宇野重規のレビュー一覧
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学問と政治 学術会議任命拒否問題とは何か
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Posted by ブクログ
「民主主義」を説明する際には主権論やルソーの一般意志が引き合いに出される。しかし現代社会においては右派・左派の分断を引き合いに出すまでもなく、社会の総意としての一般意志が存在するという仮定は機能しなくなっているのではないかという疑問は研究者でなくとも持つものだろう。
本書は学術会議の任命拒否問題でも注目を集めた宇野重規教授による一般向けの「新しい民主主義」解説書である。本書において宇野は一般意志を理想とした従来の民主主義観から、プラグマティズム的な民主主義観への転換を試みている。
プラグマティズムというと「観念的な要素を一切考えずに実用性のみを追い求める思想」のように見えるが、宇野は丁寧に思想的な沿革を説明することでプラグマティズムを「習慣をもとに社会を変革していく思想」と捉え直していく。
歴史的な経緯を踏まえると、大陸欧州の政治学というものが宗教内乱から成立している。宗教という「絶対に合意できない内面」の存在をベースにし、内面的な交流を持たず経済的利益をもとに合意をはかる脆弱な個人を想定したものである。
そのため、大陸欧州における政治学というものは宗教内乱や全体主義の経験をベースにした「依存」への恐怖を強調しがちになっている。
しかし、実際には個人は様々な依存の回路を持っており、多様な社会との関わりから習慣を形成する。ここでいう習慣という概念こそ、プラグマティズムの根幹であると宇野は強調する。
パース~デューイに至るプラグマティズムの思想において重視される習慣=habitはラテン語のhabitusを語源としているが、habitusは日本語の習慣よりも射程の広い言葉で、身体知や智慧に基づいた人格を指すものであった。
科学哲学をはじめ様々な分野においても多大な功績を残したパースは決定論を排し、統計を重んじた。宇宙はランダムであるが傾向は存在する。ランダムと法則を繋ぐのが習慣=もし○○であれば△△するという信念の結晶化である。
このif-thenの集合である習慣は社会知とみることができる。1960年代のアメリカにおける公民権運動においては「信頼する友人を救いたい」という社会習慣と、その背後にある強い結びつきがあった。この思いが弱い繋がりによって爆発的に拡散し、キング牧師がカリスマによって習慣を作り出したというのが宇野の見立てだ。
現代における弱い繋がりはSNSと繋がっており、アーレントの表現を借りれば「アトム化」した個人を再び結びつけていると宇野は論じているが、2013年に刊行された書籍というだけあってかなり楽観的な見方であろう。
終章ではオバマの政治思想とプラグマティズムを結びつけかなり肯定的な見方をしているが、オバマ政権の行き詰まりとトランプ政権の誕生を見ている現在からすると非常に楽観的と言わざるをえない。
確かに習慣は世界を変えうる。反差別や環境保護の分野ではかつてのリベラル知識人の努力が社会知に転化し、大きなうねりとなっている。その一方で社会知は容易に過激化し、ともすれば行き過ぎと言われるポリティカル・コレクトネスを生んでもいる。
習慣がどうやって過激思想に転化するのかは本書のスコープ外であろうが、その点はやはり気になってしまう。 -
Posted by ブクログ
今話題の「学術会議」拒否問題の渦中?の宇野先生の著書。豊島岡女子中高校で先生が実際に行ったワークショップ?が元になっている。大学教員が中高生が目的意識を持ちやすいようにわかりやすく問題設定を行い、考えてもらうようにできているので読みやすい。ルソー・カント・ヘーゲルからトクヴィル・ウイリアムスジェームスまで、広く哲学者の問題意識に即した思想を紹介しつつ、今の日本の政治の問題点を炙り出している。やはり一番印象に残ったのは、「多数決は一つの決め方にすぎない。昔からあって当たり前と思っている制度も、たかだか200年前ぐらい前にできた
ものであり、問題点を考えながらアップデートしていく必要がある」という事。ボルダ・ルール、二回投票制、分人民主主義などは、多数決よりも良い面が確実にあると思わせてくれる。
この本でも問題になっているが、私は小選挙区制になってから日本人の政治離れは進んだと思う。日本に二大政党制が向かないことは明らかで、断絶と多様性の排除が進んでいるように感じる。熟慮民主主義は理想に過ぎないだろうが、政治の制度設計から考え直していかないと、小手先の「選挙に行きましょう」という呼びかけも虚しさしか残らないと思う。実際の政治の場以外に、市民がそのようなことを話し合える場所をどのように作っていくのか、そういうプラットフォーム造りこそが大事だと思うし、宇野さん自身が述べているように、「弱いつながり」としてのプラットフォームが大事に気がする。それは、東浩紀がゲンロン、やシラス、でやろうとしていることにも繋がる気がする。 -
