恵は身につかない。

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    2012年04月30日
  • 中国古典の言行録

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    商(殷)の湯王が、宰相の伊尹にたずねた。
    「天下を得るには、どうすればよいか」
    伊尹は答えた。
    「天下を得ようとすれば、天下は手に入りません。得るとすれば、まず、自分を得るのです」
    このあと、『呂氏春秋』はこういうコメントを付している。
    「すべての根元は、まず、自分を治めることにある。自愛することである。新しい気を用いて、古い気は捨てる。皮膚の間から、精気と邪気とを、代謝させる。精気は日ごとに新しく、邪気はすべて排出される。これで、天寿はまっとうされる。これを真人という」

    内なる宇宙を修めることと天下を得ることとはひとしいのだ、そう肝に命じて鍼灸を努めようと思う私です。

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    2012年03月16日
  • 管仲(下)

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    ネタバレ

    春秋時代の斉国の宰相。自分が矢を射た公子小白(後の斉の桓公)に仕えて、富国強兵策で桓公を覇者とした。名言「倉廩実ちて礼節を知り、衣食足りて栄辱を知る(そうりんみちてれいせつをしり、いしょくたりてえいじょくをしる)」は二千年以上前では先見性があったかもしれないが、今の日本人には当てはまらない気がする。

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    2012年03月10日
  • 新三河物語(上)

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    ネタバレ

    題名の一部となっている三河物語は,徳川家家臣の大久保忠教が,主に徳川家康の戦の記録を記した書である。本書はそれを,著者による独自の解釈や調査により歴史小説として仕立てたものである。
    家康は松平元康と言い,幼名は竹千代である。実家の岡崎松平家が西から伸張してきた織田家の勢力に耐えがたくなったとき,人質として今川家に送られることになったが,その途中に田原の戸田氏に拉致され,今川の敵方である織田信秀のもとに届けられた。その後,今川軍が信秀の子を捕らえ,人質交換が成立したため,竹千代は駿府へ移住した。それが八歳のころで,以後,人質の身分から解放されることなく,駿府にとどまり,妻帯し,男子を儲けた。それ

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    2012年02月02日
  • 重耳(中)

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    まさに、大河。大河ドラマだ。
    話が壮大過ぎて若干ついていけない気もする。でもまぁ、これこそが中国の王朝の勃興なんだよなと感心しきり。そりゃ、島国住民には理解できないよな、大陸情勢は。

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    2015年07月14日
  • 重耳(上)

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    やはり歴史小説を読むのには慣れが必要である。
    司馬遼太郎ばかり読んでいると他の作家が読めなくなっているのだが、
    この作家で、中国史小説。上巻を通してようやく慣れてきた。
    物語は秦の始皇帝よりも前、
    考え方において現在の科学や、論理の位置に占いや伝統や習慣が多くをしめている時代のお話。

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    2015年07月14日
  • 晏子(三)

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    晏子〈全3巻〉 (新潮文庫)
    紀元前500年 斉の国を晏弱、晏嬰の父子が他の豪族達から守っていく。斉の公、国民からも愛されていた人物 崔氏の滅亡も理解しやすい

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    2011年10月15日