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当代の役者はいかなる歴史を背負って舞台に立っているのか? 明治から現在まで、血と家と藝が密接にからみあう歌舞伎の世界には、波瀾万丈の人間ドラマがあった。歌舞伎座の頂点を目指す七大名家の興亡を描きつくした大著。歌舞伎を観るのが、もっと面白くなる! (講談社現代新書)
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Posted by ブクログ
1265 446ページ これ分かる。宝塚ファン歴20年近いけど、宝塚ファンになりすぎると宝塚経営内の政治的なものが見えてくる時ある。ただ芸があるだけでは無理な世界観ていうか。舞台見るの好きな人なら分かると思うけど、宝塚出身の女優さんの一般の演劇界の信頼感って凄いんだろうなと思うし、海外の演劇界か...続きを読むらも信頼を寄せてる女優さんも多い。 歌舞伎界は女関係は大昔からえぐいし自殺もいっぱいあって怖くなった。昔からそういう世界観こそが歌舞伎界なんやね。 中川右介 1960年、東京都生まれ。早稲田大学第二文学部卒業。「クラシックジャーナル」編集長、出版社「アルファベータ」代表取締役。クラシック音楽への造詣の深さはもとより、歌舞伎、映画、歌謡曲などにも精通。膨大な資料から埋もれていた史実を掘り起こし、歴史に新しい光を当てる執筆スタイルで人気を博す。主な著書に『カラヤンとフルトヴェングラー』『十一代目團十郎と六代目歌右衛門』『坂東玉三郎』(いずれも幻冬舎新書)、『歌舞伎座誕生』『山口百恵』(ともに朝日文庫)、『悲劇の名門團十郎十二代』(文春新書)などがある。 歌舞伎 家と血と藝 (講談社現代新書) by 中川右介 第一部では明治から大正にかけて、歌舞伎座の歴史でいうと、初代(明治二十二~四十四年) と二代目(明治四十四~大正十年) を描く。 登場するのは四つの家で、まずは、市川團十郎家。歌舞伎役者の代名詞といっても過言ではない「團十郎」の歴史は、そのまま江戸歌舞伎の歴史である。三百五十年にわたるその歴史を述べ、歌舞伎における血と家と名、そして藝の継承がどのようになされていったかを見ていくが、第一部では初代から九代目の死までを描く。 五代目は、いい意味での典型的な御曹司で、家をよく守った。役者としても人気があったし、狂歌を趣味とする文化人でもあった。藝においても研究熱心だった。 三代目と六代目は、偶然にも二十二歳で病死し、ほとんど実績を遺せなかった。それでも、その死の時点でまだ先代が存命していたので後継者を決めることができ、市川宗家は続いた。 七代目は悲運と栄光の両極端の波瀾万丈の人生だった。七代目の時代は天保の改革にあたり、倹約令、風俗取締の強化が断行された。七代目はこの政策と衝突したため処罰され、江戸追放の憂き目にあった。後を託したはずの長男(八代目) の自殺もあった。さらに何度も結婚し、その他に妾が何人もいるなど女性関係は乱脈を極めた。 市川宗家の歴史での大きな悲劇、そして謎めいた事件として初代殺害事件と並ぶのが、嘉永七年(一八五四) の八代目の自殺である。初代の殺害も真相が分からないが、八代目の自殺もその理由が分からず、永遠の謎となっている。二枚目役者として人気があり、まだまだこれからという三十三歳での自殺だった。 菊五郎家の祖である初代について簡単に述べておくと、享保二年(一七一七)、京の生まれである。四条都萬太夫座の 出方(芝居小屋などで客を席に案内し、飲食物の世話する仕事) の音羽屋半平の子として生まれた。尾上家が現在も「音羽屋」という屋号なのはこれに由来する。尾上左門という役者の門弟となり、菊五郎を名乗った。寛保元年(一七四一)、二代目市川團十郎が大坂に来た時に共演し、それがきっかけで一緒に江戸へ行く。「江戸っ子」の粋の象徴のような菊五郎だが、家のルーツは関西なのだ。 