あらすじ
精神の自由と情熱をつらぬいた茶聖・千利休の半生記を描いた歴史長編。
三好長慶を異母兄に持つお稲は、武力の強さにあこがれ、茶の湯の天才である夫・利休を軽んじていた。利休はそれでも家族を大切にしていたが、能の天才・宮王三郎の妻女・おりきに出会い、激しく心を奪われてしまう・・・。
利休の、反権力的な堺町人文化の一頂点でもある茶の湯の道を極めていく縦軸と、おりきへの激しい思いを横軸に、戦国時代を描いた歴史長編。精神の自由と情熱をつらぬく強さを持った男の半生記でもある。
「三浦綾子電子全集」付録として、著者が裏千家茶道の機関誌である月刊茶道誌『月刊淡交』に寄稿したエッセイ、著者の手によるぐい呑み写真を収録!
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Posted by ブクログ
茶聖千利休が後に後妻となるおりきと出会う所からストーリーが展開する。上下巻で切腹によって幕を閉じるまでを鮮やかに描く。
話の中で道具出てきたりお点前のシーンでは、以前お茶のお稽古に行っていた頃を思い出し、そういう経緯で現在の茶道の形ができたのかと興味深く読み進めた。
山本兼一著の『利休に尋ねよ』と被る部分も多いが、書き手によって浮き彫りにされる利休の人物像が変わりそれもまた面白い。
Posted by ブクログ
今では考えられないくらい浄不浄の観念が顕著で、
個人の意思よりも道徳や社会の目が重んじられていた。
その社会通念に従って意思とは相反する行動をとることが
美徳とされている節がある。
ここまではまあ一般常識だとして、
本書ではこうした観念にさらにキリスト教的価値観が入り組んでくる所が
見所。
何がどうなのかなんて、一概には言えないんですね。
自分の行動に自信が無いならば常識を便にすれば宜しい、
というのはどの時代にも共通していえることなんだろうか。
Posted by ブクログ
後年の千利休の妻となった おりき は、キリシタンになったが、千利休は、その教えを一部見た目はするものの、信者にはならなかった。ただ、茶道を極めるために、その考えや作法を取り入れたりした。
千利休は、茶道に一途だったが、秀吉の力には屈することも多かった。黄金の茶室を作らざるを得なかったりしたことに、自分が情けなく思うことが多かった。そんなことがつもり、世間の評判も気にしていたが、最終的には、秀吉に屈するのはいけないと思い、命乞いすることなく、甘んじて切腹を受け入れたかんじである。
随所にキリストの教えは出てくるが、深くはなく、また、歴史小説としても中途半端を感じた。
全2巻