田口俊樹のレビュー一覧
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ジキル博士は内なる善と悪に
それぞれの肉体を与え
自分は善の肉体で生きようとし
悲劇始まっていく。
はじめのほうで
弟アベルを殺害したカインについて
触れられていることから
アダムとイヴの時代
イヴが善悪の木から実を食べてしまってから
罪が入り込んでしまったことが思い起こされる。
それならばジキル博士が
どんな薬を作ったとしても
神のように善のみでは人は生きられない
それができるのは神のみなのかもしれないと。
人の心には善と悪両極だけには分けられない
いくつもの心が共存している。
それを自分自身だと受け止めることから
本当の人生は始まるのではないかと
強く感じました。
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Posted by ブクログ
ネタバレ1886年に書かれたのかと関心してしまうほど、新しい構成のように思える。
今では登場人物が、最後に回想することは珍しくはないが、当時は新しかったのかもしれない。
翻訳が読みやすいのか、とてもさらさら読めて、今までの海外小説の中でもダントツで好みだった。
ヘンリー・ジキルとエドワード・ハイドが同一人物であると言うことを知ってはいたが、同じ人間の中に渦巻く二重性、葛藤や苦悩が語られていたり、使用人たちが恐怖する場面も面白かった。
もし結末を知らなかったら、より面白いミステリー?小説かもしれない。
200年も前にこのような作品が書かれたことを本当に素晴らしく思う。
英語版でも読んでみたいと思った。 -
Posted by ブクログ
ハーラン・コーベンの第一の魅力は、どのページに至っても、どの文章に至っても、とにかく読んでいて楽しいことだ。気の利いた描写力も素晴らしいが、何よりも会話の絶妙さが素晴らしい。セリフが素晴らしいということは、そのセリフの持ち主であるキャラクターたちが、おのおの個性的ということだ。いわゆる<キャラが立っている>。それがこの作家の一番の特徴である、と言っても過言ではあるまい。
最近は独立作品が多いコーベン。ポライター・シリーズの共演者であるウィン(時には主人公を食ってしまうくらいの強烈な個性)を初の主人公とした『WIN』という待望の作品が2022年に邦訳されたときは小躍りして喜んだものだが、マイロン・ポライターのシリーズ(すべて早川文庫で翻訳は中津悠)としては4作の未訳作品を残したまま、第7作『ウィニング・ラン』(2002年邦訳出版)でシリーズ翻訳作品の出版は途切れ、その後はコーベン作品は独立系のものばかりが講談社や小学館から邦訳されることになる。いずれも一癖も二癖もある素敵な作品ばかりではあるが、ぼくらにはシリーズ主人公であるポライターの行方は杳として知らされないままであったのだ。
そして邦訳としては24年ぶりのマイロン・ポライターとの再会機会を本書でぼくらは得ることになった。小説世界は現実世界に沿って時間がそれなりに流れたようだ。マイロンもウィンもどちらも現実世界に沿って年齢を重ねている。
本書は、犯人の側の殺人描写というバイオレンスでいきなりスタートする。フォントを変えた犯人側の描写は作中に挟み込まれるまま、それらの殺人事件に取り組む側であるマイロン・ポライターとウィンの捜査や、二人の絶妙なコンビネーションと個性が光るのはお馴染みの光景。もし、シリーズに初めて接する方であっても、独立した作品として読んで頂いて構わない。そもそも4作未訳のまま連続しない形で昔からの日本語版読者は未来へとタイムスリップしてきたのだから。
登場人物たちはそれなりの時を超えて今の作品内に配置されており、マイロンとウィンの関係も昔のままとは言えないまでも円熟味を増したかたちで犯罪に挑む。
