西川美和のレビュー一覧
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ネタバレ阪神ファンをやめたのはもう3年ぐらい前だろうか。というか、一つの球団やチームにしぼって、そこを応援するというのが性に合わなくなった。
俺みたいな鈍足ランナー、ヘタレボルダー、ビビリハイカーであっても、自分で体を動かせば分かる。いわゆるアスリートと呼ばれている人たちが、いかに凄いか。どれだけの天分を持って生まれ、その天分を存分に発揮するために、どれだけのトレーニングをこなし、その孤高ともいえる位置を保つためにどれだけのエネルギーを使っているか。ストイックであるのは日常で、結果を出すのが当然。
そんな過酷な日々を生き抜いていくために、彼らにしか見えないものを掴むために、想像を絶する日々を積み重ねてきているのに、観客の俺は球場で、競技場で、あるいはテレビの前で、ビールなんぞを片手に「そんな球も打てないのか、もっと気迫を込めてプレイしろ、勝て勝て打て打て」…。何様なのか。
天才たちの心身を削るようなプレーを観る態度として、俺の今までは不敬の極みだった。そしてそれは、特定の球団やチームの勝敗にこだわる以上、俺の性格では改善されない。ならば、球団のファンという立場はやめよう。どの球団であれ、どの選手であれ、素晴らしいプレイには感動。素晴らしいゲームには拍手。それで十分じゃないか。
そう考え方を変えると、スポーツ観戦が非常に面白くなってきた。勝敗のストレスもない。他人に機嫌を依存することもない。メンタルのありようとして健全で非常に居心地がいい。
この本は、映画監督で、広島出身のサガとしてカープが気になって仕方ない、映画監督「西川美和」さんが、ナンバーに連載してきたスポーツエッセイをまとめた本である。彼女のスポーツに対する間合いの取りかたが、上記のような俺にはとても魅力的に思えて仕方なかった。
イチローの白髪、三浦知良のシワ、伊達公子の復活後の形相…彼女のエッセイには、アスリートをリスペクトする眼差しがあふれている。俺も、そういう目でスポーツを観戦したい。もう、下品で競技を見世物としか観てないだけのファンには絶対戻らない。 -
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「ぼく」は飛行機乗りになりたかった。でも、飛行機乗りになる
には体が小さかった。中学を卒業し、家業の農業を手伝っていた
「ぼく」に召集令状が来た。
陸軍情報部の通信兵としての訓練が、東京・清瀬市で始まった。
飛行機乗りにはなれなかったけれど、通信兵として戦争に係わる
ことになった。
通信兵としての訓練を始めて3か月後のある日。暗号表や通信
機器を燃やせとの命令を受ける。そして、襟章や軍人手帳も。
隊の解散だった。各自、幾ばくかの現金を与えられ、故郷へ
戻るよう言われた。
そして、その日、東京駅5時25分発の汽車に乗り、「ぼく」は
隊で一緒だった益岡と共に西を目指した。
戦時中、著者の伯父が体験し手記にしたためた内容をベースに
小説として発表したのが本書である。
戦争文学というジャンルがある。そこには勿論、先の大戦で
日本が体験したことを綴った作品が多くある。前線の兵士
たちの体験であったり、東京大空襲の阿鼻叫喚であったり、
広島・長崎への原爆投下による地獄絵図であったり。
怒りが、悲しみが、恐怖が、憤りが綴られた小説群とは
一線を画した作品だ。
戦争文学としては紙数が非常に少ない。そぎ落とされた文章
は、それでも戦争の虚しさを伝えてくれる。
物語は西へ向かう汽車の中で進む。故郷へ向かう「ぼく」の
回想と、「その日」が交互に綴られている。
西へ進む汽車のなかから見たひとつの光景。停車中の汽車
から見えたのは、駐在所に続々と人が集まって来る様子
だった。
多分、それは昭和天皇の玉音放送を聞きに集まって来た
人々だったのだろう。1945年8月15日。「ぼく」は戦場
で銃を構えることもなく、召集されてわずか3か月で
終戦を迎えたのだ。
感情に走ることなく、淡々と綴られた文章はじわっと心に
広がって行くようだ。これは新しいタイプの戦争文学なの
かもしれない。
「ぼく」が帰り着いたのは、8月6日に原子爆弾に焼かれた
広島だった。 -
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「みんなこれまで後生大事に抱えてきた色んなもの、燃やしてんねや」
「自分の心が一番ひかれるものには、何となく罪のにおいがする。何か自分が守ってきたものを壊してしまいそうな、低いとどろきを感じる」
「あんな陰気な森の中に、陛下が暮らしているのかと思うと、気の毒なように思えた」
「ーーぼくの赤ちゃん。
中尉は写真を見下ろしながら甘い声でそう言って、自分でくすりと笑った」
「『でも可愛いんだ』
中尉は、子供を寝かすような口調でそう言った」
