山崎雅弘のレビュー一覧
-
Posted by ブクログ
中高生にとって必読の書であるのはもちろん、私たち大人も読んでおくべき1冊。
以下、印象に残ったフレーズを。
「この世に『最低の学校』というのがあるとすれば、それは教員全員が同じ教育理念を信じ、同じ教育方法で、同じ教育目標のために授業をしている学校だと思います(独裁者が支配している国の学校はたぶんそういうものになるでしょう)。でも、そういう学校からは『よきもの』は何も生まれません。これは断言できます。」(p10:内田樹)
「疑うというのは『排除する』とか『無視する』ということとは違います。『頭から信じる』でもなく、『頭から信じない』でもなく、信憑性をとりあえず『かっこに入れて』、ひとつひとつの言葉を吟味するということです。そうすればおそらくみなさんは『なんとなく、身にしみ入る言葉』と『なんとなく、違和感がする言葉』を識別できるはずです。それくらいの判断力は生物である限りは備わっています。」(p14:内田樹)
「『わかった』というのはあまりいいことじゃないんです。人間同士では、『わかると、コミュニケーションが終わる』ということになっている。」(p38:内田樹)
「物理を専門にしておられて、科学についてすばらしい本を何冊も書いておられる山本義隆さんは、何のために勉強するのですかと尋ねられて『自分の頭で考え、自分の言葉で自分の意見を言う。ただそのためだけに勉強するのです』と答えられました。これは、勉強だけでなく、科学という言葉にも、ぴったりとあてはまります。」(P184:仲野徹) -
Posted by ブクログ
現在の日本の状況に将来的な不安、そしてその要因となる現象を見るとき、何かのせいにしたくなることがある。「何故こんなことになってしまったのか?」といった具合に、…。
そんなとき、変化している世の中に、歴史のなかに、似たような流れを見つけようとしたり、他者からその要因を吹き込まれたりすると、その符合の正当性を自ら進めていってしまう。そんなことはよくある。
でも、そんな簡単に答えを出してしまって悔いたこともあった。
将来を不安にさせる要因はいくらでもある、もしかしたら、そうさせられているのかもしれない。
自ら参照の対象として選んだ選択が誤っていたのかもしれない。
それを救う存在として神を崇め、宗教が生まれ、教義か作られてもきた。
日本は戦後の成長と豊かさを手にする過程で十分に学んできたはずだ、もう過去の轍は踏まないためにも、自分たちが責任をとるという覚悟をもって、自分が主体となって判断するという姿勢を示してもいい頃ではないだろうか。
“憲法改正”に賛成するのも、反対するのもその決定にもたらす結果に対して責任を持つ覚悟だ。
とんでもないことになるかもしれないけど、歴史に取り返しがつかないことはない。
それだけ真剣になれるもので、「俺は反対したのになぁ」とか「賛成したけどひとりの力では無力だ」なんて言葉は後になって語ってはいけない。
我が子の将来を嘆いて、拳を振るったり、パターナリスティックな指導に陥ったりせずに、自らの不可知に謙虚に、しかも他者の差延べる手に慎重に向き合わなければならない、危うさが待ち構えている時代を今私たちは通過している。
この“日本会議”の存在やその狙いについては、あまり大手メディアでは語られないので、書かれている主張を追っていくと、ゾクッとした緊張感がいつも背後には漂っていた。
日本という国はもう現状の不安と引き替えに、“戦中・戦後を美しいと偽装する”システムの駆動スイッチを押しているのかもしれない
トランプの大統領当選やイギリスのブレグジット決定、そして日本のN国党の議席獲得、憲法改正のニュース映像は、もう私の未来テレビでは並べられて流れている。
-
Posted by ブクログ
ネタバレ「主戦場」という映画を観た。日系アメリカ人が慰安婦問題をドキュメンタリーで撮った映画だ。題名の「主戦場」に違和感を持っていたが、この本を読んでガッテンした。
産経新聞社が「『主戦場』は米国、『主敵』は中国というキャンペーンを張っていたからだ」。アメリカ人がこの主張に対して関係者から聞き取りをして映画にした。
大阪人の僕としては、60年も続いたサンフランシスコ市と
の姉妹都市提携を解消したのは残念だと思っている。一人の市長により一方的に終わらせる事がい事なのか?
