森博嗣のレビュー一覧
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こういう、エッセイ的なものを読むと、森博嗣という人は、やはりかなり論理的で、一本筋が通っていて、人と変わった物の考え方をする変人なんだなあということがよくわかる。
小説「S&Mシリーズ」の犀川先生の人格は彼自身が投影されているんだろうと思うけれど、それだけではなく、客観的に一般常識としての思考も理解していて、自分が変人だという自覚も持っているから、ああやって小説として書くことが出来るんだな。
100のテーマの中には、まったく意味がわからないものや、共感出来ないものもあるけれど、おおむね、ちょっと違ったひねくれた角度から物事を考えていて、なるほど!と気づかされることが多かった。
彼自身が -
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森博嗣さんと言えば理系ミステリ、という乏しいイメージから、理系の人の頭の中身を覗き見してみたいと思って読んでみた。
まず先に短い格言的な言葉があって、それに見開き1ページ分の補足文があるようなつくりの本。それが100個載っている。
全部通して読んでみて、共感できる項目とできない項目が6対4くらいだったかな、という印象。
でも最初から共感を求めて読んだ訳じゃないから、こういう物の考え方もあるんだな、と単純にその視点に感心したりした。
人と関わる生活をしていればいろんな考え方の人と出逢うし、全然違う考え方の人と話す機会も多いわけで、そういうときにいちいち目くじらを立てたりせずに「そういう考え方 -
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つぶやきシリーズ第3弾
毎度のことだが、
それは気付かなかった、なるほどと思わされたり、
「耳が痛い」いや「頭が痛い」と思わされたり、
いやいやそれはちょっと自分は違うかなと思う話がふんだんに入っている一冊。
いろいろと印象に残っている(文字を通過しているだけの部分があって忘れるかもしれません。ごめんなさい)が、とくに面白くて最後にまた印象付けられたのが、
自己紹介。
すこし変わった子があります、というタイトルだったか、それが頭をよぎった。
今回の作品で特徴的だと感じたのは、土屋賢二さんの解説だ(解説なので作品の特徴と考えていいか多少疑問だが)。
正直この一作で一番共感できたところだった。 -
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欲しいものはないより欲しくないものはないの方が上 子供とか動物とかが出てきたら、涙腺が緩むことはある。だからと言って、それを狙って番組を作るのも変な話だ。そういう姿勢は品がない。どんなに遠くへ行ったとしても、どんなに高いところに到ったとしても、只立ち止まってぼんやりとしてる人は、魅力的とは思えない。それよりも、常に走り続ける人、いつも登り続ける人の姿こそ格好が良い。人に格好良く見せるのではない。自分で自分を見たときに格好が良いのである。自分で自分を見ることをしない人には、その格好悪さもわからないが。 だいたい、安くなるまで待てるという事が、それ程欲しくない心理の表れである。だから、手に入れたと
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シリーズ2作目。
なるほどな〜と思う点が多くありました。
『人工よりも自然を観察する方が、オリジナルを得られる。』より
“無理をして仕入れたネタや知識は、他者が作ったものだ。これが「人工」である。そういうものを使って創作すると、その創作もどことなく作り物に見えてくる。それに比べて自然は初めからオリジナルだから、そういうものだけで作れば、自ずとナチュラルで新鮮なものになるだろう。”
他者が発見した素晴らしいアイデアは、自分のフィルタを通して作成すると2流になってしまう。
オリジナルの発想は、外に出て自然に触れ自分を通した時に出てくるのかも。
『経験は効率が悪すぎる』という内容もなるほどな〜と -
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『大人になったら、自分一人の力で生きていくしかない、誰も助けてはくれない、自分で考え、自分で判断し、すべてを自分でできるようになりなさい、と。』
『鬱陶しいほどの存在感というものが、仏壇の主たる機能だ。』
『ランドセルを買うとき、紗江子はデパートへ紀彦を連れていき、好きなものを選びなさいと言った。どれも同じに見えたけれど、壁の高いところにスカイブルーのランドセルが飾ってあったので、あれにすると答えた。紗江子はにっこり笑って、それを買ってくれた。あんな色やめておきなさい、と言うか言わないか、その親の価値観が、こういった機会に子供に継承されるのである。』
『自分の始末は自分の中でつける。それ