あらすじ
科学技術の粋を集めた最新鋭潜水艦ノーチラス号! 超絶の能力を備えたその潜水艦を自在に操るのは奇妙な影を湛えた謎の人物、ネモ船長。彼はいったい何者なのか。そしてその目的とは? 世界の海での冒険行を余儀なくされた、教授たち3人の運命は……。19世紀の最新科学の知見をふんだんに取り入れたヴェルヌ渾身の原文を忠実に翻訳、刊行当時のイラストもすべて収録した完訳版。
...続きを読む感情タグBEST3
Posted by ブクログ
ジュール・ヴェルヌ読んでると初めて読んでるはずなのに、何故か聞いたことあるような話だなと思うのはSFの父だからかなと思う。本当のスタンダードというかベタを作った人ということだよね。
ジュール・ヴェルヌ
Jules Verne 1828年フランス、ナントに生まれる。ナントのリセを出たあと、 1847年法律の勉強のためパリを訪れる。 48年にアレクサンドル・デュマ父子と出逢い、劇作家を志す。地理や科学、博物学の広範な知識と、豊かな空想力を駆使して数多くの作品を発表した。空想科学小説の父と呼ばれる。主な作品に『地底旅行』『八十日間世界一周』『神秘の島』など。」
「ここで特に名前を挙げておきたいと思うのは、紅海、インド洋、そしてアメリカ大陸の赤道付近の沿岸に生息するハコフグです。ハコフグという魚は、カメ、アルマジロ、ウニ、甲殻類の動物と同じように鎧で身を守っています。もちろん白亜や石でできた鎧ではなく、本当の骨でできた鎧です。その形は正面から見れば三角形に見えますが、中には四角形に見えるのもいます。三角形のハコフグとしては、体長五センチ、肉は無毒で美味、茶色い尾と黄色いひれを持つハコフグがいました。このハコフグを淡水に順化させてみると面白いでしょう。海産魚の中には簡単に淡水に馴染むものもかなりいるのです。また、背に大きな突起が四つついている四角いハコフグ、即ちコンゴウフグや、体の下の方に白い斑点がついているミナミハコフグもいました。このミナミハコフグは鳥のように飼い慣らすことができます。他にハコフグの仲間としては、骨質の外皮が長く伸びて針のようになっているトランクフィッシュがいました。トランクフィッシュは奇妙な唸り声をたてるところから「海の豚」とも呼ばれます。円錐形の大きな瘤のあるラクダハコフグもいましたが、こいつの肉は硬くて、まさに靴底のようです。」
—『海底二万里 下 (角川文庫)』ジュール・ヴェルヌ, 渋谷 豊著
「「つまり」と私は応じました。「いまだにそんな原始的なやり方でやっているということですね?」「ええ、いまだにそうなのです」とネモ艦長は答えました。「この漁場を管理しているのは世界で最も産業の進んだ国イギリスなのですが、にもかかわらず、あいかわらずそれが漁の実態なのです。真珠採りの実権をイギリスが握っているのは、一八〇二年にアミアン協定が締結されたためです」「あなたがご使用になっているような潜水服があれば、潜り手の作業もずっと楽になるでしょうが」」
—『海底二万里 下 (角川文庫)』ジュール・ヴェルヌ, 渋谷 豊著
「 私がそこまで確認したとき、「教授、真珠採りは」とネモ艦長が話しかけてきました。「……真珠採りはベンガル湾でもインド洋でも行われています。もちろん中国の近海や日本海でも、また南アメリカの海、パナマ湾、カリフォルニア湾でも行われています。だが、セイロン島ほど輝かしい成果をもたらしてくれる漁場は他にありません。たしかに、私たちはこの地にやってくるのがやや早すぎたとは言えるでしょう。真珠採りの漁師たちがマンナル湾に集まるのは三月ですから。三月になると、漁師たちが三百艘の舟を漕ぎだし、海の宝物を探すのにまるまる三十日費やします。これは金になる仕事です。それぞれの舟に漕ぎ手が十人、潜り手が十人乗り込みます。潜り手たちは二グループに分かれて、交互に海に入ります。縄で舟に繫いだ重石を両足に挟んで、平均一二メートルの深さまで潜るのです」」
—『海底二万里 下 (角川文庫)』ジュール・ヴェルヌ, 渋谷 豊著
「「するとムールガイもかね」とカナダ人が訊ねました。「そうだよ。スコットランド、ウェールズ、アイルランド、ザクセン、ボヘミア、フランスの沖の海流で育ったムールガイならばね」「よし、今後は見落とさんよう注意しよう」とカナダ人は言いました。」
—『海底二万里 下 (角川文庫)』ジュール・ヴェルヌ, 渋谷 豊著
