上野千鶴子のレビュー一覧
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東京旅行中、偶然立寄ったジュンク堂池袋店で本書の出版記念トークライブがあり、席に空きがあったので急遽参加することにした。一番後ろの席に落着いたが、最後部から入場してきたアグネス・チャンさんと目があい、会釈をしていただいた(と理解している)ことは良い記念だ。
アグネス論争が起こってから40年近くが経過した。当時と現在を、点と点として比較すれば変化は大きいと思う。その点と点の間に、アグネス論争の当事者であったお二人が何をして、何を考えてきたかを対談しておられる。アグネス・チャンさんのポジティブシンキングを、上野千鶴子さんがそれは芸能界の成功者としての強さあってのことで、万人にあたることではないと、やんわり指摘されるターンが目立つよう感じた。まだ多くの女性が、この社会で弱者として押し込められている現状を上野千鶴子さんが指摘しているようで、点と点を比べれば変化は大きいが、問題はまだ多いということだろう。
これからも多くの方が戦い、権利を獲得していくことだろう。大きなことはできないが、世論の一端として応援したい。 -
Posted by ブクログ
「プレ金ナイト」上野千鶴子さんがゲスト回を聞いて購入。
「社会に対して怒りを覚えるというのは意味のあることだと言いたいです。怒りをコントロールするおいうアンガー・マネジメントを学ぶくらいなら、正しい怒り方を学ぶ方がずっとよい。」(上野168p.)
上野さんがアグネスさんに聞く、アグネスさんが答える、その答えに違和感があると上野さんがそこをついていく、それを受け止めてアグネスさんが話す。この繰り返しが、なんだかとてもきちんとした礼節?相手への敬意?の感じられるものだった。
怒れる上野さん、穏やかなアグネスさん、という感じ。
「アグネス論争」の頃は高校生でなんかそんなことでワーワーやってるな、くらいにしか思っていなかった。この本を読んで、この論争が「働く女性」ということにとってのエポックメイキングなものだったのだな。
アグネスさんの子育ては児童心理学と教育学に裏付けられたもので、息子3人がスタンフォード大学に進学した、ということだけが注目されるべきことではなかったのだー。へー。 -
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楽天的で能力主義的なアグネス・チャンと、努力が報われる社会ではないという立場の上野千鶴子。
2人が望んだ対談とは言え、最初からすれ違いも多く、ハラハラしながら読んだ。
なんで読者が心配しなくちゃいけないんだろ笑
というくらい、あっけらかんとしたアグネス・チャンの楽観主義。そして、中国の伝統的な家族主義への信頼。時には鈍感にも聞こえる勝者の弁。
通じなさにイライラしてるような上野さん。
上野千鶴子に、それ、違うと思う、なんてキッパリ反論できる人そうそういない笑
でも、後半、少しずつ、なにかが通じ合ってくる感じがしてくる。互いに乳がんサバイバーという共通項があるからなのか。それとも、アグネス・チャンの人間に対する絶大なる信頼感とそれに応えようとする姿勢が、単なる鈍感さではないことが上野さんに感じられてきたからなのか。
アグネス・チャンの楽観性は読者の私も、時に「なんか違うんだよね〜」と思わせるものなんだけど、ここまで善意の人だと、ま、仕方ないか、っていう気になっちきちゃうんだよね。
最終的には、日本人って(主語が大きいけど)確かにチマチマいろんなこと心配しすぎなのかもね、って気になってきた。
このくらいおおらかで絶対未来は明るいと信じて生きていく方が、子どももしんどくないのかも。中国ってやはり強い。
いやー、アグネス・チャンの揺るぎなさに最後はねじ伏せられた感あり。(読者の私は)
上野さんは、ねじ伏せられたというより、ま、仕方ないか、分かり合える部分で連帯しようと最初から思って対談したのかも。
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Posted by ブクログ
サラッと読めて面白かった!
