中川右介のレビュー一覧
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I will follow you あなたと同じ青春走ってゆきたいの
この新書を読んでの偽らざる感想。
今や64歳の私だが、1980年代は、間違いなく松田聖子と一緒に青春を走っていた。
もちろん私だけの一方通行、片想いではあるが。
1980年18歳「裸足の季節」でデビューした松田聖子。私はその時18歳大学1年生。
同じ学年、なのだ。
2曲目、「青い珊瑚礁」の大ブレイク。
私は当時の貸しレコード屋でアルバムを借り、カセットテープにダビングした。
いや、最初のアルバムは、家庭教師先の子が買ってたのを借りたんだっけか。
2枚目のアルバム以降は間違いなく貸しレコード屋。
そしてカセットテープは擦り切れるほど聞いた。
当時載っていたブルーバードのカーステレオで。
なので、、
この新書には松田聖子の歌が、というか、ほぼ松本隆の詞が、
これでもかと載っているのだが、
脳内再生はばっちりだった。頭の中は聖子の歌声でいっぱいだった。
読まずとも歌詞を覚えていた。
シングル以外でも。
ファンだったんだな、改めて。
一、二度聴けば歌えたもんな。
「風立ちぬ」は変な歌だ、と思ったものだ。歌いにくいったらありゃしない。
でも覚えたな。
「赤いスイートピー」に至っては、失恋とほぼ同時期で、、、
やけになって風呂でうたってた気がする。
2年遅れてデビューした中森明菜もそれなりに聞いていたし、歌も覚えていた。
ザ・ベストテンも結構見ていたのかな。
寺尾聡の大ヒット、特別シートも知っている。
あの頃実家でどうやって見てたんだろう。
ここに描かれている「第一位」争い、だいぶ追いかけてたような気がする。
でもそれも1984年まで。
社会人になった途端、残業残業でテレビどころではなくなった。
しかも松田聖子自身アイドル路線からシフトしつつあり、
LPも追いかけなくなった。
学生時代一緒に追いかけていた友人が遠くに行ってしまったのも大きいか。
1985年には私自身が結婚したし。
この新書は1980年代をトレースしてくれた。
物語は山口百恵から始まるので、70年代後半。
私は麻丘めぐみが好きだったが、ここではほとんど取り上げられず。
キャンディーズの引退騒動、ピンクレディの破竹の勢い、懐かしい。
そのあとに聖子が登場、82年組が続き、、、
毎年のレコード大賞受賞者、紅白出場歌手、レコード売り上げを見れば、
その年がわかろうというもの。
ジュディオングの「魅せられて」のレコード大賞にも触れていたが、
この年本当に大ヒットしたのはさだまさしの「関白宣言」だったよな。
こちらは全く取り上げられず。
80年暮れにはまだ当時新宿のほうにあった文化放送の建物の中で行われた
松田聖子のミニコンサートに当選して、聖子ちゃんに両手で握手してもらって、
「両手で聖子」ってサイン入り本をもらったのも懐かしい。
結婚して捨てちゃったけど、、
とにかく、松田聖子の歌は歌えた。アルバム Tinker Bellまで。1984年。
1980 SQUALL、North Wind、
1981 Silhouette、風立ちぬ、
1982 Pineapple、Candy、
1983 ユートピア、Canary
1984 Tinker Bell
single
1980 裸足の季節 青い珊瑚礁 風は秋色
1981 チェリーブラッサム 夏の扉 風立ちぬ
1982 赤いスイートピー 渚のバルコニー 小麦色のマーメイド 野ばらのエチュード
1983 秘密の花園 天国のキッス ガラスの林檎
1984 時間の国のアリス ピンクのモーツアルト ハートのイヤリング
1985 天使のウインク
大賞は演歌だけ、という空気を松田聖子や田原俊彦が壊しにかかり、
やっと中森明菜で実現した、ってのがなんともいいね。
プロローグ
第一章 夜明け前―1973年~79年
第二章 遅れてきたアイドル―1980年
第三章 忍び寄る真のライバル―1981年
第四章 阻まれた独走―1982年
第五章 激突―1983年
第六章 前衛と孤独―1984年
第七章 華燭と大賞―1985年
第八章 緩やかな下降線―1986年~88年
第九章 昭和の終わりとともに―1989年 -
Posted by ブクログ