「「だが」と私は話を続けました。「真珠を生み出す代表的な軟体動物は、何と言ってもいわゆる真珠貝、即ちメレアグリナ・マルガリティフェラという学名を持つ貴重なクロチョウガイだ。真珠というのは詰まるところ、真珠質が小球状に凝固したものに過ぎない。それが貝の殻に付着したり、軟体動物の襞の中にもぐり込んだりしているわけだ。ちなみに、貝の殻に付着する場合はぴたりと張りついて動かないのに、貝の肉の中に埋もれた場合は、一箇所に留まっていないで位置を変えることがある。ただ、いずれにしても、何か小さな硬い物質が真珠の核を成すことに変わりはない。それは無精卵でも、一粒の砂でもかまわないのだが、とにかく、その小さな物体の周囲に、真珠質の薄い同心円状の膜が何年もかかって積み重なったものが真珠なのだ」「同じ一つの貝の中に真珠がいくつもできるものでしょうか?」とコンセイユが質問しました。「ああ。クロチョウガイの中にはまるで宝石箱のようなものもあるよ。それに、まあ、これは私は真に受けていないのだが、聞くところによれば、一五〇ものサメの入った貝もあったというよ」「サメ?」とネッド・ランドが叫びました。「サメと言ったかね、今、私は?」今度は私がはっとして叫びました。「一五〇の真珠だ。サメでは意味をなすまい」「おっしゃる通りです」とコンセイユが言いました。「ところで、旦那さま、今度はどうやって貝から真珠を採りだすのかお教えいただきたいのですが」」
—『海底二万里 下 (角川文庫)』ジュール・ヴェルヌ, 渋谷 豊著
「「いろいろなやり方がある。真珠が殻に張りついている場合はペンチではぎ取ることも珍しくない。だが、ふつうはエスパルト繊維で編んだ筵を浜辺に敷き、そこに真珠貝を並べるのだ。こうすると、真珠貝は風通しの好い場所で死んでいくことになる。十日も経てば十分に腐敗が進んでいるから、死んだ真珠貝を海水の入った大きなタンクに沈め、殻を開けて洗浄するのだ。このとき海人は二つの仕事を行う。まず、真珠層のある貝殻を分別するのだ。貝殻は一二五から一五〇キログラムごとにケースに詰めて出荷され、商売人たちに『純正の銀』とか『混じりけのある白』とか『混じりけのある黒』などと呼び分けられることになる。海人の次の仕事は貝の身を剝がし、それを煮て篩にかけることだ。こうやって、どんな小さな真珠も取り逃さないようにするのだよ」」
—『海底二万里 下 (角川文庫)』ジュール・ヴェルヌ, 渋谷 豊著
「「真珠の値段は大きさで決まるのでしょうか?」とコンセイユが訊ねました。「大きさだけではないよ」と私は答えました。「形によっても、純度、つまり色によっても、また光沢によっても変わってくる。光沢というのは、要するに、私たちの目にとって真珠をかくも魅力的なものたらしめているあの玉虫色の輝きのことだ。最も美しい真珠はバージン・パールとかパラゴンと呼ばれているが、これは軟体動物の組織の内部で一つ一つ別々に作られるのだ。色は白くて、多くの場合、不透明だが、中には澄んだ乳白色のものもある。たいてい球形か洋梨のような形をしていて、球形のものはブレスレット、洋梨形のものはイヤリングやネックレス向きだ。何しろ最も貴重な真珠だから、取引の際は一粒単位で値が付けられる。それ以外の真珠は貝殻に付着していて、色も形ももっと不均一だ。重さで売買される。さらにランクが低いのはケシ玉真珠と呼ばれる小さな真珠。これは計り売りしていて、とくに教会の装飾品に刺繡を施すのに用いられるのだよ」」
—『海底二万里 下 (角川文庫)』ジュール・ヴェルヌ, 渋谷 豊著
「「そう。ジュゴンの肉は非常に評価が高く、マレーシアでは国中で王族だけが口にできる食べ物とされています。これは正真正銘の獣肉です。そのため、皆が目の色を変えて狩りをします。その結果、ジュゴンは同類のマナティー同様、数が激減しているのです」「艦長、そうしますと」とコンセイユが真剣な面持ちで言いました。「あそこにいるのがひょっとすると最後の一頭かもしれないのですね。であれば、見逃してやるべきではないでしょうか? 科学の進歩のために申し上げているのですが……」」
—『海底二万里 下 (角川文庫)』ジュール・ヴェルヌ, 渋谷 豊著
「敷布のように広がる電光によって煌々と照らし出された水の中には、体長一メートルのヤツメウナギがうねうねと泳いでいました。これは大概どの海にも生息している魚です。また、エイの仲間で、横幅五ピエ、腹が白く、灰白色の背に斑点のついたロングノーズド・スケイトもいました。このロングノーズド・スケイトはまるで潮流に運ばれていく巨大な肩掛けのように、ふわりと海中に漂っていました。その他にもエイはいましたが、目の前をさっと通り過ぎていってしまうので、はたして古代ギリシア人が考えだした「鷲」というあだ名と、近代の漁師たちの考案による「ドブネズミ」「ヒキガエル」「コウモリ」のどれが本当にエイにふさわしいのかは判断できませんでした。」
—『海底二万里 下 (角川文庫)』ジュール・ヴェルヌ, 渋谷 豊著
