三浦綾子のレビュー一覧
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乱世の不穏な世情ながらも幸せに暮らしていたのは上巻まで。
本能寺の変から、一気に逆賊の娘として過酷な運命に
翻弄されていく様が描かれています。
歴史的にすでに知っている方でも面白く読めると思います。
自分は何もしていない、穏かに暮らしているだけなのに
次から次へと降りかかってくる火の粉。
運命に翻弄されるってまさにこういう事ですよね。
何かにすがりたくもなる気持ちはよく理解出来ます。
ただなぜキリスト教なんでしょう?
傾倒するまでの心の移り変わりはよく描かれているのですが、
最後のところでやはり理解が及びませんでした。
信者でない私には、熱心さ真剣さは頑固さにしか思えず、
信者の心情を理解するには至りませんでしたが、
それでも玉子の生涯には感動を覚えました。
まっすぐに己の信念に従って進む姿は美しいです。
ただ死を目前に周りの者にも信者になれなれコールが
少しひつこかったかな・・・(笑) -
Posted by ブクログ
細川ガラシャ夫人とありますが、
上巻はほぼ明智光秀が主人公って感じです。
光秀の描かれ方がとても新鮮で面白く、一気に読めてしまいました。
悪く言われがちな光秀がこの本では苦労人でありながら教養豊かで思慮深く、
武勇にも優れた素晴らしい人物のように描かれています。
史実的にと言うよりは作者の目線で描かれた光秀像ですが、
玉子が父である光秀から多いに影響を受けた様子やら、
かなりの信頼を寄せていたらしい記述を鑑みると、
かなり美化されてる感は否めませんが、
これに近い人物なのではないかなと思えてきます。
戦国の世における家族や女性がどのようであるかなど、
これも作者目線ではありますが興味深いです。
下巻もとても楽しみです。 -
Posted by ブクログ
修一おじさんが登場する度に涙が出そうになる。今の世で考えれば聖人のような、耕作と拓一と福ちゃんだけだと「作り話」感が否めないが、彼はとても人間らしく、重要な役回り。
節子もいいキャラクターだと思う。
「因果応報は人の希望」
であって、現実はそうではない。
なぜ、いい事ばかりしている人がこんなにも辛い目にあうのか。なぜ、悪い事ばかりしている人が悠々と生きているのか。
このあたりを考えるのが終盤のテーマ。
私は無宗教なので、人生の大道は「先祖の行い」で決まっているが、細かい部分は自分次第って考えている。ちょうどいいところ。笑
ラストシーンは、情景が浮かぶ。
白いハンカチかあ。映画で見たいなあ。 -
Posted by ブクログ
主人公が塩狩峠の人に似てる!
不穏な時代でも、自分の信念を貫いてる人たちがでてくる、見習いたい。
竜太、政太郎、美千代、芳子、坂部先生、沖島先生、木下先生等々。
「迷ったときは、自分の損する方を選んだらいい」
「人間は誰でも、尋ねられたくないものをもっているもんだ。隠しておきたいことは、聞いても語らんだろうし、聞いて欲しいことは、聞かんでも自分で語るもんだ」
「自分の人生をいきるということは、いわば真っ白な布の上を歩いていくようなもんだ。そこに記された自分の足跡が乱れるのも乱れないのも、自分の責任だ」
チェーホフ『孤独が恐ろしかったら結婚するな』 -
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ネタバレ聖書読んでるみたい?(聖書読んだことないですが・・)
な感じ。ゆるすとは、愛とは。
あらためて今読むと、時代を感じます。いろいろ理不尽なことも多く、自由に恋愛も結婚も出来なかった時代。自分でどこかで理不尽を受け入れる手段の宗教感。
生きていくって辛かったり、理不尽だったり、昔も今も変わらないようで、やっぱり昔のほうが生きにくかった、自由が少なかったのだろうなと感じました。
物語の中ではゆるしすぎに感じました。ゆるし、愛せば・・・。聖書で説いてるならそういうものと思いますが、物語だと御伽噺みたいに感じてしまいました。
心の持ちようはそうありたいですけどね^^ -
Posted by ブクログ
許せない私を、まずは許そう
あの笑点のもととなった作品、氷点(タイトルをもじっただけで、内容は何も関係ありません)の作者、三浦先生の本。
何かヒントにならないかと、キーワードをグーグル検索した中で、三浦先生の本をピックアップして読みました。
三浦先生の本にして良かった。ヒントの言葉、自分を省みるよすがになる話があり、今の自分に沁みました。
特に
あなたがたのうち、罪のない者が、先ずこの女に石を投げつけるがよい
という「ヨハネによる福音書」の「姦淫の女の話」が。罪のない人間はいない。誰しもが、罰し、罰しられないのだ。
自分を苦しめる思想から、一つ解き放たれたような気持がしました。
さすが、稀代のベストセラー書籍。いいことを言うもんです。(聖書にそんな言い方するんじゃありません)
これは、三浦先生の旦那様の言葉ですが、
次に指す手を三つ考えろ
という言葉。将棋のように、人生でもあてはまる言葉だと、紹介されています。
私もややもすれば自分で選んだはずなのに、強制されている気持ちになり、辛く追い込まれているようになってしまうきらいがあります。
そんな時に「辞めてもいい、続けてもいい、変えてもいい。選ぶのは自分だ」と思えるようになりたいな、と視野が広がって、行動は変わらなくても、自分で選んでいるのだ、と自発的な気持ちを取り戻すよすがとなりました。
ややもすると自分を責めてしまうきらいがある私にとって、まずは許せない自分をゆるすことから、はじめて行こうと思いました。
そして、自虐ではなく、謙虚な気持ちを探していきたいと思います。
同じ生きるなら、こうしか生きられないでなくて、こうも生きられる、という気持ちのゆとりが欲しいものよね。その時、人生が深くなるんじゃないかしら
そしてこの言葉も響いたな。
本当に私たちを支えてくれるものは、いったい何なのだろう。素敵なソファか、大きな冷蔵庫か、ひろびろした住宅か。まさかそうではあるまい。その時私たちを支えてくれるのは、力強い励ましの言葉ではないだろうか。真理にもとづいた慰めの言葉ではないだろうか。
直近で、こういう時に手痛い言葉でずたずたになった時、支えとなったのは慰めの言葉でした。
弱っていた自分には、一般常識に基づいた言葉は響かず、時に刃になるのだと知りました。
あたたかい言葉を私にくれた方たちへの恩は、忘れずにいたいと改めて感じました。
私は自分の持っている趣味の事を半ば「宗教だ」と言うことがあります。
それだけ自分の人生の支えなんですね。
そういったものを持っていなければ、またそういった土台を失ったら、キリスト教に目覚めるのではないか、という気もしなくもありません。
弱った心にお粥のように沁み渡るものだ、と朝夕読むにつけ感じた次第です。