中川右介の本が「やめられない止まらない」状態になるのは、「知っているつもり」の出来事が、その奥になる「知らなかった」出来事や、その横にある「関係ない」と思っていた出来事と繋がって「知っているのに知らなかった」物語として立ち上がるからです。いわば中川右介バタフライエフェクト。この本棚でも今まで『松田聖子と中森明菜』『江戸川乱歩と横溝正史』『阿久悠と松本隆』のような「二人で一つの物語」もの、とか『プロ野球「経営」全史』『社長たちの映画史』のような産業群像もの、とか昭和の点を線にする著作を楽しんできました。今回は、手塚治虫と「劇画工房」、永島慎二とつげ義春、水木しげると白土三平、マガジンとサンデー、ガロとCOM、少年と青年…その他、数々の二項対立を設定しながら、漫画と劇画の生成におけるドラマを描いていきます。先日、NHK熱談プレイバック第2弾で手塚治虫が取り上げられていましたが、その30分では捉えられない豊穣なストラグルがこの本では取り上げられていました。手塚治虫の偉大な業績に対する距離感、あるいは無関心、手塚自身の手塚マンガを乗り越えていく次世代への嫉妬、ものすごいエネルギーでした。そこに一貫しているのは、持てる階層のクリエーションと持たざるもののクリエーションを合わせ呑んでいるいることが漫画を大きな社会的存在にしたという視点なのかな?と想像しました。
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Posted by ブクログ
あまり期待してなかったんですがまぁなんと面白いこと!デビュー前から1978末までのジュリーを事細かに追っていくんですが当然レコード売上や賞レース、GSの人気メンバーや作詞家作曲家、芸能事務所、レコード会社、ライバルとなるアイドル達の描写にもページをかなり割くわけで、それがいちいち怖くていい。
普段は備忘録として長々書くんですけどこの本はオモロポイントが多すぎて書くのは無理。
手元に置いて読み返すしかないですね。
とはいえざっくり書いときます。なんせ忘れっぽいので。
まずデビュー前ですがとんとん拍子に進んでいきますね。勿論他にもあっという間にスターになった人達(しかも本人はやる気ないのにスカウトで半ば無理矢理)は沢山いるんでしょうけどバンドそのままでこのスピード感は時代とジュリーのカリスマなんでしょうねぇ。両性具有のようなあの顔と艶かしい身体のライン。
エレキギターブームを「ふーん」と横目で見ていたであろうナベプロ、他事務所はしてやったり、時代は俺たちに!なんて思ってたのかも知れませんが主役は最後に登場するもんで。結局タイガースが全部持っていってGS代名詞になるんだもんなぁ。
GS時代で特筆すべきは佐藤栄作別荘に呼ばれるくだりと、ジャニーのとこですかね。
いやーここだけでもこの本の価値がありますよ。
「金と権力」
このための性行為でもあるし、性行為のためのこれでもあるし。
世の中全て「脅し、ゆすり、たかり」で回っていて燃料は「嫉妬」。褒美は「金と権力」なんだけど真の目的は「性行為」とかですかね。
この2つのエピソード(ともにさらっと書いてあるだけですが)からも私の認識がさほど間違ってないなーと思えました。
子供の頃堺正章と井上順がかくし芸大会の大トリのような扱いであることに「???」という感じだったんですが、内田裕也しかり、堺正章しかり、井上順しかり、井上堯之しかり、大野克夫しかり、加瀬邦彦しかり、その前のホリプロ、ナベプロ、マナセ、田辺エージェンシー、ジャニーズなどなど、なるほどねーーーーという感じ。
GSからソロになるあたりもナベプロへの悪意ある描写がいいですねー。書いてあることは本当なんでしょうけども所属タレントを使い捨てのおもちゃとして扱うのはきっとどこも同じなのでは?と思ったり。特にギャラの配分はナベプロが法規制の網を掻い潜るために企画演出云々とありましたが吉本だって同じようなもんでしょうし。他事務所が数倍って言っても結局10-20パーとか?半分てことはないでしょ。
あとタイガースを個人契約にしてたのも事務所としては当たり前ですよね。バンドは音楽性の違いとか何とか言い出しやすいし、病気や怪我で1人抜けたりCMやドラマが来ても配分がムズイ。最初から欲しいのはジュリーだけだったでしょうし。
てか伊東ゆかり強くね?(アグネスも)
1973では五木陣営との口喧嘩がいい。
