酒寄進一のレビュー一覧
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Posted by ブクログ
最近気づいたシーラッハの新作。
タイトルから別の話を想像していたのですが、主題は「臨死介助の是非」でした。「自死選択の是非」ではなく。
法学、神学、医学の観点からそれぞれ意見を求め、戯曲なので、観客に最終判断を委ねる…「テロ」の時と同じ手法。
個人的には、なしであってほしいです。
倫理観は、時代で変わっていくものかもしれないですが、ナチの事例をシーラッハが持ち出していることが、警鐘だと思いたいからです。
この本を読む寸前にジャン=リュック・ゴダールがいわゆる安楽死を選択していた、という記事を読んだこと、また、やはりこの本を読む寸前に読んだアチェベの「崩れゆく絆」の主人公の最期のシーン、など、時折脳裏をかすめなました。
シーラッハ、好きです。
ドラマチックなタイプの書き方ではないのですが、作品のひとつひとつに心が揺さぶられます。
短編と戯曲が特に良いと思います。
酒寄さんの翻訳もすばらしいです。これからもよろしくお願いします。
マイナス一つ星は、やはり書き手として、結論はどうか、が見えないので。でも、それはそれで良いんですけどね(笑)読み手もアマノジャク(笑)
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Posted by ブクログ
英小説は邦訳が読みにくくて苦手意識を持っているのですが、ドイツ小説はそうでもありませんでした。やはり言語にも相性はあるんですね。
帯のとおりのあらすじです。刑事を担当する新米弁護士が一番最初に弁護人となったのは殺人事件の被疑者(被告人、コリーニ)でしたが、その被害者は実は親友の祖父だった、と。これだけ読んで、てっきり刑事弁護人の立場からくる心の葛藤を描いたものだと思っていました(それにしては政治を動かしたとは…程度で)。しかし、読み進めるにつれ、それだけではないことに気が付きました。コリーニが頑なに犯行の動機を口にしない理由が何だったのか、法廷の弁論で漸く明らかにされます。まるで自身も傍聴人のように弁論に現れるストーリーにのめりこんでしまいました。
とりあえず、知識不足を感じたドイツ史を勉強しておきます。 -
Posted by ブクログ
ネタバレ冒頭の方で「自死」というべきです。「自殺」ではありません。自分自身を死に至らしめることは殺人ではありませんから(弁護士ピーグラー)という箇所があるが、日本ではほぼ同義に使っているが漢字を帰るだけで印象が変わると感じた。
「わたしは死にたいのです。」(ゲルトナーの意思)
「生きていたくないからです。」(それは何故か問われたゲルトナーの回答。)ここは死にたいという意思を言い換えているだけの印象をこの時点では持った。
「孫のことは愛しています。しかし、孫がはたして理解してくれるかどうかわかりませんが、エリザベートが死んでから、わたしは半身をもがれたような感じなのです。(ゲルトナー)」他人同士が繋がりながら結婚生活によって到達した想い、日本人的な発想かもしれないが血を分けていても孫は妻より遠い存在か。他人同士が家族なり愛情なりを築き上げていくからこそ意義があると感じた一文。
「なにからですか?自分の命を絶つ権利は、いま申しあげたように人間の自由権です。(リッテン)」ここから、個々の命とはどこに帰属するのか議論が始まる。
「刑法というのは、わたしたちの生命を守るものだと思っていました。(ケラー)」ここについては命を絶ちたいという意思も含めたものなのか?自死は認めないというスタンスなのか?歴史上、法が命を守るというのを過信するのは難しいのではないか。
「価値のない命」というナチスの言葉について、ドイツにおけるナチスの呪縛を感じた。意思にかかわらず殺すナチスに対して、意思を持って自身ではなし得ない死を他者になすよう望むのがここでの議論のそうてんではないか。
「老人は負担だ。金がかかりすぎる。資源を消費する。もう充分生きたじゃないか。(略)」ここは邦画のプラン75に類似してると感じた。日本人もドイツ人もある意味、命ですらコストのように扱うことがあるのだなと感じた。
「ナチによる犯罪は小さなところからはじまって肥大化した。最小限は医師の基本姿勢をさりげなく変化させただけだった。生きる価値がない状況が存在するという安楽士運動の基本的な考え方のニュアンスを変えていった。初期段階では重病者と慢性病者だけが対象だったが、範囲が徐徐に拡大され、社会的に生産性のない者、イデオロギー的に望ましくない者、人種的に歓迎されざる者が加えられていった」生きる価値とは個人が決めること、他者が決めるものではないと思った。しかし、人は田車に対して不寛容になりつつあるいま、また、おなじ過ちを犯そうとしていないか?
