京極夏彦のレビュー一覧
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京極夏彦さんの作品(本書は”小説”ではないとはいえ)を読んだ記憶は、10年以上前まで遡ることになります。
デビュー作である『姑獲鳥の夏』に衝撃を受けてから、『魍魎の匣』、『狂骨の夢』と順調?に読み進めていたのですが、”抜群に面白いけど、読むのにパワーが必要”
と感じて、ちょっと間を空けようと思っていたら、10年以上もご無沙汰することになりました。
さて、「本書は、2019年7月27日に一般公募の15~19歳の聴講生50名を対象に行われた特別授業を元に構成された。」と2ページ目に書かれていますが、それもあってか、非常に分かりやすい文章で書かれています。
しかし、その内容自体は社会経験を積んできた大人の方がより理解出来るし、より共感も得ることが出来るな、とも感じました。
数多くの示唆に富む提言があったのですが、とりわけ、私のような読書愛好家には”全くその通りですね”と思わざるを得ない文章から抜粋すると、
人間は言葉から影響を受けます。
・・
ところが、言葉を聞いた人間は、捨てられた部分、欠けている部分を、勝手に埋めちゃうんです。
小説は、書いてあることより書いてないことのほうが大事なんです。
皆さん、小説を読まれる方も、読まれない方もいると思いますけれども、読んで面白いなあと思うこともあるでしょう。すげえ楽しいとか、わくわくするとか、いろんな感情をかき立てられるでしょう。その感情は、その小説がもたらしたものではないんですよ。その小説を読んだ読者である皆さんが作り出したものなんです。
前者の提言(”言葉”を”文章”に置き換えると)を読んだときに直ぐに頭に浮かんだのは、1月に読んだばかりの『弁護側の証人:小泉喜美子』ですね。確かに、私が勝手に思い込んだので(勿論、そうなるように小泉さんが文章を書いたのですが)、見事に騙される結果になりました。
こういう事で楽しめるのも、読書の良い点ですね。
最後に、本書は文庫で142ページと薄いのですが、先に書いたように内容は濃く、非常に有意義なひとときを過ごせました。
今回を契機として、京極さんの小説を読むのを再開(『鉄鼠の檻』かな)しようと思います。
*Youtubeの「ほんタメ」チャンネルでダイジェスト版?(本書の2割程度の内容です)がアップされていますので、そちらも併せて観ると、更に楽しめると思います。 -
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京極夏彦氏の作品としてはありえない薄さの本。
内容は講義を文字起こししたものなため薄くても仕方は無いのだが、その講義の中に出てくる本のお締め方に1ミリも無駄にしないという考えがあり、まるでそのために薄い本を作ったのかと錯覚してしまう。
京極夏彦氏による、世間を生きるにあたっての言葉の使い方や考え方などをゆるーく書いた本。
口語調(文字起こし)なため読みやすく、薄さも相まってご飯の待ち時間などには読み終わってしまうが、読後の満足感はしっかりと京極夏彦「感」を残してくれる良い本だと思う。
なんとなくの京極夏彦雰囲気を味わいたいが、どれもこれも鈍器サイズで躊躇している方にはおすすめかもしれない。
タイトルからして宗教的な地獄について語っているのかとおもえば、そのような話はあまりなく、どちらかと言えば「言葉」「言霊」と言ったものをメインに語っている。
ネットでの言い争いや、マウントが激しい昨今にむけての内容なだけに、言葉の使い方という面で気が楽になり、クスッと笑えるような考え方が詰まっていた。
読んでいながら、楽しそうに話している京極夏彦氏が想像でき、またそうありたいと思わせるのは流石だなと思う。
薄いため長らく眠らせていたが、これを読んでから改めて京極夏彦作品を読み返すのもいいかもしれない。
また、京極夏彦氏に比べればまだまだ蔵書量が足りないので、増やしていきたい。 -
Posted by ブクログ
ネタバレほんタメのあかりんが年末年始に読みたいシリーズであげていた。
すごーく分厚くて、言葉も難しくて、
時代背景に慣れるのにも一苦労だったけど、
その人のための人生の一冊を勧めてくれる弔堂の主人と、出てくる偉人たちのやりとり、思想や言葉にであうことができて、すごく心に響くところも多い。
日本という国の歴史や、偉人の人生をのぞかせてもらっているような、そんな気持ちになった。
難しいけど、よみすすめたい!ってなって
最後までなんとか読み切ることができました。
歴史に精通している人だと、さらに興味深く読めるのかもしれない。
わたしは好きだけど、にわかだったから、難しかったな。
岡田以蔵の話や、言葉や心のないけどある、ということについて話しているところがすごく好きでした。 -
