宇野重規のレビュー一覧
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Posted by ブクログ
トクヴィルの「平等化」という概念を出発点にして、近年の政治学・社会学の知見を踏まえつつ、平易な筆致でコンパクトかつ包括的な視野でまとめた良書。
デモクラシーつまり民主制とは、社会のありかたないし政治というものを、私たちが決める制度である。だからタイトルは、私が私たちの社会を決める時代という、ごく当たり前の事を言っているようにも見える。
しかし、「私から私たちへ」と繋がる回路が、現代は困難を迎えているというのが筆者の視点である。しかもそれは近代の出発点から埋め込まれていたという。筆者はトクヴィルの「平等化」という概念から〈私〉というものを特徴づける。
「〈私〉は、一人ひとりが強い自意識を持ち、自分の固有性にこだわります。しかしながら、そのような一人ひとりの自意識は、社会全体として見ると、どことなく似通っており誰一人特別な存在はいません。」(まえがきⅷ)
つまり〈私〉とは、私が独特であるという固有性/独特である私という凡庸さ、という二つに引き裂かれた存在だと言える。〈私〉とは、他者と比較しながら私自身によって私を定義することを強いられる。
もちろんこの〈私〉という定義は、ある意味古典的ともいえる認識である。しかし「〈私〉時代」とタイトルにあるように、また本書の第一章の始めが「グローバルな平等化の波」とあるように、世界規模で〈私〉化が展開されているのが、現代なのである。
本書は「平等化」「〈私〉」を鍵概念として、世界また日本における平等意識の変容(第一章)、「社会的不平等の個人化」とも特徴付けられる現代の個人主義の意味変容(第二章)、現代日本の政治における私ー公の短絡とナショナリズム(第三章)を分析していく。
そして第四章において、熟議民主主義的なプロセスの効果として現れる「共感」(スミス)を他者への回路として、「希望の分配のメカニズム」としての社会を再構築することが企図される。 -
Posted by ブクログ
完全に整理し切れてはいないと思うが、現代日本の閉塞感を端々でうまく捉えている本だと思う。
結局戦後の日本を支えてきたのは、アイデンティティから福祉までを丸抱えするという企業の家族的経営であり、それが失われた現代にそれに代わる人々に対する受け皿が現れていないことが現代日本人の不安を煽っていると考えられる。
企業が従業員の生活を丸ごと面倒見るというモデルが国際競争のためにもはや維持できない以上、それに代わる社会保障は国か社会が支えるしかない。
ここでいう社会とは行政のような強制的制度を用いない互助会であったり、地域コミュニティがあたると思うが、アメリカのNPOや教会のような役割を日本の地域はまだ果たせていない。その背景には、元々企業をはじめとする特定の中間団体に属しウチとソトで態度を変えてきた日本人が、地域を軸とする人間関係に仲間意識を抱けていないことに原因があると思う。
また、ではかと言って国が社会保障を引き受ける北欧型の社会保障が成り立つかといえば、地域と同様、国民全体を対象に富の再分配を行うようなビジョンを描き、人々を納得させられるような人間が少ない。結局右肩上がりの戦後日本では、よく言われるように限られたパイの再分配という真の意味での政治は必要なく、成長する経済の果実を地域間のバランスが崩れすぎないようにそれなりに地元に誘導すれば良かったからだ。
しかし、この陥穽から抜け出すために必要なものはいったい何なのか。
今流行りの新党だろうか。社会企業家だろうか。ビジネスマインドを注入したシンクタンクだろうか。地方の創意工夫だろうか。
正にこの本が示すように、どうやってばらばらになった個人を再びデモクラシーの回路へとつなげていくことができるのか。それとももはやいわゆるデモクラシーは必要なく、ビジネスの論理の応用(社会企業家等)や新たなIT技術によるコミュニケーションの変容(ツイッター等)で解決可能な問題なのだろうか。
思うのは問われているのは正解(What)ではなく、やり方(How)であるということ。そのとき一番大事になるのは意志と共感を得る力、いわゆるリーダーシップというものだろう。
そう考えると、そもそも物事を動かすのにまず必要なのは強制力がない中で人々を巻き込んでムーブメントを起こす力=リーダーシップだ。行政や政治が強制力を持ってことにあたれるのは、ムーブメントが一定の手続きを経て権力の正統性を与えられた場合のみである。
その意味で、社会が大きくパラダイムを変えるときに官僚やコンサルタントのように正解を求めるだけでは何も生み出せないのと同じなのだろう。
となると、次の課題は、いかに大衆の支持を得るかということになるが、その際、いかに元々あった信念を曲げず、わかりやすく人々に伝え、支持を得るか。何より、ボランタリーにリーダーシップを発揮することがその人個人の競争戦略上不利になることが多い社会で暮らしている場合、めげずにリーダーシップを発揮することは経験上非常に難しくつらい。
それを乗り越えられるだけの何かが必要だ。 -
Posted by ブクログ
