宇野重規のレビュー一覧
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[ 内容 ]
一人ひとりが <私> 意識を持ち、自分らしさを模索する現代。
分断された <私> と <私> を結びつけ、デモクラシーを発展させることは可能か。
平等意識の変容と新しい個人主義の出現を踏まえ、これからのデモクラシーを構想する。
[ 目次 ]
[ POP ]
[ おすすめ度 ]
☆☆☆☆☆☆☆ おすすめ度
☆☆☆☆☆☆☆ 文章
☆☆☆☆☆☆☆ ストーリー
☆☆☆☆☆☆☆ メッセージ性
☆☆☆☆☆☆☆ 冒険性
☆☆☆☆☆☆☆ 読後の個人的な満足度
共感度(空振り三振・一部・参った!)
読書の速度(時間がかかった・普通・一気に読んだ)
[ 関連図書 ]
[ 参考となる書評 ] -
Posted by ブクログ
デモクラシーって言葉の響きからはなんか古臭い響きを感じるけど、現代的な不安や孤独や憤りは実はデモクラシーの機能不全から発しているのだ、とのこと。
孤独や不安や拝金主義や刹那主義は、生きる意味の不足から生まれる。
人生に意味と方向性を感じることができなければ、目の前の快不快だけに注目して生きるか、幻想の中に生きるしかない。
しかしあらゆる物事の価値基準を社会や伝統でなく、自分の中にだけ求めていれば、「生まれて死んでいくことに意味はない」という事実によって絶望とニヒリズムに追い込まれてしまうのは必至。個人には、役割と位置を与えて価値の源泉となる社会が必要。
今足りないのはきっと生きる意味というようなものなのだけど、実質として何が価値有ることなのかは分からないから、まずは手続きとしてデモクラシーを整備してみんなで一歩一歩確認しあって所属するに足る社会を作っていきましょう、という本書の主張は納得感がある。 -
Posted by ブクログ
愉快で面白く、納得感のある迷い。その上での未来への信頼。
政治とは可能性の技術である。
ハンナ・アレント
・政治の最大の条件は複数性
・「自分が誰か」という問いとの関係
・政治とは、複数性の共存をはかる人間の知恵の技術
カール・シュミット
・友と敵の区分
フランシス・フクシマ
政治の3要素
①国家
②法の支配
③民主的アカウンタビリティ
・(宗教、人間関係の党派と異なり)利益の対立なら妥協できる
・新鮮な自己批判の書としてのオルテガ
・専門家は最悪の大衆
○ニーバーの祈り
・変えることの勇気、受け入れる冷静さ、識別する知恵を我に与えたまえ
・「教養は幸福な時には飾り物だが、不運な中にあっては、命綱となる」アリストテレス -
Posted by ブクログ
聞き手の比重が徐々に重くなっていく。この手の本ではあまり無いので、聞き手と語り手の宇野氏をキャラ立ちさせて読むのに苦労した。ともすればゴシック体も明朝体も同じ人物の発言に読める。
基本的には前半で宇野氏がトクヴィルについて語り、後半では語り手が様々な他の論者・現象を引き合いに出しつつ、宇野氏が「それもそうですね」と肯定しつつ多少それを換言してみせるというパターン。
聞き手の持ち込んだアイデアに宇野氏がお墨付きを与えているだけの時間に見えたので、そんなことせずに「往復書簡」くらい長めの文章のやり取りにした方が、結局論は深まったのではないかと思う。
とはいえ、前半のトクヴィルについての箇所と、後半のファンダムについての一節は面白かった。 -
Posted by ブクログ
読みやすい。一般意志の解釈の仕方、考え方を分かりやすく示してくれている。どうやったら一般意志が実現できるのか、答えは無いけれど。
以下、印象に残ったところの引用。
ルソーは「一般意志は現実に存在する」と断定したのではありません。むしろ、「理想として”ある”と信じ、現実の私たちはそこからずれてしまうのものだと認めたうえで、それでもなお、どうすればその理想に近づけるかを考え続けよう」と呼びかけている。
