北方謙三のレビュー一覧
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『楊家将』続編。上下巻。
宋建国の英雄・楊業が味方の裏切りにより悲運の死を遂げて2年。
生き残った楊六郎延昭と楊七郎延嗣の兄弟は、楊家軍を再興し再び遼と対峙する。
倒すべき宿敵は遼随一の名将“白き狼”耶律休哥。
彼の下には記憶を失った元宋軍の将・石幻果がいた。
宋と遼、2つの国に生きる漢たちの宿命が戦場に交錯する―
というわけで熱き北方節炸裂の本作が待望の文庫化。
前作『楊家将』では楊業を中心とした楊一族の生き様が描かれていたけれど、この『血涙』で描かれるのは苦悩し、自ら道を選んで生き、そして死んでゆく人間。
心身を引き裂かれるほどの悲劇を背負った石幻果、戦のみに生きてきた耶律休哥に生じる変化、守るべき国に不信を抱きながらも誇りのために戦う楊家軍…
宋・遼双方をより深く描いたことで、前作以上に物語に厚みが出ていると思います。
粗筋だけ見るといかにも男臭いけど、女性が読んでもきっとおもしろい。
物語の最終局面、因縁や恩讐を超え喜びにも似た感情をもってぶつかり合う楊六郎と石幻果の対決は思わず鳥肌が立つほど。
是非『楊家将』『血涙』と続けて読んでもらいたい。オススメ。 -
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ネタバレまずは恒例の各章のサブタイトルとその星が表す豪傑の名前の列挙からです。
天剣の星: 立地太歳・阮小二
地祐の星: 賽仁貴・郭盛
地僻の星: 打虎将・李忠
地飛の星: 八臂哪吒・項充
地退の星: 翻江蜃・童猛
前巻の Review で KiKi は
お互いの「譲れないもの」と「国家のありようはこうあるべき」というビジョンを賭けての全面戦争の空気を漂わせて13巻へ進みます。
と書いたわけだけど、とうとうこの巻に至って官軍 vs. 梁山泊の戦いはほぼ全面戦争の様相を呈してきました。 数で劣る梁山泊側にとってみれば「全軍挙げての戦い」はこれが初めてではないけれど、官軍側が多面的に動き始めた最初の戦いと言ってもいいかもしれません。 それでも相変わらず童貫元帥とその直属の精強メンバーはまだまだ様子見のままなんですけどね(苦笑) この物語の中での童貫元帥の描かれ方はどちらかというと偏屈親父で自分の戦の美学だけに拘り続ける扱いにくい人という印象が強いけれど、この巻ではそれだけではないことを匂わす描写がありました。 曰く、
そもそも帝と帝がおわす都を守ることがその存在目的である禁軍は当然のことながら遠征のための予算は限られている。
このままの表現ではなかったけれど、これ、結構重要なポイントだと思うんですよね。 「都を守る」≒ 「都の近くからは離れない」というほど短絡的なものではないと思うけれど、やっぱり金がなくちゃ戦はできないわけでして・・・・・。 まして地方軍を動かすための軍費は青蓮寺が運営する銀山から出てくるようになったからこそ戦ができている財政基盤状態の官軍です。 武力だけを頼みに後先考えずに戦に赴くわけにはいかないのは総大将であればある種当たり前の感覚だよなぁと思うわけです。
そういう意味では事ここに至って尚、自分の趣味の世界に大金を費やしてノホホンとしている帝はやっぱり暗愚としか言いようがないし、その周りでおこぼれ頂戴に躍起になっている政府高官の皆さんも情けない限りです。
さて、大方の「北方水滸ファン」の皆さんが萌えるのは戦のシーンと華々しい英雄たちの死のシーンなんだろうと思うけれど、根っこのところで「死を美化する」ことに抵抗を覚える KiKi にしてみるとそれはそれ・・・・・。 しかも、戦の描写も少しずつではあるもののワン・パターン化しているように感じられます。 まあ、戦の流れなんていうものはそうそうバラエティに富んでいるようなものではないのも又事実だと思うんですけどね。
そんな中、この巻で KiKi の印象に残ったのは、梁山泊・軍師を務めていた呉用と戦闘員、呼延灼、関勝、秦明を筆頭とする各隊長との間に生じた溝のお話と宋江のお父さんに孝行を尽くす武松・李逵の凸凹コンビのお話でした。
