あらすじ
精神の自由と情熱をつらぬいた茶聖・千利休の半生記を描いた歴史長編。
三好長慶を異母兄に持つお稲は、武力の強さにあこがれ、茶の湯の天才である夫・利休を軽んじていた。利休はそれでも家族を大切にしていたが、能の天才・宮王三郎の妻女・おりきに出会い、激しく心を奪われてしまう・・・。
利休の、反権力的な堺町人文化の一頂点でもある茶の湯の道を極めていく縦軸と、おりきへの激しい思いを横軸に、戦国時代を描いた歴史長編。精神の自由と情熱をつらぬく強さを持った男の半生記でもある。
「三浦綾子電子全集」付録として、著者が裏千家茶道の機関誌である月刊茶道誌『月刊淡交』に寄稿したエッセイ、著者の手によるぐい呑み写真を収録!
感情タグBEST3
Posted by ブクログ
「利休にたずねよ」を読み、映画を見てからこの本を読んでいる。「利休にたずねよ」では、後妻の宗恩の嫉妬を描いていたが、この本では、本妻、お稲の嫉妬を取り上げている点が興味深かった。
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中学生か高校生のときにはじめて読んだ。
それまでよく知らなかった、千利休の生涯について描かれた小説。
茶聖と呼ばれた千利休の、人間くさい部分も描かれていて、ぐっと身近に感じられた。
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三浦作品は読むたびに深く新鮮な感動を与えてくれる。
千利休が高い地位や見知にありながらも茶人としての在り方を問い続け改革し続けた生き方に心が揺さぶられた。その利休に大きな影響を与えたおりきの姿と二人の深い尊敬と信頼で結ばれた愛情にも。
千利休の茶の湯がどんなものだったのか、もっと知りたい。
Posted by ブクログ
千利休の生涯を家族を中心に書かれた小説です。千利休や妻おりきのなりそめ等、とても身近に感じられて良い小説です。お茶の世界で今日まで伝えられている様々なエピソードも、いろいろな場面に織り交ぜられており、イメージが沸いてきます。特にこの小説を通しておりきに好感を覚え、ファンになる方などもいるかも...と思っております。
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☆ユウ
お爺ちゃんの本棚を物色中に発掘した本。タイトルの”その妻たち”に何やらシンパシーを感じ読み出す。おおお爺ちゃんこの本ってばこの本もしかして。。官能小。。ではなかったけど俺には刺激が強かった。千利休って最後は切腹させられたんや。昔のことやのに現代の文体で書かれてるから引き込まれた。茶道にも興味がでた一冊。
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茶聖千利休が後に後妻となるおりきと出会う所からストーリーが展開する。上下巻で切腹によって幕を閉じるまでを鮮やかに描く。
話の中で道具出てきたりお点前のシーンでは、以前お茶のお稽古に行っていた頃を思い出し、そういう経緯で現在の茶道の形ができたのかと興味深く読み進めた。
山本兼一著の『利休に尋ねよ』と被る部分も多いが、書き手によって浮き彫りにされる利休の人物像が変わりそれもまた面白い。
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時代も考え方も、道徳も全然違う文化。
今に移り変わってく端を感じる。
今の世の中もどことなくそんな雰囲気がある。
当たり前が当たり前でなくなっていくことは、今までにもあった事なのだなあと思う。
登場人物の心の中が良く描かれていて、どきどきする。
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利休の歴史を面白く読める1冊。濃茶の始まり、黒楽の始まり、大津袋の始まり、にじり口の始まりなど、宗恩の影響がこれほど大きいとは知りませんでした。
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愛にも美を追求する利休の物語。『利休にたずねよ』より先にこっちを読みたかった。章ごとに数年の時間間隔がある三浦綾子の文体も読み慣れてくると心地良い。上巻終えてまだ序盤、というところで星4つ。
Posted by ブクログ
今では考えられないくらい浄不浄の観念が顕著で、
個人の意思よりも道徳や社会の目が重んじられていた。
その社会通念に従って意思とは相反する行動をとることが
美徳とされている節がある。
ここまではまあ一般常識だとして、
本書ではこうした観念にさらにキリスト教的価値観が入り組んでくる所が
見所。
何がどうなのかなんて、一概には言えないんですね。
自分の行動に自信が無いならば常識を便にすれば宜しい、
というのはどの時代にも共通していえることなんだろうか。
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文章に慣れるのに時間がかかったり、昔ながらの価値観でさくさくと読み進められなかったりしたが、単純ではない人間模様を楽しむことができた。下巻を読むのが楽しみ。
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千宗易、妻お稲は有力な武将三好長慶の姉であった。あるとき、千宗易は名高い能楽師であり、茶の湯では弟子にあたる宮王三郎の元で、その妻おりきと出会い、ひと目で心惹かれてしまう。
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後年の千利休の妻となった おりき は、キリシタンになったが、千利休は、その教えを一部見た目はするものの、信者にはならなかった。ただ、茶道を極めるために、その考えや作法を取り入れたりした。
千利休は、茶道に一途だったが、秀吉の力には屈することも多かった。黄金の茶室を作らざるを得なかったりしたことに、自分が情けなく思うことが多かった。そんなことがつもり、世間の評判も気にしていたが、最終的には、秀吉に屈するのはいけないと思い、命乞いすることなく、甘んじて切腹を受け入れたかんじである。
随所にキリストの教えは出てくるが、深くはなく、また、歴史小説としても中途半端を感じた。
全2巻