「南仏人はプロポンティス海沿岸の住民やイタリア人同様、クロマグロが大の好物なのです。マルセイユではその彼らの大網に何千頭もの貴重なクロマグロが訳も分からないまま飛び込んで、むざむざ命を落とすのです。」
—『海底二万里 下 (角川文庫)』ジュール・ヴェルヌ, 渋谷 豊著
「軟体動物門の中で彼が名前を挙げている生物は以下の通りです。即ち、おびただしい数のクモエウチワ、互いに積み重なったウミダリアガイ、フジノハナガイ科の三角形の貝、黄色い側足と透明な殻を持つカメガイ、緑色がかった斑点がぽつぽつと──ものによってはびっしりと──ちりばめられた、卵のような格好のオレンジ色のウミフクロウ、「海のウサギ」の名でも知られるアメフラシ、タツナミガイ、肉付きの良いカノコキセワタガイ科のフィリノープシス・デピクタ、地中海特有のヒトエガイ、貝殻に極上の真珠層ができるミミガイ、ホンタマキガイ、ラングドック地方の人々が牡蠣よりも好むと言われるナミマガシワ、マルセイユの人々が大好きなアサリ、白くて厚ぼったいマルスダレガイ、北米の沿岸に繁殖し、ニューヨークでよく売れるハマグリの類い、さまざまな色のセイヨウイタヤガイ、穴に潜りこんでいるイシマテガイ──これは私も試してみましたが、香辛料を利かせたような風味がオツでした──、殻頂の膨らんだ貝殻がまるで浮き上がった肋骨のような、筋の入ったトマヤガイの一種、緋色の小突起に覆われたマボヤ、軽快なゴンドラを思わせる先の丸まったゾウクラゲ、冠をかぶったような姿のフェロール、螺旋形の貝殻を持つクチキレウキガイ、灰色の地に白い斑点があって、スペインの女性が頭にかぶっている房飾りのついたスカーフのようなものをまとっているメリベウミウシ科のテティス、小さなナメクジに似たオオミノウミムシ、背で海底を這うカメガイ、オカミミガイ科のさまざまな貝、そしてとりわけ特筆すべきものとして、卵形の殻を持つマウス・イヤード・スネイル、鹿毛色のスカレール、タマキビガイ、アサガオガイ、ニシキウズガイ科のグレイ・トップシェル、イワホリガイ、ベッコウタマガイ、カツラガイ、ネリガイなどです。」
—『海底二万里 下 (角川文庫)』ジュール・ヴェルヌ, 渋谷 豊著
「 それでも私はノーチラス号に戻ることにしました。私たちは断崖の一番高いところを走っている狭い急坂を通って十一時半には出発点に帰りつきました。すでにボートが砂地に乗り上げていて、ネモ艦長が陸に上がっていました。彼は玄武岩の塊の上に直立していました。足元には測量器具が並んでいます。その目は太陽が緩慢な曲線を描く北の水平線を見据えていました。 私は彼の近くに陣取って、何も言わずにただ待っていました。正午になっても、昨日同様、太陽は姿を現しませんでした。 結局、私たちはまたしても測量ができなかったわけです。それが運命だったのでしょう。もし明日も太陽が姿を現さないようなら、今いる場所の位置を決定するのは完全に諦めなければなりません。」
—『海底二万里 下 (角川文庫)』ジュール・ヴェルヌ, 渋谷 豊著
「「なるほど」と私は言いました。「ですが、今のお話は数学的な厳密さに欠けます。と言いますのも、太陽が春分点に来るのが正午とは限りませんから」「それはそうでしょう、教授。しかし、誤差は一〇〇メートルもありません。それで十分なはずです。では、明日」 ネモ艦長はノーチラス号に戻りました。コンセイユと私は五時まで海岸を歩き回って観察と研究を続けましたが、これと言ったものは何も手に入れることができませんでした。ただし、ペンギンの卵を別とすれば、です。目を見張るほど大きく、好事家なら一〇〇〇フラン払っても、いえ、それ以上払っても手に入れたいと思うようなペンギンの卵が見つかったのです。クリーム色の色合いといい、ストライプ模様の入り方といい、まさに貴重な工芸品と言っていいような逸品で、しかもヒエログリフを思わせる飾り文字まで入っているのです。私はその卵をコンセイユに委ねました。」
—『海底二万里 下 (角川文庫)』ジュール・ヴェルヌ, 渋谷 豊著
「この海にはクラゲも数多くいて、クラゲの中でも最も美しく、サン =マロ諸島の海に固有の種とされるヤナギクラゲの姿に感嘆する機会にも恵まれました。このヤナギクラゲは非常になめらかで赤褐色の縞模様の入った半球状の傘のような姿をしていて、傘の縁の部分には一二個の花綱が規則正しく並んでいました。また、ときにはそのヤナギクラゲがひっくり返った花籠のように見えることもあり、その花籠からは幅の広い葉と細長くて赤みがかった枝が優雅に覗いていました。このクラゲは木の葉のような四つの腕を動かし、豊かな髪のような触手を水に漂わせて泳ぎます。私はできることならこの華奢な植虫類のサンプルをいくつか持ち帰りたかったのですが、ヤナギクラゲは雲か影、あるいは幻影のようなもので、生来の住処である海水の外に出すと溶けて蒸発してしまうのです。」
