大森望のレビュー一覧
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本屋で「アンドロイドは電気羊の夢をみるか」と並んで平積みに。表紙のデザインが同じ感じだ。中身も、どうしてこんな社会になってしまっているんだ? という暗黒感は同じだ。
未来社会、道徳再生運動が行われ、住民は自治会集団の集会で不道徳な行いについて訴追されることになっている。主人公アレンは広告会社を経営していたが、何かの衝動にかられ、この道徳再生運動の創始者の石像を壊してしまう。ここからアレンは安定した暮らしを失っていく。
「アンドロイドは電気羊の夢をみるか」が一体救いはあるのか?といったどろどろの世界なのに対し、こちらの主人公アレンは理解ある妻がいて、最後は希望が持てそうな終わり。
2018.11.9購入 -
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オックスフォード大学の歴史学科が舞台の話。
熱血的歴女のキヴリンは周囲の反対をものともせず、魔女狩りとペストが猛威をふるう中世イギリスに行きたがっていた。
そして、彼女の指導教官である中性史学科の教授(無知で無能で傲慢)はロクな予備調査もせずにキヴリンを中世へ送り出してしまう。
キヴリンを送り出した直後、現代に謎の伝染病が広まる。
そして中世に降り立ったキヴリンも体調を崩して現代に戻るための降下点が分からなくなり…的な。
はい。
コニー・ウィリスのタイムトラベルシリーズです。
今書いたあらすじだけで上巻をまるまる使い切りました。
下巻になって話は進むのか!?
乞うご期待。 -
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学術的な目的で過去に時間旅行が可能な世界の話。
21世紀のオックスフォード大学と、過去にいったギブリン(女学生)との話が並行して進む。
21世紀の話には、冒頭から登場人物が入り乱れて、彼らの関係や立ち位置などがほとんど頭に入らないまま、がまんして読み進めると、なんとかメインのストーリーが見えてくれる。そうなるとだんだん面白くなる。
それにしても、個人と連絡を取るのに固定電話に画面がついた装置を利用するという時点で、書かれた時期が相当前なのだろうと思った。確認したところ、1992年に出版ということが判明。1980年代には自動車電話が利用されていたらしいことを考えると、携帯電話などの発想があってもよかったかも。
技術者バードリの病状は?ギブリンは21世紀に戻れるのか?下巻が楽しみである。 -
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臨死体験を研究する医者のジョアンナ。
音、トンネル、光、天使、人生回顧、帰還命令など臨死体験者は(宗教観や先入観、聞く人による誘導もあるが)共通した内容を体験することが多い。
臨死体験とは生命においてどんな機能があるのか。
しかし、人工的に臨死体験を引き起こす研究プロジェクトはうまく行かず、ついにジョアンナは自分を被験者にする。
そしてトンネルと光の先にあったものは... とにかく前半が長くて辛いことで有名(主観です)なコニー・ウィリス。
しかしこれまでの作品は後半からの加速感が病みつきになるものばかりだった。
今回はどうなんだろうか?