特に徳間の宣伝部長「ミーちゃんハーちゃんだけに騒がれてる歌手が多い中で幅広い支持の五木は贔屓目に言っても日本一」に対してポリドールの宣伝課長「売上が上なこと、品格、説得力、五木とは互角ではない」と言い切るとこなんて痺れるし、更には山口洋子と安井かずみの舌戦もいい。
(平尾昌晃と加瀬邦彦はまぁ綺麗よね。五木とジュリー本人たちも。大人。)
1974年末、久世光彦から「ジュリーでドラマを一緒にやろう」と持ちかけられた阿久悠。ジュリーには手紙形式でラブコールを雑誌に書いていた。
「歌が密室化して注射のよう。歌に翼、炎、剣、花を持たせ自由に大胆に細心に飛び回らせよう!あなたの使命だ」
「ありそうな形をした嘘よりも、ありそうもない姿をした真実を描く方がズーッと誠実だと信じています。壮大な嘘の顔をした真実を、壮大なまやかしの振りをして歌ってみませんか?」
ここでは要約して書きましたが阿久悠の原文はさすがofさすが。文章に骨がありますよね。技巧なんか気にせず伝えたいことをまんま書いてんだけどそれがきちっと整列してるしバランスも取れてる。何より耳障りがいいんよ。
ジュリーがフランスや西ドイツでデビューしてたなんて全く知りませんでした。日本語逆輸入のシングル「巴里にひとり」いい歌ですね。
コンサートで「嫁です」ってウェディングドレスの新妻を紹介するのが鬼畜。ジュリーのファンってコンサート途中でやめても「うちの研二はむずかしいから」と鷹揚なんだけど若い時から鍛えられてたのね。頭突き事件とか色々。
天地真理についての描写が淡々としてて芸能界の怖さがよーく伝わる。渡辺美佐の「お前はもう要らないよ」ってのが聞こえてきそう。
先日読んだレコ大の本で長年の「なんでレコ大ってあんな権威あったの?」という疑問が晴れたのですが、この本でもう一段理解が深まりました。
フジテレビ、昔から下品なんだなぁ。
(テレビマンにとって下品は褒め言葉でしょうけど)
また百恵が賞に縁遠いのはCBSソニーが洗練されてるからとの分析。まぁそうなのかも。じゃあオングが獲れたのは何でかねってことになるわけで(残るは事務所。新栄でしたっけ?サブちゃんとかいたのかな。1979は秀樹、芸映との一騎打ち。小西良太郎の記憶にも新しいところでしたよね。両社の「呼びかけ」が。)聖子ちゃんもソニーでなければ獲れてたかな(スイメモを最初からA面で出してれば)
本人は歌唱賞で友和からの電話に泣いてくらいだし欲しかったのかもだけどね。なんせ賞が獲れないから。秋桜、プレバ、いい日とか。もし1-2年発売が遅れてたら文句なく横須賀。もしくはA面で出してたら曼珠沙華。でも作詞も楽曲も美しいのは美サイ。
ジュリーの本でしたね。はい。
1978のサムライなんですが。
「片手にピストル心に花束」あれ?なんか既視感が。1977のギャル「薔薇にピストル」のコンセプトなのでは?今まで気づかんかったわ。
この「熱いのと冷たいの」「辛いのと甘いの」は阿久悠の好きなコンセプトなんでしょうね。
1977では「薔薇の花とピストルならどちらがお好き」と甘辛を並列してたのが1978では「片手にピストル心に花束」と甘辛をフィジカルとメンタルにクロスオーバーして進化させてるのか。
ホステスさんがイヤリングを外す仕草を反対の手でやるように、阿久悠もこういう「捻り」を入れることで刺してくるよね。ネジ方式。
鉤十字の衣装について当時のデザイナーや関係者のコメントがあるけど、どれも言い訳じみてダサい。まぁ今聞いたら素直に自身の無知さを恥じるのかも知れないけど。野坂昭如の反応がカッコいいし私もこうありたい。
後半オモロいのはジュリーというよりもピンク。
事務所は89◯で金だけの無計画集団、さらに日テレの第一制作部長の悪だくみと。彼女達が売れたのはいいとしても、事務所が悪すぎたなぁ。でも大手だったらあの振り付けはなかっただろうしなぁ。
レコ大審査員の買収の仕方もいい。
ノーツに対する報酬を数倍、さらにラスベガス公演や海外録音への取材招待と。
この辺は証拠に残るものだからこれにプラスして色々あるんでしょうねぇ。とはいえT &Cにはタレントの卵はさほどいないでしょうけど。
歌謡大賞やレコ大の候補者を決める決選投票のデータが良かった。リアルタイムで観たかった。
てか歌謡大賞候補10曲にDo it bang bangの郁恵ってどういうこと??????(郁恵ちゃんは好きですよ)