呉用と各隊長との間に生じた溝のお話は現代社会にもよくある構図で、いわゆる部長さんと現場スタッフの間に生じる意識・考え方の相違と限りなく似たものがあると思うんですよね。 現場スタッフの方っていうのは、あるタスクを遂行するプロフェッショナルで、そのタスクを取り巻く様々な周辺状況にはとても詳しい。 で、時に直属の上司の上のさらにその上の上司ぐらいのポジションの人からスタッフさんにとっては「現場のことが全くわかっていない」としか感じられないような命令が下ることがあります。 往々にして数で勝る現場スタッフさんたちの声は大きくなりがちで「あの人は現場のことがわかっていない。」と大合唱が発生したりもします。
もちろん中にはおバカな上司というのも確実に存在していて、どこをどうつついても現場スタッフさんたちの意見が正しいということもままあります。 でもね、逆にスタッフさん達はもっと大きな視野を持って全体を見渡していないことが多いのも又事実だったりします。 要するに一面だけ捉えれば、もしくは目先の問題の解決だけを考えたらスタッフさんたちの言うとおりだったとしても、問題の根本解決を目指すとしたら異なるアプローチを模索しなければならないことがあったりすることもあるんですよね。 でも、それを「いいから言われた通りにやれ」と鶴の一声方式の命令で押し通すとろくな結果を導かない・・・・・。 だからと言ってそれをみんなが納得できるまで説得していたら時間が足りない・・・・・。
結局、その解決策は最低限でも現場のリーダー的な存在(この水滸伝で言えば呼延灼、関勝、秦明といった隊長クラスの人たち)から「この人の言うことだから・・・・・・」と信頼を得る以外に道はなかったりするわけです。 でもそのためには日頃からそういうリーダー的な存在の人たちとどれだけコミュニケーションを図っているかに全てがかかっていて、呉用さんみたいに忙し過ぎて何でも自分がやらないと気が済まないタイプだと難しい・・・・・(苦笑) ある意味では宋江さんみたいにどこか暇そうにしていて鷹揚なところがないとねぇ。 結局、この段階での呉用さんは水滸百八星の第3位という高位にありながら、やっていることはプレイング・マネージャー(それもメチャクチャ優秀な)の域を出ていないことに問題の根本があると思うんですよね。
そういう意味ではこの問題が発生した時に呉用さんを軍師から外す決断をし、皆の居並ぶ前でそれを言明した宋江さんは素晴らしかったと思います。 ようやく彼が梁山泊のトップである意味がここで理解できた・・・・そんな気がするんですよね~。
さて、もう一つのお気に入りのプロットが武松・李逵の凸凹コンビ vs. 宋大公(宋江のお父さん)の触れ合いのシーンです。 青蓮寺の魔手から宋江さんのお父さんを守るために派遣されたこの凸凹コンビが覚悟を定めて頑なになっている老人の心をほぐしていくシーンは戦・戦のシーンが続くこの巻の中で極めて温かみに溢れ、ほっとさせてくれるものだったと思います。 特に李逵の純粋さには誰も勝てないなぁと思わせるあたり、素晴らしいと思いました。 原典の李逵は単なる暴れん坊だったのにねぇ・・・・・(苦笑)
さて、まだまだ立ち上がらない童貫元帥がこの先、何をきっかけに、そしてどんなタイミングで立ち上がるのかを楽しみに14巻へ進みます。 -
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前半の梁山泊と青蓮寺(宋)の本気の戦いがかなり読みごたえがあります。梁山泊が力を削られながらもじわじわと盛り返して大きくなろうとしている一方、青蓮寺のメンバーも頼もしい人員を増やし頭を使いに使って梁山泊を潰しにきている、双頭山攻めはそんな戦でした。戦があれば、また死んでいく人がいる。朱仝が、双頭山を守るため、梁山泊を守るために死んでいながらも戦いぬき、最後林沖に先に死ぬことを詫びて息絶える場面に涙があふれました。同時にかっこよすぎて震えました。
宋江パパを守りに行き、宋江パパとひとときを過ごす武松とりきの三人の話もじーんとするいい話でした。りきは本当に純粋で正しいから、りきに泣かれてしまったら、誰であろうとりきを拒絶なんかできないよなーとしみじみ。 -
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古本で購入。
北方節溢れる熱い作品。上下巻。
舞台は宋と遼が対峙する10世紀後半の中国。
主人公は武人“楊無敵”楊業とその7人の息子たち。
物語は楊業が元々仕えていた北漢へ宋が侵攻、楊業率いる楊家軍がそれを迎え撃つところから始まります。
その後の宋への帰順、宋帝との信頼関係、息子たちの成長、やがて始まる遼との決戦、立ちはだかる遼の名将・耶律休哥…
あとはもう読んで!おもしろいから!