梅幸は菊五郎を襲名できなかったことについて、公の場では不満を漏らしていない。しかし、明治三十九年に守田勘彌家で十三代目を誰にするかでお家騒動が勃発した際、長男でありながら弟に「勘彌」の名を取られ、「三津五郎」を襲名せざるをえなくなった八十助に、梅幸はこう言った。 「役者は名前ではない、腕だ。私だって養子ではあるが、五代目菊五郎の長男であるのに、梅幸という太鼓持のような、名前を附けられているのだから」 親しい八十助を慰めるための言葉だったかもしれないが、これが梅幸の本音だったとしたら、彼は不満を胸に秘めたまま梅幸を襲名したことになる。梅幸の本音は彼にしか分からない。彼は梅幸の名を受け入れ、弟が菊五郎となることに異議を唱えず、襲名披露に臨んだ。さらに後には、長男として継いだ家督も弟に譲る。 玉三郎は万博が終わった後、演劇視察のためニューヨークへ向かった。だが、翌三十八年、二十二歳の若さで急逝した。生きていれば日本女優史の創成期を飾る人になったに違いない。しかし、「坂東玉三郎」の名を大きな名跡にするのは彼女ではなく、昭和の後半に現れる五代目だった。 昭和十四年(一九三九) 二月に、突然「青年歌舞伎」は解散させられてしまうのだ。 その二年前の昭和十二年九月、十四代目は新派女優の水谷八重子と結婚した。十四代目は女にもてたので、八重子の周囲には反対する者が多かったが、強行したのである。 この十四代目の結婚によって「失恋」したのが青年歌舞伎の同僚、若き日の六代目歌右衛門(当時、福助) だった。歌右衛門はこの年、十八歳、十四代目は二十八歳である。二人の関係が実際のところどうだったのかは分からない。しかし、二人が舞台で恋人同士を演じていた時は、観ているほうが恥ずかしくなるくらいの熱愛ぶりだったという。それだけなら単なる噂話ですむ。 三升には市川宗家当主という権威はあるので、劇界としては粗末には扱えない。扱いに困る存在だったであろう。そんななかで三升と親しくしていたのが、七代目松本幸四郎だった。そして、彼には三人の男子がいた。そう、第九話で述べた三兄弟である。 昭和四年(一九二九) 四月、二十一歳になっていた幸四郎の長男・治雄は帝劇で九代目市川高麗蔵を襲名した。後の十一代目市川團十郎である。しかしその直後に結核で倒れてしまい、箱根へ転地療養、実に四年に及ぶ療養生活の後、昭和八年(一九三三) 四月に舞台復帰した。 復帰したものの、当時の治雄は「大根」と陰口を叩かれていたことが示すように低迷していた。いや、陰口ではない。公然と批判されていた。このままではいけないと思った治雄は、昭和十年(一九三五) に東宝が結成した新劇団に参加した。東宝は松竹のライバル会社なので、そこに移籍したことに父・幸四郎は怒り、治雄を勘当した。 この一族だけで興行が可能なくらい、人材は揃っているのだ。この一族に足りないのは、政治センスである。そんなものは役者には不要だと思うかもしれないが、どの劇場でどの演目のどの役をやらせてもらうかは、劇界政治によるところが大きい。あとは、運である。みな実力もあり、家族の人数は多いのに、政治センスと運に恵まれないがために、三代目時蔵の一族は苦労している。この政治センスのなさにおいては、三代目歌六の血が一族に色濃く流れているとも言える。 しかし孝夫と玉三郎の公演は毎月あるわけではなかった。歌舞伎座では歌右衛門帝政が続いており、玉三郎がどんなに人気があってもなかなか主役はまわってこない。当然、孝夫の出番も少なかった。「関西の名門・片岡仁左衛門家」というブランドは戦後の東京では通用しない。といって、関西は歌舞伎公演そのものが衰退していた。十三代目とその息子たちにとっての不遇時代は続いた。それでも彼らは地道に藝を磨き、いつか主流に躍り出る日を待っていた。 玉三郎の人気が出ると、松竹としても考えを変える。国立劇場に出させていたのではもったいない。せっかくのスターを自分の劇場で使いたい。だが、歌舞伎座には歌右衛門がいる。