あらすじ
21世紀以降、保守主義者を自称する人が増えている。フランス革命による急激な進歩主義への違和感から、エドマンド・バークに端を発した保守主義は、今では新自由主義、伝統主義、復古主義など多くのイズムを包み、都合よく使われている感がある。本書は、18世紀から現代日本に至るまでの軌跡を辿り、思想的・歴史的に保守主義を明らかにする。さらには、驕りや迷走が見られる今、再定義を行い、そのあり方を問い直す。
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Posted by ブクログ
保守主義のステレオタイプのイメージはというとネガティヴな物を想起しやすい。例えば過去に固執した態度、異なる意見を聞き捨てる排外主義。また自由な民主主義とは反対の、カリスマに統治を委ねる権威主義もイメージとしてでてくるだろう。
ただ当然前述したように上記のイメージはステレオタイプにすぎない。本書によると本流の保守主義とは、過去から連綿と続く伝統を尊重、そして急進的な変化に距離を置く立場であり、あくまでも漸進的に変化に対応していくという概念であるという。また、保守主義という概念が誕生したイギリスでは、自らが作り上げた立憲主義の伝統を尊重し、それに基づいた自由という概念を保守する。これはステレオタイプの保守主義とは相容れないことであると言えるかもしれない。
本書の3章ではアメリカにおいての保守主義の概念を説明している。それを読むことは現在の政治状況の考察において有意義な参考になるのではと思う。
代表的な一例を上げると、反知性主義という言葉をアメリカの保守主義者は決してネガティブに捉えておらず、その視点からアメリカの保守主義を見ていると、わかりやすいイメージとは異なる面を見ることが出来るかもしれない。反知性主義はエリートに敵意をむけ、その合理主義的なエリートの知性を拒否するというのがその概念の簡単な概略であるが、それは知性に対するルサンチマンから生まれてくるというわけではない。それは『「エリートの言うことがすべて正しいわけではないない。」』という健全な反骨的精神がそこにある。『地位も学歴もないけれど、生活に根ざした健全な判断力をもつ普通な人々こそが、アメリカ社会の根底にある』というアメリカ社会の基礎的な自治を担った政治的知性に感銘を受けた思想家の存在がそれを裏付けしているだろう。
アメリカの草の根の保守主義者がベトナム戦争の泥沼へと導いたケネディやジョンソン(彼をエリートとみなすのは議論があるかもしれないが)といったエリートに対して、彼らの潜在的にもつ政治的な感性から不信を抱くのも当然の帰結と言えるのではないだろうか。
このようなエリートへの不信のひとつの総決算と言えるのがトランプ政権の誕生であり、政権の原動力になっているのは当然と言えるだろう。
一部を引用した簡単な感想であるが、全体として以上のようにステレオタイプな保守主義から抜け出して、専門家の知性の裏付けのある保守主義の考えに多くの人に触れてほしいし、特に保守主義者だと自称する方には自身の信条と照らし合わせるつもりで本書の一読をお勧めする。
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めちゃくちゃ良い本だった。保守主義とは何を「保守」するのか、フランス革命に対して、社会主義に対して、大きな政府に対して、それぞれの歴史の中での文脈がとてもわかりやすい。ややこしいのはナショナリズム的なイデオロギーや新自由主義との結合、そしてネオコンの登場特に対外介入、東欧からのユダヤ移民の反共姿勢、各国の具体的なレジーム転換を焦点とするリアリズムなどネオコンの思想の特徴や経緯は簡潔だけどわかりやす。あと、日本における保守が何を保守すべきものなのかという終章の熱のこもった議論に宇野先生の想いと現在の日本政治への危機感を強く感じます
Posted by ブクログ
名著。
保守主義の祖であるエドマンド・バークの思想から説き起こし、保守主義とは何か、保守主義と伝統主義、復古主義、原理主義との違いを明確に説明している。
その後の保守主義の世界的な流れも押さえ、明治以後の日本に保守主義はあったのか、丸山真男と福田恆存の議論を引きながら検討する。
保守とは何かを守るものだが、その「何か」が明確ではない現代においての保守主義の難しさが明確になる。
現在の保守主義者の多くは「自称」に過ぎないことが分かるはずだ。過去や伝統が自明でない時代に、何を守るのか、自分に問いかけるためにも参考になる。
Posted by ブクログ
二項対立的に保守、リベラルと語られがちなイメージを持っていたが、時代や時勢によって、内包される意味が異なることを知れた。
