山崎雅弘のレビュー一覧
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高校生が文章を読むに当たり、基本的な考え方をあたえてくれる、良本。
平川克美「人口減少社会について根源的に考えてみる」ではグラフの見方とともに、当たり前のようにように言われている言説について批判的な見方を示唆する。
仲野徹「科学者の考え方-生命科学からの私見」ではパラダイムシフト、疑う、シンプルに考えるなど科学を発展させている考えが書かれている。
白井聡「消費社会とは何か-『お買い物』の論理を超えて」ではボードリヤールの考えを援用し、いわゆる「消費」的な感覚が政治や教育にも適用させようとする現在の社会のゆがみと弊害を述べる。
山崎雅弘「『国を愛する』ってなんだろう」では、政治的無関心が生む危険と愛国の意味の多義性について分かりやすく述べている。 -
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【読書メモ】
p185
・何のために勉強するのですか?
自分の頭で考え、自分の言葉で自分の意見を言う。ただそのためだけに勉強するのです。山本義隆
p190
・同じことを、違った側面から考える視点を与えてもらうためにディスカッションをするのです。当たり前のことですが、自分は自分の考えに染まりきっています。そこへ、違う刺激を与えてもらって、自分の考えを方向転換させたり、バージョンアップさせたりすることが重要なのです。
p103
・科学がグローバルである最大の理由は、真実をあつかうからということです。
…科学的な視点は予測できない社会を生きるうえでの全員にとってマストなものの見方なのかもしれない。情緒的に考えたとしても、それを相手に理解できる自分の言葉で伝えて、ブラッシュアップしていかなきゃいけない。誰かが先に答えを用意してくれている時代でないのであれば、自分の考え、意思を言語化して、まず自分を納得させることができなければ、何も頼りにするものがなくなってしまうから。自分を納得させるために、何故自分がそう考え、思ったのか、その前に何が頭に浮かんだのかを自分自身に伝えなければならない。
科学的なものの見方とは、パラダイムが人間の思考をいかに制限・固定・維持しているかを理解したうえで①まず疑う、②データに基づいて具体的に説明する③合理的に考える④いっしょに考えてグロ−バルに展開してくという流れ。
・消費社会について
…資本主義がすすみ、消費社会が到来した。最初は「必要だから」何かを求めていたものが、今では「これを持っていると周りから羨望の眼差しを向けられるから」といった“意味”に価値が置かれている。だって、物が溢れる時代に、物をほしがり続けてもらわないと資本主義は回らないのだから。
しかし、そうした消費社会の高度化が人間精神の在り方に異常を来していると筆者は述べる。「お買い物」の論理を、その論理が当てはまらないもにまで当てはめようとしているからだ。
選挙の投票や教育はその良い例。
投票は、投票したい候補者がいないし行っても無駄、という合理的な考えで処理されることがあるが、その危険性はでかい。あなたがほしがるものをお膳立てしてくれるわけではない。あなたが何もしなかった行為そのものが、結局はあなたとあなた以外の人にふりかかることになる。だから、「もっともマシ」だと思う人に投票することが求められる。
また、教育はお金を払えばすぐに分かりやすい商品価値が返されるものではない。つまり、商品として捉えるならば出来損ない。さらに教育が商品とみなされたが、教育は不可能になる。学ぶ主体が「消費者である」と自己認識している限り、最低限の支出で最大限の有用性を得ようとしている限り、教育は死ぬ。お客様→学ぶ主体
・「愛国心」について
…そもそも「国」をどう捉えるかは3種類ある
①外国的に「独立国」として承認されている国家の領土
②その領土内に住む国民を特定の政府が統治する国家体制
③政府に統治される側の、一人一人の国民の命と生活環境
時代的背景によって、上記の優先順位は前後する。
第二次世界大戦で、ドイツ軍に攻め入れられたフランスは、わずか6週間で降伏を宣言した。③市民の命を最優先にし、①領土の半分を失い、③ドイツ寄りの中立の立場をとることになった。
一方、太平洋戦争中の日本は、軍人や市民の命が犠牲になったとして、早く負けを認めて戦争をお渡せようという空気は起きなかった。なぜなら②天皇とその天皇が統治する国家体制が何よりの崇高なものであったわけで、③はそれを支えるために存在していると解釈されていたから。
日本で「愛国心」というと、この戦時中のイメージが先行されてしまうきらいがある。なぜなら、平和な時代の③を優先する愛国心(いわゆる新バージョンの愛国心)の概念ができあがっていないから。