そこで、松竹系の劇場である新橋演舞場で玉三郎を中心とした興行を打つことになり、第十八話にも記したが、その相手役となったのが片岡孝夫(後、十五代目仁左衛門) だった。孝夫の父、十三代目仁左衛門と十四代目勘彌とは、かつての「青年歌舞伎」の同志で、その後もずっと親友だった。そして二人とも戦後の劇界では傍流となっていた。そういう親同士の関係もあったので、二人がコンビを組むことに何の問題もなかった。 昭和四十九年(一九七四) に玉三郎は戸籍上も十四代目の養子となった。この時点ではすでに若い美貌の女形として圧倒的な人気を得ていた。こうして養子・玉三郎の将来も見えてきたところで、昭和五十年(一九七五) 三月、十四代目守田勘彌は満六十八歳で亡くなっ この時点での玉三郎は、たしかに人気はあった。だが、歌舞伎座は六代目歌右衛門が君臨しており、玉三郎の出る幕はない。そこで新派と共演したり劇界の異端児となっていた三代目市川猿之助の一座と共演し、片岡孝夫などとの花形歌舞伎で実績を上げることで、彼は藝を磨き興行力もつけ、歌舞伎座立女形への道を歩んでいった。 玉三郎は結婚せず、当然、子もない。彼が十五代目守田勘彌となるのかどうかも、分からない。この、坂東玉三郎という当代随一の女形は、歌舞伎の可能性と限界と矛盾の象徴とも言える。 二十一世紀になってもなお、歌舞伎座の舞台では血統による世襲と門閥主義により、幹部役者の家に生まれた者でなければ主役を演じられない。逆に言えば、幹部の子として生まれればとりあえずチャンスは与えられ、誰の眼にも「あれはダメだ」と映らない限りは主役あるいは準主役として出ることができる。 そのなかにあって玉三郎は現在の幹部クラスのなかで数少ない、「大幹部」の「実子」ではない役者だ。このことは幹部の血縁でなくても才能と運があれば主役を勤められることの証拠ともいえる。しかし彼が今日のポジションに到達できたのは、徳川時代からの名門家の養子になったからでもある。その手続きを踏んでいなかったら彼の今日のポジションはない。 血統はないが名家の一員という矛盾を抱えながら、玉三郎は歌舞伎座の立女形という女形として最高のポジションに就いた。人間国宝にも認定されたし、海外での評価も高い。これは逆からみれば、昭和の名優たちの息子は、誰も玉三郎を凌ぐことができなかったことを意味する。 兄・吉右衛門はなんとなく十七代目に冷淡だったが、兄のライバルである六代目菊五郎は十七代目に優しかった。十七代目が楽屋で「妾の子」と呼ばれているのを知った菊五郎は、「ひがんじゃいけないよ。俺だって実は妾の子なんだよ。妾の子っていうのは、かえって出世するもんなんだよ」と言って慰めた。そして、こう付け加えた。「その証拠にはな、天子様をみな、畏れ多いが、お妾の子だよ」。大正天皇は明治天皇の側室の子だった。 この菊五郎のひと声が少年だった十七代目にとって大きな支えとなった。そして青年期になると、彼は兄・吉右衛門の目を盗んで菊五郎邸へ通うようにまでなるのだ。十七代目は血のつながる吉右衛門よりも菊五郎のほうに親近感を感じていた。藝の上での親近感もあっただろうが、人間同士のふれあいという面でも、菊五郎に親しみを感じたのだ。 しいていえば、吉右衛門が家柄と年齢の序列を乱している。俳優協会での藤十郎の会長は年功序列による名誉職で、理事長の菊五郎がトップだ。しかし、日本の組織は(諸外国もそうなのかもしれないが)、トップは象徴的なもので実権はナンバーツーかスリーが握る構造が多い。天皇がいて総理大臣がいるが、実際の内閣の実務は官房長官が取り仕切る。企業においても会長、社長の次の専務が実権を握っている会社は多いだろう。その意味で、吉右衛門が、年長の仁左衛門や幸四郎を押し退けて専務理事となっているのは、何らかの政治を窺わせる。藤十郎はお飾りの会長、菊五郎も年功と名門家ということでの理事長で、半ば自動的に就任した。吉右衛門のみが、年長者と名門家を押し退けての専務理事だ。