Posted by ブクログ
東大教授の著者が豊島岡女子学園の生徒たちに対して行った全5回の講義をもとに人と一緒にいることと政治について様々な観点から向き合い方についてまとめた一冊。
選挙や男女平等、働きかた、未来予測など様々なテーマについて政治について講義されていて非常に考えさせられる内容でした。
また講義を聞いている学生たちの意識の高さにも舌を巻きました。
2016年の大統領選挙のことや今の民主主義の弱点などを知れたり、働きかたや社会保障と税負担の問題など自分たちの生活の中にも密接に関係のある政治について書かれており関心が深まる内容となっていました。
また、ロールズやルソー、カント、ヘーゲルといった考え方から政治を考えるアプローチも面白いと感じました。
そして選挙の投票だけではなく熟議民主主義やプラグマティズムといった意志の主張方法もあることも知ることができました。
そんな本書の中でもジョブ型とメンバーシップ型の働きかたの違いや弱いつながりが大切なことは印象に残りました。また、文人民主主義や世代別選挙区といったものも今の政治に一石を投じる考えで興味深いものだと感じました。
いろいろな人が一緒に暮らしていく為に必要なものが政治であるということが理解でき、自分たちの生活の身近なところで政治との結びつきを意識しながら生活していくことで未来をいい方向に向けていくことができるのではないかと感じた一冊でした。 -
Posted by ブクログ
大学の先生が、大人のために、個人主義とかGDPとか多数決とか公正や信頼などについて解説してくれる本。
多数決は何かを決めるときに必ずしもベストな手段ではないとか、なるほど。
利己主義は昔からあるけれど、個人主義は比較的新しいもので、国によって発生過程が異なり、「フランス革命に反対する勢力が、社会を解体する良くないものだと否定する文脈から登場し、19世紀半ば以降の英国では、個人の自由な経済活動が『小さな政府』とセットで強調されるようになり、哲学と文学が盛んだったドイツでは多様な個性を重んじる個人主義が重んじられ、アメリカでは他人の力を借りず一人でやりとげる『セルフ・メイド・マン』の概念と結びついた」という話。
統計的に言えば、一定の社会的属性に入る人たちが例えば失業という共通のピンチに瀕していても、一人ひとりにとっては自分だけの問題のように感じてしまう。このことを、「集団・階層」から「個別の状況や個人史」への「社会学的革命」と呼び、本来は社会的な背景をもっており個人のせいにはできないような事柄までも個人の問題のようになってしまった。なるほどねー。社会問題の個人化ってわけだ。
という具合に興味深い話が多かったのだけれど、特に、第二章の「勤労」が面白かった。
岸信介政権の「国民皆保険」と「国民皆年金」は、日米安保が批判されていたので、アメとムチとして導入された→池田勇人内閣では、社会保障はぜいたくだとされ、働く者たちへ減税で報いた→経済成長とともに増える税収→減税、1947年以降国債発行しなくてもよくなった=「小さな政府」となった→貯蓄が増える、財政投融資も増える→さらに成長=「勤労国家」→バブル崩壊→消費低迷、物価下落、貸し渋り→企業は非正規雇用増やす→政府債務悪化、1995年財政危機宣言→政治家は個別の有権者の利益を提供するようになり(中小企業対策、農家の所得補償、地方向け公共投資など)→特定の誰かのための利益の寄せ集めのような財政→ジニ係数が増え、相対的貧困率も高くなった。福祉国家の実態は、経済成長に依存しており、景気が停滞するとすぐに不安定になっていった。なるほどー。 -
Posted by ブクログ
近代化がある程度達成されることで、人びとが自分を他者と平等であるような存在だと考えるようになり、そのために自他の違いについてますます敏感にならざるをえないことが、現代の社会のさまざまなひずみを生み出していることを、トクヴィルをはじめ現代の多くの社会学者たちの議論を参照しながら考察している本です。
ウルリッヒ・ベックによって焦点が向けられて以来、さかんに論じられてきた再帰的近代化の一つの側面を、わかりやすくていねいに論じています。著者は、単に問題の所在を指摘するだけでなく、それに対する処方箋を提示することもみずからの責務だと考えているようですが、結論としてはやや弱いと感じられます。また、かならずしもそうした処方箋を示す必要があるとも思えません。
とはいえ、全体を通じて関心を惹かれた論点がいくつもあり、興味深く読みました。