1978のオリコンとベストテンの1位比較表もいい。てか数年分欲しい。誰か作ってくれ。chat GPTに頼んだらやってくれるかな。
軽く書くつもりがちょっと長くなってしまいましたが。これでもこの本を読んだ感想としては15%くらいに抑えてます。(全部書いたら指がもげる)
ジュリーのファンの方は「1978までってどういうことやねん」でしょうし、私も「6番目のユウウツまではベストテンとかにも入って売れてたんだからここまでやったらいいのに。てかパラシュート背負って歌うのを触れないの?それって堀ちえみのワッショイに触れないようなもんじゃん?」とは思ったんですがそんなことしたら上中下巻になるでしょうしね。ただでさえ500ページ超えてるのに。
とりあえずジュリーの曲を復習しよう。
PS 五木ひろしとジュリーのレコ大レースの中で「今まで2回獲った者はいない」とありますが橋幸夫が聞いたら怒ると思いますよ。 -
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オーナービジネスと産業興亡史
プロ野球の歴史、オーナーがどう変わってどの様に関わったか。
スポーツビジネスに関わるものにとって必読書、温故知新。
■概要
400ページを超える長編で、戦前どころか明治時代から野球、職業野球→プロ野球に関する歴史を整理。
プロ野球の球団増減、オーナーチェンジの歴史が全網羅されているだけでなく、オーナー企業の「経営者」や周囲の人間にもスポットがあたっており、なぜ球団を持ちたいのか、球団を持ってどうしたかったのか、が滲み出てくる
■感想
・球団の歴史日本の産業変遷や生活の変遷そのもの
とはよく言ったもので、新聞や鉄道、映画、鯨肉→加工肉、IT企業の隆興などの解像度がよくわかる。
・スタジアムとの一体経営★
1950年から今でいうボールパーク構想はあったし、スタジアムと球団の一体経営は模索されてきた。ただその重要性より、建設コスト(というより資金調達)の合理性が優先されてきたこともあり、一体経営が出来なかった球団は収益化に行き詰まった。ソフトバンクやDeNAは最終的にスタジアムの所有権(または運営権)を取得するという投資判断に踏み切ったし、23年に開業したエスコンフィールド北海道(札幌ドームから日本ハムが移転)のやり取りは『アンビシャス』(鈴木忠平 著)に詳しく記載されている。
当時はソフトとハードの一体経営の重要性を知らなかった、というだけでなく「知っていたが安きに流れた」という方が近いかもしれない。それで言うと、今のBリーグは同じ轍を踏みかねないのではないか?と危惧している。
プロ野球は巨人(東京ドーム)とヤクルト(明治神宮野球場)を除き、全球団が球場の運営権を持っている。※阪神や中日など親会社の球場所有を含む
・マーケティングという幹と、戦略という根
プロ野球が不滅の人気スポーツであり、再成長しているのはパリーグの全体最適や広島・DeNAの地域密着による「底上げ」が大きい。年間試合数が違うとはいえ、入場者数2,000万人超えで1試合平均でも2〜3万はバケモノコンテンツ。その裏には、単なるマーケティングの成功だけでなく、「球場を押さえる」という"戦略"が効いているのかもしれない
・正力イズムと親会社広告宣伝モデル
球団ではマネタイズ(というより黒字化)せず、球団は親会社の広告宣伝費として位置付け、グループで儲けるのであれば、後楽園や東京ドームの様な貸館でも良かったのかもしれない。ただ、それで限界が来たのが阪急や近鉄。そのモデルから脱却したいのであれば、球場と球団の一体経営は不可避。 -
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のっけからオモロいのよ。予想はしてたけど。
阿久悠と松本隆を軸に辿る歌謡曲歴史本。
「百恵と昌子はそんなに仲が良くない」とか断言しちゃうし、昌子のデビュー以降の下降と淳子百恵の初期デットヒート(冬色vsはじ出来)もデータを使ってシンプルかつデジタルに表現してていい。
ところどころ挟まれる阿久悠及び松本隆のコメントもその時期によってニュアンスがかなり異なるものを併記してあったり、事実を丁寧に拾うことで逆に幅というかボカシが入って読みやすい。
「とてもテレビに出られるようなルックスではなかった」小坂明子の才能「のみ」を大衆が受け入れたこと、バラとパンジーと子犬とあなたが同格に扱われ男の矮小化暗示を読み取った阿久悠はさすが。