先の見えない現代、何が正しいかの絶対的解答のない世界で、保守主義のこれまでの変遷を辿りながら、過去を振り返ることの重要性を改めて再認識した。
企業の経営とかでも同じようなことが言えそうだと感じた。
Posted by ブクログ
宇野重規氏は、東大社会科学研究所教授であり、2024年より同研究所の所長を務める政治学者。1967年島根県生まれ。東大法学部卒業後、同大学院法学政治学研究科博士課程を経て、千葉大学助教授、東大准教授を歴任。専門は政治思想史・政治哲学で、民主主義、保守・リベラル思想、宗教と政治の関係などを中心に研究を行う。『トクヴィル 平等と不平等の理論家』(サントリー学芸賞受賞)、『保守主義とは何か』、『民主主義とは何か』、『政治哲学へ』など多数の著作があり、現代社会における政治の意味や公共性を問い直す言論活動でも注目されている。
本書の大まかな内容は以下の通り。
◆保守主義とは、それ自体として一個の一貫した理論的体系であるというより、フランス革命、社会主義革命、福祉国家による大きな政府など、その時々ごとに対抗すべき相手との関係で、自らの理論を組み立ててきた、いわば相対的な立場である。
◆18世紀のエドマンド・バークは保守主義の源流とされるが、その保守主義は、全てをゼロから合理的に構築しようとする理性の驕りを批判するもので、一人の人間の有する理性の限界を、偏見や宗教、経験や歴史的な蓄積によって支えていこうとするものであった。人間社会は決して単線的に設計されたものではなく、歴史の中でたえず微修正されながら、世代から世代へと受け継がれてきたのであり、また将来世代へ引き継がれるのである。こうした視点から、バークは、過去に回帰すべき範を求めた英国の名誉革命は肯定したが、自らの過去と決別した上で、抽象的な原理に基づいて社会を作り直そうとしたフランス革命は否定した。
◆20世紀には、保守主義のライバルは社会主義となった。その中で、T・S・エリオットらの英国文人たちは伝統・文化・コモンセンス(共通感覚)を強調し、ハイエクは集産主義(≒社会主義)を理想主義と批判し、オークショットは人の経験から学ぼうとしない合理主義者を批判した。
◆20世紀後半からは、欧州の王政・貴族制の伝統が持ち込まれることがなく、それに対抗する社会主義が根を下ろすこともなかった米国が世界の保守主義の流れの中心となった。米国では、ウィーヴァーやカークが唱えたような、キリスト教信仰、所有権の絶対性を説く経済的自由主義、反知性主義などの「伝統主義」に加えて、20世紀後半には、「大きな政府」と個人の自由を求めたリベラルに対抗して、「小さな政府」と個人の自由を求めるリバタリアン(代表は経済的リバタリアニズムのフリードマンと倫理的リバタリアニズムのノージック)が融合し、更に、国際介入主義等の特徴を持つネオコン(新自由主義)が合流することによって、レーガン大統領の誕生という「保守革命」へ行き着いた。こうした米国の保守主義は、米国特有のものともいえるが、「市場化」と「宗教化」は今日の世界を見る上で、最も重要な要因でもある。
◆近代日本では、明治憲法を前提としつつ、そこに内包された自由の論理を漸進的に発展させ、その後の立憲政治や政党政治を準備することになった、伊藤博文から原敬に繋がる路線が保守主義の本流といえるが、それは希薄なものだった。戦後の保守主義の出発点といえる吉田茂は、(やむを得ない事態であったとしても)戦後日本の保守主義が、必ずしも現行の憲法秩序に価値的にコミットしないという負の遺産を残し、その後、反共と経済成長以外に共通の価値観を持たない自由党(吉田茂→池田勇人の宏池会)と日本民主党(鳩山一郎・岸信介→福田赳夫の清和会)による保守合同により、明確な共通の保守思想が希薄なまま、政治勢力としての保守は全盛を極めた。自らの政治体制を価値的なコミットメントなしにとりあえず保守するという「状況主義的保守」か、「押しつけ憲法」として現行秩序の正当性を否認するという「保守ならざる保守」という、不毛な両極に分解した戦後保守の現状を打破するためには、戦後経験に学びつつ、歴史の中に連続性を見出し、保守すべき価値を見出す保守主義の英知が求められている。
◆人々が進歩という名の強い追い風によって前に進んだ時代は終わりを告げた。今後はむしろ、前に進むためにも、自分や自分たちの社会を振り返り、そこから前に進むためのエネルギーと知恵を導き出す必要がある。私たちは過去から得た推進力によって、まだ見えない未来へと進んで行かざるを得ない。
私は、個人の多様な価値観、(行き過ぎた)格差の是正、国際協調等を重視する立場で、現在のオーソドックスな政治スタンスの分類に従えばリベラルである。そして、リベラリズムの限界や終焉を指摘する声が強まる昨今、ある意味危機感を持って、リベラリズムについて書かれた本はいくつか読んできたのだが、対抗する保守主義についての本は今回初めて読んだ。(尤も、右傾化・保守化する米国については、新自由主義、反知性主義、白人ナショナリズム、ポピュリズム等の文脈でいろいろ読んでいるが)
