宮城谷昌光のレビュー一覧
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ネタバレ時代は前漢王朝前期・呂太后の専制下、名家ながら没落した竇(とう)家の娘、猗房(いぼう)が、推されて漢の宮中に出仕することから話は始まる。
貧しいながら助け合って暮らす家族と別れ、宮中に入るわずか十歳の彼女。
彼女を支えていたのは、父が語ってくれた「老子」の教えと、兄の励ましの言葉。
所々にみられる老子の教え。
「上善は水の若し」-最上は水のようなもの。水は万物を潤し、争うことをしない。そして水は上から下へと流れる、即ち謙ることを表す。
「高は下をもって基となす」-高いものは低いものを基本としている。
「禍か福の倚るところ、たれかその極をしらん」-禍は福のもたれかかるところと -
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商(殷)の湯王が、宰相の伊尹にたずねた。
「天下を得るには、どうすればよいか」
伊尹は答えた。
「天下を得ようとすれば、天下は手に入りません。得るとすれば、まず、自分を得るのです」
このあと、『呂氏春秋』はこういうコメントを付している。
「すべての根元は、まず、自分を治めることにある。自愛することである。新しい気を用いて、古い気は捨てる。皮膚の間から、精気と邪気とを、代謝させる。精気は日ごとに新しく、邪気はすべて排出される。これで、天寿はまっとうされる。これを真人という」
内なる宇宙を修めることと天下を得ることとはひとしいのだ、そう肝に命じて鍼灸を努めようと思う私です。 -
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ネタバレ題名の一部となっている三河物語は,徳川家家臣の大久保忠教が,主に徳川家康の戦の記録を記した書である。本書はそれを,著者による独自の解釈や調査により歴史小説として仕立てたものである。
家康は松平元康と言い,幼名は竹千代である。実家の岡崎松平家が西から伸張してきた織田家の勢力に耐えがたくなったとき,人質として今川家に送られることになったが,その途中に田原の戸田氏に拉致され,今川の敵方である織田信秀のもとに届けられた。その後,今川軍が信秀の子を捕らえ,人質交換が成立したため,竹千代は駿府へ移住した。それが八歳のころで,以後,人質の身分から解放されることなく,駿府にとどまり,妻帯し,男子を儲けた。それ