あらすじ
ちっぽけな人間が大きな自然や運命に抗して生き抜く姿を描く、著者渾身の長編。
十勝岳大噴火によって、祖父母、姉、妹と家田畑を失った拓一・耕作兄弟。流木と泥だらけの地の再興を決意し、懸命に働くが……。ちっぽけな存在である人間を苦もなく押しつぶしてしまう猛々しい自然。過酷な運命や自然に抗して、人間としての存在を守ろうと生き抜く姿を描く長編。
「三浦綾子電子全集」付録として、夫・三浦光世氏による「創作秘話」、日新尋常小学校に立つ記念碑の写真を収録!
感情タグBEST3
Posted by ブクログ
泥流地帯の完結編、実質下巻にあたる本作
十勝岳噴火による泥流被害のその後を描く
復興を目指す拓一と耕作達に光はあるのか
時代は大正から昭和へ
さらに襲い掛かる苦難
しかしそれは、災難か試練か
人生の苦難の意味を伝える心動かす作品
没入感あり一気読み
今とは違う昔の時代背景
生き方や価値観も細かく、改めて心に残る話だと感じた
Posted by ブクログ
能登地震を受け、復興というテーマで読み始めた。辛い話が続きなかなか読み進められず、何ヶ月もかかってしまった。
拓一の言葉や美しい自然の描写に何度も救われたが、どうしても未来や希望という存在に靄がかかって見えてしまう。
時代が大きく変わり、現代を生きる私たちは彼らとは異なる選択をしなくてはいけないこともあるだろう。生活、故郷、そこから紡がれた自己とどう向き合うか、私にはまだ答えが見つけられない。
Posted by ブクログ
耕作が悩みながらひとつひとつ乗り越えて成長するさまがいい。兄の拓一は命懸けで大切な人、大切なものを守ろうとする言わば理想の人だ。泥流地帯の不毛な土地を復興させようと、挫けずにポジティブに汗を流し続ける。暴漢に襲われた弟耕作の代わりに大怪我をしても。
正しいことをして報いはなくても、試練と受け止めて生きる拓一。そんな兄を尊敬し、精神的な成長を遂げていく耕作。
この兄弟が泥流地帯を開拓するように、未来を切り拓いていく。
私が好きな場面は、節子の真実を耕作が受け止める場面。姉のために家族のために中学進学を諦めた耕作を思い、人知れず泣いた節子。それが耕作の胸に届いてよかった。
福子の幸せをみんなで祈るところにも感動をおぼえる。
希望と勇気が湧いてくる作品だった。
三浦綾子さん、ありがとうございます。
Posted by ブクログ
久しぶりに三浦綾子さんの本を読みました。
塩狩峠が本当に好きで、それを超えるものはないかと思ってましたが、並ぶかそれ以上でした。
塩狩峠も好きなのですが、こちらの方が二人の兄弟がいることで正しいだけでなく人間的な耕作と、彼が憧れる正しくありたい姿としての拓一と二人を描くことでより共感が得やすい作品な気がします。
Posted by ブクログ
もう、何と言うか…圧巻でした。
拓一、耕作兄弟こそ在るべき兄弟の姿なのでしょう。
そう育ったのも父母や祖父母の教えや優しさが、きちんと伝わった証。
自分に厳しく、人に優しく。
これができる人間もそうはいないだろう。
何を言われようとも、されようとも、挫けず未来を見据え前進する素晴らしさ、しかも逆境のもとからの再スタート。
それらを耐え抜いたからこそ、翌年には稲が根付き青々としてくれた。
信心深くはないおっちゃんですが、見ている人はちゃんと見ている。日々の頑張りは決して無駄にはならない。これらを両親から聞かされ大きくなりました。
たとえ良い結果にならなくとも、頑張りは人生の糧になるものと信じたい次第です。
拓一と耕作。両者は泥流にのまれてしまった百十数名に代わって、その後の人生を助け合い、慈しみながら過ごしてもらいたい、おっちゃんは素直にそう思いました。
ラストのシーン、白いハンケチが見えた瞬間、汽車とその風景、周囲の人々の表情が目に浮かぶようでした。
三浦綾子様。素晴らしい作品を拝見しました。
ありがとうございました。
Posted by ブクログ
真面目に、正しく一生懸命に生きている者に、どうして苦難が降りかかるのか --- 「泥流地帯」では示されなかったこの問題に対する著者の回答が本書で示される。著者は聖書のヨブ記を引き合いに出して、善因善果、悪因悪果は人間の理想であって現実はそうではないと主張する。人は、良い行ないをした者には良い報いが、悪い行ないをした者には悪い報いがあって欲しいという願いから、いいことが起こった時には日頃の心がけが良かったからだとか、悪いことが起こった時には先祖や神様の祟りだとか考えようとするが、悪い行いをしたものが幸せになったり、良い行いをしたものに災いが起こったりするのも現実なのである。
前作では、登場人物らの幼少期の純粋な目を通して描かれた北海道の大自然の美しさと、真面目に正しく生きていく姿の美しさが相俟って、読むたびに心が洗われるような、純粋な気持ちになれる。