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年末に本屋に寄ったら目についた、
京極夏彦の文庫本。
なんともゆるいタイトル、
紙粘土のお爺さん、フォントの文字も気が抜けていて装丁がどことなくかわいらしい。
鵺の碑で久しぶりに骨のある京極本を堪能したから、こんどはいかにも軽そうなのを読むか…、と手に取った。
公団アパートでかれこれ40年一人暮らしをしている、72歳6ヶ月の益子徳一さんの1週間のとある時間を、端折ったり飛ばしたりせずにその時間のままツラツラと書き記すスタイルの小説。
基本的に徳一さんのモノローグで話がすすむので、最後まで特になんのイベントも起きない。
何日か前に「オジいサン」と呼びかけられたその記憶を、起き抜けに徳一さんが一生懸命思い出すモノローグだけで終わってしまう第1章。
思考があっちへ行ったりこっちへ行ったり、忘れたかと思えば思い出したり、思い出しては腹を立てたり反省したり…、
ずーっと徳一さんの頭の中の声で進むので、少し退屈に感じたりもするんだが、不意に描かれる徳一さんの人生哲学や老いや時間についての考えに、妙に納得したりする部分もあり、なんやかんやで読まされてしまう不思議。
2章、3章も外に出て誰かと話したり、料理をしたり、なんてことない日常を徳一さん目線のモノローグで追っていくだけの物語なんだけど…、
どんどん引き込まれるんだよなぁ。
頑固で面倒くさいお爺さんのようなところもあるんだけど、それだけじゃない。
人間にはいろんな側面があるんだなという結構不思議で当たり前のことに気がつく。そしてなんだか徳一さんを好きになる。
何がいいって、定年退職してからはありあまる時間をなんの生産性もなく過ごしていて、地デジもわからないし、携帯電話もわからない。社会にこれと言った貢献してもおらず、生涯独身で妻も子もいないからもちろん孫もいない。ただただ面倒くさい一人暮らしの頑固爺だと自認しながら、自暴自棄にならず、自分なりの道徳を持って倹しく生きるその生活を、なんだかんだでちゃんと肯定しているところが本当に良い。
本人は嫌だと感じている独り言のように、モノローグの中でふとしたはずみで出る、しあわせだな、の感情が、
読んでいてめちゃくちゃ愛おしくなるのだ。
一見ネガティヴに見える老いを描きながら、その実、あるがままの時間をあるがままに生きる、その清々しさ。
とても好き。
気持ちの良い小説でした。
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よ、読み切りましたー!
何という達成感!
収録作が3編とは思えない読み応えたっぷりのボリュームといつもと違う事件の幕引きのやり方に大満足。
実は鵼の碑が発売される前に百鬼夜行シリーズを全部読破しておいて、発売と同時に鵼を読もう!とかざっくりとしたスケジュールを立てていたのですがまぁ予定通りに進まず遂には年が明けてしまいましたがやっとここまで辿り着きました。
この話は百鬼夜行シリーズではありながら本編のメインとなる登場人物がほぼほぼ出てこないという少し異質なお話だと思います。
京極堂の代わりに事件に挑むのは敦子と「絡新婦の理」に出てきていた美由紀ちゃんの2人。
いやーここで美由紀ちゃんにまた会えたのが個人的にとても嬉しかったです、美由紀ちゃんの性格をとても好ましく思っていたしまた会えたらいいなぁと思っていたので。
こういう思いがけない再会が出来るのが百鬼夜行シリーズのいい所だと思います、逆に「この人は誰だ?」となって読みたい本がどんどん増えていくとも言えるのだけれど……。
で、この2人が身近に起こる様々な事件に関わったり巻き込まれたりしながら解決を目指すのですが……。
解決編に限っては何かこう、京極堂って凄いんだなぁということを思い知らされるというか。
あれだけずっと語って、しかも最初何の話をしているんだ?と思うくらい突拍子もないことを語り出したりするのに自然と京極堂が話し出すとスラスラと頭に入ってくる感じがある。
その点敦子の語りはまぁ流石妹というべきか理路整然としてる感はあるんだけれど、でもやっぱりどこか拙い。
語りだけで相手を説き伏せる所まではいけないんですね。
だからこそ美由紀ちゃんが配置されてるんだと思うんだけど……彼女はどちらかと言うと榎木津タイプなのでしょうか。
彼女は全てが明らかになった後に暴れ出すのだけど、言うことが至極ごもっともな上に敦子の語りだけでは納得出来なかったモヤモヤを昇華してくれるんですよね。
毎回「よく言った!」と手を叩きたくようなまぁ見事な暴れっぷりで。
敦子だけでも駄目だし美由紀ちゃんだけでも駄目というこの絶妙なバランスがとてもいいんだよなぁ。
というかね、美弥子さん!