反戦運動をする人に対して「裏切り者」や「売国奴」などど軽々しく言うひとにとっての愛国心は、②と③を最優先にさせたもので、指導者が決めた物事について疑いをかけずに従順に突き進んでくれる都合の良い存在。いわゆる「馬鹿」なのだけれど、そんな存在を刺激するには近隣諸国に敵をつくって、危機を煽れば良い。そういったかれらにとっての愛国心は、本当は国を破滅に導くとも知らずに、彼らはついてくるから。
「もしかしたら、自分の国の指導者は間違った判断をするかもしれない」と考える市民、そして命を最優先に考える市民にとっての「愛国心」は上の人たちとは違うことを理解しておく必要がある。
自国の黒歴史、つまり、戦争のために命を落とした人たちの死が無駄であったか、そうでなかったかは軽々しく結論付けられないが、それを決めるのは現在と将来の私達の行動にかかっている。
P281
ブレーズ・パスカル「われわれは絶望が見えないようにするために、何か目をさえぎるものを前方においた後、安心して絶望のほうへ走っている」(パンセ) -
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昨今の改憲議論はなぜ起きているのか、を中心に日本会議という団体の活動を通して解き明かしている本。
かなり個人的な見解かもしれないですが、改憲派の目的は大きく2つあるように読み取れました。
1.戦中まで政治的な力を持っていた神社の団体が、GHQによって解体され、政治権力と公金を失った神社関係者は、それを取り戻したい。
2.GHQによって基本的人権を導入したせいで日本は堕落していると考えている政治関係者は、国家神道を国民に強制したい。
前者はパワーを失った神社の怨念のようなもので、過去の亡霊のように思えました。
後者は櫻井よしこなどの日本が堕落していると感じている現代の人々もいて、戦前・戦中に回帰すると世の中が良くなると思っているようです。
また、この本は様々な問題点を指摘しています。
いかに現在の安倍政権が異常なのかを感じれると思います。
過去は良かったと回帰したがる気持ちは分かりますが、これだけ科学技術が発展している世の中で過去にしがみつくのは時代錯誤も甚だしいと感じました。
日本国民全員にオススメです。 -
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いろいろな意見や立場、考え方、信条、信じるもの
大事に思うことやものがあると思います。だから
否定はしませんし、声高に叫んだり攻撃をするほど
強くもないですが。
私はこういう団体の活動、それに賛同する人達の考え方
には賛同できません。
それから、政治家というのはある意味自分の信条や思考を
政治に反映するのはいかがなものかと思ったりします。
またマスコミも同様で、バランス感覚が崩れているような
気がします。
そこだけは将来この国は本当に大丈夫かと思います。
一つだけ。。。国の首相も含めて、そういう人たちの
顔が私には醜く映って見えてしまいます。 -
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ポーランド侵攻を「第二次世界大戦の発火点」と捉え、ナチス・ドイツとソ連という二大強国に挟まれたポーランドが、1939年にどう翻弄され、蹂躙されたのかを丹念に描いた一冊です。
独ソ不可侵条約の裏に隠された密約、ドイツの電撃戦、ソ連の東進、そしてポーランド国内の複雑な民族構成や反応が、当時の国際情勢と重ねて詳細に語られています。
被害国としてだけでなく、地政学的に振り回され続ける存在としてのポーランドが浮かび上がる構成は非常に新鮮で、戦争の始まりを「ポーランドから」と捉える視点は、戦争の構造的暴力を改めて考えさせられる契機になりました。
情報量が多く、背景知識なしにはやや読みづらさも感じましたが、通り一遍の知識しかなかった自分にとっては、歴史の奥行きを知るきっかけとなる一冊でした。
第二次大戦を語る上で、ポーランドという国の立ち位置にこれほどの重みがあるとは思いませんでした。 -
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自分の周りでも詭弁を使う人間は多いし、自分もまた時には発言した後に今のは詭弁だなと感じる様な事を言ってしまう。誰もが詭弁を使われたり使ったりしながら生きている様に感じる。詭弁自体は古代ギリシア時代からあった会話のテクニックであり、特に議論を戦わせる場に於いては、相手を弁で打ち負かすために使われてきた。それは本書に記載されている様に、通常は「論理のすり替え」や「命題逸らし」と呼ばれる様な様々な(決して良いとは言えない)テクニックである。