「中国では三国志よりも人気の高い作品」とのことだけど、これだけの物語がこれまでほとんど知られていなかったっていうのは、不思議だな。
この北方版楊家将は、北方謙三お得意のオリジナル要素満載なわけですが、そこがまたよし。
そして楊業を始めとした登場人物が非常に魅力的です。
「漢」と書いて「おとこ」と読む。この表現がピッタリなのが北方ワールド。
下巻クライマックス、楊家の漢たちの生き様に熱涙をふるうべし。 -
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ネタバレこの物語。 一言で言ってしまえば「滅びの美学」の物語です。 「滅びの美学の物語」が好きなのは日本人だけかと思いきや、中国人にもその傾向があるのかしら?? それともこれは「北方版 楊家将縁起」だからこういう物語になったのかしら?? 残念ながらこの本を読むまで本家本元の「楊家将縁起」についてまったく知らなかった KiKi には判断のつかないところです。
上巻の Review で KiKi は楊業さんの息子たちの書き分けがちょっと粗いと書いたんだけど、コレ、実は全部が全部じゃなくて7人のうち4人に関してはそこそこ書かれていたんですよね。 かなりあっさりとまとめられちゃっていたのは次男、三男、五男の3人で、結果この3人はこの下巻でもキャラが立たないうちにお亡くなりになってしまいました。 お亡くなりになっても印象が薄いのはやっぱり描き込みが少なかったから・・・・・と言わざるをえません。
一家の柱である楊業さんと長男も非業の死を遂げることになるわけだけど、彼らはさすがに頭領とその後継ぎということで、上巻でもかなりの頁を割いて描かれていただけに、最期の時の描写には胸がジ~ンとしてきます。 「生粋の武官の生き様というのはこういうものか!」と思わずにはいられません。
それにしてもこの楊家の悲劇は宋の国でもっとも精強な兵を抱えた軍閥でありながらも、所詮、外様であったこと。 そして宋国恩顧の武家たちにロクなのがいなかった(少なくともこの物語のうえでは・・・・ですけど)ことに尽きるような気がします。 そして宋国の帝も国のトップである以上 Vision は必要だけど、「先代から受け継いだ悲願(≒ 燕雲十六州の奪還)」という得体の知れない魔物に憑りつかれちゃったのが残念でなりません。 もっともこの「燕雲十六州の奪還」というヤツは「北方水滸」でも「楊令伝」でもその背景に根強く残っているわけで、そうであればこその悲願ということで帝がダメということでもないんですけどね。 少なくとも「北方水滸」の帝よりは遥かにマシですから(苦笑)。
さて、上巻からもそこそこ描きこまれていた楊業さんの四男、六男、七男は宋遼戦を生き延び(もっとも四男は虜囚となったきり行方不明だけど)、そのまま次の作品「血涙」に突入するようです。 こういう作りの物語だとやっぱり続編は素通りできないと読者に思わせるあたり、北方謙三さん、実に商売上手です(笑)
さて、この物語を読んでみて KiKi が一番感じたこと。 それはこういう混沌の時代であればあるほど「男という生き物は『意味ある死』を目指すものなのか?!」ということでした。
戦後の平和教育にどっぷりつかって育った、まして♀である KiKi にしてみると「生きているだけでも崇高」、「生き続けることこそ大切」、「命あっての物種」みたいな考え方が基軸にあるんだけど、やっぱり武家に生きる男となるとそんな平和ボケみたいな考え方はその思想の根底にはなさそうな雰囲気です。
もちろん現代社会みたいに医学が発達しているわけでもない(それでも宋代は医学の進歩があったらしいけど)、戦も多く死が身近ということもその背景にはあるんだろうけれど、どこかに「良く生きること、即ち意味ある死を迎えること」というような哲学を KiKi が想像する以上に強く、堅く持っているように感じられました。
「どちらか死んでくれ」 「はい」
「延平、お前には死んでもらうことになる」 「光栄です」
そんなセリフで戦場に散っていく男たちの姿は、物語として読めば美しさのようなものも感じないわけではないけれど、やはり哀しい・・・・・・・。
武門というのはそういうものだと言ってしまえばそれまでだけど、「死を美化する」ことにはどこか抵抗を感じる KiKi には
本当にいいのか? それで??
