あらすじ
民主主義は今、不信の目にさらされている。決定までに時間がかかり、「民意」は移ろいやすい……。だが、社会の問題を共同で解決する民主主義を手放してしまえば、私たちは無力な存在となる他ない。ならば、この理念を再生させるには何が必要か? 「習慣」と「信じようとする権利」を重視する“プラグマティズム型”の民主主義に可能性を見出す本書は、この思想の系譜を辿り直し、日本各地で進行中の多様な実践に焦点を当て、考察を加えてゆく。未来が見通しがたい今、「民主主義のつくり方」を原理的に探究した、希望の書である。
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Posted by ブクログ
民主主義が危機を迎えていると言われている昨今、もう一度民主主義のお勉強を。まず、独裁制や専制と違って、変化することを前提にしている制度であること。だから、内容はどうあれ、変化を恐れてないけない。理性的な判断の前に経験が来ることがあること。頭で理解するより、経験の方を重視して意思決定を行うということだが、SNS時代・web時代で直接的な体験が失われていることを考えると、これは確かに危機かも。それから、コミュニケーションや多少の摩擦から議論が生まれまとまっていくこと。これは隣人が誰だか話からない都内では起こりにくいということを考えると、民主主義が生き残っていくのは、実は地方なのかも。
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プラグマティズムが生まれたのは南北戦争がきっかけ。
信念を共有しない人々の存在を許さないイデオロギー的な対立をいかに克服するか考えた末のもの。
ルソーは問う。全ての人々と結びつきながら、しかも自分自身にしか服従せず、自由であり続けることは可能か。答えは社会契約しかないと彼はいう。
それはその社会の共通の意志に従うことを約束すること
プラグマティストたちにとって、理念とは、人間が世界に適応し、世界を変えていくための実際的手段であった。ある理念は、それ自体で評価されるべきでなく、あくまでそれを使い、実践することと不可分であるとする考え。
「超越主義」の基礎にあるのは、強烈な理想主義と個人主義。理想によって現状を告発し、時に孤立に陥ることも恐れず、変革に対してきわめてポジディブなのがこの思想の特徴。
都市文明を批判する一方、個人の良心を否定するものに対して、敢然と不服従を促す。
「経験」とは人々が他者とともに、その行動によって世界と関わっていくプロセスである。
自由の根本的性質は、自分の是認しない考え方の存在を受容するところにある。
「緩衝材で覆われた自己」=自らの内面に撤退し、そこから世界を伺い、あるいは操作しようとする存在。自らを超えたところに存在する価値の源泉を認めずら全ての意味は自分の内面にあると信じること。
トクヴィルさ身の回りの諸個人への依存を嫌うことが、実は国家や多数者に対する大きな依存へと結びつくと指摘した。
個人が他の諸個人に依存することを恐れた結果、むしろより大きな国家への依存を生み出してしまった。
パースの考える習慣とは、いつの間にか身について、変えることのできなくなった習癖ではない。未来においてある状況に遭遇した場合に、あらためて考えるまでもなく「このように行動するだろう」と言い切れること。
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民主主義とは実験である。国民が自由に試しそこから成果を見て正しいかを判断する。そういう文化こそが正しい民主主義。ただの多数決は民主主義ではない。また、これからは若者が少なくなるため多数決では若者の意見を取り入れるのは難しくなる。
だからこれ、行政は若者が社会貢献、社会活動をしやすい土壌を作ってあげることが大切。また、国民は社会活動の主役となる。
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「民主主義」を説明する際には主権論やルソーの一般意志が引き合いに出される。しかし現代社会においては右派・左派の分断を引き合いに出すまでもなく、社会の総意としての一般意志が存在するという仮定は機能しなくなっているのではないかという疑問は研究者でなくとも持つものだろう。
本書は学術会議の任命拒否問題でも注目を集めた宇野重規教授による一般向けの「新しい民主主義」解説書である。本書において宇野は一般意志を理想とした従来の民主主義観から、プラグマティズム的な民主主義観への転換を試みている。
プラグマティズムというと「観念的な要素を一切考えずに実用性のみを追い求める思想」のように見えるが、宇野は丁寧に思想的な沿革を説明することでプラグマティズムを「習慣をもとに社会を変革していく思想」と捉え直していく。
歴史的な経緯を踏まえると、大陸欧州の政治学というものが宗教内乱から成立している。宗教という「絶対に合意できない内面」の存在をベースにし、内面的な交流を持たず経済的利益をもとに合意をはかる脆弱な個人を想定したものである。
そのため、大陸欧州における政治学というものは宗教内乱や全体主義の経験をベースにした「依存」への恐怖を強調しがちになっている。
しかし、実際には個人は様々な依存の回路を持っており、多様な社会との関わりから習慣を形成する。ここでいう習慣という概念こそ、プラグマティズムの根幹であると宇野は強調する。
パース~デューイに至るプラグマティズムの思想において重視される習慣=habitはラテン語のhabitusを語源としているが、habitusは日本語の習慣よりも射程の広い言葉で、身体知や智慧に基づいた人格を指すものであった。
科学哲学をはじめ様々な分野においても多大な功績を残したパースは決定論を排し、統計を重んじた。宇宙はランダムであるが傾向は存在する。ランダムと法則を繋ぐのが習慣=もし○○であれば△△するという信念の結晶化である。
このif-thenの集合である習慣は社会知とみることができる。1960年代のアメリカにおける公民権運動においては「信頼する友人を救いたい」という社会習慣と、その背後にある強い結びつきがあった。この思いが弱い繋がりによって爆発的に拡散し、キング牧師がカリスマによって習慣を作り出したというのが宇野の見立てだ。
現代における弱い繋がりはSNSと繋がっており、アーレントの表現を借りれば「アトム化」した個人を再び結びつけていると宇野は論じているが、2013年に刊行された書籍というだけあってかなり楽観的な見方であろう。
終章ではオバマの政治思想とプラグマティズムを結びつけかなり肯定的な見方をしているが、オバマ政権の行き詰まりとトランプ政権の誕生を見ている現在からすると非常に楽観的と言わざるをえない。
確かに習慣は世界を変えうる。反差別や環境保護の分野ではかつてのリベラル知識人の努力が社会知に転化し、大きなうねりとなっている。その一方で社会知は容易に過激化し、ともすれば行き過ぎと言われるポリティカル・コレクトネスを生んでもいる。
習慣がどうやって過激思想に転化するのかは本書のスコープ外であろうが、その点はやはり気になってしまう。
Posted by ブクログ
民主主義においては、物事を決めるのに時間がかかると思われがち(実際そう)であるが、この理念を復活させる試みをしているのが本書。また、この理念を実践している例を挙げている。
政治思想系の本は、概念を打ち出し、それを巡る議論をトレースして終わる本が多い気がする。このような本を読んでも、言葉遊びをしているなぁという印象だけしか残らない。しかし、本書は、民主主義の概念についての議論を展開するのみでなく、その実践についての具体例が挙げられている。この点が本書の良かった点である。