本書は日本の現代の政治や、かつての大日本帝国時代の指導者たちが使った「詭弁」について、様々な例を挙げて、その発言内容が詭弁である事を説明していく内容となっている。第二次安倍政権以降、菅政権、岸田政権へと総理大臣が変わっていく中、繰り返される詭弁。この時代のモリカケ問題やら、憲法改正議論の高まりやら、コロナ対策、学術会議任命拒否やら、何かと総理自身が弁明を求められるシーンを国会中継やニュース報道で見たが、私も頻繁に耳にした「個別の問題については発言しかねる」「記憶にございません」などの文言。見ていて思わず突っ込みたくなる言葉ばかりが次々と出てくる。如何にも我々国民がそう望んでいるかの様な言い回しも頻繁に耳にした。あまりに多いので、またそれか、と突っ込むのも面倒になってくる。
筆者が言う様に、確かに国民を馬鹿にしたかの様な言い回しが多いと私も感じているが、筆者が言うほど騙されたり、言いくるめられている人も少ないのではないかと思う。だからこそ、そこに大きな問題があるのではないだろうか。稚拙な答弁しかできない政治家や、面倒臭がったり、諦めの気持ちしか持てない国民。引き下がるマスコミもマスコミだが、彼らも真実を伝える使命感以上に明日の仕事と給料を確保しなければ生活できないリスクを負う。詭弁それ自体は、まともで深い議論が行われない点で大問題かもしれないが、前述した様な聞き手側に大きな問題がある様に思える。
筆者はクリティカル・シンキングの能力不足についても指摘をするが、狭い島国日本にありながら、強い同調圧力の中で「弾き出されないように」「リスクをなるべく負わないように」生きる方法を学んできた日本人にとって、中々、それが詭弁であるとわかっても言いにくい点は大いにある様に感じる。誰もが面倒臭い、責任を負いたくない、社会から弾かれたくない(目立つ事を良しとしない)と考える間は、政治家や権力者による詭弁は猛威をふるいそうだ。
筆者の様に、それについて社会に警鐘を鳴らし続ける事は重要だと思いながらも、今日も政治家の詭弁を聞いて、「またか」で終わる自分がいる。 -
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ネタバレ先日山崎さんの裁判の支援を内田先生がされていたという記録のブックレットを読んで、その後お二人でされた日本社会の現状や世界情勢についての対談本が出ていたことを知り手に取りました。
出た頃に読みたかったと思いましたが、本書が出た一年前にはイスラエル側にいるアメリカがイラクを攻撃するなどということがまさか起きるとは誰も予測してなかったことを思うと、出版後すぐ読むのと今読むのでは捉え方や感じ方、意味合いなど変わるのではとも思いました。
(p196)(アメリカも中国もロシアも)他の国のリーダーシップの下で中東が安定するよりは、誰も停戦工作ができないまま中東がカオス化するほうが「まだまし」という計算がある
現実は一層複雑化しカオス化したように感じます。今の戦争がどのように幕引かれるのか想像することができないです。
(p234)海外の紛争地に深くコミットすることはアメリカの国益を損なう可能性が高いということは経験則として学んでいる
今の戦争は完全に一線を超えたと言えると思います。
(p200)もともとヨーロッパ諸国がユダヤ人に対して宥和的であり、彼らを自国のフルメンバーとして受け容れるという努力を19世紀末から真剣に行っていれば、そもそもイスラエルは建国されていないし、今日のパレスチナ問題も起きていないのです
と内田先生が言ってるのを読み、先日読んだ「聖地巡礼コンティニュード(釈徹宗・内田樹 共著)」で釈先生が「イスラエルが満州あたりに建国されていたら今ほどこじれた状況にならなかったかも」と言っていてそれに対して内田先生もそうですねと答えていたことを思い出しました。…でもそうだろうか、と私はどちらも疑問です。
(p248)起きたことについては歴史家はその理由を説明してくれますけれど、起きなかったことについてはなぜ起きてもいいことが起きなかったのかは説明してくれません。
見落としがちですが確かにそうだなと。起きてもいいことが起きなかったことにはたぶん理由がある。それを考えることも歴史を読み解くうえの大事なヒントになるのではと目からウロコ。結局その理由は分からないことが多いでしょうけれどそういうものの考え方をしていくことが自分の頭で考える、自分の目で世の中を見つめていく姿勢になると思いました。
他にも気になることがたくさん。
公益通報の不条理(p71)文字メディアだけで情報収集していると音声的に再現できない固有名詞を含む話題を回避する傾向が生まれる(p46)報道の危機や政治の空洞化などなど。