夢は覚めて初めて夢になる。覚めない悪夢は、現実だ
遅れて帰ってきた来たお前になど、何もわからないし、何もわかってもらいたくない、と、街から完全に背を向けられているような気がした
姉妹のたくましさ
【あとがき】
どうして私たちは、自分の知らない時代の者たちの起こした戦争の、嫌な話や、悲しい話を聞きながら育たなければならないのだろう、とずっと思ってきました。日本人として、広島に生まれた者として、「知っとかなきゃいけない」というのは理屈では分かっていても、殺したり、殺されたり、焼いたり、焼かれたり、そんな話ばっかし。頭が割れるほど嫌だった
「全てに乗りそびれてしまった少年」の空疎な戦争体験
世界は音もなく崩壊しようとしているのに、私には小説を書くという、意味があるのかないのかわからない仕事が目の前にあるだけでした
小説などバカバカしくて、そんなものを書こうと思った自分がみじめでたまらなくなりました
【解説】
わたしたちは、「ぼく」だ。「一度も」まじめに考えたことのない「ぼく」だ。故郷の「街から完全に背を向けられているような気がし」ている「ぼく」なのだ、と。
「過去」は、なぜ存在するのか。わたしたちに気づかせるためだ。なにを気づかせるのか。それは、わたしたちの愚かしさである。(中略)だが、作者は、それが絶望ではないことを知っている。 -
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『蛇イチゴ』『ゆれる』『ディア・ドクター』『夢売るふたり』
をDVD で見た。監督が 西川美和だった。
濃密な人間関係をえぐり出す西川美和が、書いたエッセイ。
どんな感じの文を書くか と思って読み始めたら、
朝青龍の ヒールについて、なんで ヒールにされるの?
ヒールがヒールと思っていないけど、ヒールにされてしまう。
そのことについて、愛着を持って、濃密に綴る。
なるほど、この感性は、どこかで、ねじ曲げられて、
屈折して、自分の体内に、なにものかを押さえ込んでいる と思わせた。
その得体の知れないものに、いらだったり、ひりひりしたり、
独特の こころの中の揺らぎが、「ヒール」や「女子重量挙げ選手」に
共鳴 共振したりするのだろう。
裸のエッセイもいい感じだ。
きれいな裸でなく 正直に 生活の陰をひきづっている裸に注目する。
裸って、やはり、正体 つまり人生をあらわすんだよね。
それを描いていく筆致が なんともいえず 鋭い。
谷ナオミの今のこだわりも、「裸」を売り物にした生業を心得ている。
オーディションでみえた 少女の ニンゲンへの洞察が、
きちんと生きてきた 証しが 見え隠れする。
そういう 中にあるものを 的確に つかみ出そうとする。
西川美和の したたかな 観察眼に 驚く。
映画 ではなく、フィルムに 想いがあり、
デジタルの安易さが 好きになれない。
途中に 気の緩んだような 昔のエッセイがあり
それが 刺身のつまみたいで 軽く読める。
ゆれるの 脚本から キャスティング そして
香川照之との出会い 鬼が来た。
オダギリジョーの なんともいえない 風情を
きちんと 文字の中に 閉じ込めていく手腕。
こういう したたかな 感性があるから、
ちょっと、質感の違う 映画が きちんと生まれるのか
と 納得した。 -
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終戦直前に通信兵になり特殊情報部に配属された主人公。その任務ゆえ一早く終戦を知った部隊は、終戦前日に解散し、隊員は各自故郷を目指す。
著者の伯父の体験をもとに書かれた小説です。
物語としての面白さと言うより、記録文学的な興味があります。終戦という激動にもかかわらず、更には故郷・広島が原爆によって壊滅状態であることを知りつつも、何処かサラリと受け流してしまう、或いは実感の乏しいままそれを受け入れてしまう主人公達。終戦の物語といえば、どうしてもパラダイムシフトを受けた人間像が描かれる事が多いのですが、現実レベルではこの主人公の様に淡々と受け入れた人も意外に多かったのかもしれません。
とても大きな字の100ページ余の短い小説ですが、読み応えがありました。 -
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▼映画監督として有名な西川美和さんの書いた小説。どうやら、あとがきによると基本的に彼女の叔父さんの、実話だそうです。
▼理系の男子学生兵士(学徒出陣か)がいて、外地ではない、千葉に部隊と居る。部隊は暗号を操る情報舞台で、モールス信号の訓練とかをしている。主人公は吉井。益岡という大阪の昆布商勤務だった友人がいる。ふたりの物語である。終戦をどう迎えたかという、生活感のにじむ物語。さしてドラマチックなことは、起こらない。
淡々とした筆致が好感が持てた。過剰なメッセージ性に捉われない誠実さ。