「市民はみな、自分の好きなものを信じていいということです。人間はなにを信仰し、どういう世界観を持っても言いのです」西洋社会は圧倒的キリスト教社会と思ってたので少し驚いたが納得。また以下のリッテン(法学の参考人)の言葉に共感。「全体主義国家は自らを絶対だとみなします。自ら以外に真実はなく、国家はそれを実現するものだと。戦後、ドイツ基本法を生み出した人たちはそれを否定したのです。すべての法律と仝ように、憲法もまたアクニ感染しやすく、欠点があると彼らはしむていました。国家の秩序に完璧はないのです。人間のすることには限界があると自覚すること、それが謙虚さのあらわれなのです。ですから、憲法の前文に神が言及されているわけです。」神は人の良心に訴える存在?ティール(神学の参考人)は「古代から啓蒙主義の時代にいたる二千五百年間、自分の命を絶つという暴力的な行為は一貫して否定されてきました。(略)キリスト教かいは社会において、いまでも監視役なのです。」切腹や殉死などがあった日本と相違?!以下のティールの言葉にはポピュリズムへの問題提起を感じた。「役に立つかどうかで命を落とす天秤にかけるなら、じきに「健全な国民感情」がもてはやされ、わたしたちの社会に望ましくない人たちが特定されることになります。身体障害者、うつ病患者、高齢者、愚鈍な人。ダムが決潰する恐れはすでにているのです。」「自然死は生きることとセットです。それを奪ってはならないと思います。」
「わたしたちの命は自分ひとりのものではないということになりますね?」(ケラー 倫理委員会委員) 一人でいきているわけではないから出てくる。一方でティールの「士民には保護され、尊厳をもって歳をとり、死んでいく権利があるのです。」という言葉に、例えば発狂した姿ではなく、自分らしさ、自分の望む自分の姿で死にたいという意思の肯定も感じ、共感した部分。ティールは神学者らしく「命は神の賜であるとされたのです。生きるか死ぬかを決められるのは神だけということです。」とも語っている。個人的には日本人なので神のところは「御先祖様」と考えたほうが腹落ちした。
また、戯曲らしい極論として面白かったのは、ビーグラー(弁護士)の「幸福を追求し、苦しみを避けようとするのは人間にとってただしいことではないですか?それは人間の本性ではありませんか?(略)司教。人間が苦しむのは無意味ではありませんか?」とそれに対するティールの「いきることは苦しむことです。」という対極のやり取り。現実はこの中間といったところか。生きるというやり取りに対し、安楽死を望むゲルトナーの「ひとたび死んでしまえば、何もかも残りません。暖かいところも、すてきなドレスやきちんとしたスーツも。死の床には自分以外なにも持ってはいけません。」という言葉からは物質は無理でも愛した感情、心はその身に宿したまま死ねるという思いも感じた。
「わたしたちの命は誰のものなのか?」「みなさん、わたしたちのしは、わたしたちのものでなければ、イッタイだれのものなのでしょうか?」個に帰属してきたものとはいえ、生かされているということを忘れてはいけないと感じた。
ハルトムート•クレスト
「自尊心が傷つけられ、尊厳をもって死ぬ権利が毀損されると見ているのだ。こうした人々は、矛盾をはらんだ死のプロセスを避けるために、医師といったしかるべき人による自死の介助や最期の看取りを求めている」
◎「孵化に耐えうる答えを、わたしたちはまだ持ちあわせていないといえるだろう。生きる喜びや生きる意味を高齢になってもいかにイジするか、また、それが失せたときにどうするかといった、長寿との付き合い方を、甥も若きもまなばなければならない。」これからの大きな仮題 -
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オーストリアの作家「アンドレアス・グルーバー」の長篇ミステリ作品『月の夜は暗く(原題:Todesfrist)』を読みました。
ここのところドイツミステリが続いていましたが、今回は同じドイツ語圏のオーストリアミステリです、、、
「アンドレアス・グルーバー」の作品は、約2年振りで3作品目ですね。
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「母さんが誘拐された」ミュンヘン市警の捜査官「ザビーネ」は、父から知らせを受ける。
母親は見つかった。
大聖堂で、パイプオルガンの脚にくくりつけられて。
遺体の脇にはインクの缶。口にはホース、その先には漏斗が。
処刑か、なにかの見立てか。
「ザビーネ」は連邦刑事局の腕利き変人分析官と共に犯人を追う。
