三浦綾子のレビュー一覧
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Posted by ブクログ
人のあり方として感銘を受けずにはいられない場面の連続である。正直、現実離れしている。(言動の)意味が分からないと何度も思った。これが自伝、半ノンフィクションというから信じがたい。山あり谷ありならぬ、罪あり救いあり。(しかし、大抵の人には優れた導き手がいない。前川正に導き手はいたのだろうか。)
ーーー以下引用ーーー
「綾ちゃん、ぼくは今まで、綾ちゃんが元気で生きつづけてくれるようにと、どんなに激しく祈って来たかわかりませんよ。綾ちゃんが生きるためになら、自分の命もいらないと思ったほどでした。けれども信仰のうすいぼくには、あなたを救う力のないことを思い知らされたのです」と、自らの足を石で打ちつけた彼の姿を思った時、真剣とはあのような姿をいうのだとわたしは気づいたのである。いや、真剣とは、人のために生きる時にのみ使われる言葉でなければならないと、思ったのである。1032
わたしはパスカルの「パンセ」を読んで、パスカルのいう賭に興味を持った。(なるほど、神があるという方に賭けたなら、わたしは神を信じて、希望ある充実した一生を送ることができるだろう。もし、神がある方に賭けて、神がなかったとしても、わたしは何ものをも失わない。むしろ実りある一生を送れるのだ。もし神がない方にかけて生きたとしたら、わたしのような人間は、おそらく自堕落になり、いい加減に生き、つまらぬ快楽にふけって、一生を浪費することだろう。そして最後に神がおられるということになったとしたら、一度も神を信じなかった自分は、どうやって神の前に出ることができるだろう)1861
罪の意識がないということほど、人間にとって恐ろしいことがあるだろうか。殺人をしても平気でいる。泥棒をしても何ら良心の呵責がない。それと同様に、わたしもまた、人の心を傷つける行為をして胸が痛まないのだ。こう思った時わたしは、(罪の意識のないのが、最大の罪ではないだろうか)と、思った。そしてその時、イエス・キリストの十字架の意義が、わたしなりにわかったような気がした。2449
三浦光世はそのわたしに言った。「あなたが正さんのことを忘れないということが大事なのです。あの人のことを忘れてはいけません。あなたはあの人に導かれてクリスチャンになったのです。わたしたちは前川さんによって結ばれたのです。綾子さん、前川さんに喜んでもらえるような二人になりましょうね」3968 -
Posted by ブクログ
人間はいかに生きるべきか。クリスチャンである三浦綾子さんの小説は、様々なかたちでそれを問うてくる。
主人公の佐川淳一は、亡き父の友人である谷野井陶吉の厚意で、医学部を志すため東京から札幌に移り住んだ。陶吉は札幌の病院の院長で、淳一は谷野井家に下宿しながら勉学に励んでいたが、誰もが羨む裕福な一家と思われた谷野井家に、世間には明かしてはならない闇があることを知っていく。
曲者ぞろいの谷野井家。院長であり病院の隣にある薬局の薬剤師である陶吉、その妻の式子、薬局に勤める若い女性であるテル子。
陶吉の息子で病院の医師である浜雄、その妻の那千子、娘の初美と景子。
そして家政婦の余里子。
すべての関係性がどれも歪で良好とは言えない中、家政婦の余里子の存在がどうにか一家を繋ぎ保たせている。
淳一は初恋の相手である中学生の景子に会うことを楽しみに札幌にやって来たが、来た当初は荒れ気味だった景子に面食らい、しかしいつしか本来の純粋な景子の面影を見つけ、そして彼女の中に信仰を見始める。
一家が口を揃えて「この家の癌」だと言うのが祖母の式子と父の浜雄で、読み進めるにつれてその理由が分かっていくのだけど、病院を経営する家とは思えないその内容に驚く。
式子と浜雄の悪事を世間から必死に隠そうとする陶吉は、掴み所がなく飄々と振る舞っているけれど、その実長年苦しんできたことが分かる。そしてかつて若かった陶吉に式子が放った一言が2人の関係を変えてしまったくだりでは、人の心を深く抉る地雷のような言葉について考えてしまった。
血の繋がらない居候である淳一の目から見たものが語られているので、家族の物語とはいえどこか俯瞰的で、内容は重いけれど淡々とした雰囲気が漂う。
「この家には宗教がない」という家族では最年少である景子の言葉は、三浦さんがとある本を読んでいて見つけた、実在する子どもが発した言葉なのだという。
荒れた家や不仲な家族の中にあって、何か信じられる絶対的なものがあるというのは、1人の人間を救うことになるのかもしれない。
「(法的な場以外で)人は人を裁いても良いのか」「善く生きるとはどういうことなのか」ということを考えさせられた作品ではあったのだけど、短時間では考えをまとめられそうにないので、この先折に触れてこの小説のことを思い出して考えてしまいそうな気がする。
悪いことをしてしまった人の弱さについて、そして身近な人が悪いことをしてしまった時に自分は果たしてどうするのかということについても。