上野千鶴子のレビュー一覧
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人生という軸で、上野先生の各書から選びぬかれた言葉がまとめてある。
冒頭に「幸せな女性は私の本などとらない」と書いてあって確かに〜〜ってなったし、終わりにに、「女が女に贈ることばは、わたし自身にとってそうであったように、女にとって命綱の役割を果たすことになるでしょう」に関しても確かに〜〜ってなりました(笑)この本にまとめられてる言葉で救われる人もいるんだろうな。さくっと読める1冊。
あとは個人的に大学院生をやってる身として、学問に対する姿勢の言葉が、結構刺さりました、ぐさっとね。(その研究は誰かにやれって言われたの?そうじゃないでしょう、とか特に) -
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試し読み
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ネタバレお勉強として。
恋をすると気になる「本気か遊びか」。「私のこと遊びだったの!?」とか「私のこと本気じゃないの!?」と苦しんでしまうのは、女性が「妻・母コース」「娼婦コース」に分けられてきた歴史ゆえなのかなと。
それで、私が「私は本気よ!」と思う時は、相手に自分の存在を全依存するような、ずっと死ぬまで一緒に居ようねという確約を求めるような、いわゆるシンデレラコンプレックス状態・ロマンティックラブイデオロギー洗脳になっていた気がする。
おそろしい。
もっと、軽やかに愛することができれば、女はもっとチャーミングなのにね。そんなことは47歳になったから言えることであって、30歳だったら言えなか -
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上野千鶴子さんの鋭いツッコミに対し、山折哲雄さんがタジタジになりながらも吸収していく展開が読んでいて楽しかった。
「ひとり」の概念すら両者では異なり、本文中では互いの考えをぶつけ合うが、最終的に、超現実主義の上野さんが、最終的に死の五段階説を発表したキューブラ・ロスの私を引き合いに、混乱の中で死んでいったこともアリと思えるようになったと結ぶところに、このvsのノーサイドをみた。
私は上野さんの考え方が清々しく好みだ。
「野垂れ死にを希望するのは男だけ」という話、言われてみれば確かにそうかも。
結局、男の弱さからくる現実逃避思考から生まれた妄想が野垂れ死というわけだ。 -
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「人生のお悩みの多くは身の「下」から来ます」
作者の上野千鶴子さんのお言葉です。こちらの本は朝日新聞の『悩みのるつぼ』に掲載されたものをまとめたものです
悩みの相談は、自分が共感できるものから、少しドン引きするようなものまで様々。
でも大体がこじれた恋愛関係や、「下」のことです笑
まず良かった点
上野先生のお言葉が、遠回しではなくぐさっと刺さるようなストレート球で、読んでいて痛快なこと
質問を読んでいて、読者が感じることを明確に言語化してつっこんでいらっしゃって、「そうそう、それがいいたいの!」と心地よく読み進めることができます
ただ、上野先生と私の視点が近すぎるのか、「そういう考え方が -
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ネタバレ「東電OLは私である」と発言する女性がたくさんいたという
女性差別企業の中で惨憺たる思いをした彼女は均等法施行前に社会人となった世代
均等法が施行されてからだってそう変わらない
会社に入ってみたらこんなはずじゃなかった
といったことは多々あったし今でも劇的にそうした状況が改善されているとも思えない
この事件は覚えている
マスコミが騒いだ内容については詳しく知らなかった
本書でそうしたことを読み解いているのかと
しかもこのお三方
楽しそうではないかと思い読み始めた
この事件というよりは「木嶋佳苗」に焦点をあてて語られる日本の「性」の扱われ方
援交世代についてはっとさせられたのは
そうだ彼女 -
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「毒婦」をテーマに上野千鶴子、信田さよ子、北原みのりが鼎談している。
「毒婦」って何だろう。男性版のそういう言葉ってない(と思う)からそもそも「婦」にだけ「毒」がつくっていうのが上野さんあたりが突っ込むべきところじゃないかと思うけどそういう話は出てこない。勝手に女性に聖性を求めてそれと違う女性には「毒」をつけて侮蔑したり揶揄したりという構造だと思う。
ここで双璧に論じられているのが東電OLと木嶋佳苗。木嶋佳苗は一時期ブログなど愛読しその非凡さはそれとなく知っていた。一方東電OLについてはこの本を読んで初めて知った逸話もあった。どこか正気でない淫らなひとという印象だったんだけど、それ以上に既存の -
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「情報生産者になる」を読んで本棚から1992年のカッパサイエンス版を引っ張り出しました。上野千鶴子が自ら処女喪失作という著作であり、彼女の良きにつけ悪しきにつけ名刺がわりの一冊でした。女性学という目新しい立場や現在でもまったく不変の挑発的物言いにイロモノイメージがあったような気がしますが、その後の四半世紀の研究と教育の立場で社会学を鍛え上げる、という仕事には尊敬です。「情報生産者になる」はその集大成であり、「セクシィ・ギャルの大研究」はそのスタートラインだったのかもしれません。使われる広告サンプルはとても古めかしく時代を感じさせますが、その後の時の流れは社会における女性の位置付けを変えたのか、