以下気になった箇所
◯経験の言語化・理論化
自分の経験を再定義するための言語資源を手に入れる
→これがしたくて社会学の本読んでる。モヤモヤを言語化して定義する。
◯個人的なことは政治的である
→良い言葉。フェミだけでなく、社会を自分に引き寄せるための言葉。
◯男が中心の日本型雇用は一つの組織に長くいればいるほど後払いで得をするシステム。「女が早く辞めるのは自己責任だ」と言います。しかし、女が仕事を辞めるのは男が家事も育児もしないからです。長時間労働を当然視する構造的な条件が背後にあるために、家庭を顧みないからです。
→ドラマ「小さい頃は神様がいて」で感じたモヤモヤが説明されている。あれってまさに家庭の問題でなく、社会の問題として定義してたよなあ
◯「僕ら」の「女の子写真」からわたしたちのガーリーフォトへ
→面白そう。
◯兵器としての性暴力はどういう効果を敵に与えるのか。守るべきだった女を敵に取られるという敵の男性性に対する侮辱になる。性的被害を受けた女性たちはスティグマ化されることで共同体に戻れなくなり、共同体が破壊される。
◯「わきまえる女」ばかりが昇進していくようでは、社会の変化は望めません。
→男性社会に順応する女性も変化を求められている。
◯虐待を意味するabuseということばは、同時に権力の濫用という意味でも使われます。その権力の濫用の誘惑に抗し続ける長きにわたるプロセス……それをケアと呼びます。ケアとは非暴力を学ぶ実践といいかえてもよいかもしれません。
→話がズレるけど、だから小さい頃にペットを飼うことは大事かも。 -
Posted by ブクログ
この本を読んで、「老後」という漠然とした不安が、きちんと準備すれば“具体的な課題”に変わることを深く実感しました。
とくに印象的だったのは、**「死んだらすぐ発見されるように関係づくりをしておく」**という視点です。これは単なる連絡網の話ではなく、自分という存在を丁寧に扱うこと――つまり、生きている間の関係性を密にすることが、老後の安心につながるという本質的なメッセージだと思いました。
また、「葬式や遺言を残す」という話も、単なる“手続き”ではなく、「自分の価値観・生き方を言語化する作業」だと思えました。
これは死後だけでなく、今の生き方にも影響を与えます。
私自身も、過去にお世話になった人や関わりを持った人の顔が浮かび、「この人にはどう伝えておこうか」という視点が生まれました。
さらに面白かったのは、「男はかわいげを」というユーモアを交えた提案。
老後の不安を語る中で、一貫して“人との関係性を大切にする”という観点が貫かれていると感じました。
これは男女を問わず普遍的です。たとえ一人で生きるとしても、他者と繋がる術を持つこと――それが老後だけでなく、日々の安寧や充足感につながると私は思いました。
この本は、単なる“老後準備マニュアル”ではありません。
**「自分の人生をどう完結させるか」「他者との関係をどう紡いでいくか」**という、人としての根源的な問いへのヒントでもあります。 -
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森田さちさんの当事者研究の聞き手として上野千鶴子さんが選ばれて対談するという形式で書かれたもの。
2人の関係性が希薄なまま、森山さんの自己開示がなされていくので、最初は上野さんが突き放す感じでハラハラしながら読んだ。(最後はやはりとっても優しいのだけど)
森田さんの自己開示を上野さんと共に読者も聞いていくことになるのだが、私には今ひとつ森田さんがどんな人か芯のところがわからなかった。希死念慮の出所や、第四第五子を欲するところや、夫との関係性など、どこか腑に落ちない感じがし続けたし、今もそれは変わらない。
鈴木涼美との往復書簡のような腹の底から抉りあって、血が出るような自己開示は、残念ながら今回は味わえなかった。
森田さちさんって、一体どういう人なんでしょうか…。
とはいえ、上野さんの言葉の中に印象に残るものはあったので記録に残しておく。
上野「あなたにとっての出産や子育てって、第一に私は子どもには自分みたいな悲しい思いさせないっていう『母に対する批判』であり、『リベンジ』ですよね。第二は、子どもを生き直しの手段に使う、エゴイズムとしての子育てだと私には思えたな。子どもたちには『ごめんね、私の都合で産んで』『育てさせてもらってありがとう』って言っとけばいいしゃない。」
「どうもメンヘラ系の女って、出産に賭けるところがありますね」
上野さんは優しく諭している。また出産を利用してはダメだよと。
家事のアウトソーシングについて
上野「あなたの場合は夫が払って私的に解決したという結末だけど、多くの家庭はそうはできない。そうなると家事サービスの安い値段で提供してくらるチープレイバーーしばしば移民労働者や農村女性ーの存在が必要となる。これでは女性たちの間の賃金格差は無くならない。だから、本当にケアの問題を解決しようと思ったら、ケアを市場から買ってくるんじゃなくて、公共のサービスとして国や自治体が背負う必要がある」
確かに!
専業主婦になりたい女の子が増えていることについて
上野「20代の女性でわずかに増加傾向にあると言われています。それを保守回帰だと言う人もいるけれど、私はそう思わない。彼女たちの本音は夫や子供に尽くしたいと言うより競争社会から降りたいだと思う。」
当事者研究について上野さんが引用した熊谷晋一郎さんの言葉
「自立とは依存先の分散である」
優しく諭したり仄めかしたりしてくれてる言葉、森田さんに届いているのかな。申し訳ないけど、きっとまだ子どもを産みたいと思い、エイジングケアをし続けるような気がしてしまう…。