—『海底二万里 下 (角川文庫)』ジュール・ヴェルヌ, 渋谷 豊著
「「それは分からない。だが、何ものだろうが、夜が来る前に沈められるのは確実だ。とにかく、どこまで正義に適っているのか分かりもしない復讐の共犯者にさせられるくらいなら、あの戦艦と一緒に滅びる方がましだ」」
—『海底二万里 下 (角川文庫)』ジュール・ヴェルヌ, 渋谷 豊著
「しかも、この作品は自然科学と人文学の架け橋にもなっている。今は細分化した知の諸分野に橋を架け渡すことが求められる時代のようで、「学際的」とか「領域横断的」といった言葉をよく耳にするが、そんな要求は約百五十年も前に、めっぽう面白い形で実現されていた観がある。 ヴェルヌは科学に強い興味を持ってはいても、おめでたい科学万能主義者ではなかった。『海底二万里』の最後でネモ艦長とその潜水艦がどうなってしまったのか、それははっきりと示されてはいないのだが、その曖昧さが曲者だ。作者は本作の幕引きにあたって、近代科学の申し子とも言うべきノーチラス号が大自然の脅威の前にあえなく滅び去った可能性を敢えて排除しなかったのである。私たち読者としては、やはり昨今の社会情勢を思い起こしながらあれこれ考えざるを得ないだろう。「科学の限界」とか「科学技術を盲信することの危険」とかについて……。」
—『海底二万里 下 (角川文庫)』ジュール・ヴェルヌ, 渋谷 豊著
「『海底二万里』を読み終えて目を閉じると、ちょうど長い旅を終えた後のように色々なシーンが脳裏に甦ってくる。海底の森の散策、クジラとの闘い、サンゴの墓、ビーゴ湾訪問、等々。そして私たちは改めて作者の豊饒な想像力に驚嘆することになるのだが、とはいえ、いかにヴェルヌが天才であっても、何もないところからこれだけの物語を生み出すことはできない。彼は科学論文、概説書の類いは言うに及ばず、相当の数の文学作品を読み込み、そこから様々なヒントを得ている。『海底二万里』は旺盛な読書の所産でもあるのだ。例えば巨大タコとの死闘シーン。十九世紀フランスの文豪ユゴーの『海で働く者たち』にはタコが人を襲う話が出てくるが、これはその話をヴェルヌ流に発展させたものと言えそうだ。 もう一つだけ例を挙げておくと、エドガー・アラン・ポーの諸作もヴェルヌにとっては重要な発想源の一つだった。彼はこのアメリカ人作家を敬愛していて、本書でも何度かその名を引いているが、はっきりと名前を挙げてはいない箇所にもポーの影響は認められるはず。ノーチラス号が南極点からの帰路に大海氷の下に閉じ込められてしまうくだりは『海底二万里』の読みどころの一つだろう。さすがにヴェルヌは手が込んでいて、窒息死の恐怖に、両側から迫ってくる氷壁に押し潰される恐怖を重ねて〈恐怖の二重奏〉を奏でているのだが、ここにはポーの恐怖小説「落し穴と振子」の反響が認められるかもしれない。「落し穴と振子」も男が狭い空間に幽閉される話で、男は闇の中で様々な脅威に曝されるのだが、その一つはやはり徐々に迫ってくる壁だった。もっとも、その壁は氷壁ではなく、白熱した鉄の壁だったのだが……。ユゴーとポーの小説はどちらも邦訳があることでもあるので、読み比べてみるのも一興だろう。『海底二万里』を〈もっと楽しむ〉ための良いツールになってくれるはずだ。」
—『海底二万里 下 (角川文庫)』ジュール・ヴェルヌ, 渋谷 豊著
「一方、『海底二万里』が後世に与えた影響はと言えば、これはもう計り知れない。話を日本に限っても、明治十年代には早くも邦訳が刊行され、それ以後、新訳が何度も出ている。この小説に着想を汲んだ作品も、矢野龍渓『浮城物語』を筆頭にかなりの数に上るはずだ。中にはノーチラス号の潜水服を改良したと思しき潜水服が出てくる小説もある(山本周五郎『囮船第一号』)。ちなみにその新型の潜水服はヘルメットの内側に「伝響板」が付いていて、水中でも会話が可能なのだとか。これがあったらどんなにアロナックス教授が喜んだだろう、と惜しまれもするのだが、ともあれ、こんなふうに日本にまで及んだノーチラス号の航跡を辿ってみるのも中々面白いのである。 ここで、アロナックス教授が(そしてときにはネモ艦長も)犯しているケアレスミスについて一言しておこう。実はこの教授、日付を間違えたり計算ミスを犯したりと、「教授」らしからぬ粗忽さが目立つのだ。訳出に当たっては、読者の方に〈間違い探し〉を楽しんでいただくのも悪くはないだろうと考え、あまりにも目に余る場合を除けばそのままにしておいたが(上巻第十三章のノーチラス号の重量計算のくだりなどは難易度の低い〈初級編〉だから、間違い探しをなさるならその辺りから始めるのがおススメ)、ただ、間違い探しもさることながら、この手のミスを徹底的に正す気になれなかったのは、そこに作者ヴェルヌの姿が透けて見えるように思えたからだ。」