静岡の二人組がスタ誕東京予選に潜り込むカラクリも詳しい。「当時の歌の教師の友人が日テレ池田Pの嫁の親戚」つまり「赤の他人」をコネとツテと考え入院中の池田に直談判。こないだ1968紅白観てる時も思ったけど昔の芸能人は美貌や才能のみならず、メンタルからしてバケモノ揃い。クッキーもやはりヤバいよね。
世間で広く言われている「スタ誕のきっかけ」が日テレとナベプロの仲違いではないと詳しく解説。
確かにこの本の通りであれば両者の決裂は71年ではなく73年となるし、当初ナベプロがスタ誕に参加していたことも辻褄が合う。そこまでしてやって得られたのがあいざき進也だけなら目も当てられないが、後続番組で太田裕美を得たのであれば事務所としても業界としてもまぁうん。
1976年初頭、およたいのせいで3週連続2位だった白い約束。その後横須賀で1位を5週続け秋にはおよたいの作曲家を迎えてパルゆれで1位(これも5週)。続く赤衝も同じ佐瀬寿一。そして彼は1982年イマ翳や銀伝も。(後ろから前からも)
およたいの作曲家をその年に使ってくるのはさすが酒井and川瀬。
77-78年を百恵vs阿久悠(百恵より上位のピンク沢田、同世代ライバルの淳子岩崎石川)と評する。なるほど。さゆりを入れるのはちと無理があるけれどホリプロ3人娘だし昌子の代わりか。
阿久悠がジュリーに託したハンフリーボガードの痩せ我慢の美学、松本隆が原田真二に託したジェームスディーンの傷つきやすさ、とはまぁうまいこといいますね。てか70歳オーバーの方々って原田真二が美少年だったって仰いますけど。うーん。そうね、うん。うーーーん。でもそれまでにも小林旭とか三田明とか草刈正雄とかいたでしょう?美のホンモノが。
松本隆の「花しぐれ」「リップスティック」「パープルシャドウ」全て1978年。(リだけ筒美、あとは都倉)この3曲はどれも心鷲掴みソングだけどそりゃそうだよなって感じ。
歌詞に勝手にもシンドバッドも出てこない。天才ってこういう角度と速度でふらふらっと来るんですよねぇ。一方たそがれマイラブも歌詞に一切出てこないけどこちらは阿久悠の「思い出せない」がタイトル変更させられたと。色々ありますね。
1978レコ大での百恵の後ろ姿を阿久悠は「喪服のような黒いドレス、凍てつく気配、受賞者を道化にしてしまうほどの矜持の証明」と回顧。百恵も事前インタビューで「もらえるなら欲しい。歌わされる歌手から歌う歌手になったならファンやスタッフのおかげ、そのためにも」と。
なんなんだよ百恵。これ以上好きにさせないでくれよ。
ただピンク紅白ボイコットに対する紅白側の防御?予防的報復?はいくらなんでも言い過ぎなのでは?「この年の新人はなんと11組!」ってアンタ。1977も1979も10組だし。言いがかりでしょこれは。結果日テレは惨敗してるし。
1979年1月のカメアミがピンクと阿久悠にとっての最後の1位。その年の5月にはTop20に阿久悠の歌がゼロの週を迎える。知らなんだ。阿久悠の名曲はこの後も続くけれど(舟唄とか雨の慕情とか)これまで時代そのものを作ってきた彼の歌詞も文字通り70年代で終わるんだなぁ。本人も「全力スイングしてるのに空気を切る音しかしない」と。
著者が言うように80年代以降の作曲家と組まなかったからというのが敗因のひとつか。ニューミュージックやシンガーソングライターの台頭もあったとはいえ、松本隆はその後もずっとトップな訳だし。やはり作曲家の方がコントロールを持ってんだろか。その曲が売れるには作曲家、残るには作詞家なのかな。
松本隆の初1位がセクバイなのも驚き。阿久悠の最後の1位と同じ年なのね。CMタイアップのためセクバイNo1は変えられないフレーズ当初ダサいフレーズに拒否反応を示し最後に1回しか入れてなかったのを連呼する。「ダサさを恐れないことを学んだ」と松本隆。
ダンディズムの表現に際し大掛かりな舞台装置を必要としたフィクションの阿久悠(カサダン)、女々しい都会的な男の日常の松本隆(ルビ指)
最後の章では聖子とマッチ、時々ひろ子キョンキョンの顔ぶれで松本隆の1位曲列挙で始まる。
12歳差の天才作詞家の頂点をパラレルに紹介してんのかなと思いきや、自身編纂のベストアルバムに話が移る。年代順やカテゴリー別になっている阿久悠と発売日よテーマもわざとバラバラの松本隆。(どう考えてもこっちの方が面倒)