「物わかりのいいリベラリスト」は、おそらく力でルールをねじ伏せようとする相手には勝てません。リベラリストは理屈で動き、相手の自由や立場を尊重しようとしますが、相手は理屈を無視して力で押し通そうとするからです。この非対称な構図では、どうしても「物分かりの悪い」側が有利になってしまうのです。
このような時代だからこそ、「理想を掲げる勇気」が求められます。 -
Posted by ブクログ
社会科は暗記ばかりで、社会契約論について全然理解できていませんでしたが、こちらはルソーの人柄から書かれていたので読みやすく面白かったです。
ルソーは心から納得してつながれることを理想としていて、だからこそそれが難しいことが分かっている。だけどなんとかできないか考えたいよね、っていう人なのかなと思いました。
私も昔は心からみんな仲良くすればいいのにな〜と思っていました。(ルソーの考えとはまた違うと思いますが)
自由でありたいけど、心から納得して(色々考え方はありつつも)つながるって本当に理想でしかないように思えるけれど、それが上手くできたらいいですよね。
一般意志、国などである程度常識の認識が共通してるのもあてはまるのかな。
SNSで意見が簡単に左右される今だからこそ、ルソーが必要な気がすると思った。 -
Posted by ブクログ
そのタイトルのとおり、日本の「保守」と「リベラル」について、その言葉遣いから捉えなおした本。
何となく、章と章の繋がりがとっかかりにくかったのと、福沢諭吉や丸山眞男、福田恆存等の思想家の考えが、結論にどう寄与しているのかが読み取りきれなかった。
そもそも、彼ら思想家についての前提知識が不足している自分にとっては、ものすごく読みにくかった。私が悪いのだが。
ただ、この本自体、途中の章などは書下ろしではなく、他の論考を再編集しているので、それもあって読みにくかったんじゃないかと思っている。章と章の変わり目に、突然話題がぶつ切れになったり、筆者の中で完結しているであろう議論が解説しきらないままでてきたり・・・。再三言うが、私の知識不足ということが大きいので、この論考自体をどうこう言う資格はないと思っている。
だが、筆者が最初に定義している、保守とリベラルについては、非常に重要な定義だと思う。
そのまま描くが、
保守:抽象的な理念に基づいて現実を根底から変革するのではなく、むしろ伝統のなかで培われた制度や慣習を重視し、そのような制度や慣習を通じて歴史的に形成された自由を発展させ、秩序ある漸進的改革を目指す思想や政治運動
リベラリズム:他者の恣意的な意志ではなく、自分自身の意志に従うという意味での自由の理念を中核に、寛容や正義の原則を重視し、多様な価値観を持つ諸個人が共に生きるための社会やその制度づくりを目指す思想や政治運動
ということ。
今この社会における「保守」と「リベラル」という言葉は、言葉だけ一人歩きしているというのはまさにその通りだと思う。なぜ「保守」の反対が「革新」でなく「リベラル」なのか?その経緯を踏まえずに、「我々はリベラル勢力だ」と喧伝することは、足元で大事な価値観を置き去りにしたまま結集することになるだろう。勿論保守然り。
ただ、じゃあこの混沌とした社会に「保守」「リベラル」の定義をちゃんとしようよ!って言っても無駄というか、あまり意味はないんだと思う。
もはや、この社会において、「保守」と「リベラル」は、錦の御旗のように、単なるシンボルとして掲げられる以外の役割を持っていないのではないか。 -
Posted by ブクログ
フランス知とは何か、本書で明確に定義されている訳ではないが、近代市民革命の典型と考えられてきたフランス革命に代表されるようなフランスを主に念頭に置いて、フランスの政治、社会、歴史、文学、芸術等に関する研究や批評により表されるものと考えれば良いだろうか。
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本書は、そのようなフランス知が、ある時期まで戦後日本において大きな影響力を持ってきたことを踏まえ、代表的な研究者及びその著作を取り上げその内容・意義等を紹介、論じつつ、それにより日本の戦後思考を捉え直そうとする試みである。