—『海底二万里 下 (角川文庫)』ジュール・ヴェルヌ, 渋谷 豊著
「日本でもヴェルヌは早くから紹介されてきたわけだが、それでもこの作家とは今まで何故か縁がなかったという方もおられるだろう。そうした方にとって、本書が大海のようなヴェルヌ・ワールドに漕ぎ出す機縁となれば、訳者にとってこれにまさる喜びはない。」
—『海底二万里 下 (角川文庫)』ジュール・ヴェルヌ, 渋谷 豊著
Posted by ブクログ
第二部となる下巻は、第一部と比べて物語の展開や登場人物の感情が激しく動いていた印象で非常に読み応えがあった。特に後半は、観察眼がありつつも意外と感情の上下があるアナロクス博士の視点から見える状況にハラハラさせられた。
Posted by ブクログ
19世紀のBBCアース、その圧倒的な物語。
影響を受けた物語や映像は数知れない、超名作。
地球にある海はつながっているという事実を再認識するような壮大な行程の中で、生物・鉱物・地形、それらがガイドブックのような詳細な記述で当時の解釈や想像の中から生み出されて、まるでノーチラス号の小窓から見ているような描写が出来上がっている。
一方で、ミステリアスな書き出しや、偶然から同乗した教授たち三人の置かれた状況、ネモ船長たちの謎、航海が進むにつれて被ったり挑んだりするノーチラス号の冒険の様子など、読み物としての魅力も圧倒的。
文字通りのサイエンス・フィクションであり、決して子供だけの物語ではないことを明らかにするという、新訳の試みは成功した。
Posted by ブクログ
ジュール・ヴェルヌの海底冒険ものに圧倒された。巨大タコやサメとの壮絶な戦い、南極での酸素不足、敵艦からの襲撃等旅行中の修羅場が多数あり、手に汗握る。読書による映像がバーチャルリアリティー化のように思うほどの描写力に作者の想像力が卓越していたんだろうと思う。ネモ船長がなぜ人間社会から隔絶し復讐に燃えていたか?ネモ船長の発明品を世に知らせるためにアロナクス教授を受け入れ海底旅行を続けた。ネモ船長が人間社会に諦めを感じただけではなく、自分の発明品が正しく使われる日が来るのを夢見ていたのだろう。男のロマンだね。⑤
Posted by ブクログ
今でこそ光の届かない深海を探る手立てがあり、深海の生態系について(僅かでも)知ることができている。それはつい最近の出来事であると、無生物な荒涼とした深海の描写で思い知らされる。深海1万メートルにもヨコエビの仲間が生息しているらしい、と判明したのはつい最近の研究によるもの。
大西洋に海底ケーブルが敷設され、地球上を循環する大海流の存在が判明していても、150年前の海中はまだまだ未知の世界。漁師や船乗りの話、貴重な標本から判ることにも限りがある。それは海にはロマンがあっただろう。
今でも、「地球最後のフロンティア」と呼ばれる深海にはまだまだロマンが潜んでいる。いつかは私も、アロナクス教授のようにこの目で見てみたい。
また、読んでからディズニーシーの海底二万マイルに乗るとなんとも趣深いというか、ネモ船長の解釈違いで体が痒くなるのもまた一興。もっと陸の人間を蔑んで欲しい。
Posted by ブクログ
この作品を通してネモ船長の存在感が凄まじい。
海や海洋生物、また機械工学など幅広い知識を持つ「ノーチラス号」の船長。
「人間」を嫌う人間社会とは切り離された世捨て人のような人物。
ある時は冷静に、またある時は情熱的に。
アロナクス先生が、最後に会いたい気持ちと会いたくない気持ちが葛藤していた気持ちが分かる気がする。
尊敬と嫌悪。
謎に包まれたままの「ネモ船長」。
まさに「誰でもない人」。
最後、ネモ船長率いるノーチラス号があの事件で航海は終わってしまったのか、まだ航海を続けているのか、
はたまた、航海が続いている場合、まだ復讐はおわっていないのか、それとも、、、、
っと、余韻が残ってその後のネモ船長、ノーチラス号、その乗組員たちを想像してしまう。
作中にはさまざまな海洋生物の名前も出てきて、知っている名前から知らない名前まで、ネモ船長とノーチラス号に導かれながら未知と遭遇していく旅をしているかのようで、2万里の冒険を楽しめた。
Posted by ブクログ
フランスの古典小説。様々な装備を満載した潜水艦で世界の海を冒険する物語はメカ好きならば惹かれること間違い無し。海底という現代でも良く分かっていない未開の地を渡り歩く様は未知との遭遇の浪漫を感じさせる。また、海洋生物に関する細かな描写もあり当時は科学雑誌にて連載されていた形跡が見て取れるのも面白い。
Posted by ブクログ
積んでたけどやっと読み終わった!
