初テッドチャン。ごりごりのSF作家だと思い込んでいたのですが、結構神話の世界を物理で語りきる作品もあって、なんだかちょっとファンタジーな雰囲気もあり新鮮な感じ。スターウォーズのように、観たり読んだりしている最中よりも、考察を余儀なくされる感想文を書くこの時間が一番楽しくなる作品。
考察すればするほど、そもそも欧米と日本の価値観の違いが浮き彫りになる。
日本語に ままならない という言葉があるように、人間や人生というものはどうしようもない側面があるものだという前提を含んでいるのに対し、
欧米は 人間=この世の支配者 説明がつけばコントロールできるものである というスタンスがあるように思う。
この欧米の前提を、テッドチャンは 本当にそうだろうか? という考えを、科学ネタを織りまぜながら読者に問いていると思った。
なので、読む際は是非、自分は欧米人である!!(なったことないけど!!)と思いこんで読んでほしい。
そうすると、人間に対する愛しさと嫌悪感が同時に湧いてくる奇妙な作品となるし、実際、自分の価値観が欧米化されてる部分があるという発見もできます。
純ジャパメンタルで読むと、こいつらごちゃごちゃ小難しいことして意味不明って思って終わる笑
<バビロンの塔>=努力は必ず報われる→報われることも無いが、罰もない。(信仰を手放す幸せ)
バビロンの塔という神話と聖書の宇宙観を元ネタにしながら、あえて拍子抜けなオチにもっていく。
キリスト教に親しみのある人たちと日本人とで、この物語の感じ方は違うのかな?
さとりは「ひらくもの」っていう文化圏で生きてると、偉業を成し遂げることで超越的存在からの啓示に期待する行動ってあんまりピンと来ないんだよな。神頼みに似てるけど、バビロンの塔のような物質的な成果や偉業を成し遂げるというより、現状の苦しみについて受身的に解釈を深める感じだし。
<理解>理論の完璧さは幸福をもたらす→必ずしももたらさない(理解を手放す幸せ)
コンピューターのような演算マシーンが搭載された、まさに脳にインテル入ちゃった人の話。とっつきにくさをだいぶ感じた。
天才科学者の生きてる世界ってこういう体感することあるのかな?理論では見えるのに、現実世界は追いついてない感じ。
最初の方は新しい言語形態構造の取得し、それが(理屈は分らんが)宇宙の理解に結び付く。それを楽しむ主人公。
後半は、同じような身体機能をもつ他人と対峙することで、武器を使わずに死に至らしめる理論を考え付く。
相手の毛細血管をコントロールして死に至らしめるって、なんじゃそりゃって思った笑
「理解」が進んだ人間の早すぎる処理能力を逆手にとって、相手のストレスを最大出力できるような何かを行使するとか?
それに似たことは、現実の世界でも派閥・権力争いという形式でやってるような気がする。
演算に拘りすぎた結果が短絡思考って皮肉だな。
<ゼロで割る>=数学は神のように完璧である→完璧ではない(信仰を手放す幸せ)
「理解」に似ている感じの作品。数学という宗教に捕らわれた人間の物語。こういう人を極端なプラトニストって言うらしい。
多分、「理解」もこのプラトニストに捕らわれた人間のシミュレーションなんだと思った。
ゼロで割ると無限大っていう話題、初めて知りました。私、理系なのにそんなこと考えたことなかった・・・。
アインシュタイン、いいですね。最近映画オッペンハイマーでも彼を見たんだけど、彼の科学に対する眼差しや姿勢が自然で親しみが沸く。
<あなたの人生の物語>=人生は自由だ→自由意志は存在しない(理解を手放す幸せ)
やっと本命にたどり着いた。読む前に映画で見たけど、内容割とそのままだったかも。
元々youtubeの積読チャンネルで知って気になってた作品。
未来は同時に存在する、人間に自由意志は存在しないという残酷な事実の中で生きる人の作品。
積読チャンネルの紹介によると、この作品は読む時期によって感じ方がだいぶ違うとのこと。
私は元ネタの相対性理論が何なのかっていう考え方の構造の方が気になったけど、人生そのものが無性に愛おしくなる感覚になったりするらしい。
昔、東大生だった知人が「いつか、人が何年も時間をかけて感じることを、一瞬で感じられるような方法を考えたい」って言ってたのを思い出した。
<七十二文字>=繁殖は愛情深い営みである→生存戦略として最適解の中に愛情行動自体がプログラムされている(理解を手放す幸せ)
ファンタジー。錬金術っぽくもある。
人の人工的繁殖について、人工的な発明でありながら、最後は意外なとある方法にたどり着く。
作中様々な繁殖方法が検討されますが、例えば女性だけで出産可能とする仕組みは今の常識で考えれば驚き且つ混乱を覚える機能だけど、ミジンコとかシュモクザメなど、単独で子孫を残す生物が既に存在しているんですよね。
なぜそういった進化に至ったのか考察にとどまるところだけど、前述のように、結果的にそうなる可能性は十分考えられるし、それに慣れ切った世界はとても合理的に運用されている気もする。(実際、既に行為そのものは娯楽という文化に変化しているように)
ゴーレムが元ネタと考えると、なんとなく、
人工繁殖=元々が無生物→これは人間なのか?ロボット?繁殖し続ける意味ある?
