ジュール・ヴェルヌのレビュー一覧
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Posted by ブクログ
今でこそ光の届かない深海を探る手立てがあり、深海の生態系について(僅かでも)知ることができている。それはつい最近の出来事であると、無生物な荒涼とした深海の描写で思い知らされる。深海1万メートルにもヨコエビの仲間が生息しているらしい、と判明したのはつい最近の研究によるもの。
大西洋に海底ケーブルが敷設され、地球上を循環する大海流の存在が判明していても、150年前の海中はまだまだ未知の世界。漁師や船乗りの話、貴重な標本から判ることにも限りがある。それは海にはロマンがあっただろう。
今でも、「地球最後のフロンティア」と呼ばれる深海にはまだまだロマンが潜んでいる。いつかは私も、アロナクス教授のようにこの目で見てみたい。
また、読んでからディズニーシーの海底二万マイルに乗るとなんとも趣深いというか、ネモ船長の解釈違いで体が痒くなるのもまた一興。もっと陸の人間を蔑んで欲しい。 -
Posted by ブクログ
上巻に勝る、驚きの旅路が続きます。
前人未踏の海底世界へ、ネモ艦長がアロナックス教授らを導き続けます。
ネモ艦長はあらゆる海を制覇しましたが、それは南極点を除いてのことでした。
知的好奇心と冒険心を原動力に、彼らがそれに挑む姿が目に浮かびました。
しかし終盤になり、ネモ艦長は復讐心をもって行動を開始します。
普段の学者肌の男は、もうそこにはいませんでした。
結末は不透明なものとして有名です。
しかし、それがこの作品の魅力だと思うのです。
科学は自然に抗えないのか、科学は自然を支配するのか。
ノーチラス号の存在は、その問題そのものです。
そして、その科学を我々人類がどのように使うかを表現しているのがネモ艦長なのだと個人的に思っています。
海底二万里は今後も不朽の名作であり続けるでしょう。 -
Posted by ブクログ
1864年に発表された本とは思えない、ワクワクの冒険本。岩波文庫独特のフォントとページのレイアウト(余白や行や文字の間隔)が少々苦手な私でも、そんなことを忘れて読んでいました。
登場人物は、何かと心配性でネガティブ思考の主人公、クレイジーで気難しいが優しいところもある研究者の伯父、温厚で寡黙な案内人。どこかで聞いたような人物像と人物の組み合わせですが、むしろこれが原型で、後に作られた物語に影響を与えているのでしょう。
この主人公が嫌々ながら伯父の冒険に同行し、ほとんど最後まで腰が引けているものの、予想外の快挙にそれまでの悲壮感を忘れて舞い上がってしまうところまで、現代の小説と変わりない展開で、古臭さがなく飽きない物語です。
100年以上前の本ですが、100年後も読まれる本だと思います。 -
Posted by ブクログ
ネタバレただ、時間に迫られながら一人の紳士が自分の発した言葉を実証するため全財産をかけて世界を一周するというだけの話なのに、どうしてこれほどまでに読者を魅了してくるのだろうか。不思議な力を備えた逸品だった。
そう、これは『旅』であって『旅行』ではないのだ。主人公である紳士フィリアス・フォッグは世界を廻る途中、一切観光というものをしない(一部例外を除いて)。代わりに召使のパスパルトゥーがちょっとした空き時間に観光する。だが、彼自身も旅が後半に差し掛かると一目散に道程を進んでいく。そのせいか、この『旅』はどこと無く全体的に計算式のような雰囲気が漂っている。フォッグは常に行程に掛かる日数や交通手段を計算し、それを自分の道筋でどの様に使えば良いかを考えている。その余裕と紳士性から彼は“予定外”で稼げた時間を自分の旅のためではなくとある夫人や道中で囚われてしまう召使を助けるための時間として使いロスしている。
そう、この作品は、フィリアス・フォッグが類稀なる英国紳士だからこそ成り立つ冒険小説なのだ。彼は道中どんなことがあろうとも動揺しない。彼は目前で危難に見舞われそうな者がいれば躊躇無く助ける。彼は自らの名誉が侮辱された場合正当なる勝負で挽回しようとする。
しかし、解説でも述べられているように彼は道ながら度々行程を円滑に進めるために莫大な金を散在する。像も買ったし、船も買った。何より当初予定に無かった者も二名も旅に随行させその費用を負担している。これは金持ちだから為しえたことではなくて、彼がひたすらに“八十日間で世界を一周する”という目的のみ目指していたせいだ。それが達成できさえすれば自分の財産など最初からどうでも良かった程、彼は英国紳士だったのである。
最終章のタイトルが何故だか気に入ってしまった。即ち『フィリアス・フォッグがこの世界一周の旅で儲けたのは、幸福だけであったことが証明される』という一文だ。彼は旅を成功させる代わりに財産の大部分を失ってしまう。しかし、彼が手にした掛け替えのないものに付いては実際に本を読んで理解すべきだと思う。