本作では、善因善果、悪因悪果は理想に過ぎないという、ともすると生きていくことに絶望するような結論を導き出しながらも、生きていくことを勇気づけてくれるフレーズを随所に散りばめ、励ましてくれているように思える。読み終えた後に「よし、がんばろう」と力が湧いてくる。
Posted by ブクログ
泥流地帯の続編で、そのまま泥流地帯の内容なので、ここから読むと訳が分からないと思われる。耕一という代用教員が主人公でその周りの人の関係を描き、最後では聖書の内容と関連させている。
続でも途中のような気がして、続々泥流地帯の小説が出てもおかしくない。
北海道観光者にとっては、上富良野は北の国からだけしか紹介されない昨今、十勝岳の噴火による泥流被害が知られていいと思われる。三浦綾子記念館にはこの泥流地帯のパネルは昔はなかったように思われるが、今はあるのであろうか?
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つらすぎる…
苦しすぎる…
それでも深い愛に包まれている。
20代で読んだ時にも感動をした本であったが、20年経った今、その時とは違う出逢いをした気がする。
Posted by ブクログ
現実は厳しいけれど、その現実に逃げずに真正面から向き合う兄弟の物語。世の中、決して善因善果ではないけれど、自分の直面した事態と真正面から向き合う、それこそが自分の生きる道という、拓一の強い姿勢に感動し、そのわずかでも見習いたいなと感じざるをえませんでした。
Posted by ブクログ
前作「泥流地帯」で、北海道の十勝岳が噴火。拓一と耕作兄弟は一瞬にして祖父母、姉、妹、そして田畑を失う。貧しくとも真実に生きてきた彼らに与えられた結果がこの報い。折れそうな心を懸命に立て直そうとする耕作だが、復興に取り組んだところで、またも裏切られるのではないかという疑問は消えない。
若い頃の苦労が大事なのは今も昔も変わらない。それはわかっているんだけど、誰もがこの兄弟ほど真面目に生きられるのか。苦労は報われないこともあることを理解し、納得できるのか。考えれば考えるほど、人生は理不尽だと思う。
本作品では、復興に取り組む村民の中で悪事に走る者もいれば、宗教にすがる者も登場する。そんな様々な人間模様が描かれつつ、耕作たち家族にかすかな希望が見えたところで幕を閉じる。
おそらく、その希望も一瞬で、さらなる苦難が待ち構えているんだろう。真面目に生きていればいいことがある、なんて単純なことを作者は語らない。じゃあ、どんな生き方が正しいのか。そんな作者の問いかけに考えさせられる。
Posted by ブクログ
実際の自然災害をベースに、著者が取材を重ねて書いた小説。続編では災害が起きたあとの復興に場面が移るが、人々の心情の変化や、いろいろな価値観がぶつかり合うシーンは面白い。過酷な運命の中で、貧しいながらも誠実に生きていく主人公の一家が、人生の価値について語るシーンは考えさせられる。特に、主人公の兄の行動や言葉には心を洗われるような気がする。
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困難にぶつかったときに、「大変だ」と思って憂うか、試練だと思ってたち向かうか。
できれば私は後者でありたいと思うけれど。
実際にその場面に遭遇したときに、そうできるか確信が持てない。
気がついたら拓一耕作兄弟の年をとうに越してたのにな..(*´ω`)
Posted by ブクログ
最後にキリスト教的な話も出てくるけれど、全体として人は正直に生きるべしって気がしました。そのほうが自分として気持ちが良いから。
良いことをすれば良いことが起こり、悪いことをすれば悪いことが起こるというのは人間の希望であって、現実は悪いヤツが良い思いをしっ放しだったりもする。それを怒っている時間がもったいない。
主人公たち一家が精一杯生きていく姿に清々しく生きるということを思い出させてもらいました。そして人は1人で生きているのではないという事も感じました。
いずれ富良野や美瑛に行くときは、ここに広がる景色は十勝岳大噴火の泥流を乗り越えての美しさなのだと思いながら眺めたいと思います。
Posted by ブクログ
⭐︎4.6
泥流地帯だけで完結してしまったら、なんと悲しいものかたりだったろうか。この続編があることで、救われた気がする。わずかな光でも希望が見えて、ものかたりは終わった。
読後感はすこぶる良い。この時代背景のしかも北の大地が舞台のそれなので、明るい未来が想像できようはずがないが、一条の希望の光は差し込んだのだ。
