【感想・ネタバレ】萩尾望都と竹宮惠子 大泉サロンの少女マンガ革命のレビュー

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ネタバレ

大天才を間近に見る天才はつらい (-_-メ)

どうしょうもなくなった私は萩尾さんに
「距離を置きたい」と告げる(竹宮惠子)
竹宮惠子と萩尾望都、少女漫画史に刻まれる
大泉サロン(竹宮・萩尾・増山と信望者達の家)
を閉じてから少し経った頃であった
三人の苦しさを表した作品
ロンドカプリチオーソ(一度読んで記憶にない)

アーカイブ的にもすげえ

1947年生まれ(名前・デビュー年・好きな作品)
池田理代子  1967 オルフェスの窓・ベルばら
山岸凉子   1969 日出処の天子・アラベスク
大島弓子   1968 綿の国星
1948年生まれ
里中満智子  1964 アリエスの乙女たち
青池保子   1963 エルファルコン-鷹-・エロイカ
木原敏江   1969 摩利と新吾
大和和紀   1966 イシュタルの娘・あさきゆめみし
萩尾望都   1969 ポーの一族・スターレッド
1949年生まれ
樹村みのり  1964  読んでいたが作品不明
山田ミネコ  1971  未見
岸裕子    1966  未見
一条ゆかり  1968  砂の城・こいきな奴ら
1950年生まれ
竹宮惠子   1967  地球へ・天馬の血族
ささやななえ 1970  獄門島
庄司陽子   1968  生徒諸君!・レッツ豪徳寺
いがらしゆみこ1968  キャンディキャンディ
美内すずえ  1967  ガラスの仮面

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2021年03月20日

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面白い。戦後の日本の歩みと漫画の歴史を俯瞰して書いている。
名前の出てくる漫画家がスター級ばかり。大物列伝の歩みや、盛衰が描かれているが、その中でも少女漫画の大御所、萩尾望都と竹宮惠子の人間関係を書いた…が、そこは書かないほうが良かった。
漫画に夢や反体制の意味づけがされた時代や、その後など、群像劇としては素晴らしく面白いのに、人間関係になるといきなり下世話になる。
一つの漫画を取り上げて、変な深読みした挙句、日本の革命は二十代の女性が起こす、とか、おっさんな結論。
有名税とはいえ、ここまで勘繰っていろいろ詮索されるのは苦痛だろうと、萩尾望都と竹宮惠子に同情した。そもそも
傑作を描いたのはこの2人だけではない。
戦後の群像劇、社会の変革期の躍動感、そんな雰囲気はいきいきと伝わってくるので、本としては面白かった。

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2023年05月09日

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一気に読んだ。様々な漫画家の作品と彼女らが何歳で出会ったか、丹念に調べて細かく書いてあり大変分かりやすい。2人だけでなく山岸凉子、大島弓子、坂田靖子ら他の漫画家達の記述も詳しい。竹宮惠子「少年の名はジルベール」読んでたので激しく肯く箇所が多かった

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2020年09月03日

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萩尾望都、竹宮恵子を中心に70年代における「少女マンガ革命」を時系列にたどる本。萩尾望都、竹宮恵子ともに存命なのに本人への直接的な取材がないのが残念。単なる事実の羅列だけでなく、萩尾望都、竹宮恵子、増山法恵の3人の関係性や確執について憶測を交えて語るのであればなおさら。
とわいえ、戦後の少女マンガを通史として知るには良い内容の本だと思う。

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2020年05月06日

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前半はともかく、『一度きりの~』が出たあとに書かれていたら、副題にある大泉サロンについてはずいぶん違った内容になっていたんだろうなあ、と。

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2023年12月03日

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いわゆる「二十四年組」を代表する二人のマンガ家である萩尾望都と竹宮惠子が、1970年秋から2年間にわたって共同生活をおこなった「大泉サロン」に焦点をあてて、彼女たちが成し遂げた「少女マンガ革命」について論じた本です。