そして、読み終えて一つの発見だったのはバークの考え方である。というのは、私はリベラルの思想のベースである「人間の理性は世界・社会をもっと良いものにできる」という考えを基本的に支持しているが、近年のAIや生命工学の歯止めなき開発・進歩には、強い危機感を抱いており、バークの「人間の理性の驕りを戒め、人間社会の歴史に学びながら、前に進むべき」という考えには、むしろ共感を覚えるからである。と考えると、リベラルと保守というのは、確かに対立すべきもの(そもそも、リベラルに対抗するスタンスが保守と定義されるのだから、当然である)ではあるが、それは両極的な対立というよりも、連続的な対立であって、連続する線上のどこかに折り合える場所はあるはずなのだ。
著者も次のように書いている。「重要なのは、多様な志向の共存を可能にすることである。その意味で、もっとも深刻な危機となるのは、リベラルと保守のいずれもが原理主義的になり、相互を全否定することである。」
個人的な政治信条(保守orリベラル)を問わず、読んでおく意味のある一冊と思う。
(2025年10月了)
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リベラルの勢いがなくなった事もあってか、保守も迷走気味に見える。
右翼の威勢が強く、対極の左翼も理想を叫ぶ。保守やリベラルは大口は叩かずとも真の持続可能な目標を掲げ続けなければならない。
チャーチルの「二十歳の時にリベラルでないなら、情熱が足りない。四十歳の時に保守主義者でないなら、思慮が足りない」は、四十歳を過ぎた今実感するが、けだし名言だと思う。
大垣書店イオンモール北大路店にて購入。
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フランス革命と闘い、社会主義と闘い、大きな政府と闘ってきた保守は今、何と闘っているのか。バークが論じた「偏見の上衣を投げ捨てて裸の理性の他は何も残らなくするよりは、理性折り込み済みの偏見を継続させる方が遥かに賢明である」との言葉に深く考えさせられる。一人一人の人間を考えたときに、偏見なく理性だけで生きている人は存在しない。ゆえにその集合体で考えた時にも、偏見をのぞき理性だけを残すということは、主体が人間であり限り不可能であると思う。人間ではないAIが将来そのような役割を果たすのかもしれないが、それは人間にとって賢明なことなのかどうなのか。「理性折り込み済みの偏見」はどのようなもので、どう継続できるのか時間をかけて考えてみたい。
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フランス革命、社会主義、大きな政府と闘ってきた保守主義だが対する進歩主義が衰退した今日何を守るかが問われている(伝統、権威、職場、家族、地域)日本の保守政党も
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近年の政治を見ていると、保守=伝統を何がなんでも守る、だとか、場合によってはネガティブなイメージすらあり、その正しい意味が定着しておらず、「保守とは何か?」という問いを改めて考えなければならない。
本書はフランス革命時のバークの思想から今日の保守主義についてその経緯を説明している。
バーク、ハイエクあたりの思想は後で詳しく深掘っておきたい。
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もともとは坂井豊貴と共著していたので名前だけ知っていたところ、ニュースで大々的に取り上げられているのを見て購入した。
文体に若干の特徴がある、人名で索引を引けない、など多少の読みにくさはある。しかし「あとがき」でも書かれている通り、保守主義を語る上では外せない歴史が詰め込まれていると感じる。立ち位置もニュートラルな印象。
学校科目でいえば「世界史」や「倫理」に対する自分の知識・理解が足りないゆえに吸収し切れていない部分が多いので、高校教科書を一読したうえで再読してみたい。
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リベラリズムやポピュリズムに比べ焦点の当てられることの少ない保守主義について取り上げた一冊。
どちらかといえば地味な立ち位置であるため、目を向けにくい部分ではありますが、これまで語り継がれてきた「伝統」を守るという意味で必要な考え方かもしれません。