私の大好きな美弥子さんも登場するんですよ!
「美弥子さん誰?」って人は薔薇十字社の鳴釜事件を読んでくれ、本当にかっこいい女性なんだ美弥子さんは!
正直あれだけキャラが立っていたのにほんの少ししか登場シーンがなかったの勿体なくない?と思っていたのだけどここで出てきてくれるなんて!最高!
もうこの3人で色んな事件をバッサバッサ解決していく痛快ものをもう少し読みたいと願ってしまうくらい。
本当にいい人なんだよなぁ美弥子さん、もう少しどっかで出てきてくれると嬉しいなぁ。
ともあれこれで刊行されていた百鬼夜行シリーズは全て読破出来たということで。
いよいよこれで鵼の世界に入れます! -
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少し前に読んだ『破曉』の続編『炎昼』。
時代の変わり目。
そんな時であるからこそ、人は、これまで自分が信じてきた道を疑ったり、新たな扉を開くために踠いたりするのだろうな。
今回も、迷える人々が弔堂へ足を踏み入れる。
語り手は"天馬塔子"。
「探書 漆 事件」
芙蓉の花がお化けに見えるという塔子。
「人は時に、ないものを見たりするのですよ」
という松岡の台詞。
それらを前振りにして、言葉は"まじない"のようなものだという弔堂の話へと移行してゆく。
「語るも記すも、呪術にございます」
印象深かった台詞。
「文字は言葉を封じ込めるための記号でございます。」
「何もせずともあるがままで足りている世界を、私達は、文で、言葉で、音で割って理解しているのです。」
「言葉は、実は何も表せていない。でも、言葉なくして私達は世界を識ることができない」
そして、書かれた文字・言葉(すなわち呪文)が完成するのは、読み手があってこそ。
読むという呪法が不可欠だと弔堂は言う。
但し、その呪文が読み手にとって有り難く聴こえ、尚且つ読み手が理解出来た時に効力を発揮する。
「傍観者がいなければ、ものごと事件という輪郭を作ることもできないのですーーーよ」
☆礼記
儒教の最も古典的な経典の一つ
「探書 捌 普遍」
塔子の、厳格な祖父との確執。
時代も時代、かなり高圧的なお祖父様と思われる。
塔子は理不尽な叱りを受ける度に、小説を"読んでやろう"と思う。
松岡と再び出会った塔子は、松岡に促され弔堂へと向かう。
すると先客が。
添田平吉だ。
時代を見失ってやって来たというのだ。
演劇師になったはずであったのに、気が付くと、自由とも民権とも関係の無い"芸人"になっていたと。
さて弔堂は…。
作品として優れていれば後世にも残っていくものだと、
芸術的価値、普遍的価値、時代的な価値について説く。
「普遍の器に時代という料理を盛る」という喩えは、私にもイメージしやすかった。
そして添田は本ではなく絵(歌川国芳作 源頼光公舘土蜘作妖怪圖)を買う。
印象深かったというより、いい台詞だなぁと思った箇所。
「このなあ、蜘蛛。このようになろう。まあ拙は蜘蛛でなく蟬、しかも鳴けぬ蟬のようなものですが、世の中の外側からこう、かっと覗き込み、為政者どもの頭の上でずっと鬱陶しく歌い続けることに致しましょう。平民として。」
☆川上音二郎…オッペケペー節で一世を風靡した人物。歴史で習ったなぁ懐かしい。
☆添田平吉…添田唖蝉坊(そえだあぜんぼう)という号で活躍した演劇師。
自らを「歌を歌う唖しの蝉」と称したところから由来している。
唖蝉(おしぜみ)とはメスの蝉の事。求愛のために鳴くのはオスの蝉だけで、メスは鳴かないらしい。
「探書 玖 隠秘」
嬉しいびっくりが。
「甘月庵」(P196)て何処かで見た?読んだ?ような…と思ったら、なんと『姑獲鳥の夏』にも登場(文庫版P62)していた!とネットで知る。
宝物を見つけたような気分♪
この章の客人は、勝海舟、福来友吉。
転機となる1冊を手に入れたものの、オカルトを追い求めたがゆえに堕ちてしまった福来の、少し哀しく怖いお話。
印象に残った弔堂の台詞。