今のところ、長くて辛いままだぞ? -
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再読。最近、加藤典洋とか内田樹の村上春樹本を読んでさ。けっこう面白かったんだけど、一方でメッタ斬りの本もけっこう楽しく読んだ記憶があった。だから、読み比べてみるのも面白いんじゃない、と。結果、こちらもやっぱり楽しめたと思う。思うに、ぜんぜん違う視点から語ってるんだよね。加藤氏や内田氏は村上春樹の小説を読んで、自分の中の思考を掘り進めるステップにしているんじゃないか。一方で大森氏、トヨザキ氏は物語として、そのものを楽しもうとしている、というかなぁ。だからSFとかミステリとかの、ジャンル小説的な視点から批判することになる。いろいろ考えさせられて、面白かったね。(2019年11月16日)
あっという間に読めてしまう、軽く楽しめる本だ。こういう、本の雑談って楽しいよね。もう少し深く突っ込んでほしい気もしたけど、そうなってしまうと、軽快感はなくなるのか。なかなか難しいのかな。もっと読みたかった、というのが正直な感想なのかな。(2017年7月4日) -
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ネタバレ長編はいくつか読んだが、短編集は初めて。巻頭は「パーキー・パットの日々」というディックらしい想像力を刺激する題名の作品だ。内容は核戦争後のシェルターで人形遊びに興じる人々の話。異常と悲惨と滑稽が見事に調和し、愚かだが愛すべき人々の姿を描き出す。しかもエンディングでは彼らが新しい世界へ踏み出す姿が描かれており、なんとこれはディック版「オメラスを歩み去る人々」であった。感心して他の作品も読み進めていくと、短編だけにアイデアの消化がメインで人間の内面を描き出すような作品はなかった。巻末の解説を参照すると「パーキー・パットの日々」のみ60年代の作品で、最晩年の一篇を除いて、他は50年代前半の作品であった。なるほどと腑に落ちて、ディックも最初はこういう作品を書いていたのかと、後に巨匠となる若い作家の情熱を思うとこれらの作品の味わいも深まった。それにしても、本書の表紙カバー絵は二色刷りの線画で描かれた不気味なものだが、昔のハヤカワ文庫のカバー絵は同じく不気味さを感じさせてはいたがフルカラーで色調は明るかった。カバー絵に魅せられて本を買ったこともよくあった。なぜこのような陰気なカバーにしたのだろう。色彩豊かなほうが若い人は興味を持ちやすいと思うが。素人にはわからぬ理由があるのだと思うが、あまり玄人好みに作ると読者層が広がらないのではと、昔のきれいなカバー絵にわくわくした人間は余計な心配をしてしまうのである。
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邪道は承知で、「騎士団長殺し」を読まずして「メッタ斬り!」を読む。だって面白いんだもんね。メッタ斬りシリーズを愛読してきたが、このごろとんと紙媒体でお目にかかれない。「仕事を選ばず即参上」がモットーなのに、「なぜかめったにお座敷がかからない」と大森氏が書いている。出版社も「忖度」するんでしょうねえ。いや、ストレートに怒っている方もおありでしょう。私は豊崎由美さんの、天下御免の言いたい放題芸が好きなので、もっと読みたいのだけど。
最後に読んだ村上春樹の長編小説はなんだっただろう。うーん、思い出せない。エッセイのたぐいはほぼ全て読んでるし、短篇も大体読んでると思う。「風の歌を聴け」でのデビューからしばらくの間は、大森氏と同じく「同時代作家」として特別な思いで読んでいた。村上春樹は、「ノルウェイの森」を書き上げたあと「こういうリアリズムの小説はもういいと思った」と書いていたが、私はそれ以降の「非リアリズムの小説」が苦手なんだな。
このことについては複雑な思いがある。まず、すごく残念だ。村上春樹の文章は大好きだから(一番好きな「エッセイスト」かもしれない)。隠喩に満ちた物語を楽しめたらどんなにいいかと思う。でも、正直言って、よくわからないのよね。
前々から疑問なのだけど、「鼠」シリーズとかそんなに多くの読者を獲得するようなお話しだろうか。「1Q84」は読んでないので、あくまで見聞きした評判からの感想でしかないが、あれもベストセラーになるような内容とはちょっと思えない。「小説読み」ってそんなに数が多いんだろうか。単に自分がそうでないものだから僻んでいるのかしらん。でも、書店でバンバン売れていくのを見ると、買ってる人を捕まえて「アナタ、ほんとーっにおもしろいと思ってる?」ときいてみたくてたまらなくなる。
また、これまた大森氏が書いていたが、「SFやファンタジーなんかのジャンル小説への敬意が低い」という指摘が当たっているように思って、これも苦手な理由の一つなんだろう。SF的設定を使う「純文学」作家は結構いるけれど、SFへの理解やリスペクトがあるかどうかってわりにはっきりわかるものだと思う。村上春樹の場合、「そんなこと知らないよ」って感じがする。でもまあ、大森氏が言うように「でもそれでいい。それで許されるのが村上春樹。三十年かけてそういう地位を獲得したわけですよ」ということだろう。
あと、なってこったい!と思ったのは、南京大虐殺が出てくるから、という理由で「騎士団長殺し」を批判する人たちがいるということ。んなバカな読み方があるかい!百田尚樹ってほんとにくだらない。なんであんな奴に本屋大賞を?と怒りが再燃した。