氷に閉じ込められて窒息死しそうになるシーンが怖すぎてトラウマになりそう……
アロナスク先生とコンセイユのやり取りがかわいい。
挿絵がとても素晴らしくて読書してる!って気分になった。
最後にネモ船長の経歴がわかるのかと思ったら生死も謎のまま終わって消化不良。
「神秘の島」でまた出てくるらしいけど、インド人の元王子でイギリスとの戦争で妻子を失い復讐心を燃やすようになったそう。
Posted by ブクログ
上巻に比べ読みやすく感じた。
ディズニーの海底2万マイルの印象が強かったので、ネモ船長の性格が想像とは違って面白かった。だが残虐な描写が多くて読んでいて辛い瞬間が多かった。
ネモ船長の背景を考えるとまた悲しくなる。
全体的には海底の神秘やロマンを感じて、ワクワクした。
Posted by ブクログ
相変わらずのコンセイユの面白さ。コンセイユ推しです。
下巻はさらにワクワクの探検が重なります。
その中でネモ船長の心の内が垣間見えて悲しい人だとわかるのですが、彼の曲がった正義感がなんとも言えないモヤモヤ感を残します。
このあとネモ船長たちはどうなるのでしょう…。考える余白を多く残したまま物語が終わりました。
登場人物が少なく、ストーリー展開は複雑ではありません。
多くの知識が込められたSF小説ではあるものの、登場人物の考え方 — 知への欲求、自然への挑戦、自由と自己実現など、現代と全く変わらない不変のテーマに基づいていて、全く古さを感じません。
だから名作と呼ばれるのでしょうね。
Posted by ブクログ
知的好奇心をくすぐる壮大な冒険活劇!
とても有名な作品ですが、実は名前だけ知っていた程度で、読むのは今回がはじめてだったのですが、本当に面白かった!
ネモ船長、アロナクス教授が連れていってくれる海底旅行をたっぷり楽しめました
何より特徴的なのは主人公アロナクス教授が語る海底生物の緻密な描写と膨大な脚注!
訳者あとがきにもありましたが、当時の人々にとって写真はまだあまり一般的ではなく、想像力を膨らませながら読んでいたとか…
百聞は一見に如かずと言いますが、本書に限っては色鮮やかな情景がありありと目の前に浮かぶので、教授達と一緒に旅をしてる気分になれます!
また、かなり高い頻度で挿絵が入るので文章についていけなくても問題なし!笑(幼い頃はこういう挿絵が気になってページをめくる手が止まらなかったなぁ…)
ワクワクしながら海底を旅できる、素晴らしい物語でした!
Posted by ブクログ
★★★★ 何度も読みたい
世界各地で目撃される謎の巨大海洋生物。その捕獲をすべく乗り出した教授たち3人は、事故で海に投げ出された際、その巨大生物の上に漂着した。なんとそれは生物ではなく、陸の生活を捨てた者たちが暮らす高性能な潜水艦・ノーチラス号だったのだ。教授たちの奇怪な冒険が今始まる。
といった感じの上巻では、まだ誰も目にしたことのない海底の光景、更にその散策など、海底の冒険に主軸があった。しかし下巻では一転して、ノーチラス号のリーダー・ネモ船長の謎が深まり、不穏な雰囲気が漂う。
上巻では細やかな海底の様子が綴られているが、(下巻でそれらが消え失せることはないが)下巻では海底世界の紹介者としてではなく、人間としてのネモ船長に焦点が当たっている。
個人的に潜水艦での軟禁生活に否定的なネッドと船長の肝心な時には助け合う関係が好きだったので、教授やネッドと船長が仲違いしたままに終わってしまったことは少し寂しい。
Posted by ブクログ
巷にあふれる刺激的な
あれやそれにすっかり
心を奪われて、
現代に生きる私たちは
玩具箱の底にうっかり
忘れてる。
自分たちが住まう惑星
に満ちる壮大な浪漫を。
次々にその興味の対象
が移ろう幼子のように。
それはもう仕方のない
ことだけれど、
いずれ目の前の玩具に
飽きるときがきたなら、
傍らの玩具箱の奥底で
ひっそりと輝き続ける
それを思い出すときだ。
未知なる深海の世界へ、
どこまでも深く我々を
いざなうノーチラス号
のことを。
Posted by ブクログ
前作の続き
なかなか希望が見えない、閉ざされた自由が続く中でそれぞれの心の内は大きく揺らいでいく
より一層故郷への渇望をつよめる者、知的好奇心が勝る者、すれ違っていく人間関係に心を擦り切らす者
より垣間見えてくるネモ船長の暗い過去と何者かに向けられた激しい怒り
そんな不安定な状況の中で自然の脅威までも襲いかかってくる、絶体絶命のピンチや突如として訪れる小さな脱出への道を前にした時にアロナクス博士達が選ぶのは
※
※
上巻に引き続きとても引き込まれる世界観になっています。
これまで無敵に思えたノーチラス号を襲う大自然の脅威、正体不明のネモ船長が見せる激しい感情
物語は静かに、時には激しさを伴いながらクライマックスへと向かっていきます。
アロナクス博士達の冒険の終わりには何が待っていたのか、、、本当に最後まで釘付けの1冊でした!
