三浦綾子のレビュー一覧
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人間はいかに生きるべきか。クリスチャンである三浦綾子さんの小説は、様々なかたちでそれを問うてくる。
主人公の佐川淳一は、亡き父の友人である谷野井陶吉の厚意で、医学部を志すため東京から札幌に移り住んだ。陶吉は札幌の病院の院長で、淳一は谷野井家に下宿しながら勉学に励んでいたが、誰もが羨む裕福な一家と思われた谷野井家に、世間には明かしてはならない闇があることを知っていく。
曲者ぞろいの谷野井家。院長であり病院の隣にある薬局の薬剤師である陶吉、その妻の式子、薬局に勤める若い女性であるテル子。
陶吉の息子で病院の医師である浜雄、その妻の那千子、娘の初美と景子。
そして家政婦の余里子。
すべての関係性がどれも歪で良好とは言えない中、家政婦の余里子の存在がどうにか一家を繋ぎ保たせている。
淳一は初恋の相手である中学生の景子に会うことを楽しみに札幌にやって来たが、来た当初は荒れ気味だった景子に面食らい、しかしいつしか本来の純粋な景子の面影を見つけ、そして彼女の中に信仰を見始める。
一家が口を揃えて「この家の癌」だと言うのが祖母の式子と父の浜雄で、読み進めるにつれてその理由が分かっていくのだけど、病院を経営する家とは思えないその内容に驚く。
式子と浜雄の悪事を世間から必死に隠そうとする陶吉は、掴み所がなく飄々と振る舞っているけれど、その実長年苦しんできたことが分かる。そしてかつて若かった陶吉に式子が放った一言が2人の関係を変えてしまったくだりでは、人の心を深く抉る地雷のような言葉について考えてしまった。
血の繋がらない居候である淳一の目から見たものが語られているので、家族の物語とはいえどこか俯瞰的で、内容は重いけれど淡々とした雰囲気が漂う。
「この家には宗教がない」という家族では最年少である景子の言葉は、三浦さんがとある本を読んでいて見つけた、実在する子どもが発した言葉なのだという。
荒れた家や不仲な家族の中にあって、何か信じられる絶対的なものがあるというのは、1人の人間を救うことになるのかもしれない。
「(法的な場以外で)人は人を裁いても良いのか」「善く生きるとはどういうことなのか」ということを考えさせられた作品ではあったのだけど、短時間では考えをまとめられそうにないので、この先折に触れてこの小説のことを思い出して考えてしまいそうな気がする。
悪いことをしてしまった人の弱さについて、そして身近な人が悪いことをしてしまった時に自分は果たしてどうするのかということについても。 -
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榎本保郎の話。
保郎の父は、生まれたこの子に対し、尼僧に名付けを依頼した。保とは、請けあう、引き受けるという意味で、男らしく何もかも引き受ける人間になってほしいと思い、これに決めたそうだ。
保郎の家は駅の真前にあり、切符などや雑貨を扱っていたが、貧しく、父母ともに日中は野良仕事だ。ろくに面倒もみれなく、近くにいた名付け親の真浄尼が実の母よりも保郎と過ごした。真浄尼は保郎を膝に抱えて般若心経をあげるといった生活だった。三歳になる頃には般若心経を誦じてたという。
保郎は中学生になった。保郎の通う中学では、蛸釣りという上級生が下級生をいじめる風習があったが、これを保郎は根絶するよう自分に誓いをたて、行動した。まず手始めに、神洲会という奉仕活動をする会を立ち上げた。自分より年下の者を可愛がる訓練として小学生の勉強も見てやることにし、一家の柱を軍隊に取られた家のために農作業も手伝った。また、日曜日は、5時に集まり活動を行うこととした。それは、蛸釣りなんかは絶対に許さないという覚悟を早起きで示すという意味があった。だが、その真の目的は、一人一人が変わっていくことにあった。
保郎は一年少し教師として働いたのち、兵隊にとられていった。そこで保郎は幹部になるよう勉強に励んだ。はじめは幹部になんかならないと思っていたが、人間を人間と思わず殴る上官にあって、殴らない上官になろうと決意した。話して聞かす上官になると。誰も彼も人の大事な息子だ、大事な親父だ、大事な夫だ、家族がみて情けないような扱いはしないと。
上巻の300ページあたりに保郎が子供達に神様がバチをあてるかという話をする。そこでは、悪いことをした分、みんなの心には黒い玉が貯まるという話をする。その黒い玉があると死刑になるが、誰でも人間は黒い玉がある。偉い神父さんにでも。だけど、イエスさんに許してくださいと、祈るとその玉はなくなり、代わりにイエスさんに移る。イエスさんは、みんなのその黒い玉を受け持ち、そして十字架にかけられる。そんなイエスさんが、みんなにバチをあてるわけがないと。ざっと言えばこんな感じだが、とてもしっくりきた。イエスは神の子、みんなの十字架を背負って死んだということが。