主義というと凝り固まった考え方になってしまいますが、進歩主義と保守主義の良いところを抽出した見方を持つことが重要だと感じました。
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進歩主義に対抗して生まれた保守主義は、それゆえにその内容は不明確な部分が多く、何なのかが分かりにくいところがあります。それは何故なのかについて、その歴史的な成り立ちを解説することで解かれています。時代時代でその主人公は変わりますが、保守たる意義を受け継いで、保守の定義を守り続けること、これが弛まなく続いて来たのだと分かります。保守というが何を守っているのか。本書を読むことで彼らの成さんとするところを知ることができました。
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保守とは昨今人口に膾炙する言葉ではあるが、定義するのはなかなか難しい。そんな中で、保守主義についてコンパクトにまとめた本。特に日本の保守主義についての部分が示唆に富む。
Posted by ブクログ
これまでいい加減に考えてきた、保守、革新、右翼、左翼ったものについて、ちゃんと整理できてよかったと思います。
その上で保守についてのイメージがだいぶ変わりました。守るべきものは何か、そしてそれは、どういう歴史的経緯で守るべきとされているのか、その自覚がなければだめなのですね。
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筆者は、イギリス社会学者アンソニー・ギデンズが用いた「ポスト伝統的社会秩序」という言葉の解説によせて、今や広義の原理主義が台頭したと指摘する。なにが「伝統」でなにが「権威」かなど再定義する意味はなく、人々は守ろうとしているものが「私の伝統」「私の権威」に過ぎないという可能性を認めている。「進歩」や「革新」といった言葉が輝きを失った現在、それに相対して生まれた保守主義もまた迷走をはじめたというのである。しかしながらそれでも、共通の認識を欠いたまま「保守」を自認する人が増えているとき、「保守とはなにか」という疑問が生じる。本書はそうした経緯でもって著されたようである。
本書の冒頭にて筆者が引用しているチャーチルの言葉に、「20歳のときにリベラルでないなら、情熱が足らない。40歳のときに保守主義者でないなら、思慮が足らない」というものがある。わたしは20代であるから、チャーチルの論理でいえば正常で、保守主義に対する嫌悪感がある。良い伝統はあるだろう。実益のある権威もあるだろう。しかし他方で、その伝統と権威に圧殺されているものもあるだろう。
保守とは、守るべきものがある「一人前」の上からの権利主張ではないか。守るものもない、ただ生きることに精一杯の「半人前」には縁遠い。しかしながら、「半人前」が再生産される閉鎖的な社会にこそ保守は力を増す。保守の射程にあるのは、人でなく国であり制度である。秩序あっての人。そのリアリズム、割り切りの良さにやるせなさを感じるのは、わたしが20代だからか。
以上のように、相容れないとは思うけれど、わたしが違和感を感じる相手とはなにかを知りたい。だからこそ本書を手にとったわけだが、読み終えてみて、なるほどやはり「うっとおしい」と感じる箇所はある。けれどわたしの理解は、多様化した「保守主義」の一面しかとらえられていないこともまた学んだ。
とくにここで詳しくは述べないが、 エドマンド・バークの「偏見」を逆手にとった政治、オークショットの「人類の会話」という考え方などには非常に惹かれた。守るだけではなく部分的変更を加えること、すなわちは現実的困難から逃避しない態度、自由への容易ならざる闘い、それは耳触りのよい理想論よりよほど魅力がある。
しかし一点、どうにも納得のいかない箇所がある。わたしは普段「宗教」を軸にフランス史をみている。だからこその疑問なのだが、筆者はフランス革命を歴史における「断絶」とする。すべてをさらにしてしまった革命。たしかにそれは妥当な指摘ではある。しかし、種ないところに生命はない。フランス革命は、はたして過去の否定なのだろうか。すくなくとも宗教に関していうのであれば、長い歴史を紐解いてみたとき、フランスはケルト、ローマ、ゲルマン等々の宗教からついぞ解脱することはなく、キリスト教は妥協の歴史を編んできたのであり、ライシテにしても、フランク王国とローマ教会が接近したときからの絶えざる主導権争いに土台がある。フランス革命はあらゆる起爆剤になったが、引火物なければ爆発もない。否定ではない。フランス革命にも保守のいう「伝統」はある。抽象的な概念を持ち出す政治体制は、むしろフランスの伝統でさえあるように思うのだが、まだわたしの理解が足らないのか。文脈が別のところにあったとしても、やはり筆者の主張にはまだ疑問が残る。勉強はつづく。