Posted by ブクログ
児童文学ということで気楽に読み始めたものの、予想以上に想像力が必要だった。
序盤〜中盤は、海洋生物を列挙することに大半のページが使われており、多くの生物は分類学上でどこに位置するかが書かれているのみ。文をさらっただけではピンと来ないことが多かった。
あまり細かいことは考えず、ふんわりと想像しておくのが良いのかもしれない。
Posted by ブクログ
どこか不穏なネモ船長のすべての謎を残したまま、物語はクライマックスへ。無期限にノーチラス号に閉じ込められるという極限状態は、ロックダウンの時になんとなく似ている。しかし知的好奇心は、そのような状況も救うのだ。
Posted by ブクログ
ちょいちょい入る海の生き物の名前列挙するやつ、全部読み飛ばしたけど、すごい知識量、勉強量だなーと思った。二万里なのか二万マイルなのか二万海里なのか、よくわからないまま生きてきた。そして、どれでもないということがわかってよかった。どうやら正解は2万リューらしい。リューと里でたまたま音が似てるし、たまたま距離も近くて2万リューで8万km(2万里は約7.8万km)らしい。これからは、堂々と「二万里」派を表明して生きていける。あと、数字の前に「海底」という単語がくっ付くせいで、海面から下方向に向かって2万里だと思ってたけど、これも違った。
Posted by ブクログ
下巻の途中からトラブルが起こったりネモ船長の秘密みたいなのがわかってきて急激に面白くなった。最後の終わり方も完璧やったな〜。また読みたくなるわー。ネモ船長の毒舌がおもしろい。
専門的な人もそうでない人も楽しめる作品でした。
Posted by ブクログ
リアリティが凄い。
本当に教授の手記なんじゃないかと思ってしまうくらい、現実と空想のギャップがない。
上巻が続く海洋冒険ロマンから、少しずつ不穏な空気が漂い始めてからラストへ至る勢いもとてもよかった。
謎が謎のまま終わったところが、むしろ読後のドキドキ感を残してくれた気がする。
現代技術なら、ノーチラス号は再現できるのだろうか?
Posted by ブクログ
私のSF好き(というほどでもないが)の原点ってなんだろう、と考えてみたら、たぶん子どものころ母に薦められて読んだ『海底二万マイル』ではないかなと。はじめは書名を口頭で聞いて、「海底に"まんまいる"か(知らない動詞だな)」と思った記憶がある。ちなみに今回私が読んだ翻訳本の訳者の解説によると、マイルという訳はあまり適切でないらしく、英訳でも使われていないとか。でも私のなかでは二万マイルだ。
小学生のときも面白かったのだし、名高い古典だし、いま読んでもきっと、いやよりいっそう面白いだろうと思って読み直したところ、やっぱり面白かった。でも、歴史や科学の解説的な部分は、読んでいるときの気分に応じて面倒くさいときは躊躇わず飛ばし読みしたので、まだまだしゃぶったら美味しいのに残している部分はありそうだ。
(いつも通りあらすじなど紹介せず感想だけ)
・語り手であり主人公のアロナクス博士は、立派な学者先生ということで一応みんなから敬意を払われているし常識的で善良な人物だが、胆力みたいな点では誰よりも"ふつう"で、"ふつう"にビビったりヒヨったりキョドったりするところが好き。英雄的でない主人公いい。
・ネモ船長の秘密が明かされるようで明かされない感じとか、うまい。作品の普遍性の秘密はこういうところなのか。
・フランス人である語り手のアロナクス博士(時にその従者のコンセイユ)に、「カナダ人はほとんどフランス人」「いつも冷静なフランドル人」「毎日ステーキでも構わないようなサクソン人」「答えに窮することなどあるとは思えないアメリカ大陸の住人」などと言わせているところが興味深い。同じ関西人でも大阪と京都では気質が違うーみたいなステレオタイプ、を遊ぶ感じ、の19世紀バージョン、みたいな。21世紀バージョン知らんけど。○○人て括るなよ、という理性が全く感じられない。
Posted by ブクログ
上下巻、ちがう出版社(翻訳者)のを読んでみた。
下巻の方が好き。
色々感想はあるのだけど、登場人物が少ないのにドラマチックな物語だった。
船長は謎めいていて、本当はいい人なんだろうなと思える場面がいくつもあった。
きっと、すべては謎のままのほうが、いい作品なんだろうな。
衝撃を受けたのは、150年前の時点で、乱獲により絶滅してしまうであろう海の生物が書かれていたこと。
ラッコ、マナティー、など
今もいるけど、確かに少ない。
全編にわたって、かなり詳しく海の生物のことが書かれていて、残念ながらそこは退屈で、読み飛ばしたりもしたけど、海底の旅行はドキドキした!