拓一はまさに聖人と言って良い人格の持ち主だろう。耕作は人間臭い、煮え切れない衆生の人の代表と言えるのかもしれない。ふくこは菩薩と思えた。キリスト教文学と言える本作に、菩薩である、多分日本人には受け入れやすいのだろうか、そのために登場させたのかとも思える。
なんにしても、不幸不幸で終わらずによかった。いや別に、絵空事だからどう待ってもいいのだが、今作は本当に救いがあってよかった。
氷点のような終わり方だったら、どうしようと思いながら、ページを括っていた。
Posted by ブクログ
ヨブ記を題材とした、正しく生きるとは、善く生きるとは何か(=信じるとは何か)を苦難を通して表現した作品。
ヒューマンドラマの形式で、
信仰心(正しく生きる)とは何かを、寓意的に読者にわかりやすく説明していく。
「善因善果・悪因悪果の否定」という構造で非常に分かりやすく信仰心を理解できる一方で、物語全体が善行善果になってしまっているのも否めない。
本家の「ヨブ記」自体も同じ構造になっているので、本当の意味での信仰の深さや神秘性を、言葉や物語を通して表現する事に限界があるのかなと感じました。
一般大衆向けに書かれていると思うのでしょうがないですが、ニーチェが言うところのルサンチマンに陥ってしまわない様な、深みや神秘性がもっと見たかったです。
Posted by ブクログ
どんな理不尽が襲い掛かってきても、真面目に生きることで道は開けることを証明して見せた続編。
拓一・耕作兄弟は、祖父母、姉、妹、田畑を失った。それでも折れず、先祖が汗水流して開拓した土地をまた作物が育つような田畑にしたいという一心で、真っ直ぐ生きる彼らに勇気をもらった。
前作とは違い、拓一・耕作兄弟にとって唯一の近くにいる身内といってもよい修平叔父が出てくるたびに息が詰まる思いだった。
「因果応報は人間の理想だよな」耕作の放ったこの言葉がこの作品の最大のテーマと言ってもいいと思う。
Posted by ブクログ
純粋でまっすぐな気持ちで生きることは、本当に尊いですね。信じる教えを心に持って生きている人、なんか良いなぁ。
3・11から10年。
泥からの復興を目指すこの続編も含めて読むことをおすすめします。
Posted by ブクログ
大災害発生後の拓一の復興へ向けた情熱。若さにも関わらず完璧な人間ぶりは、最後に旧約聖書のヨブが登場するが、全くその人格そのものに感じた。また拓一・耕作兄弟の母・佐枝のキリスト者としての姿は祈っている場面、聖書のヨブ記にしをりを挟んでいる場面、児童たちと讃美歌を教えている場面が出てくる程度で非常に抑えているものの、やはり印象に残る姿だ。拓一や福子を始め善良な人たちの不条理な苦難が何故?というテーマがヨブ記を通して、耕作や叔父修平たちに語られる部分がこの小説の一番の主張であり、それが極めて自然に提示される!感動的な、希望を感じさせるエンディングである。
佐野文子という廃娼運動に取り組んだ実在のクリスチャン社会運動家の姿の自然な登場での紹介も素晴らしかった。
Posted by ブクログ
十勝岳の大正噴火(上富良野を中心に死者144名の大災害)を扱った大作。30年以上開拓してきた土地・人がが山津波によって一瞬で流されてしまう。真面目に生きている人間がなぜこのような苦難を受けるのか。因果応報は人間の理想。現実は決して善因善果、悪因悪果ではない。東日本大震災を重ねて読んだ。
Posted by ブクログ
修一おじさんが登場する度に涙が出そうになる。今の世で考えれば聖人のような、耕作と拓一と福ちゃんだけだと「作り話」感が否めないが、彼はとても人間らしく、重要な役回り。
節子もいいキャラクターだと思う。
「因果応報は人の希望」
であって、現実はそうではない。
なぜ、いい事ばかりしている人がこんなにも辛い目にあうのか。なぜ、悪い事ばかりしている人が悠々と生きているのか。
このあたりを考えるのが終盤のテーマ。
私は無宗教なので、人生の大道は「先祖の行い」で決まっているが、細かい部分は自分次第って考えている。ちょうどいいところ。笑
ラストシーンは、情景が浮かぶ。
白いハンカチかあ。映画で見たいなあ。
Posted by ブクログ
泥流地帯の続編。主人公兄弟が被害にあった土地を懸命に再生させようと件名に努力する姿が描かれる。兄の拓一がちょっと聖人過ぎているのと、二人のヒロイン、節子と福子の描き方に個人的には不満が残り、泥流のカタストロフが強烈な前作に比べるといまひとつな印象。でも、ヨブ記を引いて、善因善果、悪因悪果はそうあって欲しいと思う人間の願望なんだというのはなるほどと思わせるし、因果応報的な発送から離れて、真摯にまじめに生きていくことの大切さを教えてくれる。
Posted by ブクログ
泥流地帯の続編。十勝岳の爆発・泥流による壊滅状態から、一体耕作たちはどうなったのか?