(以下、備忘録メモ。ネタバレです)
▼上官がいて、知的でいい人。空襲で妻と子を失った。その人が、8月11日くらいに、「もう本土上陸だから、我々の任務は終わった。我々にとって戦争は終わりでいい。解散だ」。
あらゆるもの、階級章とか、焼く。そして解散を命じる。吉井と益岡も東京駅発朝五時二十五分の電車に乗る。益岡は大阪を、吉井は実家のある広島を目指す。広島が新型爆弾を受けて「壊滅」という噂は聞いている。
▼途中のどこかの駅で、玉音放送の時間。戦争は終わった。ふたりは大阪で別れる。吉井は広島の廃墟に降り立つ。そこでたくましい姉妹とちょっと出会う。別れる。それで終わり。 -
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西川美和監督の映画が好きで、同タイトルの映画はこれまで2回観たことがある。初回観た時はすごく感動した。何年か経って、内容を忘れてしまい見直した時は、少し落ちいて観られた気がする。そしてしばらく経って、小説を読むことになった。小説でオリジナルストーリーを編み、脚本化し、映像に落とし込む西川美和という作家を丸ごと体験したくて。
初回観た時は、主人公の衣笠幸夫のクズっぷりに、自分を重ねて観ていた。永遠に亡くしてしまった妻と、死んでも尚向き合えない自分。それを乗り越えたいという意志があった訳でもないが、一緒に死んだ妻の友人遺族との付き合いを経て、結果的に亡き妻にやっと想いを伝えられるようになる。同じことが自分に起きたら、こんなふうにもがき苦しむのだろう、と。
小説は、やはり作家が映像までイメージしながら書いているからか、終始統一感があった気がする。亡くなった妻を想いながら家族を育てている陽一が、風俗の女性に殺してもらいそうになるという奇行の顛末が印象に残った。誰かを思い続けることの成れの果てに、そのみっともなさに心が動いた。愛も恋も、仏教的には執着なのだろう。執着は時に甘美で、時に残酷だ。 -
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映画「ディア・ドクター」のために僻地医療を取材した西川監督が、映画として描かれた氷山の水面下の部分を小説にして集めた短編集。
ディア・ドクターのアナザーストーリーとも言える物語は、どれも日常にまとわりつく退屈、倦怠、虚無などが描かれている。
どの話をとっても登場人物それぞれの人生に対する倦んだ思いが文学的な言葉で淡々と描かれていて、これが映像を撮ることを生業としている人の書く文章なのかと思うほど、作家然としている。
この作品は直木賞候補になったらしいが、エンタメ作品というよりは純文学に近い匂いがする。だから、つまらないと感じる人もいるだろうけど、歳を重ねた今だからこそ、登場人物たちの感情が理解できるし、身に沁みる。
「満月の代弁者」の孫娘が特に好きで、彼女が去り行く医師の“嘘”で救われて欲しいと心から願った。 -
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ネタバレ我々は、死と、そして生と、どう向き合うのか。
主人公の幸夫は、共感できない嫌味な奴として描かれます。流石は小説家、口はうまくて「作品」は出せるけど、他人を見下して、常に被害妄想ぎみで、子どもから抜け出せない人。
妻が死んだ時も不倫セックスをしていて、その後も関係を続ける、最低な人。
でも、そんな幸夫だからこそ、妻の喪失をどう受け止めるのか、そこにドラマがあります。
それに、僕自身、表面上はうまく取り繕っても、内実、他人を見下したり、自分を正当化したりは日常茶飯事な気がするし、自分の思考を文章にしたときに、果たして幸夫と違いがあるのかどうか…。自信はありません。
だからこそ、このストーリーは、自分事として捉えることができました。
幸夫は、大宮家の子ども達との触れ合いによって癒され、自分の居場所を見つけていきます。保育園児の灯ちゃんとのやり取りは微笑ましくて、ほっこりします。
でも、こうした交流も、妻の死に向き合わないための手段として、幸夫が利用しているものとしても描かれています。
それは一つの真実であって、だから彼は、彼らしい別の方法、小説を書くことによって、妻の死と向き合う事になりました。
そこでどんな葛藤、闘いがあったのか、それは語られていませんが、執筆後の語り口はまるで憑き物が取れたようで、寂しくも晴れやかなラストでした。
文体で幸夫の変化が凄く伝わってきて、改めて、小説という表現は面白いなと感じました。
他者が居てこその自分とか、守るものが人生を豊かにするとか、大事なものは失って気づくとか。
言葉にすると凄くチープで、当たり前すぎます。でも、だからこそ、これらをちゃんと想像して、真に受け止めていくことは難しい。
自分の周りの関係を大事にできなくなってきた時に、また読み返したいと思える作品でした。