とはいっても、私は海があまり好きではないので、少し恐怖も感じたけど。
今度は地底の旅を読もう。
Posted by ブクログ
明治2年から3年に執筆された本ということにまずは驚かされる。当時の科学、博物学に作者の解釈を加えて描かれていると思われるが大筋は今でも通用しそうですね。あらを探さずにミステリーツアーをアナクロス先生目線で楽しむべきです。海洋生物や過去の出来事の羅列には間延びしてしますけど、訳者も書いている通り、当時の読者には未知なる世界の想像の幅を広げるのに役立っていたんでしょうね。ネモ船長や乗組員の正体については度々伏線を張っているにもかかわらす、作者の想像に任せるかたちで少々残念かな。終盤の戦艦撃沈の理由は明確にしてほしいところ。ただ、アナクロス先生が脱出を決意するきっかけとしては必要なので謎のままにしておくべきだったのか。
役者の丹念な翻訳に感謝です。題名が「マイリ」ではない理由もわかりスッキリしました。
また、当時のものをすべて収録している挿絵もとても楽しめました。
Posted by ブクログ
新潮文庫の上下を横に並べると、ノーチラス号の絵が出現する。その表紙の絵が気に入って購入。
1870年に発表された作品と聞いて少々驚く。
日本では明治3年。大政奉還から3年しか経っていない!この時代に、フランスではこの内容の小説が読まれていた事実に衝撃を受ける。
謎に満ちたネモ船長率いる潜水艦ノーチラス号に偶然乗り合わせた博物学者のアロナクスらが、海の中の驚くべき世界を10ヵ月間冒険するお話。
今から150年以上も前に書かれたものとはとても思えない。それもそのはず、当時は潜水艦なるものはなかった。お話の全ては作者の頭の中にあるもの。
作中にでてくる海底の描写。特に、様々な生き物の描写はカタカナの表記で味気ないものがあるが、全ての生き物がいきいきと描かれ、まるで海の中に宝石が散りばめられているようだ。
今から40年以上も前、中学生の頃にもしこの本に出合っていたなら、あれほど嫌だった夏休みの読書感想文の宿題もさぞ捗ったことだろう。
Posted by ブクログ
一面に広がる氷と雪の白い景色の中、新鮮な空気を取り込もうと肺一杯呼吸する様が読んでいて気持ちがいい。
外界から遮断され、何者にも邪魔されず豊かな生命と共に生活していた中、余りにも虚しい転機であった。
最後まで謎に包まれた人物であったが、オルガンを弾くモネ船長の姿は酷く悲しく感じられた。
Posted by ブクログ
フランスの海洋生物学者アロナクス教授、助手のコンセイユ、銛打ちの名手のカナダ人ネッド・ランドは、潜水艦ノーチラス号の調査に向かったところ、そのノーチラス号の襲撃を受ける。
幸運にもノーチラス号に打ち上げられその船長であるネモに救助された3人は、ノーチラス号の半年間の海中旅に同行する。
終始おびただしい数の生物学名が出てきて少し読みにくかったです。
物語というよりは、絵のない図鑑や百科事典を読んでいるようでした。
ただ下巻は物語にも盛り上がりが出てきて、棚氷に巻き込まれた話や海底でサメと闘う話はハラハラしながら読みました。
原本と同じ挿絵が使われていたのも良かったです。
ネモ船長の国籍や、なぜ陸を捨てて海で生きることを選んだのかなど、、
疑問は残ったままです。
Posted by ブクログ
requin(フランス語でサメ)という言葉がrequiemから来ているという説明があったが、もしそれが本当なら面白い話だなと思った。
上巻を思い返してみると、具体的な母国語が特定できず、最初からずっとネモ船長の国籍は最後まで明かされない。そして彼の暗い過去も完全な詳細までは語られない。それはまるで、まだまだ明らかになっていない海の秘密のようでもあり、ノーチラス号から脱出した後の彼がどうしているのかを想像する余地を与える締めくくり方も個人的に好みだった。