大森望のレビュー一覧
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Posted by ブクログ
・劉慈欣「老神介護」(角川文庫)は「流浪地球」と同時に刊行された短編集である。5編を収め、「老神介護」と「扶養人類」、「彼女の眼を連れて」と「地球大砲」が関係あるらしき物語である。3編目の「白亜紀往時」だけは別の物語である。「彼女の眼」が1999年、他は2000年代の作である。習某下ではないからか、政治的な問題はなささうに見える。といふより、さういふことは気にせずに書いたのか もしれない。
・「白亜紀往時」は白亜紀の昔のこととでもいふ意味であらうか。竜蟻戦争の物語である。白亜紀はパンゲア大陸の分裂が進み、恐竜の闊歩した時代である。その代表がティラノザウル スであつた。ここで竜とは恐竜のティラノザウルスを指す。蟻はもちろんアリである。かくも大きさの違ふ生き物が戦ふのである。これほどの差で戦へるのかといふと、これがきちんと戦へるのである。物語はいかなる時代であるのか。もちろん白亜紀であるが、竜蟻は大量絶滅時代を生き延びたのであらうか。竜蟻が協力して文明を作り上げたのである。時は竜蟻情報化時代であつた。「恐竜は各大陸に巨大都市を建設した。」 (128頁)高層ビルは一万 メートルの高さである。「車はわたしたちの一軒家くらいのサ イズで」(同前)あり、PCの 「キーボードはひとつのキーがわたしたちのコンピュータ・ ディスプレイくらい大き」(同 前)いのだから、ディスプレイの大きさは推して知るべしであ つた。これに対してアリのコン ピュータは「米粒サイズの丸い粒で(中略)すべての計算は複雑な有機化学反応によって行われる。」(129頁)しかも 「蟻のコンピュータにディスプレイはなく、計算結果をにおい物質で化学的に出力する。非常に複雑で繊細なそのにおいを識別できるのは蟻だけ」(同前)だといふから、恐竜とは大違ひであつた。それでも竜蟻は「相互依存関係」(同前)を保つてゐた。ところが竜蟻戦争である。「恐竜の大工業が生んだ環境汚染の毒がまわって死ぬか、 ゴンドワナとローラシア、二つの恐竜大国間の核戦争で完全に滅亡するか!」(136頁)それを蟻が阻止するための戦争である。だからやるかやられるかであつた。結局、いろいろあつたが、最後は、「いつか世界がまたあたたかくなったら、ほかの動物がまた驚異の時代を築く だろうか?」(182頁)となる。「環境汚染の毒」とか「大 国間の核戦争」などどいふのは、特に環境汚染などは中国の 現状にリンクしさうだが、まだそこまではいつてゐなかつたのであらうか。あるいは「ああ。 しかし、そんな驚くべき動物が現れるだろうか?」「現れるさ。時間はかぎりないんだ。どんなことでも起こる可能性がある。」(同前)といふあたりに救ひがあるのであらうか。こんなことがクレバーな配慮になるとも思へないのだが、そのあたりは私には分からない。無事に日本語に訳されて私達が読むことができてゐる。これは僥倖といふべきであらう。古市雅子「訳者あとがき」には、(大衆文化の反対の)「『小衆文化』 らしいストーリー。こんな設定を書ききる作家のパワーは驚嘆に値する。」(273〜274 頁)とある。もしかしたら劉慈欣の想像力が当局の監視を上回つたのであらうか、などと考へてみるのだが、これはまちがつ てもありさうにない。やはりこれは安全圏の物語なのであらう。劉慈欣といふ作家、「三体」の冒頭が問題になりさうなのに、それもくぐり抜けてきた。 映画化で問題になつたのは監督のせゐであらう。やはり中国でこれだけ売れて、世界でもこれだけ有名になれるというのは並み大抵ではない。これも作家の才能である。想像力だけが才能ではないのだと、勝手に、思ふ。 -
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監視社会を描いたディストピア小説。序盤は退屈ですが、中盤以降は読むスピードがあがって引き込まれました。しかし、初期作品のせいか、らしさこそあれ雑な仕上がりに感じた作品でした。
あらすじ:
2114年、スレイター大佐による道徳再生運動(モレク)の結果、世界は小型ロボットの監視のみならず、住民が相互に監視しあう管理社会となっていた。人々は道徳的規範を強制され、それに反する言動や行動をすれば、住民集会の名の下に権利が剥奪されるてしまいます。ある日、モラルを促す立場である調査代理店経営のアレン・パーセルは、会社の備品を使って大佐の銅像に”いたずら”をしてしまう。しかもそのときの記憶が欠落しており、何故そんなことをしたのか明確に思い出すことができない。途方に暮れるアレンの前に、グレッチェンと名乗る女性が現れて、その兄であるドクター・マルパルトを訪ねます……。
と、行動を監視された世界での話しですが、パラダイスのような逃げ道があるため、有名なディストピア小説たちのような暗さはありません。社会的ステータスのためだけに、人々は躍起になって監視社会の一員に帰属しているみたいです。考えようによっては、何かしら見栄を張って生きることの滑稽さを、著者によって風刺されてるようですが、そこから村八分のように賃借権を剥奪された後について、もう少し細かい描写が欲しいところ。ただ、その村八分のような決定を下す、毎週開かれる集会については、誰が発言しているかわからないSNSのようなやりとりで、こんなところにもディックの未来志向が見てとれて興味深かったです。
主人公については、ラストまで読むと、意外とその生真面目さと責任感のある人柄がわかります。しかし、それだけに”いたずら”の内容や、それをしてしまう深層心理の表出が、自身の立場を破壊しかねない行動になっていたのが滑稽でしたね。ただですね、グレッチェンはどうなったんだろうとか、大人しすぎる奥さんにハテナだったりと、いろいろ雑な感じもしました。11章や13章なんかは、まさにディック・ワールドという感じで面白かっただけに、少し残念ですね。 -
Posted by ブクログ
ネタバレ超新星紀元を読んだ。これは劉慈欣の最初の長編ということで内容が初々しい感じがした。
だいぶ多くの劉慈欣の作品を読んできたので、その1つとして楽しむことが出来た。
この本の内容としては、大人が一度に死滅して、子どもたちが中心の世界になるとどのような社会になるのかを思考実験するという本だった。
最初の大人たちが子どもたちの将来のためにいろいろなことを教えて準備していくパートは、文化祭の準備のように一つ一つ課題を進めていくという点で、ワクワクして面白かった。
また、この準備がそのまま子どもたちのためにはならないという点が、作者の皮肉が効いていて良かったと思う。
中盤以降は子どもたちの目線で社会を作るために、大きく大人社会とは考え方自体を変える必要があることに気づくということが面白かった。
大人は経済合理性や倫理性にがんじがらめになっているが、子どもは遊びを中心に社会を作っていく。
フェーズが代われば、前提も大きく変わる。そして、そのことに早く適応することが重要だなと思った。
終盤では、遊びをどのように実装していくかという点がストーリーとして書かれている。
このあたりの話が長く冗長に感じた。これは最初の長編デビュー作らしいなと感じた。
もう少し、最後までまとまっているとなお良かったと思うが、そのあたりは三体できちんと最後まで書ききったのだなと思われる。 -
Posted by ブクログ
「久々にディック作品でも読んでみよう」ということで、まだ手に取っていなかった本作をチョイス。『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』(1968年)と『ユービック』(1969年)の間に発表された、ディック黄金期の作品。
主人公のジョー・ファーンライトは、陶製の壺を修復することを生業とする職人だが、世の中はプラスチック製品が主流となり、依頼があるのは骨董品のみ。その骨董品もほとんど修復されてしまい、修復依頼は打ち止め状態。失業手当で食いつなぎ、言葉遊びの<ゲーム>に興じて無為な日々を過ごすことに嫌気が差すジョー。そんな彼の元に、グリマングと名乗るものから巨額のオファーが舞い込む。それは、プラウマンズ・プラネットの海底に沈んでいる大聖堂、ヘルズカラを引き揚げるというものであった―――。
「誰からも必要とされていない」という気持ちが募り、生きる意味を見出せなくなった男に舞い込む一大プロジェクト。同じプロジェクトに参加する、様々な星系の人々(人外有)と出会い、超常的なイベントに見舞われながら「自分のやるべきこと」に挑み、自身の存在意義を見出していく。自分の役割を果たしたその先にあるものとは―――。
物語を締め括る最後の一文が、なんとも哀しい・・・。