著者は「自分の作品は時代とかテーマとか関係ない」という松本隆の主張を感じ取る。まるで聖子が80年代を代表するアイドルと言われながらも永遠のアイドルとなることでその時代を無意味化するように。と。作詞の仕事がなくなってからの晩年、阿久悠は自身が間違っていなかった確認するかのように執筆、翻って松本隆は自叙伝や回顧録など出していない。
ここもグッとくる分析だなー。阿久悠は自身の15ヶ条にあるようにひばりで完成されたとする歌謡曲の新しい形を模索して「歌謡曲っぽくないもの」を作っていったんだけど、結局その時代を作って、時代を反映してみたいな感じなんでしょうね。ところが松本隆は「すみれひまわりフリージア」「ディンギー」と訳の分からない意味不明羅列や誰も知らない単語でなんとなく行っちゃう。
光り輝く歌手や歌は「その時代」の代表者と言われるけども、その時代が過ぎてもまだ光っていれば「あれ?時代関係なくない?」となる。これは阿久悠のもそうなんだけど、作り手にその気持ちがあるかないかはやはり最後の角度が違ってくるような。
歌と時代が密接な関係にあった70年代までと、売れたかどうかの相対的関係の80年代以降。
なるほどね。
なんだけども。
やはり組む作曲家、もっというとジャニーズと近いかどうかは大きな意味を持つような。
松本隆の歌詞だって今から24年前、2000年であっても「古めかしい」のが味だったわけで。阿久悠と筒美京平でキンキやSMAPに提供すれば充分にミリオン出せたと思うけども。
もちろんところどころ「違いますよそれ」というのもあるので、私がびっくりしたポイントも間違いなのかも知れない。でも当時のタレント本人だけでなく事務所やレコード会社などの思惑を想像出来て楽しかった。出来ることなら大物作詞家作曲家やトップアイドル同士の売上戦争に挟まれてキュウキュウ言いたい。「その週は百恵が出してきますよ」みたいな。10日だと血尿出るだろうから1週間で。 -
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実録!という感じで、筆者の感情的なものを抑えた文体で、淡々と端的でとても読みやすい。くどくない程度に、流れを反復して説明を重ねてあるのも親切。だが!!なかなかの登場人物数。そして特に1部・2部あたりは映画会社がくっついたり離れたり、相当複雑な動きをするので、完全に理解したかと言えばそうでもない。けれど、章ごとの展開を追うだけでも十分ドラマティックで楽しめる。歌舞伎に始まる同族経営の松竹と、近代的経営の東宝、泥っぽい東映、菊池寛など文芸人を重役に置く大映…と、各社の個性もよくわかる。3部・4部は、「日本人が最も多く映画館へ行った年ー1958年」など1年ごとにまとめられていき、崩壊へのカウントダウンに手に汗握る。そもそも興業的で山師的だった映画界。水の江瀧子と女優さん以外、女性がまったく出てこないギラギラした男社会。キーになる五社協定のことは知ってはいたが、それにより不遇な扱いを受けた俳優さんや作品のあまりの多さ、あまりの理不尽さに驚く。これまで表から見ていた作品が、こんな綱渡りで作られていたのか!交換条件で出演していたんだ!と、知らなかった事情も浮き彫りになって、見方が変わってくる。三船、勝、石原ら独立プロのスターたちの純粋さ、無知さ、映画愛にも胸が痛む。最後に、市川雷蔵ファンとしては、352ページの眠狂四郎が誤字で狂死郎となっていることを申告。
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Posted by ブクログ
長年のクラシック音楽ファンであれば、ほとんど知っている話ばかりだが、わりとしっかりと、それでいて要点を押さえて一冊の文庫本にまとめてある。かつては三浦淳史さんあたりがレコード芸術に紹介していたような話だが、近頃は見かけなくなっている。(いまは熱心な読者ではないので断言はできないが)
クラシック音楽を聞く若い方には、過去の演奏家たちがどう戦争・政治に向き合ってきたか、現代史の一面を知る意味でも手に取ってもらいたい本です。
あとがきを見ると、連載から単行本にする際に手を入れ、文庫化するにあたっては大幅に加筆・修正を入れているようで、読みやすい日本語にもなっていて、しかも録音の紹介、年表も整備されていて、かなり誠実に作られています。