3つのパート、各3編ずつ、計9編の論考が収載されている。
第Ⅰ部は、近代の一つの特権的な起点であるフランス革命と関係の深いものが取り上げられ論じられる。
・樋口陽一『近代立憲主義と現代国家』
・柴田三千雄『フランス革命』
・遅塚忠躬『ロベスピエールとドリヴィエ』
第Ⅱ部は、戦後日本の知識人におけるフランス知のあり方の諸相を提示しようとする観点から選ばれたもの。
・加藤周一『羊の歌』
・清水幾多郎『オーギュスト・コント』
・福田和也『奇妙な廃墟』
第Ⅲ部は、1968年を経験した研究者によるフランスの論じ方の特徴に光を当てようとするもの。
・西川長夫『フランスの近代とボナパルティズム』
・西川長夫『パリ五月革命 私論』
・谷川稔『十字架と三色旗』
もちろん各論者の論じ方はそれぞれではあるが、読み手である論者がいかに当該著作を読んだかという視点="私性"が結構はっきり出ていて、読みごたえがあった。
日本では明治維新の歴史的性格を巡る参照軸としてフランス革命について様々な議論がなされてきたことや、最近の研究状況、問題関心の所在等についてもそれなりに知っていたが、ド=ゴールの第五共和政がそれまでの議会中心主義を大きく転換するものであったこと、日本ではほとんど研究のないボナパルティズムの再評価の動きなどについてはまとまった形では知らなかったので、とても面白く感じた。
自分のアンテナに引っかかったところについて、関連する著作を読むブックガイドとしてもとても有益だと思います。 -
Posted by ブクログ
宇野重樹さんとCOG(チャレンジオープンガバナンス)の参加者の対談集。
タイトルで惹かれて購入。
ついキャリアとしての目線で見てしまいがちだが、そういうのは一切忘れて考えを巡らすと、社会や地域に対する貢献欲が生まれたり、ここに、出ている皆さんの取り組みを素直にすごいと感じたり、自分でもできるのかなやりたいかなと考えられたり、できる。
----引用----------------------------------
「民主主義」という言葉には手垢がついてしまっていますからね。何かよい言葉はないものでしょうか。自分たちでこの町をよくしていくんだ、そのために自分もなにがしかの貢献をするんだ。それが自分のウェルビーイングにもつながるんだ、という意識を積み上げていくようなデモクラシーが、今必要な気がしますね。 -
Posted by ブクログ
『実験の民主主義』とは、自由の国として建国されたアメリカ合衆国を、19世紀のフランス思想家トクヴィルが指した言葉である。王政からの革命によって混乱期にあったヨーロッパから見て、理想的な分散型主権国家を築きつつあった合衆国は眩しく見えたに違いない。
この19世紀の理想的な民主主義国家が、21世紀には強烈なポピュリズムと分断に見舞われていることを私たちは知っている。メディアの発展やデジタル化は、情報の非対称性を解消するとともに社会階層の平等化に寄与したと考えられてきた。ところが実際は偏った情報によるイデオロギー極化や、小さな価値観や立場の差異による分断差別が起こっている。
この古くて新しい課題に対して、国家という統治フォーマットは無力である。むしろこの政治と行政の機能を一緒くたに考えてきたからこそ、社会機能が制約を受けてきたというトクヴィルの思想は慧眼であろう。そして政治体制としての中央集権と行政区分としての自律分散こそが、理想的なフォーマットであると説く。
政治体制といっても、従来のイデオロギーに準じた敵味方の色付けはもはや大多数の無党派無関心層を生むだけである。むしろファンダム≒推し活のような熱狂を生む仕組みこそが求められる。またそこから行政区分は切り離し、デジタルによる恩恵を最大限に発揮すべきだろう。
個人的には、実験≒プラグマティズムの考え方にとても親和性を覚える。自分自身が小規模でも実験的なことを繰り返してきた人生であるし、スケールするにしたがい政治や行政のシステムが絡んでくるのを正直鬱陶しく思っていた。これからのポジショニング含めて、考えさせられる内容だった。