ちと難点がある。登場人物のあまりの多さである。巻頭のキャラクター表のページが擦れるくらい何度も参照しなければならず、それに苦労したのはきっとぼくだけではあるまい。時に、ぼくはキャラクターが複雑に絡まり合う恐怖を避けるために(汗)それぞれの関係図を描き、それを手元に置きながら読むことがあるのだが、今回はそれをサボってしまったがために、何度もページをめくり返す羽目に陥った。最初からそれをすればよかった、と反省しきり。
とは言え、ミステリーとしての骨格があり、複雑な人間関係と意外性のある犯人と、読者を惑わすばかりのあまりに想定外な決着の付け方。すべてがコーベン節と言おうか、エンタメのためなら何でもやる的サービス精神(?)と言おうか(汗)、その辺りは独立作品もそうだが変わってないな、元気だな、と思わせられる一冊であった。
古いこコーベン読者だけでなく、新しいコーベン・ファンにも是非読んで頂きたいし、もしこのダブル主人公マイロン&ウィンに興味を持たれた方は古い作品(けっこう入手困難?)たちにも接して頂きたいと願ってうやまないものである。
これを書いている時点では本作の翻訳を手掛けている田口俊樹さんからの本作紹介文もありますので、是非ご一読を! -
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ネタバレポアロ最後の事件。
タイトルのカーテンはカーテンコールのカーテンかな。
ポアロはスタイルズ荘で始まり、スタイルズ荘で終わる。
そして、アガサ・クリスティのデビュー作はスタイル荘であり、遺作がカーテンなのは、人生そのものだろう。
しかも、数々の事件を解決してきた名探偵ポアロが最後に死んでしまうのは、遺作に相応しい(というか、狙っているのだろうが)。
ポアロは犯人をほぼ特定はしているが、証拠はなく、連続殺人を止めるには自ら犯人を殺すしかない。
そして、殺人を犯してしまったので自殺。
似たパターンのエラリー・クイーンのレーン最後の事件がなければ文句なしの傑作なのだが。。
といっても、伏線などは違うので、高齢となって白髪で車椅子になったポアロが実はそうでなかったり、面白い。
最後に友人のヘイスティングに宛てた手紙で終わるところもいい。
まるで、アガサ・クリスティ自身が読者に語っているかのようでもある。 -
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ネタバレ前作「森から来た少年」の主人公ワイルドが活躍するシリーズ第2弾。本作でもワイルドは自分の親族を探している。物語はいくつかの遺伝子鑑定会社(ネットサイト)を使って調査しているシーンから始まる。
ワイルドの親族探しが1本の大きな柱、もう1本の柱がリアリティ番組で有名になった男の行方探し。この2本柱がくっついたり離れたりしつつ、SNSの異常偏執投稿やリアリティ番組での人格や価値観崩壊(日本でも自殺者でてたヤツ)、警察などを挟みながら、物語が進んでいく。
前作との一番の違いは、伏線回収の見事さ。置いてけぼりにされてる問題はほぼなく、前作で拾えなかった伏線も綺麗に回収していく。あまりに見事すぎて「え、ワイルドシリーズはもう終わりなん?」と心配してしまうほど。
メインキャラクターがとても魅力的なので、できればこのシリーズは続いてほしいなぁと思うのだが -
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懐かしのマット・スカダー・シリーズの驚くべき最終編。第一長編『過去からの弔鐘』から本シリーズを読み始めたのが1991年10月で、割と遅めのスカダー読者だったのだが、驚くべきことに、その10月だけで『慈悲深い死』までの7作を読み終えているから、ぼくのこのシリーズにへの惚れ込みようは押して知るべし、である。そこから2012年の『贖いの報酬』でこのシリーズは一端途切れる。このシリーズのみならず、ローレンス・ブロックの他のシリーズ作品も含めて、2014年をもって全翻訳作品が途切れたのである。
作者の高齢化やそれにまつわる状況がそうした空白を産んだのかもしれないが、その後も印象的な翻訳短編集が出ている。2020年に出版された『石を放つとき』である。過去の短編作品の再集録や初訳短編もあるが、シリーズ主人公であるマットの老後の姿に初めて会うことができるタイトル作は、貴重な一話だ。昨秋に出版された本作は、このシリーズに終止符を打つべく老齢の作者が渾身のペンを走らせてぼくらに贈ってくれる最後のマット・スカダーだ。
