大森望のレビュー一覧
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時間論とか決定論と自由意志とか記憶とか知性とか責任とかとにかく哲学的なテーマを題材としている。それを物語にする技巧は上手いとは思うものの,物語としての完成度はどうなんだろう。描写という意味では一般文学とは違う気がする。
普段,上記の哲学的テーマを哲学的に考えることに慣れすぎているので,深掘りが足りないように思う。エンターテイメントで哲学的問題に気付くきっかけになるという意味では意義はあるのかもしれないけれど,その問題それ自体を考えている人には物足りないのではなかろうか。
これが当代最高の短編SFなのだとすれば,SFの楽しみは哲学的テーマ以外に見いださねばならないのではないかと。
兼業作家である著者の寡作ぶりとそれにもかかわらず最高の評価を得ているという作家としての在り方には感銘を覚える。 -
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ネタバレ超新星紀元を読んだ。これは劉慈欣の最初の長編ということで内容が初々しい感じがした。
だいぶ多くの劉慈欣の作品を読んできたので、その1つとして楽しむことが出来た。
この本の内容としては、大人が一度に死滅して、子どもたちが中心の世界になるとどのような社会になるのかを思考実験するという本だった。
最初の大人たちが子どもたちの将来のためにいろいろなことを教えて準備していくパートは、文化祭の準備のように一つ一つ課題を進めていくという点で、ワクワクして面白かった。
また、この準備がそのまま子どもたちのためにはならないという点が、作者の皮肉が効いていて良かったと思う。
中盤以降は子どもたちの目線で社会を作るために、大きく大人社会とは考え方自体を変える必要があることに気づくということが面白かった。
大人は経済合理性や倫理性にがんじがらめになっているが、子どもは遊びを中心に社会を作っていく。
フェーズが代われば、前提も大きく変わる。そして、そのことに早く適応することが重要だなと思った。
終盤では、遊びをどのように実装していくかという点がストーリーとして書かれている。
このあたりの話が長く冗長に感じた。これは最初の長編デビュー作らしいなと感じた。
もう少し、最後までまとまっているとなお良かったと思うが、そのあたりは三体できちんと最後まで書ききったのだなと思われる。 -
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「久々にディック作品でも読んでみよう」ということで、まだ手に取っていなかった本作をチョイス。『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』(1968年)と『ユービック』(1969年)の間に発表された、ディック黄金期の作品。
主人公のジョー・ファーンライトは、陶製の壺を修復することを生業とする職人だが、世の中はプラスチック製品が主流となり、依頼があるのは骨董品のみ。その骨董品もほとんど修復されてしまい、修復依頼は打ち止め状態。失業手当で食いつなぎ、言葉遊びの<ゲーム>に興じて無為な日々を過ごすことに嫌気が差すジョー。そんな彼の元に、グリマングと名乗るものから巨額のオファーが舞い込む。それは、プラウマンズ・プラネットの海底に沈んでいる大聖堂、ヘルズカラを引き揚げるというものであった―――。
「誰からも必要とされていない」という気持ちが募り、生きる意味を見出せなくなった男に舞い込む一大プロジェクト。同じプロジェクトに参加する、様々な星系の人々(人外有)と出会い、超常的なイベントに見舞われながら「自分のやるべきこと」に挑み、自身の存在意義を見出していく。自分の役割を果たしたその先にあるものとは―――。
物語を締め括る最後の一文が、なんとも哀しい・・・。 -
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なんというか、懐かしい読後感。
SFにちょっとはまりはじめた頃に
読んでワクワクした「非日常」な感じの。
普通に考えてありえないもんね。
地球に推進装置つけて太陽系脱出するとか。
それが出来てしまえるように思える
この押し切り方!