政治について高校生くらいの人が読み始めるのにすごくいい本だった。
私も政治について詳しく知らないので、はじめに読むのに良かった。
これからどんどん詳しく新書などで知見を深めていきたい。
「人と一緒にいること」の政治学というサブタイトルがぴったり。
以下抜粋
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そのときどきで、好きな人と接続できる「弱いつながり」の柔軟なシステムをつくっていくということ。「強いつながり」だけで物事を判断し、敵か味方か、強いのはどこか、だけを見ていては、世界の動きを捉えることはできません。むしろ、世界の多様な流れに、自分をどう接続していけるか。どのような仲間を見つけて、いかに新たなネットワークをつくり出すか。そのための性能の良いコンパスが、一人ひとりの生き方にとっても、政治を考える上でも大切になってくると思います。 -
Posted by ブクログ
ネタバレこれからの政治のあり方を政治学説とりわけ大戦間の危機の時代の思想を引きながら語る。共同体や共同の意識を重視。理想はともかく実現の道筋も示すものの、困難。
19世紀のヨーロッパの秩序がWW1で崩壊した後両大戦間は危機の時代。現代も同様の危機、情報革命による新たなメディアの政治への活用、グローバル化、覇権の崩壊・弱体化・新たな覇権の不在という共通点。
政治は、「みんなにとって善いこと(共通善)」を正当な手続きによって実現する営み。
・政治とは、複数性の共存をはかる人間の知恵の技術
・透明性を確保された公共の場において、暴力ではなく言葉によって、共同の意思決定を行うこと
・政治を考察する際は、アリストテレス以来の西洋政治のタームに縛られるが、本来西洋だけに政治があったわけではない。非西洋化・相対化は困難。
・フクシマ「政治の起源」では、国家、法の支配、民主的アカウンタビリティを政治の3要素として中国から始めているが、タームは西洋政治
・グレーバー「万物の黎明」では、首長部族社会が国家を出現させない精緻な仕組とされているが、人間は政治的動物との概念は西洋政治。
・ダール「ポリアーキー」では、野党による批判と政党間の公平は競争のもと、多元的な集団間の競争で一元的支配を避ける。
・政治2.0を目指す。人々の個人主義への縮退を止め、グローバルな抽象的権力に対抗し、人々の間に共通感覚を回復させる。そのためには、自分の当事者意識が及び範囲からスタートして、社会を変革するための実験を。 -
Posted by ブクログ
政治の知識がかなり浅薄な自分にとって、この本は「民主主義」という枠組みを理解するのに役立った。
「市民全員で政治について話し合って最終的な意思決定をする」という方法が成立するためにはある程度国家が小さくなければならない、という箇所など、「国の大きさ」の感覚が政治の方法に影響を与えている点が面白かった。
社会の中で暮らしていると、どうしても政治の話が避けられる傾向がある。「〇〇党が〜」と言っただけで「思想が強い(=危ない人だ)」と判断されたり、もしくは「そんな難しい話をするな」という表情をされる。しかし人民主権という立場に立つのであれば、我々市民が政治の意思決定をするわけだから、市民はある程度政治のあり方について意見を持っておくべきなのではないか。与えられたものに対して文句を言うだけでなく、どうしたらいい方向に政治を導けるかを主体的に考えるべきなのではないか。
だとすると政党の話を過剰に避ける傾向はやっぱりおかしい。もちろんイベントの打ち上げなどの楽しい場で政治の話をするのは人付き合いが下手すぎると思うし、政治の話ばかりすることが良いことだとは思わない。でも政治の話を「自分たちには関係ない」とか、「興味ある人だけでしてくれ」とだけ考えて突き放すのはあまりにも自分が今与えられてる立場に甘えすぎている。
このようなことを思いました。 -
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実験とはどういうものなのだろうか
この本を読んだ最終的な感想はシンプルなものだった。
当方にとっては、実験は結論を仮説として保持する営みである。そのため、どうしても固定化した価値観を同質的な2人の対話を通して読むと違和感を感じる。
リベラリズムの核を、相容れない他者をなお尊重する態度だと考えるのであれば、保守的な人々を「遅れた人々」「操作されている人たち」「理解すべき対象」として位置付けた時点で、そこから外れてしまうと考える。
作中でポピュリズム的手法を批判しながら、それを自陣で転用することを考える等は、しばしば他の場面でもみられることだが、2つの違和感を生じる。
第一に批判したものを手法として転用する、党派により手法の正しさが決まるという点である。これはよく見る欺瞞と考える。
第二に、自分たちがそれができると疑わない傲慢さ。少なくとも当方から見て、そういった点に関する実績を日本のリベラルは示せていない。なぜ操作する側にいると思えるのか。
これは、自分たちの言説がどれくらい現実に影響を与えているのか分析の段階まで至れない、という点に問題があると考える。