著者がかなりおおざっぱな解釈の図式をもち込んだためにある種の愛好家たちの憤激を招いた例は、すでに『歌舞伎―家と血と藝』(講談社現代新書)がありますが、本書もさまざまな毀誉褒貶を呼び起こしているようです。

著者のいう「少女マンガ革命」は、直接には増山法恵のことばにもとづいているようですが、手塚治虫や石ノ森章太郎らの影響を受けた新しい世代の作家たちが、旧来の少女マンガの硬直したスタイルを脱したというおおざっぱなものです。ただ、増山の発言から「意識革命」ということばを引用していることを見ると、大きな時代の動きのようなものを前提に、少女マンガという世界における「革命」を理解しようとしているように思われます。こうした解釈の図式は、陳腐という批判はありえるでしょうが、著者に特殊な見かたというわけではないでしょう。

また著者は、竹宮の『ホットミルクはいかが?』や『ロンド・カプリチオーソ』といった作品の内容から、その「作者」についての解釈を引き出しています。これは、本書が「大泉サロン」での事実を策定することをめざしたノン・フィクション作品ではなく、作品の解釈から「少女マンガ革命」のなかで二人のマンガ家が演じた役割について解釈をおこなう評論であることを証明しているとみなすことができます。本書に記されているのは、こうした観点から語られた著者の意見であり、当然のことながら批判に対して開かれているものです。

なお、本書刊行後に一方の当事者である萩尾の『一度きりの大泉の話』(河出書房新社)が刊行されました。これによって著者の意見が変化するのか、あるいはそれにもかかわらず変化しないのかわかりませんが、著者の他の本と同様に文庫化の際に増補がなされることを望んでいます。

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2021年08月31日

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少女マンガ大泉サロン関連本著者は
「手塚治虫とトキワ荘」「松田聖子と中森明菜」
など対比する新書を得意に数多く出されている方らしい
手塚治虫「リボンの騎士」石ノ森章太郎から
1970年前後少女マンガ黎明期を経てその後
一気に開花する少女マンガの流れがとてもわかりやすい。本作は萩尾望都さんの最新刊本前2020年3月
発刊されており核心部分は残念なことになっています。

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2021年05月20日

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 少女漫画版「トキワ荘」として知る人ぞ知る「大泉サロン」については、確かこれまで完全な第三者による単著はないはずで、その点だけでも価値がある。ただし、「トキワ荘」と比較して資料が圧倒的に少なく、当事者のあいまいな記憶に依拠せざるをえないため、基本的な事実の確定すら覚束ない。同著者の『手塚治虫とトキワ荘』では徹底した史料批判で事実の確定に努めたが、依拠資料の少ない本書では、結局誰がいつ「サロン」に出入りしていたのかという問題すらはっきりしない。キーパーソンである増山法恵には取材したような記述はあるが、非協力的だったようで、他の関係者には改めて取材はしていないようなのも、叙述の精度を落とす結果となっている(本書の著者はノンフィクション作家でもジャーナリストでもないので、既存の文献だけに依拠するその手法自体は「平常運転」なのだが)。また『手塚治虫とトキワ荘』では編集サイドの動向にも紙幅を割き、出版文化史全体の流れのなかで俯瞰する視点があったが、本書ではそうした傾向は希薄である。これも重要な編集者らがまとまった証言を残さないまますでに鬼籍に入っているからだが、改めて記録を残すという営為の重要性を考えさせられる。「サロン」の解体については、竹宮と萩尾の増山を挟んだ「確執」「三角関係」にまで踏み込んでいるが、この問題は竹宮の自伝(萩尾に対する強烈なコンプレックスを告白して人々を面食らわせた)の一方的な見方を前提としており、事がセンシティブなだけにより慎重な扱いが必要だったと思われる。いずれにせよ、「大泉サロン」以外の「24年組」の動向も含め、追究が不十分な論点も多く(例えば女性漫画家の原稿料等の差別待遇問題)、将来の増補を望みたい。

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2020年10月22日

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