上野千鶴子のレビュー一覧
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ナショナリズムとジェンダー 新版
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試し読み
Posted by ブクログ
この本が最初に世に出たのは1998年であるが、今読んでも古いと感じないのは、状況がほとんど変わっていない(むしろ、悪くなっている)からだろう。
個人的には、最後に収録されている「アジア女性基金の歴史的総括のために」を非常に興味深く読んだ。
私も、国民基金(正式名称は「女性のためのアジア平和国民基金」)に対しては、あくまでも国家補償ではないこと、被害者や支援者の間に分裂を生んだことなどから、批判的な気持ちを持っていたが、「あのとき国民基金をつくらなければ、その後つくる可能性は非常に低かっただろう」という指摘にはハッとさせられた。確かに全くそうであろう。
この本の帯には「『慰安婦』問題は終わらない」とあり、323ページでも北朝鮮との国交回復が果たされれば、北朝鮮の被害者救済が課題になるであろうこと、中国では中国政府の協力が得られなかった為に基金事業は行っていないことが挙げられているが、まだ未解決の課題が残されているからこそ踏み込む余地があり、その為にも国民基金とは何だったのかを振り返ることは重要だろう。 -
Posted by ブクログ
上野さん,ほんとに男が嫌いなんだな.悪意がある.女性が幸せに生きるためには,男がしっかりしてほしい,そのためにびしびし言う.だからこそ本書は女性と生きていかねばならない男性にはまたとない実用書となっている.
私は女性異性愛者だけでなく,男性同性愛者の友人がいる.他にも社会的な弱者とのつながりもある.これも自分がうつ病であること,弱さの情報公開をしているからだろう.たしかに男はたいがいイヤなやつだ.女性とおなじくらいに.
本書が強調した,弱さの情報公開を適度に,適時に行える人は確かに万事うまくいくような気がするのは私の実感でもある.
ひとりで死ねる,という記述は大変に心強く感じた. -
Posted by ブクログ
ネタバレ案の定、あらゆる意味で「昭和」な本。
無理もない。本書が初めて世に出たのは1982年。男女雇用機会均等法が成立する4年も前、テレビの中では女性たちがあられもない姿でバカ殿様に弄ばれ(それもゴールデンタイムに)、世間では「アイドルはトイレに行かないしオナラもしない」という神話がまことしやかに囁かれ(トイレにも行くしオナラもする一般女性にはハタ迷惑な神話だったはずだ)、挙句に「据え膳食わぬは男の恥」と誰もが当たり前のように公言して憚らなかった、そんな時代だった。
だから上野が「女はつらいよ、それに比べて男は…」と手を変え品を変えて主張してても、文化の型を「女っぽい」とか「男っぽい」などと性差の言語でばっさり二分してしまってても、当時の事情を鑑みれば致し方ない。社会的弱者から反乱の狼煙が上がるときは、たいてい現実を故意にデフォルメして一面的な「強者vs.弱者」の図式で語られがちだから。それに、本書はちょうど日本で第三次産業が成熟し、働く女性の権利が社会的に認知され始めた時代のさなかで執筆されたもの。こうした時代の趨勢と上野の分かりやすい構図がぴったりマッチングしたからこそ、本書は累計11万部という驚異的な売り上げを見せたのだろう。
それだけに、今の目から見れば本書の記述がやや古めかしいのは否めない。何しろ本書にはフロイト顔負けの性欲一元論が溢れ返っているし、(上野自身も2009年の自著解題で認めているように)動物行動学の理論をそのまま無批判に使ってしまったりもしている。今の学界でこんな解釈を披露しようものなら、鼻で一笑に付されるのがオチだろう。
だがそれはそれ。探そうと思えば本書にも今に通じる魅力がたくさんあるはず。
たとえば、「父性社会」は力による支配だから弱者の「面従腹背」が半ば黙認されるのに対して、「母性社会」は愛による支配だからかえって面従腹背すら許されず、人の内面を隅々まで支配して無気力な社会にさせかねない、という指摘にはなるほどと膝を打った。人間自身がどこまで行っても不完全な存在だからこそ、葛藤を無理に消し去ろうとする社会より、葛藤をうまく処理する社会の方が断然良いというわけだ。
一般に母性愛が強すぎると、何事にも受動的で横着な男たちが出来上がってしまう。「面倒見のいいおかあさん」をいい歳こいて求め続けるジコチューで依存的な「潜在型マザコン夫」が。こうした夫に愛想をつかした妻たちは、今度は母として自分の愛のエネルギーを息子に一極集中させるだろう。その過剰な愛が、やがて第二のマザコン夫を作り上げるとも知らずに…。
要は、これが上野の見る母性型社会の問題点。
もちろんこの種の文化論的な話以外にも、本書は四方山話のネタの宝庫。これもまた本としての大事な魅力の一つだ。たとえば…
なぜ口紅はリップスティックという形状なのか。
なぜ男性のネクタイ姿が多くの女性に人気なのか。
答えは本書をご覧あれ。 -
Posted by ブクログ
副題~マルクス主義フェミニズムの地平
フェミニズムとマルクス? 一体どこでどうつながるのか?
婦人解放(時代を感じる言葉です)思想の歴史をみると、社会主義婦人解放論は女性解放を社会主義革命に還元し、ラディカル・フェミニズムは性革命を再重要視する。歴史的に女性は男性に支配されてきた、との両者の説だが、それを階級支配というなら、それをマルクス主義は「資本制」と名付け、フェミニストは「近代家父長制」と名付けた。
それに続く思想として、新マルクス主義フェミニズムが現れ、それは上記2つの論を統合したものである。近代社会の中で女性は「資本制」と「家父長制」の二重の抑圧を受けているというのだ。
会社・社会は男が作った男による男のための社会で、かかあ天下なんてまぎらわしい言葉もあるがそれはオブラートで、家庭は男を再生産するための場所、であるな、と言い換えてみる。
それにしてもなんと論旨の展開の明快さよ。 -
Posted by ブクログ
1982年カッパブックス刊。相互行為論というのを研究しているアメリカのアーヴィング・ゴフマン(1922-82)の書いたgennder advertisements という1976に書かれた本をもとに日本版応用編を書いたもの。「性からみた広告」という訳でいいのか? 1980年に刊行されたマスメディアに登場する商業広告ー「アンアン」「ノンノ」「モア」「ミセス」「プレイボーイ」「ポパイ」等に載ったものを対象にしている。広告にみられるポーズ・行動を通してそのメッセージを読むというもの。
広告からは男女の「らしさ」ごっこが伝わり、その演じ合いは対等ではなく、女は演技者で男は観客で現実社会の力関係を現しているという。そして広告は時代の一歩先を行くのはいいが三歩先を行っては受けてにメッセージが伝わらないという。なので広告はその時代の了解事項を示しているので広告分析はその時代の典型的な考え方の基準が表現されているという。
広告には魅力的な女性が多く登場するが、それは男から男への、女を媒介にした欲望のメッセージだという。女性向け商品であっても購買力のあるのは男という前提で、女性が登場する。女性が女性を見るときには男の色眼鏡をかけるー「男の目からみたらきっとセクシーに見えるに違いない」と。一方女性はセクシーな女性を見ても不愉快にはならず、モデルに同一化してナルシズムを味わうというのだ。
これらは女性にとってはなんか目にゴミが入ったような生活上の違和感として現れるのではないか。それを上野氏が論理的に明解に書いてくれる。
上野氏の第1作ということで、これからの数ある著作の側面があらわれている。