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ぼくは何も考えてない。ぼくは、何も何もできない。頑張って、モールス信号を覚えたって、まだ、空は燃えている――。終戦の日の朝、19歳のぼくは東京から故郷・広島へ向かう。通信兵としての任務は戦場の過酷さからは程遠く、故郷の悲劇からも断絶され、ただ虚しく時代に流されて生きるばかりだった。淡々と、だがありありと「あの戦争」が蘇る。広島出身の著者が挑んだ入魂の物語。
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Posted by ブクログ
あとがきにも書かれているが、本作は著者の伯父の戦争体験が基になっている。陸軍特殊情報部に配属になった広島出身の19歳青年の目に戦争はどう映ったのか…。あまりにも淡々と語られるので、かえって重い印象を受ける。
あとがきにも書いてあるが、著者の伯父の体験が基になっている。陸軍特殊情報部に配属になった広島出身の19歳青年が経験した戦争とは…。淡々と語られる中にも戦争への思いが滲み出している。
「ぼく」は飛行機乗りになりたかった。でも、飛行機乗りになる には体が小さかった。中学を卒業し、家業の農業を手伝っていた 「ぼく」に召集令状が来た。 陸軍情報部の通信兵としての訓練が、東京・清瀬市で始まった。 飛行機乗りにはなれなかったけれど、通信兵として戦争に係わる ことになった。 通信兵として...続きを読むの訓練を始めて3か月後のある日。暗号表や通信 機器を燃やせとの命令を受ける。そして、襟章や軍人手帳も。 隊の解散だった。各自、幾ばくかの現金を与えられ、故郷へ 戻るよう言われた。 そして、その日、東京駅5時25分発の汽車に乗り、「ぼく」は 隊で一緒だった益岡と共に西を目指した。 戦時中、著者の伯父が体験し手記にしたためた内容をベースに 小説として発表したのが本書である。 戦争文学というジャンルがある。そこには勿論、先の大戦で 日本が体験したことを綴った作品が多くある。前線の兵士 たちの体験であったり、東京大空襲の阿鼻叫喚であったり、 広島・長崎への原爆投下による地獄絵図であったり。 怒りが、悲しみが、恐怖が、憤りが綴られた小説群とは 一線を画した作品だ。 戦争文学としては紙数が非常に少ない。そぎ落とされた文章 は、それでも戦争の虚しさを伝えてくれる。 物語は西へ向かう汽車の中で進む。故郷へ向かう「ぼく」の 回想と、「その日」が交互に綴られている。 西へ進む汽車のなかから見たひとつの光景。停車中の汽車 から見えたのは、駐在所に続々と人が集まって来る様子 だった。 多分、それは昭和天皇の玉音放送を聞きに集まって来た 人々だったのだろう。1945年8月15日。「ぼく」は戦場 で銃を構えることもなく、召集されてわずか3か月で 終戦を迎えたのだ。 感情に走ることなく、淡々と綴られた文章はじわっと心に 広がって行くようだ。これは新しいタイプの戦争文学なの かもしれない。 「ぼく」が帰り着いたのは、8月6日に原子爆弾に焼かれた 広島だった。
「みんなこれまで後生大事に抱えてきた色んなもの、燃やしてんねや」 「自分の心が一番ひかれるものには、何となく罪のにおいがする。何か自分が守ってきたものを壊してしまいそうな、低いとどろきを感じる」 「あんな陰気な森の中に、陛下が暮らしているのかと思うと、気の毒なように思えた」 「ーーぼくの赤ちゃん。 ...続きを読む中尉は写真を見下ろしながら甘い声でそう言って、自分でくすりと笑った」 「『でも可愛いんだ』 中尉は、子供を寝かすような口調でそう言った」 夢は覚めて初めて夢になる。覚めない悪夢は、現実だ 遅れて帰ってきた来たお前になど、何もわからないし、何もわかってもらいたくない、と、街から完全に背を向けられているような気がした 姉妹のたくましさ 【あとがき】 どうして私たちは、自分の知らない時代の者たちの起こした戦争の、嫌な話や、悲しい話を聞きながら育たなければならないのだろう、とずっと思ってきました。