そして浮かび上がったのは、別々の都市で奇妙な殺され方をした女性たちの事件だった。
『夏を殺す少女』の著者が童謡殺人に挑む。
訳者あとがき=「酒寄進一」
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2012年(平成24年)に刊行された、ミュンヘンの女性刑事「ザビーネ・ネーメス」とドイツ連邦刑事局の事件分析官「マールテン・S・スナイデル」を主人公としたシリーズの第1作です。
■プロローグ
■第一部 二ヶ月後 五月二十二日日曜日から五月二十三日日曜日
■第二部 五月二十四日火曜日
■第三部 五月二十五日水曜日
■エピローグ
■訳者あとがき
母が誘拐され殺された… 遺体は大聖堂のパイプオルガンの演奏台にくくりつけられ、脇にはインクのバケツ、口にはホース、その先には漏斗が、、、
容疑者にされた父の疑いを晴らすべく、ミュンヘン市警の捜査官「ザビーネ・ネーメス」は腕利き変人分析官「マールテン・S・スナイデル」と犯人を追う… 浮かんできたのは、別々の都市の聖堂で、同様に奇妙な殺され方をした女性たちの事件だった。
ドイツで有名な絵本『もじゃもじゃペーター』を見立てた猟奇殺人事件(凄惨で残虐な殺害、虐待シーンは、想像力オフで読む必要あり)を企てるサイコパスを探し当てて、追い詰めるのは、「マールテン・S・スナイデル」と「ザビーネ・ネーメス」の凸凹コンビ… 偏屈で高圧的、マリファナを嗜み、本の万引きがライフワークという変人「マールテン・S・スナイデル」と、がむしゃらで事件解決のためなら規則も無視して突き進む「ザビーネ・ネーメス」のコンビが絶妙ですねー
「アンドレアス・グルーバー」は相変わらず巧い… 序盤から物語にぐいぐい惹きつけられて、ラストに向けての怒涛の展開は読み応え十分、、、
掛け値なしに愉しめるサスペンス作品でしたねー この凸凹コンビを主人公とした物語は、本国では続篇が刊行されているようですが、日本語に翻訳されていないようなんですよね… 翻訳される日を心待ちにしています。 -
Posted by ブクログ
ネタバレ2013年日本刊行、シーラッハの初長編作品とのこと。
『禁忌』は読んだことあったけど、あれよりもこちらの方が前だったとは。
やっぱりこの文体は好き。
どこか不穏でぴりっとした緊迫感が終始漂う。
決して奇をてらった表現や独特な言い回しがあるわけではないのだが、何がどうしてこの著者特有の雰囲気が生まれているのだ。
すごく物語世界に没入させられる。
訳者、酒寄さんの力量、推して知るべし。
ある夜ホテルで一人の大物実業家ハンス・マイヤーが元自動車組立工の年老いたイタリア人コリーニに殺される。
そこには強烈なまでの憎しみがあった。
殺害後自ら警察を呼ぶが、その後は黙して何も語らない。
新米弁護士のライネンは、コリーニを弁護することを決意するが、その後殺された実業家が幼なじみの祖父であることがわかり心が揺れる。
だが、原告側弁護士であり、この道の大先輩であるマッティンガーに「依頼人への責任」を諭され、全力を尽くすことに。
最終的に明らかになる真実は、その題材とミステリを絡ませる趣向は数多くあるため、そこまで意外ではないのだが、著者自身の家系の来歴やハンスの孫ヨハナが語る「わたし、すべてを背負っていかないといけないのかしら?」の名言、現実のドイツ政界をも動かした糾弾姿勢でくるまれたこの物語は、その月並みとすら思える展開に比して奥深い。
今年『珈琲と煙草』、『神』と2作も出版されている著者。
改めてミステリベスト10を賑わすことになるのか。 -
Posted by ブクログ
安定のおもしろさとちょうど良さ。すっかりこのシリーズのファンです。
3作読んで思ったことメモ:こういうシリーズものって大抵、事件の内容と主人公の過去のなんやかんやが重なってたりして、新たな謎を呼んだり裏で糸を引く因縁の敵の存在が仄めかされたりしつつ主人公の暗部をチョイ出し&人格を深堀りする仕掛けがあるのがセオリーかと思うんだけど、今のところヴァルナーもクロイトナーも各事件とパーソナルに関わることはなく、自分の人生をただガツガツと生きてる。
だからあんまりおもしろくない(ドラマ性に欠ける)と捉えることもできると思うけど、逆に、物語のための装置として設計されたキャラクターじゃないんだぞっていうランダムな人間味が演出されてる感じがする。この先の作品でヴァルナーの過去にガッツリ立ち入る展開に舵が切られる可能性もあるけど…
今のところこのシリーズ最大の魅力は、真面目なヤツが真面目に/破天荒なヤツが破天荒に、それぞれ情熱を持って仕事する姿、人生をそれぞれやっていってる姿の読み味だと個人的には思う。次作以降でもそこは変わらないでいてほしいな。