宇野重規のレビュー一覧
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現代社会の抱える課題について、経済学・歴史学・政治学・社会学の視点から考えている作品です。
経済成長の基準とされる「GDP」について、その数値が示すものの意味と、GDP値を上昇させることの意味。
また、日本において根深く残る「勤労」感(働かざる者食うべからず、として貧困層をかれらの努力不足と断じる姿勢など)がどのように醸成されてきたのか。
多数決で物事を決定してゆく民主主義が抱えているシステム的な「課題」や、また「社会福祉」として行われる弱者救済が「人びとのニーズ」に合致しなければならないことなど、「これから先の社会」を考える前提としての「現代の社会」について、どのような仕組みで動いているのか、その歴史的な変遷をも含めて解説されている前半部分はとてもわかりやすく、大きな学びとなりました。
後半の記述の内、「11章 公」の章は少し議論が抽象的・概念的なものとなり、読みづらい印象ではありました。
「希望」とは単純な楽観主義ではありませんが、現在の社会状況を正確に把握し、構成員の多くが納得できる形で「より良い社会」へと更新してゆくために何ができるのか、を考えるきっかけを与えてくれる書籍です。 -
Posted by ブクログ
前々から気になっていた井出英策。今年一発目の本として「日本財政 転換の指針」を開き、ちょうど就任式を迎えたトランプ大統領の移民を排斥しようとする政策がなぜ得票に繋がるのか?の不思議に始めて明快な説明を受けたような気がして、講演会も聴きに行き、そこで民進党の前原誠司のブレーンとして研究だけじゃなく現実にコミットする!という宣言を聴き、著作も辿りながら、「財政」という自分にとっての新しいキーワードを手繰ってきた2017年は「大人のための社会科」を読んでの締めくくりとなりました。たぶん彼の案による「all for all」にも強いメッセージを感じ期待もしていたのですが、呆気なくテイクオフ出来ず瓦解崩壊。大丈夫?井出先生!でも熱い「上から目線」で反知性主義に抵抗するという本書の最終章は「希望」。『「進歩」が「第一の近代」を主導する理念であったとすれば、「第二の近代」を動かす理念として「希望」に注目が集まっているのかもしれません。』『希望という「ウォームハート」と社会科学という「クールヘッド」を結びつけること、これこそが本書のメッセージなのです。』いまをかえるための希望の希望を閉じたのが希望の党という皮肉。もっと読みたい考えたい「公」「共」「私」の新しい関係を。
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ネタバレ読書途中。20人の講師による。一人90分の講演会の収録である。一気に読めるはずもなく、じわじわと読んだ。
姜尚中の講演のなかで、夏目漱石が奥さんをなぐっていたエピソードがあった。ノイローゼであったらしい。私は夏目漱石になれないけど、夏目漱石よりましだなと少し思った。考えかたとしてまちがっているのかな?どんな偉い人もほんとうにいろいろな苦しみにもがいていきているのだと思い直した。
20名全て役に立つわけでないが、中には、気に入る人もいるかもしれないとのことだろうか?3.11後の話など考えさせられたり。光触媒の話は興味を覚えた。文学、美術に関心を持った。宇宙論や素粒子の話は、わからないので、もういいとの気持ちであった。こんな講演会を聞けるのは、エリートの家の子供だからいいなとひがみたくなるが、本として出版されているので、誰でも接する機会があるのだと思い直す。マスターキートンにあった、「勉強はどこでもできる。便所でも」を思い出す。 -
Posted by ブクログ
筆者は、イギリス社会学者アンソニー・ギデンズが用いた「ポスト伝統的社会秩序」という言葉の解説によせて、今や広義の原理主義が台頭したと指摘する。なにが「伝統」でなにが「権威」かなど再定義する意味はなく、人々は守ろうとしているものが「私の伝統」「私の権威」に過ぎないという可能性を認めている。「進歩」や「革新」といった言葉が輝きを失った現在、それに相対して生まれた保守主義もまた迷走をはじめたというのである。しかしながらそれでも、共通の認識を欠いたまま「保守」を自認する人が増えているとき、「保守とはなにか」という疑問が生じる。本書はそうした経緯でもって著されたようである。
本書の冒頭にて筆者が引用しているチャーチルの言葉に、「20歳のときにリベラルでないなら、情熱が足らない。40歳のときに保守主義者でないなら、思慮が足らない」というものがある。わたしは20代であるから、チャーチルの論理でいえば正常で、保守主義に対する嫌悪感がある。良い伝統はあるだろう。実益のある権威もあるだろう。しかし他方で、その伝統と権威に圧殺されているものもあるだろう。