インタビューを一方的に没にしておいて連絡も謝礼もなし、こちらからどうなったか聞いたら形式的謝罪のみってひどすぎ。そんな対応が通るような仕事をするメディアがあるんだと驚くけれどもきっとそこだけの話ではなくて、どこもウエが「やめろ」とか「はい、没」と言ったら終了する取材や記事はたくさんあるのでしょう。ドラマなどでたまにそういうの見ますが、現実の方がもっとドライにたくさん起きてそう。
やってないことをやったと自白させられてうまくその場をやり過ごした友達とあくまでもやってないことはやってないと言い続けた内田先生自身の子供の頃の話が出てきますが(p143)自分も似たようなことがあり。
やってないことをやったと自白させられるのはトラウマになります。内田先生が、嘘をついて罰を逃れようとしたら自分の中の何か大切なものが穢されてしまうと言っていますが、それは多分その通りでずっと残ります。
本当のことを言っているのに自分の思う返答をするまで責め立てた教師を半世紀近く経った今でも私は許せないです。とっくの前に亡くなられていますが。
(p296)子どもたちにオーラルを教えて、テクストを読むことを抑圧するのは植民地における教育の基本です
近頃小学校では国語で教科書の音読をやらなくなったと聞きました。やらなくていいという方針が出たという話ですが、そういう時間も取れないほど他にやらせたいことが詰まっているというのもあるのでしょうけれど、どんどん自分で考える力を失わせる教育や指導が増えていると怖くなります。
山崎さんは、決して絶望しないしぶとさを持つことが大事と言っています。小学校の指導方針に疲弊している友人も「納得できない、このままではだめだと思うことはだめだと言い続けなければ、止めさせなければならない。諦めたらそこで終わりだから辛くても言い続けなければならない」と言っていました。
…言い続けなければならないけれど言い続けられるだろうか、と弱気になります。
世界は混沌とした動乱期に入ってしまったように感じます(p185)
数年後、本書を読み返したらきっとまた今とは違う感じ方になるでしょう。本書の中の懸念の方がまだましだったと世界がならないことを願うばかりです。
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最近の、SNSが絡んだ選挙運動は “世も末”感であふれている。特に保守系の政治家を応援する人たちは、その人の政策や言説の内容を検証するのではなく、何を言っても人格自体を褒め称えるばかりだ。これは政治家を対象にした応援ではなく、カルト信者に近い現象だ。また、その政治家が発信する内容はウソが含まれる。確信的にウソを発信している。それを盲目的に信じ、SNS等で攻撃的に発信する。
本書はその実例を検証している。アメリカのトランプ大統領から、NHK党の立花、日中戦争からベトナム戦争…。例に困ることはないほど世の中は荒れている。最終章は「ウソと言いがかりが勝つ時代」に社会はどう対処すべきか、だが、決定的な処方箋はない。市井の一人としてできることは多くないだろうが、著者の言う、『絶望とあきらめ』は抱かずに日々の生活を送ろうと思う。次回、第51回衆議院選挙の結果はいかに。 -
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ネタバレ50年後の日本人に向けて、ということで今を書き記されています。
いろいろなことが起きているから、
全然時事にも政治にもついていけなくて、
あと追いで知ることばかりの生き方ですが、
思いっきり立場を取って痛烈に批判しながらその議論をサポートする事実を列挙していく一人称単数で語られるものは、ニュースとかに比べて入ってきやすく、考えることにつながりやすい。そしてとても博識な著者にとっては、ここで書かれていることは考えのほんの一部に過ぎず、膨大な知識がこの議論の背景にあるのだろうと思いながら、私は表面的にだけでも、大変興味深く読みました。
本書は、平和国家、倫理の底、そして、倫理の底が抜けたという、3つのテーマに分けて、3部構成になっています。
が、現実は入り組んでいるので、全てつながっていますね。 -
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「底が抜けた状態」とは「良識や常識のレベルで機能していた社会の”自浄作用”が無い状態」、そんな状態を改めるべく何をすべきなのか。
自分でちょっと考えてみて、まず大事なのは「関心」を持つことだと思う。関心が無ければ、考えことや、声をあげることができない。人生何事も関心をもって、熟考してなんぼだと思う。
また著者は今の日本が「自分の頭で考えて行動する人」よりも「従順な人」が多いと考え、それでは政府の誤った判断を修正できないと憂慮しており、「自分の頭で考えて行動する人」にならなければと本書から意識させられた
「関心」「熟考」そして「行動」、忘れないようにしなきゃ...!