一度、妻の和子が家を飛び出し実家に帰る事件があった。そんな時の和子の父や母の言葉や態度はとても温かく、愛情いっぱいで、でも厳しく、とてもいいものだった。辛苦も艱難も下さるのは神だ。神の下さるものに悪いものはない、みんな恵だ、まず2人でヨブ記を読みなさいと。
保郎と和子夫婦は、刑務所から出てきた男を預かることとなる。ヤコブ書にも、人を偏り視るな、と書いてあるように、伝道者の家は、あの人が怖い、あの人は好きなどと分け隔てしてはならないのだ、といって妻の和子をいさめた。この人は受け入れなくても良いなどと神が言う人は一人もいない。
保郎は、信者の息子の後宮俊夫と出会う。後の世光教会な牧師で日本キリスト教団議長となった人である。俊夫は養殖真珠の事業の社長であった。でも、俊夫は、その事業を一生の仕事とは思わなかった。人間たるもの、その究極の目的が金儲けでしかないなどとはあってはならないと思っていたのだ。
怒りっぽい保郎はよく反省した。どうしてみんなは自分と同じような信仰を持たないのかとか。憤りからそれが顔に出て怒ったような顔ばかりしていた。だから笑う練習もした。一人ひとりが自分なりの信仰で精一杯頑張っているんだと思えるようになって、顔から険しさがとれた。人間はたやすく傲慢な思いに堕ちるものだ。
保郎はタネから植えて育てた世光教会をさり、今治の無牧の教会へ行くことになった。それは、保郎も望んだことだった。世光教会の人気があまりにも保郎個人に向けられていることに保郎は不安を感じたのだ。キリストを頼みにしているのではなく、保郎を頼みに教会が大きくなっていくことに不安を感じたのだ。
保郎はいつも顔を真っ赤にして説教をした。全身で語っていたのだ。それは、教会に来る者の心を打ったのだ。心に染みたのだ。世光教会の別れの会の時、ある信者が言ったが、保郎先生は牧師というより、用務員のようだったと。いつも金槌を持って歩いてたり、子供たちと本気になって相撲をとったり、園児をおんぶしてたりしたからだ。
保郎はいつも思った。神が与える試練ならば、どんなに苦しくても感謝して耐えねばならない、与えられた試練を乗り越えるのが自分の使命なのだと。
保郎は持病を抱えたまま、命を削るようにアシュラム運動に精を出す。まさにちいろばの如く、主に用いられるままに、行けと言われれば、どんなに忙しかろうが、身体がガタガタであろうが全身全霊で主に尽くした。
全二巻 -
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榎本保郎の話。
保郎の父は、生まれたこの子に対し、尼僧に名付けを依頼した。保とは、請けあう、引き受けるという意味で、男らしく何もかも引き受ける人間になってほしいと思い、これに決めたそうだ。
保郎の家は駅の真前にあり、切符などや雑貨を扱っていたが、貧しく、父母ともに日中は野良仕事だ。ろくに面倒もみれなく、近くにいた名付け親の真浄尼が実の母よりも保郎と過ごした。真浄尼は保郎を膝に抱えて般若心経をあげるといった生活だった。三歳になる頃には般若心経を誦じてたという。
保郎は中学生になった。保郎の通う中学では、蛸釣りという上級生が下級生をいじめる風習があったが、これを保郎は根絶するよう自分に誓いをたて、行動した。まず手始めに、神洲会という奉仕活動をする会を立ち上げた。自分より年下の者を可愛がる訓練として小学生の勉強も見てやることにし、一家の柱を軍隊に取られた家のために農作業も手伝った。また、日曜日は、5時に集まり活動を行うこととした。それは、蛸釣りなんかは絶対に許さないという覚悟を早起きで示すという意味があった。だが、その真の目的は、一人一人が変わっていくことにあった。
保郎は一年少し教師として働いたのち、兵隊にとられていった。そこで保郎は幹部になるよう勉強に励んだ。はじめは幹部になんかならないと思っていたが、人間を人間と思わず殴る上官にあって、殴らない上官になろうと決意した。話して聞かす上官になると。誰も彼も人の大事な息子だ、大事な親父だ、大事な夫だ、家族がみて情けないような扱いはしないと。
上巻の300ページあたりに保郎が子供達に神様がバチをあてるかという話をする。そこでは、悪いことをした分、みんなの心には黒い玉が貯まるという話をする。その黒い玉があると死刑になるが、誰でも人間は黒い玉がある。偉い神父さんにでも。だけど、イエスさんに許してくださいと、祈るとその玉はなくなり、代わりにイエスさんに移る。イエスさんは、みんなのその黒い玉を受け持ち、そして十字架にかけられる。そんなイエスさんが、みんなにバチをあてるわけがないと。ざっと言えばこんな感じだが、とてもしっくりきた。イエスは神の子、みんなの十字架を背負って死んだということが。
