中川右介のレビュー一覧
-
Posted by ブクログ
「トキワ荘」に関する文献は当事者のものを含め相当あるが、本書の特色は、手塚治虫と「トキワ荘」グループを「戦後の児童出版文化史の中に位置づける」という意識が明確なことである。戦前から戦後の出版社の動向に紙幅を割き、特に戦前は『少年倶楽部』、戦後は『漫画少年』の編集をリードした加藤謙一の役割を重視している。いかに優れた作家がいても、作品を発表する媒体がなければどうにもならないわけで、本来「編集者の視点」は出版文化史の研究・叙述に必須のはずだが、意外に忘却されている場合が多い。その点で本書は漫画のみならず、文芸や美術など他の隣接分野の歴史を分析する方法論にも見直しを迫っているといえる。当事者の証言
-
Posted by ブクログ
「松田聖子と中森明菜」「阿久悠と松本隆」そして本書「江戸川乱歩と横溝正史」、著者は二項対立による文化セクター勃興史というアプローチにますます磨きをかけているようです。今回のセクターは探偵小説。松本清張が登場し探偵小説が推理小説に変わっていくまでの乱歩と正史「ふたりでひとつ」の物語です。いや推理小説時代においてもポプラ社の少年探偵団シリーズや角川映画の金田一シリーズなどのように時代を超えたコンテンツになり得ていることがこのふたりの巨人の凄さです。だけど「明智小五郎と金田一耕助」のお話しで終わってはいません。「ふたりでひとつ」の物語とは、横溝が「新青年」編集者として乱歩の『パノラマ島綺譚』と『陰獣
-
Posted by ブクログ
1975年から1981年のオリコンヒットチャートを辿っているだけなのに、そこには日本の社会の変容の物語が投影されている、という本です。なぜ、この時期か?たぶん1960年生まれの著者が人格形成し社会と向き合い始めた時期であろうし、また、歌謡曲というジャンルの終わりの始まりの時期だったから、なのだと思います。時代の歌としての歌謡曲の可能性を切り開こうとし、それに成功した阿久悠と、時代の歌ということを信じずに歌謡曲を個人の歌としてのニューミュージック化していくことに成功した松本隆、ふたりの作詞家の軌跡が補助線となります。それは、山口百恵という存在を強烈に意識し、しかもそれに触れず山口百恵包囲網という
-
Posted by ブクログ
第九の誕生から歴史を追ってたどっていて面白かった。
初演では利益が出なかったとか、演奏が難しく、また演奏時間も長いことからなかなか完全な形で演奏されなかったとか。
人の歓喜を歌う第九がヒトラーとナチスに利用された歴史も取り上げられている。
日本での第九の演奏についても取り上げられている。日本での初演は、1918年6月1日、四国の徳島の坂東俘虜収容所に収容されていたドイツ人捕虜たちによるもの。この収容所では西洋野菜が栽培され、ハムやベーコン、菓子などが作られ、それらの作り方や建物の設計建築などが日本人にも教えられ、日独文化交流が行われていたようです。
フルトヴェングラーは、「第九はあくまで「声楽 -
Posted by ブクログ
本書は三島を直接的に理解するための書ではない。三島が生きた最後の時代の雰囲気を、彼自身の死を通じて今に呼び起こす書となっている。
三島自決のニュースに直接触れたことのない世代にとって、三島は大変不思議な存在である。自衛隊基地での演説シーンが稀にテレビ流れるが、必ずといっていいほど具体的な解説はない。三島が大声で叫んでるな、でも聴衆から共感得てないぽいな、自衛隊決起を呼びかけるなんて極右の親玉みたいなものかな、そんな感想を持つ。一方で三島の著作を読めば、テレビで見た彼と同一人物が著したのだろうかと疑うほどの耽美的な文章が並ぶ。自分の中で矛盾する三島像をつくりあげ、いつの間にか「三島由紀夫問題」化 -
Posted by ブクログ
帯の「凡人がいちばん怖い」という言葉が全てを収斂しているなと、一読して感じました。
ヒトラー、スターリン、毛沢東の3名は、結局のところ、自身に正直に行動したというか、理性より感情が勝ったのかなと。
中間管理職とトップマネジメントの違いの様に、トップに立つと、時として目標達成のためには、我を通す必要性もあるかと思いますが。
この行き過ぎた”我”が”単なるワガママ”に、”公”から”私”に移行してしまったのが、この3名なのでしょうか。
しかし自分の様な凡人にも、こんなダイナミックな人生機会があるかもしれないと思って読むと、相当面白く読むことができます。
最終ページに明記している3名の出世術の要約版は -
Posted by ブクログ
一次資料を縦横無尽に読み込んだ力作。オビには「血湧き肉躍る時代」と書かれているが、ここで徹底して描写されているのは、フロントの迷走、選手の葛藤・苦悩といった阪神タイガースの暗部ばかりだ。戦略なき強化方針、投高打低…といった伝統は、今も連綿と受け継がれている。ファンとしては暗澹たる気分になる。
この期間、村山、江夏という球史に残るとてつもない選手を擁しながら優勝できなかったのは、単にV9巨人が強かったからだけではない。マネジメントの致命的な欠落があったからだろう。しかし彼らが光芒を放っていたのは、そういう汚泥の中だったからこそではないか…という気もしないでもない。