こちらのマットは、主として回顧録のスタイルをとっているが、特に目立つのが警官時代の若き自分を振り返るエピソードで9割がた費やされていることである。無論その合間に現在のマットの心境を挟みながらエピローグの形で彼の人生の知られざる前半期を物語ってくれる。しかし、それらはストーリーの語り手としてではなく、あくまで回顧録の書き手としての立場で。
警官、孤独なアル中探偵、エレンとの同居により成熟した大人の生活を取り戻した成熟した探偵時代、といささか乱暴だが、大きく三つの時代に分割されるマット・スカダーの人生のうち、最も詳しく描かれることのなかった警官時代を老齢のマットが独白の形で振り返るという形を取った本書は、作者が第三者であるローレンス・ブロックの形でマットとやりとりするなど、若干シュールな作風もチョイスされている。
作者もマットも80台の大台に乗って、若い頃の警察官マットを振り返りながら、物語ではなく独白のかたちで半ばエッセイ風に記述してゆく。アル中になるきっかけとなった少女誤射事件をきっかけに警官を退職し、酒に身も心も委ねたマットは禁酒の誓いを立て、娼婦であったエレンの力を借りながら徐々に自分を許してゆく。その延長線上の彼を、物語風ではなく、驚いたことに回顧録風に語ってゆくのが本作である。
ミステリーではなく、ハードボイルドでもなく、むしろ文学性が豊かに感じられるシリーズ最終作が本書なのである。作者ローレンス・ブロックすら登場させ、マット・スカダーという探偵のシリーズそのものに驚異的な奥行きを与える一冊となっている。独白でエッセイ風味なのでストーリーというものはないにせよ、このシリーズを長年に渡って逐一追いかけてきたぼくのような読者にとっては、このリアリティとキャラクターの深みは、リアルとフィクションを行き来する合わせ鏡の眩暈のようだ。
懐かしい名前やできごとを各所に登場させながら、84歳のスカダーに語らせるという異次元の手法で描かれた新手のフィクションとして、最後まで僕ら読者の眼を眩ませてなお斬新な作風を取ってくれたブロック。この奇跡の一作にまたしてもガツンとやられたぼくはこのシリーズを長年読んできて、マット・スカダーのことも、彼と接してきた自分自身のかつての姿をも振り返ることができた気がする。前代未聞の型破りなこの作品の精緻さにも、とうとう最後まで幕引きをしない作者のトリッキーな姿勢にも、すっかりガツンとやられた感いっぱいの読後なのだった。 -
Posted by ブクログ
1999年に書かれた『神は銃弾』でノワールファンに衝撃を持って迎えられた本作。
まさか2023年になって映画化するとは思ってもいなかった(映画自体はキャスト陣が演じるキャラクター造形は素晴らしいのだが、残念なことに映画は悪い意味で原作通りにやってしまったせいで、キャラクターたちの魅力を活かしきれてなかった)
10数年ぶりに原作を読み直したくなって久々に表紙をめくったのだが、やはりめちゃくちゃスゴい。
今読んでもこの容赦のないプロットと、ドライで冴え渡ったキレッキレの文章には惚れ惚れするくらい食らってしまう。
そして600ページ近くある作品で、この文体で描かれるのは癖がありそうなのに、なぜかリーダビリティが高いのも不思議だ。
暴力をここまで陰惨に、かつ徹底的に描いていながらも、キャラクターの内面の機微も繊細に読み取り描いていくのも抜群に上手い。
改めてスゴい作家だ、と。
ボストン・テランは2019年に『How Beautiful They Were』という新作を出しているのだが、これは翻訳されないのかな……。
ってか新作もそろそろ出してくれないかな。
それとボストン・テランは何回も映画化が動くけど頓挫し、を繰り返しているのだが、『神は銃弾』が作られたことで次の映画化も動いているらしい。
次は『暴力の教義』が映画化するんだとか。こっちはちょっと座組的に心配ではあるのだけれど……。