日本人として、広島に生まれた者として、「知っとかなきゃいけない」というのは理屈では分かっていても、殺したり、殺されたり、焼いたり、焼かれたり、そんな話ばっかし。頭が割れるほど嫌だった 「全てに乗りそびれてしまった少年」の空疎な戦争体験 世界は音もなく崩壊しようとしているのに、私には小説を書くという、意味があるのかないのかわからない仕事が目の前にあるだけでした 小説などバカバカしくて、そんなものを書こうと思った自分がみじめでたまらなくなりました 【解説】 わたしたちは、「ぼく」だ。「一度も」まじめに考えたことのない「ぼく」だ。故郷の「街から完全に背を向けられているような気がし」ている「ぼく」なのだ、と。 「過去」は、なぜ存在するのか。わたしたちに気づかせるためだ。なにを気づかせるのか。それは、わたしたちの愚かしさである。(中略)だが、作者は、それが絶望ではないことを知っている。
終戦直前に通信兵になり特殊情報部に配属された主人公。その任務ゆえ一早く終戦を知った部隊は、終戦前日に解散し、隊員は各自故郷を目指す。 著者の伯父の体験をもとに書かれた小説です。 物語としての面白さと言うより、記録文学的な興味があります。終戦という激動にもかかわらず、更には故郷・広島が原爆によって壊滅...続きを読む状態であることを知りつつも、何処かサラリと受け流してしまう、或いは実感の乏しいままそれを受け入れてしまう主人公達。終戦の物語といえば、どうしてもパラダイムシフトを受けた人間像が描かれる事が多いのですが、現実レベルではこの主人公の様に淡々と受け入れた人も意外に多かったのかもしれません。 とても大きな字の100ページ余の短い小説ですが、読み応えがありました。
叔父の体験談をもとに書かれたということで、リアルな描写が入っていた。陸軍の特殊情報部というのはとても貴重な体験であまり聞いたことがなかった。無駄な部分をそぎ落として余計な脚色をせず、変に感動させようとしない全く欲のない文体に好感が持てた。
東京オリンピック最中の2021年8月に、大昔となってしまった戦争に想いを馳せる。劇的な出来事や哀しみだけではない、戦争の時代を形づくっている何か。いい本にまた出会えた。
その日とは太平洋戦争終戦の日だった。昭和20年に通信兵として軍務についた「ぼく」と同期の益岡と、一般国民より少しだけ早く日本の敗戦を知り、0525東京発の東海道本線に乗って故郷へ帰る。夜行列車が兵役の回想の舞台として良く合っている。「何一つ、自分でしようと思ったことじゃない。だからといって何一つ、抗...続きを読むおうと思ったこともない。ぼくは何も考えていない。」主人公が放つこの台詞は、軍国主義の日本だけではなく、現代の日本人に蔓延する姿ではないかと思う。
1974年広島県生まれの著者の伯父の体験記を基にした小説~昭和二十年春に召集され東京清瀬の陸軍特種情報部の通信兵として過ごし,アメリカの短波放送でポツダム宣言の内容を聞き,上官の命令で資料を焼き,階級章を剥がして焼き,軍人手帳も燃やして,故郷に帰るために,東海道線始発列車を東京駅で待ち,切符無しで大...続きを読む阪から広島まで帰ってきたが,焦土となった故郷でも,生活に必要なものを集めて回る女性の逞しさに触れる~上手に書きました。「そうするしかなかったから,そうした」そういう人が多かったのだろう。他に選択肢はなかった
悲壮感のない戦争小説。とてもよかったです。 青年の無垢な視点から語られる様子は、阿川弘之の「雲の墓標」を彷彿とさせました。 淡々としているがゆえにリアリティを感じさせられます。
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その日東京駅五時二十五分発
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西川美和
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