という妙な疑問を持つ。繁殖したい欲望って、人間誰しもが持ってるわけじゃない。
でも、もし、この繁殖に対する知的好奇心や義務感の強い人間のDNAを持った個体や教育環境が拡大していけば、世の中の倫理観も変化して、そのうちその方法が実行されることが普通になり、結果的に人間が生き延び続ける唯一の方法だった、となることも考えられる。
(物語ではこそこそ研究してますが)
<人類科学の進化>=科学は神の領域に至りつつある→後から解明しているに過ぎない文化的行動にすぎない(信仰を手放す幸せ)
最初読んだとき、最近流行ってる「量子力学を理解したら引き寄せの法則で人生思い通りになります!」!みたいスピが流行る現象を揶揄してるのかな?笑
と思ったけど、そんな低レベルな風刺をテッドチャンがするだろうか?と思い直し、超人類=自然とか宇宙とか現象そのもの、人類=地球上の人類すべて(科学者含む)と考えることにした。
ちょっとインターステラーっぽい。
科学は文化だ(神ではない)と言い切ってますね。
<地獄とは神の不在なり>神は救ってくれる→救わない(信仰を手放す幸せ)
神の降臨=自然災害&啓示&祝福の機会っていう、不平等・不条理に振り回されてる人々の世界。
死者が天国もしくは地獄へ落されることまで観測可能な世界で、主人公が神を愛するに至った経緯を描いている。
主人公の知能で解釈(意味づけ)が可能な出来事を苦悩しながら経験していったにもかかわらず、最後は人知を超えた(=神の意図を放棄せざるを得ない経験)イベントによって、その後の人生で主人公は神を愛するに至った。
チ。~地球の運動について~に出てきた、過酷な状況に置かれた科学者達が、それでもこの世界を愛している、と言っているあれに似ていると思った。
ここまでの作品の流れで、この世の真理の理解を突き詰めた人類が、理解手放した結果、真理に行き着くという逆説が発生している。
<顔の美醜について>人間は頭が良く理性的な生き物だ→容姿に過剰反応する動物だ(理解や信仰みたいな考えはもともと持ってない)
やっと最後の作品!真理みたいな壮大なテーマから、急に俗っぽい題材になってびっくりした。でも意味ある設定なんでしょうね。
カリーという処置を施すことで、ルッキズム社会を緩和しようとする社会の話。
カリー自体の適用・解除は気軽にできるという設定だが、その処置に対する議論やプロパガンダの様子を発言集のような形式で構成されている。
人は容姿に思考が左右されてしまうほど弱い生き物だと認めるコミュニティと逆張りコミュニティと、そもそも業界として生存危機に立たされる化粧品業界の争い。
皆、自分を「自分は理性的な生き物」だと信じて行動しているけど、これは完全に逆説で、登場人物全員、美醜・容姿に対する過剰反応をしている。
高尚っぽい内容から俗っぽくなったのも、この人間のままならなさ、どうしようも無さが強く感じられて、良い舞台設定だと思う。