佐藤賢一のレビュー一覧
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Posted by ブクログ
ネタバレついにフランス大元帥にまで上り詰めたベルトラン・デュ・ゲクラン。神の子、軍神と崇められて権力と戦勝続きの戦歴の絶頂にありながらも、仲間と馬鹿をやっては楽しんでいた日々や初々しいティファーヌとのやり取りは遠のいていき、ゲクランの人生に影が落ち始める…という下巻。影は次第に深く濃くなっていき、年老いた彼の心には幼い日の悲しき思い出や確執が表出する。
下巻は上巻のようなイケイケな勢いはないが、人間ドラマ的な面が中心となり重厚感が増していて読み応えがあった。特にゲクランの従兄弟で修道士でもあるエマヌエルの道ならぬ恋、犯した罪、ゲクランとの決別、そして再び力を貸すまでの葛藤、エピローグでの姿などは人間の業と人生の深みを感じさせる迫力ある書きぶりで面白かった。本当に傑作だと思う。上下巻1200ページほどの大作ではあるが、それでも駆け足に感じる部分も多くもっともっと長く読みたかったという気になってしまう。でもこれくらいが丁度いいということなのだろうなあ。
人生は始まっては終わっていき、歴史はいつまでも続く。ゲクランもシャルル5世も退場しても百年戦争はまだまだ終わらない。人間の生の面白さ、歴史の面白さを感じられる小説だった。フランス語の資料を多数読み解いてこれを書き上げた著者に敬意と心からの感謝を捧げたい。 -
Posted by ブクログ
ネタバレ百年戦争初期の実在の将軍をもとにした小説。醜く粗野な悪ガキのような主人公ベルトラン・デュ・ゲクランが、憎めない豪快な性格と天性の戦の才能を持って「ひ弱な学者殿下」シャルル王太子とタッグを組み成り上がっていく。とても面白かった!
戦争そのものの描写は意外と少ないのが物足りないと言えばそうなのだが、主人公に影響を受ける人々の群像劇、大きな歴史の動きという大きなスケールとベルトランの繰り広げる下品でおかしな小エピソードでバランスが取れているという気がする。破天荒な主人公もいいが、ベルトランと同じく戦の天才ながら出世ができないグライーや、常識人で短気なため振り回されがちなシャルルの弟アンジュー公ルイなど周りの人々がまた面白いのだ。
上巻は連戦連勝で無敵のベルトランだけど、下巻はどうなるんだろう。歴史をあまり知らないのでまっさらな気持ちで下巻を読むことができる!とても楽しみ。 -
Posted by ブクログ
ネタバレ「はじめに」
歴史小説と歴史学の違いを挙げた。歴史小説の対象は人間で「どの時代でも変わらない」、歴史学の対象は時代で「今とはこう違う」。とはいえ実際はどちらも意図的に混じる/混ぜると。
「第一章 歴史は物語なのか」
歴史の記述というか文書の特性を挙げる。当然ながら一次文献であっても主観が入り、誇張やウソが紛れ込む。また近世以前では歴史と物語とが分けられていない。ここで歴史学の創始者ランケが実証主義を持ち込み、歴史を「歴史学」に変えたことを紹介。つまり文学との境界が曖昧だった歴史を科学としての歴史学へと変えた。とはいえ歴史学となると歴史のワクワクが減ってしまったとも言え、それに応えるのが歴史小説、とも言えると。
「第二章 歴史小説のウソ」
歴史学には会話文が無い。会話文は歴史小説の専売特許。人物の心の動きについても歴史小説なら書けるが歴史学では書けない。「本能寺の変」の歴史小説は多いが、歴史学での研究意義が見出しにくい。やるとすれば政治構造分析か。「なぜ明智光秀は謀反を起こしたのか」は歴史学では答えられない。
なお歴史小説を書く上で調べる文献は二次文献が大半。一次文献だけではその文献の読み方さえ分からないし誤読する。先学の調べたことを利用するのは当然。史料(=一次文献)として例えばナレーション史料。ただし文学的要素も多くてウソだらけ、また「勝者の歴史」でもある。法律、裁判記録、行政文書(戸籍・出納簿・議事録)などはウソが少なめ。手紙は美化する必要がないのでウソが少ないが、しかし公開前提や途中で読まれること前提の手紙の取扱は注意を要する。
歴史小説の読者は現代人なので、現代人の共感を生むよう書く必要がある。しかし歴史小説の時代と現代では価値観が異なることも多い。特に人権。そこで宗教や信仰を使って現代人の価値観に近い視点を生み出すようにしていると。