正しい者が災難に遭い、悪者が繁盛する。
聖書の「ヨブ記」が作中では出て来ますが、私は「伝道者の書」を思わせられました。
すべては神のみわざであり、はじめからおわりまで人間には見きわめることはできない…。
特に印象に残ったのは、「因果応報という考え方は人の願望がつくったものなんじゃないか」という旨の耕作のことば。
希望を見いだせる結末に、読後はほっとしました。
Posted by ブクログ
聖書で学べる考え方を兄と弟を通じて対照的に表現させている。兄の考え方は立派ではあるが、作品として古い分、考え方としても古くさくなっている面は否めない。
ストーリーは様々な場面を通じて、どのように考えるかといった視点で描かれているように思われて、伏線が多い割に、全く回収されていないのが、残念か。
あるいは読み取れていないだけかもしれない。
読みやすく、厚さの割に短時間で読めるので、後年、読み返してみようと思う。
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苦難の中に生きる意味を問う。白々しくなくじっくりと読者の胸を打つ、著者の筆力。ラストシーンは「幸せの黄色いハンカチ」を彷彿させた。12.7.10
Posted by ブクログ
前編、続編含めて、苦難の意味は何かというのがテーマだ。
十勝岳爆発後の泥流地帯で生きていく家族の話。心で物事を考える長男拓一と、頭で考える耕作が様々な苦難に見舞われながら、何が正しい選択なのか考えていく。
耕作の言うことはもっともだ。でも、拓一の言うことには心を動かされる。
泥流にのまれた土地の復興に向けて汗を流す拓一だが、みなはその努力を笑い、無駄なものだと嘲った。ただ、拓一は思うのだ。もし、この努力が報われなくてもそれはそれでいい。自分の生涯に何の報いもない難儀な時間を待つのも、これは大した宝になるかもしれない、と。実りのある苦労なら誰でもする。しかし、全く何の見返りもないと知って、苦労の多い道を歩いてみるのも一つの生き方ではないのか。そう思って、自分は努力しているのだ。
勇気とは、突き詰めれば愛であると思う。愛には恐れがない。その人のために命を捨てる、これより大いなる愛はない。
善因善果、悪因悪果、いわゆる因果応報の考えは、そうあって欲しいという人間の願望に過ぎない。理想に過ぎない。願望と現実は違う。ヨブは、神から見ても当時一番正しい人だったが、それが子どもを一度に失ったり、財産を一挙に奪われたり、死ぬよりも苦しい腫物が体中にできたり大変な苦しみにあった。人間の思い通りにならないところに何か神の深い考えがあるのだろう。大事なのは、苦難にあった時、それを災難と思ってただ嘆くか、試練だと思って奮い立つか、その受け止め方が大事なのだろう。それでも正しい者に災難があるのは納得いかないと思うかもしれないが、苦難を試練だと受け止めて立ち上がった時に、立ち上がった人にだけ、苦難の意味がわかるのではないだろうか。
Posted by ブクログ
再読、のはずなのだけれど、10年以上前に読んだ作品だからなのか、内容は薄っすらとしか覚えておらず。
兄の拓一がひたすらに格好いい。
東日本大地震を頭においての再読。
Posted by ブクログ
やはり三浦綾子、後半からは基督教色が出てくる。
戻った母親はなんて良い人だろうと思うべきキャラ設定だが、私は一番嫌い。
ちょっと不思議だったのはあの時代、親に女郎に売られる娘が、結婚には否やを言えるところ。