いいわ。
でもポイントはガジェットじゃなくて
それに関わる「人類史」のウェットさ。
わかっているのに涙腺を刺激する。
という表題短編『流浪地球』の他
地球が家畜牧場化されそうになる『呑食者』や
宇宙開拓物語『中国太陽』のノスタルジー
『ミクロ紀元』は、ちょっとピ○ミン想像し(笑)
『三体』読む前の助走として良かったかも。 -
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・劉慈欣「流浪地球」(角川文庫)を読んだ。その解説の加藤徹 「SFと『科幻』ー劉慈欣文学の魅力」に次のやうな文章があつた。中国は科幻系の国である。「『科幻』系の国々で は、たとえ虚構でも、そんな空想を発表した作家は、たたではすまない。」(301頁)そんなとは、例へばゴジラの東京襲撃である。これだけで恐ろしくなるのだが、中国の作家はそれでも書いてきた。どのやうに書いたか。「劉氏の出世作『三体』の物語は『文化大革命』から始まる。(中略)米ソをさしおいて、社会を恨む中国人が最初に宇宙人と交信する、というあの物語の冒頭は、科学的には不自然だが、科幻としては正しい。『文革』は、中国共産党があやまちであったと失敗を認めている、唯一の時代だからである。」(301〜302頁)以下、本書の短編について述べる。「『呪い 5.0』は中国の科幻小説では珍しく、実在の中国本土の都会が火の海になる。が、ここにもクレバーな配慮が周到にめぐらされている。まず、舞台は北京ではない。」(302頁)以下、「この作品に限っては筒井康隆氏のスラップスティック小説や横田順彌氏のハチャメチャSF作品のようである。」(同前)とか、「自分自身を作品の中に滑稽な描写で登場させた。」(同前)とあり、これらの「どの一つの要素が欠けても『幻想』ではなくなる。ギリギリの作品なのだ。」(同前)といふ。私が読んでも政治的には何とも思へないのだが、実は相当な配慮のなされた作品であつたらし い。それを「クレバー」と言ふ。これまでいくつかの作品で危なさうなのがあつたが、それらも同様の配慮のなされた「クレバー」な作品であつたらしい。かういふことまで考へて書かねばならないのは相当な苦痛であらうと思はれる。もしかしたらいかに当局をだますかの知恵比べをしてゐるのかもしれない。これは身に危険の及びかねない知恵比べであるが、これも考へ方で、「科幻は、現実社会との間合いに対する深謀遠慮を余儀なくされる反面、想像力の面では幻想の特権をフルにいかすことができる。」(同前)といふことにもなるらしい。それが現代中国のSF作家である。
・私は中国における政治と文学の関係にこだはつてSFを読んできたと思ふ。SFではないが、莫言はリアリズムで書い てきた。だからノーベル賞ももらへた。それに値する作品でもあつた。SFの場合はリアリズムではなく想像力の世界と なる。創造=想像である。「呑食者」は他の短編集にあつた作品の前日譚である。ここで呑食者たる大牙は、地球初お目 見えの時、「ヨーロッパの首脳のひとりをつかむと(中略)優雅に口に放り込み、咀嚼しはじめた。」(107頁)のだ が、これも中国人でないところに意味がある。いかに国連でも事務総長や首脳が中国人で、それが食はれたりしたらそれこそ「たたではすまない。」その一方、大牙の相手たる大佐(300年後!には元帥)は“冷静なアジア人”である。中国人としても良ささうだが、これは分からない。こちらは国連首脳とは違ふ。ここにもそんな「クレバー」な配慮があるのであらうか。中国でSFを創作するのはかくも大変だといふことである。さうするとこれまで危なさうだと思つた作品で、英語版しか出てゐないやうなのはやはり「クレバー」ではなかつたといふことか。中国や中共を思はせてはいけない。これだけなら易しい、たぶん。しかし、そこを超えると様々なことが出てくる。ちよつとしたことでも危ない。「子どものころから『愚公移山』を暗記してきた中国人にとって『流浪地球』の世界観は、すんなり胸に響く。」(304頁)さういふ世界に生きてきた人であつたのかと思ふ。 -
Posted by ブクログ
超新星爆発により、14歳以上の大人が死滅してしまう世界のお話。
『gone』とか、『百年法』の最後らへんのようで、好きな設定でした。
大人たちに残された時間は10ヶ月。その間に自分たちの知識と技術を子どもたちに継承して、今まで通り生活できるようにしなければ。という大学習時代。そして、大人たちとの別れ、最初の混乱までは理解できる。でも、そこから後の展開がまったく分からん感じでした。ひたすらなぜそうなるの繰り返し。私が大人だからなのか。
とりあえず、大人は子どもに純真さを見るけど、子どもたちはそれよりももっとずっと残酷な生き物であるということはなんとなく共感できました。