「第三章 歴史小説と史観」
先に結論を書くと「自分なりの史観を持てば「歴史小説のウソ」に惑わされない」。
史観/歴史観は広辞苑によると「歴史的世界の構造やその発展についての一つの体系的な見方」。時代区分の「古代・中世・近代」も一種の史観で「悪い中世」と「良い古代・良い近代」。
歴史学以前の歴史には文学的要素が混じり、またイデオロギーの要素が含まれている。先にイデオロギーありきで歴史を描くことも多い。ただし科学的であるとの前提に立つ歴史学でもイデオロギーが含まれることがある。そしてこのイデオロギーが史観を打ち出すことがある。良い悪いの基準が先にあり、それを時代に当てはめる、これでは物語であり伝説であり、聖典にもなる。
近代でも「唯物史観」「皇国史観」などイデオロギーが先にある史観が力を持った。しかしイデオロギーは論に過ぎず、それを支えるために歴史の力を借りた。皇国史観の大元は水戸藩の尊皇イデオロギー。そのために水戸光圀は「大日本史」編纂に力を注いだ。敗戦により皇国史観が打ちのめされ、しかし日本は前に進む活力となる史観を求めた。ここで出てきたのが、歴史小説であり司馬遼太郎であり「司馬史観」であると。しかし歴史小説にはウソが含まれる。そのウソにより読者を信じさせることができてしまう。(もしもイデオロギーによるウソが…。)
さて史観は歴史学が出すべきものなのか。判断を伴うので科学的ではない。よって史観を打ち出すことができるのは(前近代的)歴史家ではないか。歴史小説家でも歴史学者でも、史観を持つときは歴史家だと。もちろん読者も歴史家。史観は他人から与えられるものではなく、自分の頭で考えて、自分なりのものを作り上げていくことが大事。
第三章の史観の話は、一読しただけではうまく腑に落ちなかった(というか理解出来なかった)ので、私の理解を含めて書きながら腹にすえてみた。納得できた。
書名「歴史小説のウソ」よりも大きい内容の本でした。なお「おわりに」はぜひご一読頂きたいので、ここでは取り上げません。 -
Posted by ブクログ
ネタバレ歴史への興味に加えて、ゲームのヒーローとして登場する「聖騎士」のような存在として騎士修道会に関心があった。ましてや著者は『傭兵ピエール』をはじめとする西洋歴史小説の名手である佐藤賢一とあっては読まないわけにはいかない。
本書はテンプル騎士団がフランス王の手により逮捕され、教皇により解散させられた事件から始まる。建物の壮麗さから逮捕事件へと至り、歴史の謎を解くミステリー仕立ての物語は読者をテンプル騎士団への興味を掻き立てられる。
テンプル騎士団は十字軍国家における聖地巡礼者の道を警備する目的でわずか12人で発足した。その後、イスラム教徒との戦いを期待された彼らは、土地の寄付を受けて勢力を拡大し、軍事・農業・商業・運輸・銀行業を手がける超国家的な国際機関へと成長した。著者は「中世の国連」と例えていたが、自前の常備軍を持ち、ついには十字軍戦費に充てる徴税や一国の財政を請け負ったというのだから、教会や国王ですら従わせる力を備えていたと言っていい。十字軍の終焉と共にテンプル騎士団は存在意義を失った。その膨大な資産は中央集権を進めるフランス王の標的となった。
修道士でありながら戦士である矛盾を抱えた存在。加えて東西を駆け回り王侯貴族や教会をお得意様とする中世一の大銀行であり物流業者。知れば知るほど面白そうではないか。今後も類書を読んでいきたい。 -
Posted by ブクログ
国際金融資本がアメリカ軍を持っていたもの、という比喩表現で締めくくられた本書は、歴史を趣味として愛好する者にとってはこの上なく楽しい本だった。十字軍によりキリスト教徒が獲得したイスラエルへの巡礼者を盗賊から守るために組織されたテンプル騎士団は、やがて為替(両替)機能や(物理的な)送金機能を有するようになり、一大地主として国家へ相対する強力な存在として台頭していった。1307年10月13日にフィリップ4世が取った強行的な逮捕、処刑は、いかに彼らが国家権力から見て恐ろしく強大な力を持っていたがが伺える。異端審問への反対、宗教国家への反対、超国家的な思想という点でフリーメイソンと共通性があり、その起源として謳われているのは非常に心躍る。