という想いが付き纏います。 そんな KiKi の甘っちょろい感覚を見事に吹き飛ばしてくれたのは、楊家軍の好敵手・遼国の名将・耶律休哥の以下の独白でした。
殺したくなかった。 あの場で、なぜかそう思った。 戦は、殺し合いだけではない。 勝負がついたら、闘った者同士で酒を酌み交わすことはできないのか。 (中略) 北平寨の将(楊業の四男)は、まさに酒を酌み交わしてみたい男だった。 楊業とも、その息子たちとも、力の限り闘ったあと、酒を酌み交わしたい。 男は、それでいいではないか。
なるほど、♂というのはそういうモンですか?? だからそれでいいんですか??
こういう時代に生まれたわけではなく、まして部門の誉れの高い家に育ったわけでもなく、さらに言えば♀である KiKi にはよくわからない感性ではあるけれど、何となくこの一文のおかげでこの物語を「単なる滅びの美学の物語」とはちょっと別次元のオハナシに誘ってもらった・・・・そんな不思議な読後感になっているような気がします。 -
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ネタバレ「北方水滸」で早々に命を散らすことになる青面獣楊志、そしてその養父の死を目の当たりにするあたりからかなり特異な光を放ち始め、挙句、続く「楊令伝」ではタイトル・ロールを演じることになる楊令。 そんな2人のルーツ(と言っても楊令は楊志の養子だから厳密な意味ではルーツとは言えないかもしれないけれど)ともいうべき宋建国の英雄・楊業とその一族の物語ということで、ついつい手を出してしまった1冊です。 全2巻のうち現段階ではまだ上巻なので話は始まったばかり・・・・・という感もなきにしもあらずですが、年代的にはこの後に続く水滸伝、楊令伝でも描かれた文官 vs. 武官の確執とか、多くの小国が建っては滅びていくその空気感みたいなものがじわ~っと漂ってくる物語だと思いました。
さて、この楊業さん、現代の少子高齢化日本では想像できないほどの子沢山で7人の息子と2人の娘がいるそうな・・・・。 そしてこの男の子たちがそれぞれ「武家の男」として鍛え上げられているわけだけど、それぞれが少しずつ資質が異なり、戦の仕方や配下の兵との接し方も違うらしい。 そのあたりの書き分けみたいなものは「水滸伝」や「楊令伝」と比較するとちょっと粗いような気もするんだけど、これは上下2巻という冊数の少なさによる部分も大きいのかもしれません。
KiKi にとって「水滸伝」や「楊令伝」が面白かったポイントに、テンポ・臨場感のある戦の描写というのももちろんあるんだけど、それ以上にそれ以外の部分(時に世論的には「中ダルミ」と捉えられがちだったみたいだけど)、特に心理描写や生活様式、生産活動やら経済活動といった周辺の描き込みの部分に魅せられたということがあったのでそういう面ではこの作品はちょっと物足りなさも感じないではありません。 武家の物語だから仕方ないのかもしれないけれど戦、戦、調練、戦という感じだし・・・・・・。
でも、そんな不満をちょっぴり抱きつつも、結構楽しめちゃったのは敵側(≒ 遼側)の描写が緻密なうえ、恐らくこの楊家軍の最大の敵となるであろう「白き狼」こと遼の名将・耶律休哥という人物が何とも魅力的だったおかげかもしれません。 それに宋という国が文治主義の国であるのに対し、遼という国が古代ギリシャのスパルタそのものの軍国家であるというあたり、この2つの毛色の異なる勢力が乱世の中でどんな風に絡み合っていくのか、好奇心をかきたてられます。