彼らが知性が高いことに疑問を持つ人はいないだろう。
そこは否定する方が違和感がある。
しかしそれと現実にアプローチする能力は必ずしも一致しない。
「できる」型の評価と「である」型の評価の違いというべきか。リベラルはすでに「である」型の評価は十分に得ている人たちだろう。
固定化した価値観と実験は相性が悪い。
実験はどうしてもプラクティカルな側面を持つ。
現実的な対応はどうしてもシステムを補強する形に作用するため保守的になってしまう点は否定できない。
理論の存在も必要という点において、どう評価したらいいのか難しいと最終的には感じてしまった読書体験だった
書いててリベラルってなんだっけ??ってなってきた。 -
Posted by ブクログ
民主主義の成り立ちを平易に解説した本。古代ギリシアから近代ヨーロッパ・近代アメリカ、そして戦後まで民主主義に関する思想もしくは当時の政治体制を扱っている。
筆者の民主主義についての基本スタンスは、古代ギリシアのポリスで行われたような、市民が「討議」に直接「参加」し、その結果に「責任」をもつという態度で行う政治体制である、というものである。
代議制民主主義がスタンダードである現在、選挙に行くことが民主主義であることのように信じられている。学校でも、投票率の低下が嘆かれ、選挙に行くことが「善」であるかのように刷り込まれている。
このような、選挙が自己目的化している状況で、さらには、あらゆる政治家が選挙に勝つことのみに注力して衆愚政治に陥らんとする状況で、そもそも民主主義って何なのか、どういう成り立ちだったのか、民主主義って良い(善い)ものなのかといったことを考えることの契機となり材料となる良書となる。
平たい説明過ぎてそれぞれの思想家の説明が薄くなり、かえって特徴を掴みづらかった、という点がある。 -
Posted by ブクログ
ルソーの本を数ヶ月内に読みたいと思っているので、手に取ってみた。非常に平易にコンパクトにまとまっている。民主主義が危機に瀕していると言われて久しいが、その守護者であるルソーの思想をパッと理解できるのは有難い。また、現代の私たちがルソーから学べることに関する著者の考えも大変面白く、ここを知るだけでも価値があると思った。宇野さんなので間違いはないですね。
私はどうしても哲学者の思想そのものというより、ライフヒストリーを追ってしまう性質がある。
ある事を人類史を動かすほどに突き詰めて考えるには、それなりの原動力や思いがあるはずだ。そこの理解なしには、思想を丸ごと理解することはできないと思っている。
特に、ルソーは私にとって特異な哲学者に映っていた。哲学者っつうものは頭がいい。それぐらい突き抜けた才能を持つ人たちは、選民思想が強くなりがちであるし、それが自然な成り行きだと思う。ニーチェとかね...概して、そのような人たちが支持する政治体制は、貴族制、専制である。そんな選民思想が渦めく中、私たちの民主主義や人権概念の守護者として燦然と勇敢に立っているのが、ルソーである。
本書によると、ルソーは自由に生きながら、みんなで仲良くする事を本気で真剣に考えたという。これは本当に異常だ。だからこそ、私は彼の人生を知る必要があった。
彼の人生を追っていて合点がいくことが多くあった。そもそも孤児だったことが、彼の承認欲求を駆り立てたのだろう。
青年期以降のルソーは、様々な人や組織と交流しようと試みるが、なかなか誰にも受け入れられない。ママンとは歪な愛人関係に、同棲していたヒュームとは喧嘩別れ、学術クラブでも常に田舎者扱いのアウトサイダー。ヴォルテールには「あなたの本を読んでいると、4つ足で歩きたくなります。」と言われる始末。
このようにルソーは、自分を受け入れてくれる共同体を強く求めながらも、常に社会と摩擦を起こしていた。だからこそ、彼は、自由に生きながら、みんなと仲良く調和を持って暮らしたいという理想を描いたのだろう。
このように、哲学者のバックグラウンドや個人的な思いがわかると、小難しい哲学でもその意図や真意が読み解きやすくなる。社会契約説を読むときに大いに役立てたいと思う。
また、前述した通り、宇野さんのルソーへの見解も非常に面白かった。宇野さんはトクヴィルの研究が中心だそうで、中間団体を通じた穏健的で現実的な民主主義の成熟を目指す立場だという。その立場の宇野さんは、ルソーの政治思想は理想主義で、非現実的に映るようだ。だが、同時にそのスタンスに学ぶところは大きいと評価している。ルソーは、自由と共生をどちらも妥協なく理想として掲げた学者であり、「目線が高い」と言う。
民主主義の危機が叫ばれるこの世の中では、外部からの圧力にジリジリと退行していくのではなく、今一度理想に立ち返って、基準を高く、妥協できないラインを再度考え直すべきではないか、と宇野さんは言う。それを手助けしてくれるのが、他ならないルソーであり、現代の我々は彼からたくさんのことが学べるというのだ。
これは、自分には全くなかった視点で面白かった。目線を高くする...。ですか。
本書は社会契約説を読む上での、補助線ならぬ目的まで与えてくれた!これは絶対読まねばと思うが、何せ長いので、、、頑張ります。