江戸時代から平成の世まで、歌舞伎の家、血、藝を巡ったハードな人間模様が描かれていました。現役で活躍されている歌舞伎役者の方々の名前が持つ重さを感じます。中村福助さんの歌右衛門襲名が本当に大変なことだということが分かりました。
まだ歌舞伎を「鳴神(中村橋之助)」、義経千本桜の三段目「鮨屋の段(片岡仁左衛門)」しか劇場で観ていません。でも本書の内容はとても面白く読めました。簡単な家系図付きで読んでいくと「あ〜、こういう家の、血、藝のつながりがあるんだな〜」と分かってきます。歌舞伎を観ていない人でも、ぐいぐい読ませていく本かと...続きを読む。知っている人が読めば、なお読ませる本かな。
縦横斜め前後左右に複雑に絡み合った歌舞伎界の名家の興亡の歴史が楽しめる。藝の話はないが、その代わり超大河ドラマをみているような感じである。 「えっ、あの人とこの人がそういう関係だったの?!」といった話がある一方で、ドロドロとした下世話な話はない。あくまで通史といった感じか。
歌舞伎を芸事以外の目線で見ればこう見えるのか、と感心した。明らかにこの後、自分の役者への見方が変わった。
色々と賛否両論あるようですが、個人的には、今活躍されている役者さんの関係図や、それぞれの名前の意味するところがよくわかって、とても勉強になりました。
歌舞伎の名家の血筋と藝が明治以降どのように継承されてきたかを描いている。血筋、藝と人気も大事だが、その家が栄えるためには、政治力も必要だとの指摘には驚いた。明治以前は養子を取るのが当たり前だったが、明治以降は、男系の男子による血統が重視されるようになったとは、意外である。血筋、藝、人気を兼ね備えてい...続きを読むた勘三郎の死がいかに大きな衝撃だったかも良く理解できた。
歌舞伎に興味を持つようになって最初の疑問が家系だった私には、この上なく魅力的な一冊だった。 思うこと、感じることはたくさんあるが、新米歌舞伎ファンとしては、家を継いだ役者さんも、血を受け継いでる役者さんも、藝を引き継いでいる役者さんもそれぞれ輝いて、もっと歌舞伎が盛り上がれば良いな、と。 この本が出...続きを読むた後に、三津五郎が入院したり、福助が歌右衛門を襲名することになったり、変化がどんどんあるので、新しい動きについても、いつか本が出ることを期待している。
明治~現在までの歌舞伎役者の権力闘争についての歴史の本。登場人物が多すぎて、同じ人でも名前が変わるし、しかも襲名するから同じ名前の人ばっかり出てくるしで、昨日読んだ箇所をまた読まないと前に進めない難しさはありましたが、よくまあこの膨大で複雑な物語を一冊にまとめてくれたと思います。新書にしてはさすがに...続きを読む厚い。 省略なしの大家系図でも付録についていたら良かったけれど、お手軽な新書形式であることも本としての魅力のひとつなので、多くは望むまい。むしろ、大家系図を作る作業を自分でやったらすごく勉強になりそうだ(何の勉強だ…)。 つい今年、なんの知識もなしに出会った歌舞伎でわーっと好きになったにわかファンの私。「荒事と和事」とか「だんまり」とか「大向こう」とか、観賞の上での基礎知識を貪り食うように取り込む季節を経て、次は演じる人々の背景が気になってきたお年頃。市川団十郎ってどうも権威があるらしいけどどういうこと?とか、どうして松本幸四郎の息子が市川染五郎なの?とか、同じ市川や中村でも人気や偉さ(?)にずいぶん差があるようだが何か決まりがあるのか?とか、松竹って何様?とか。そんな今の私にうってつけの本でした。2013年8月出版という同時代感も良かった。(福助の歌右衛門襲名は、筆者は予期していなかったけどね!) 筆者の中川右介さん、歌舞伎の他にもいろんな文科系分野の著書があり、面白そう。
歌舞伎界のあれこれ総ざらい。音羽屋、鳴駒屋などのいわれから襲名に纏わるあれこれ、なかなかに読み応えのある本。かなりいろんな事が分かる読み応えのある本。
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