保守とは、守るべきものがある「一人前」の上からの権利主張ではないか。守るものもない、ただ生きることに精一杯の「半人前」には縁遠い。しかしながら、「半人前」が再生産される閉鎖的な社会にこそ保守は力を増す。保守の射程にあるのは、人でなく国であり制度である。秩序あっての人。そのリアリズム、割り切りの良さにやるせなさを感じるのは、わたしが20代だからか。
以上のように、相容れないとは思うけれど、わたしが違和感を感じる相手とはなにかを知りたい。だからこそ本書を手にとったわけだが、読み終えてみて、なるほどやはり「うっとおしい」と感じる箇所はある。けれどわたしの理解は、多様化した「保守主義」の一面しかとらえられていないこともまた学んだ。
とくにここで詳しくは述べないが、 エドマンド・バークの「偏見」を逆手にとった政治、オークショットの「人類の会話」という考え方などには非常に惹かれた。守るだけではなく部分的変更を加えること、すなわちは現実的困難から逃避しない態度、自由への容易ならざる闘い、それは耳触りのよい理想論よりよほど魅力がある。
しかし一点、どうにも納得のいかない箇所がある。わたしは普段「宗教」を軸にフランス史をみている。だからこその疑問なのだが、筆者はフランス革命を歴史における「断絶」とする。すべてをさらにしてしまった革命。たしかにそれは妥当な指摘ではある。しかし、種ないところに生命はない。フランス革命は、はたして過去の否定なのだろうか。すくなくとも宗教に関していうのであれば、長い歴史を紐解いてみたとき、フランスはケルト、ローマ、ゲルマン等々の宗教からついぞ解脱することはなく、キリスト教は妥協の歴史を編んできたのであり、ライシテにしても、フランク王国とローマ教会が接近したときからの絶えざる主導権争いに土台がある。フランス革命はあらゆる起爆剤になったが、引火物なければ爆発もない。否定ではない。フランス革命にも保守のいう「伝統」はある。抽象的な概念を持ち出す政治体制は、むしろフランスの伝統でさえあるように思うのだが、まだわたしの理解が足らないのか。文脈が別のところにあったとしても、やはり筆者の主張にはまだ疑問が残る。勉強はつづく。 -
Posted by ブクログ
ネタバレ現代の日本人、特に若者の抱えているもやもやとした感情や思いを、社会学としてトクヴィルの平等理論を柱に用いて説明。
・〈私〉であることを強く求めるようになっており、そのため〈私たち〉というデモクラシーを起こす事が難しくなってしまっている。社会の中で以前は機能していた、公私をつなぐ中間の存在が、企業など、役割を縮小していることが一因
・一方で、〈私〉であろうとするには、社会が機能していなければならない。なぜなら、〈私〉であるためにはどうしても他との比較が必要であり、かつ、〈私〉でいてもよいという承認機能を持つのは社会であるから。
など。
他、印象に残ったこと。
・社会問題が個人問題として現出する。
・ノブレスオブリージュや名誉、といった概念は階層がある、つまり不平等を前提にした社会において成り立っていた
・グローバリゼーションにより、国家は「美観」を気にするようになり社会との差異を生んでいる。美観を気にする事により、そこについてくる事の出来ない国民を気にかけている余裕がなくなっている -
Posted by ブクログ
ネタバレ〈私〉が唯一の価値基準となった現代にデモクラシーを取り戻すことを論じた本。
現代では〈私〉のことは〈私〉が決めることが前提となっていますが、〈私〉だけでは解決できないことも当然ある。そこで、〈私たち〉の意志で問題を解決すること(=デモクラシー)が必要となる。
興味深いのは、現代は「前のめり」の社会になっているという論。全ての人がその仕事の”プロ”であることが求められ。待つことを許さない社会。その中では、今までと異なり、人生の見通しが立たないまま自己コントロールだけが求められる。
そして、こうなった経緯には20世紀から福祉国家化が進み、家族の中でも個人化が進んだため、前提なしの状態で自分の生き方を決める必要性が出てきたため。
ハージの「パラノイア・ナショナリズム」や「人間は希望する主体」といった論も面白い。前者は小熊英二『”癒し”のナショナリズム』で示されたような、”憂慮する市民”が不当に厚遇されているとされる人々(在日永住外国人など)に憤りを示す行為に見られる新たのナショナリズムの潮流。そして後者は、人間を希望する主体であるとし、社会は希望と社会的機会を与えるために存在するという論。もともと、国家と社会は単なる〈強制、被強制〉だけでなく、相互補完的な一面もある。
現代人は自己に閉じこもり、政治や公共について無関心だが、他者の影響を受けやすいという論(リースマンの”他者志向”)がある。この背景には現代人が「自分は然るべきリスペクト(日本語の”尊敬”と異なり、リスペクトする側とされる側の立場が対等の場合でも用いる)」を受けていないと考えているためだとされます。そこで、著者は自己へのこだわりと他者との比較を「共感」で繋ぐ必要があると主張する。
何だか、分かったような分からなかったようで消化不良。もう一度時間をおいて読みたい。全体的には同意できる内容だった。