「ええ。ないけれど、ある。これは豊かさの証拠。その豊かさを何に使うのかは、その人次第なのでございますよ。恭しさ、懐かしさ、嬉しさ、優しさ、楽しさ、時に哀しさーーー一番芸のない使い道が、怖さでございましょうかねえ。」
「しかし多くの人はそれに気づきません。気づかないからこそ、それは隠されていると考えるのです。隠されているなら暴こうとする。しかし隠されている真理など、実はないのでございます。隠すのは、何もないからでございますよ。ならば暴いても詮方なきこと」
☆元良勇次郎…日本初の心理学者
☆福来友吉…心理学者・超心理学者。念写の発見者とされている。(『リング』に登場する貞子の母親のモデル、御船千鶴子での実験を行った人物)
「探書 拾壱 無情」
印象深かった台詞
「諸行は無情でございますよ、塔子様。花は枯れ人は老い、死ぬ。移ろうこと、変わることは世の習い。当然のことにございます。ですから、変わることを畏れてはーーーいけません」
☆乃木希典…陸軍軍人、乃木坂などで名を残している
「探書 拾弐 常世」
とても良い章だった。
大切な人を亡くした松岡に、祖父を亡くした塔子に、弔堂はあえて幽霊を見せて説く。
印象深かった台詞。
「私が死ねば、私の識る私は消えてなくなりましょう。しかし私以外の私を識る皆様の中の私は、残りましょうよ」
「………しかしそれを死者の姿と解釈してしまうなら、そしてそう解釈する者が多いというであれば、それはひとつの文化と考えるべきでございましょう。」
「判らないからこそ人は死を畏れ、忌み、隠す。そして祀り上げ、祈り、供養致します。それでも不安は拭えない。」
「人を生き易くするための嘘。信仰は、人を生き易くするためにあるのでございます。嘘だろうが間違いだろうが、信じることで生き易くなるのであれば、それで良いのでございます。信心というのは生きている者のためにあるのです。死人のためにあるのではない」
☆魂と魄(こんとはく)…"魄"も訓読みで"たましい"と読む。魂魄とは、道教における霊の概念。
すべての章は紹介しきれないが、今回は三段構えの構図だった。
①『書楼弔堂 破暁』に続き、各章ごとに様々な人物(現代に名を残す人物)が弔堂を訪れ人生の転記となる1冊と出会うお話。
②塔子が、薩摩武士であった厳格な祖父との確執の中、弔堂と客人の会話から学びとったり、本を読んだりしながら、成長してゆくお話。
③詩人であった松岡が、道に迷い、苦悩しながらも、柳田國男として生きてゆく決意をするまでのストーリー。
続編の『待宵』は文庫になるのを待って読もうと思う。 -
Posted by ブクログ
☆4…4.5…かな?
なんか哀しいし切ない。゚(゚´ω`゚)゚。
毎回真相はやりきれなくなるんだけど…
今までの作品とは違う印象でした。
中禅寺、榎木津、関口のみというチーム京極堂の少なさ?一つの館という狭い世界での事件だから?
犯人分かりやすかったから?
しかしだからこその良さもある。
横溝正史が出てくるという事で、密室による殺人のトリックと23年前から続く連続殺人と探偵。
まさに横溝的な設定にしたのかな…なんて考えてしまう。
そして結末も哀しい…
一番哀しかったかも。゚(゚´ω`゚)゚。
幼子に話すような中禅寺の憑物落としのセリフの数々が、より一層他のシリーズ作品と違う印象を持たせたのかもしれないな。
子曰く、人の己を知らざるを患えず…
めちゃくちゃ気になってラストの論語調べました笑
あ〜なんか今作好きかも…
って毎作言ってる気がする笑
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購入済み
舞台裏
この作者 京極夏彦の作品は、長大で凝ったものが多い。その作品の制作裏話が聞けるガイドブックである。本作読む前にガイドブック ダイジェストなどを読むと、往々にして先入観がつきまとい面白く読めない という弊害があるケースがあるが、長大で凝っている京極夏彦の場合、その懸念は少ないと思う。むしろざっと読んだだけでは気づかない作者が述べたい点に気づかせてくれるメリットが有る。