一度、妻の和子が家を飛び出し実家に帰る事件があった。そんな時の和子の父や母の言葉や態度はとても温かく、愛情いっぱいで、でも厳しく、とてもいいものだった。辛苦も艱難も下さるのは神だ。神の下さるものに悪いものはない、みんな恵だ、まず2人でヨブ記を読みなさいと。
保郎と和子夫婦は、刑務所から出てきた男を預かることとなる。ヤコブ書にも、人を偏り視るな、と書いてあるように、伝道者の家は、あの人が怖い、あの人は好きなどと分け隔てしてはならないのだ、といって妻の和子をいさめた。この人は受け入れなくても良いなどと神が言う人は一人もいない。
保郎は、信者の息子の後宮俊夫と出会う。後の世光教会な牧師で日本キリスト教団議長となった人である。俊夫は養殖真珠の事業の社長であった。でも、俊夫は、その事業を一生の仕事とは思わなかった。人間たるもの、その究極の目的が金儲けでしかないなどとはあってはならないと思っていたのだ。
怒りっぽい保郎はよく反省した。どうしてみんなは自分と同じような信仰を持たないのかとか。憤りからそれが顔に出て怒ったような顔ばかりしていた。だから笑う練習もした。一人ひとりが自分なりの信仰で精一杯頑張っているんだと思えるようになって、顔から険しさがとれた。人間はたやすく傲慢な思いに堕ちるものだ。
保郎はタネから植えて育てた世光教会をさり、今治の無牧の教会へ行くことになった。それは、保郎も望んだことだった。世光教会の人気があまりにも保郎個人に向けられていることに保郎は不安を感じたのだ。キリストを頼みにしているのではなく、保郎を頼みに教会が大きくなっていくことに不安を感じたのだ。
保郎はいつも顔を真っ赤にして説教をした。全身で語っていたのだ。それは、教会に来る者の心を打ったのだ。心に染みたのだ。世光教会の別れの会の時、ある信者が言ったが、保郎先生は牧師というより、用務員のようだったと。いつも金槌を持って歩いてたり、子供たちと本気になって相撲をとったり、園児をおんぶしてたりしたからだ。
保郎はいつも思った。神が与える試練ならば、どんなに苦しくても感謝して耐えねばならない、与えられた試練を乗り越えるのが自分の使命なのだと。
保郎は持病を抱えたまま、命を削るようにアシュラム運動に精を出す。まさにちいろばの如く、主に用いられるままに、行けと言われれば、どんなに忙しかろうが、身体がガタガタであろうが全身全霊で主に尽くした。
全二巻 -
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ネタバレ主人公の北森竜太は治安維持法違反容疑で半年以上もだらだら勾留がつづいたあげく、教職の辞職届を出さざるを得なくなって釈放。その大量の教師を逮捕した事件は特高に忖度して新聞にも報道されず、どこに就職しても特高の尾行がつづきスパイ呼ばわりされ居心地が悪くなる。恩師の坂部久哉教師は衰弱の挙句亡くなってしまう。失意の中、招集通知がとどいたときも教職を失ったので幹部扱いからひらの兵隊となり、理不尽な暴行を受けて片耳の聴力も失う。満州で盲腸になり、親しくしてくれた近堂一等兵との別れ、山田曹長との終戦直後にソ連や中国の連中を避けながら決死の逃避行の中で、朝鮮人の抗日派につかまる。その抗日派につかまって殺されるしかないとなった矢先、、、助けてくれたのは旭川で命を助けたたこ部屋から逃げ出した金俊明だった。金俊明もまた決死の努力で日本に戻るすべをつくってあげて、日本に戻ることができる。弟保志は戦死していたが、懐かしい芳子とついに結婚できた、ついには教職に復職できたという、戦前の思想弾圧の不合理を上手に描いた感動作である。
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Posted by ブクログ
ネタバレ質屋の息子として特に不自由なく旭川で暮らしていた主人公の竜太が小学校のときに担任で出会った、愛に溢れ貧富とわず平等に生徒に接し救おうとする理想の坂部久哉教師、そして、クラスメイトの貧乏な芳子。
神楽岡への楽しい思い出になった遠足をおこない、さびしい卒業式を経た竜太は坂部教師にあこがれて、同じく小学校教師になるために師範学校に通う。時代は日中戦争が終わる気配を見せず、治安維持法ができて日本の言論は教育界でも窮屈になっていく。三浦綾子らしい相変わらず狭い世界で、幼馴染がそのまま好きあっていく。竜太は窮屈な中でも、自由と個性を伸ばす創意工夫ある授業をつくりだしていく。そんな中、綴り方の勉強会に参加したことで、警察に同行されていく竜太、そこで前半が終了。
ごく前半に登場してくる、たこ部屋から逃げ出した金俊明を家族ぐるみで庇ったことが、終戦直後に大きな芽をだして竜太を救います。