Posted by ブクログ
・保守主義の思想は、楽天的な進歩主義を批判するものとして生まれ、発展してきた。
→進歩の理念が失われるにつれ、保守主義も位置付けが揺らぐ
・バークの保守主義
→社会や政治の民主化を前提にしつつ、秩序ある漸進的な変革を目指す 自由を守る
①保守すべきは、具体的な制度や慣習
②そのような制度や習慣は歴史の中で培われたもの
③大切なのは自由を守ること
→フランス革命には反対(抽象的な理念に基づいて社会の全面的な改造を試みるもの 革命)
・ハイエク
→保守主義は未来に向けてのアクセルに欠ける。自由主義は変化を歓迎する。保守主義もまた人間の理性への過信を批判するが、あくまで階層秩序を好む。自由主義はエリートの存在は否定しないが、予め決定することはない。
社会主義を集産主義として批判
法による支配を重視(一般法)
・アメリカの特徴 ー 宗教と反知性主義
→9割以上が神、普遍的な霊魂の存在を信じる
福音派 世俗化、個人化した現代社会への反発
→反エリート主義へ反発
→市場化や民営化、その根底にある小さな政府への強い思考がアメリカ保守主義の特徴。背景にあるのは根強い草の根的な個人主義や反政府感情
・日本の保守主義
→真の保守主義は根付いていない?敗戦と占領という経験が困難にしている。状況主義的保守⇔押し付け憲法
→戦後経験の思想的反省が求められる
・リベラルとの対立
→グループ、国家を超えたより開かれた平等公正
⇔自分たちの仲間の平等や公正
今後の保守主義
→何かを守ることについて再考
自分が守らなければ失われてしまう何か 使命感
家族、仲間、地域m、文化、技能、自然
Posted by ブクログ
仲正氏の著作にも言えるが、愛国者でない人が書いた保守主義の解説書は、対象への距離感が冷静で、手際よくまとめられている。本書は、第3章の近年の保守主義(ネオコン)に対する論考は類書にないが、バーク由来の保守思想とは完全に別物であるような気がする。結論として、保守主義を憲法9条の擁護につなげるのも、仲正氏と同じ。9条を守るためなら何でも利用するのだなあと思う。なお、参照文献で中川八洋氏を完全スルーするのも、仲正氏と同じ。「触らぬ神にたたりなし」で、こっちは理解できる。インテリとして正しい判断だろう。
Posted by ブクログ
保守主義とは何か
イギリスのEU離脱を考える上で、一度保守主義について勉強したいと考えて読んだ。
かねてからトクヴィルなどを読んでいたため、保守主義と私の考え方は親和性が高いと考えていたが、読んでみるとやはり親和性の高さを再確認した。
保守主義といっても実はバラバラで、フランス革命に対してや社会主義に対して打ち出した保守主義と現代アメリカに存在する保守主義はかなり違うように思える。
前者の根本的な考えとしては、人間の持つ知に対する懐疑(自己の能力への不信)から、抽象的な原理に基づく未来への飛躍という近代人にありがちな幻想を排することで、歴史や伝統にいったん範を求めたうえで考える糧にするというものである。バークやエリオットなどの紹介されている保守主義者は、フランス革命や社会主義から人間の理性への自信過剰を読み取り、そのような驕りを排すように訴えたのである。バークの章で面白かった点は、偏見や迷信の再評価である。人間社会とは複雑であり、明快な抽象的原理では説明がつかないという前提から、偏見や迷信という長年はぐくまれてきた人間の精神活動に、理性を補完拡張する潜在可能性を見て取ったのである。
保守主義の議論は、外山滋比古の知識と創造性の話を彷彿とさせる。外山は知識偏重の現代社会への批判として、知識がありすぎることは逆に創造性を阻害するということを述べているが、やはり知識が全くなければ創造性そのものも危うくなる。結局、同じようなパターンに陥って終わりであろう。知識と創造性の関係は保守と改革の関係に似ている。どちらもないといけない、バランスが重要である。クリエイティビティという言葉が跋扈するが、やはり知識あってのクリエイティビティである。
保守主義のよい点は宗教を認めている点である。宗教とはバークのいう偏見や迷信であり、理性を補完する役割を持っている。絶対者の存在を設定することにより、人間は驕りを抑制することが出来る。人生哲学としても十分すぎる文句である。
保守主義は、実存主義と親和性が高いようにも思える。近代において世俗化された社会では、人間は絶対的に信奉するものを、神ではなく自らの抽象的規則に求めた。しかし、それ自身はやはり人間が作り出したものであるゆえに脆弱であり、実存主義的な言い方をすれば、伝統にアンガージュすることによって、その自由な身の上に重しを乗せて浮遊しないようにすることこそが保守主義のかんがえかたであるのであろう。