軍国主義復活を目論んでいる人の文章を読んで、いつもモヤモヤした思いが残っていたが、この本を読んではっきりと理解できた。つまり、彼らのいう日本とは「大日本帝国」のことで戦後の平和憲法を選んだ日本国ではないということだ。つまり、賛美は「大日本帝国」自虐は「日本国」となる。そういう文脈からは当然「戦争放棄」「軍隊禁止」の日本国を擁護する人間は非国民となる思想なのだ。 -
Posted by ブクログ
中学生、あるいは高校生ぐらいの読者を対象にしているシリーズの一冊。ほかの出版社の、ぼくは気に入っている「よりみちパンセ」のシリーズより少し年上の読者が想定読者か?
内容は、あれこれあるのだけれど、高橋源一郎の、アメリカの大統領だった、オバマの広島訪問演説に対する解説(?)が俊逸、さすが「ゲンちゃん」という内容で、記憶に残った。
内田樹の編集方針も悪くない。学校の先生方も通勤電車で、一つずつお読みになればいいのではないでしょうか。ここで、さまざまに指摘されている社会の変化の中で、教育が、それはあかんやろ、という方向を支えていることに、ギョッとなさるかもしれない。 -
Posted by ブクログ
政治的思想や価値観を根本的に考え直させられる団体も、その歴史を学べば目的が理解できる。
日本会議は、日本を守る会と日本を守る国民会議が統合する形で1997年に誕生した。最も重点を置く運動目標は憲法改正。
敗戦後、国家神道を日本の民主化の障害と考えたGHQは、神道指令を日本政府に送り、神道系施設や団体への資金的・人材的サポートを停止することを命じた。神社を統括していた神祇院が廃止されると、神祇院から国費補助を受けていた法人など三団体が合同して神社本庁を設立した。神道指令の内容は、信教の自由、集会・結社・言論・出版の自由、国民主権、基本的人権の尊重といった形で間接的に日本国憲法に盛り込まれて恒久化された。神社本庁は、占領軍によって一方的に押しつけられたと理解する日本国憲法の破棄と、国家神道的価値観への回帰を盛り込んだ自主憲法の制定を重視した運動を展開した。
1930年に創設された生長の家は、天皇中心の世界観と宇宙や霊魂についての独自の考えを融合した思想を流布した。戦後のサンフランシスコ講和条約が調印されると、日本国憲法の破棄と明治憲法への回帰を主張し、政治団体を設立した。生長の家の教えに心酔した椛島有三らは、大学で左派学生と戦う学生運動を進めた後、その運動を一般社会人に広げて、1970年に日本青年協議会を設立した。日本青年協議会は、1979年に法案が成立した元号法制化運動で存在感を示し、この過程で結成された元号法制化実現国民会議は1981年に日本を守る国民会議に発展し、日本青年協議会は事務局を取り仕切ることになった。
東西冷戦期の日本でも、あらゆる宗教の価値を否定し、国ごとの固有文化を尊重する考えのない共産主義に共鳴する市民が少なからず存在していた。共産主義が広がることを懸念した宗教家や保守的な政治運動家は、1974年に日本を守る会を創設した。 -
Posted by ブクログ
天皇機関説事件とは、1935年に起きた政治的な弾圧事件です。
私も高校時代に日本史で学んだ記憶があります。
恥ずかしながら、私は本書を読むまで大きな勘違いをしていました。
天皇機関説というのは一部の左翼学者が唱えた異端の学説で、これを不敬だとして当時の軍人や右派政治家が排撃したもの。
と、そのように捉えていたのです。
本書を読み、天皇機関説とは、美濃部達吉をはじめとする当時の学者が、正統的な憲法学説として唱えたものだということが分かりました。
つまり、日本という国家を「法人(法的に擬人化した概念)」と見なし、天皇はその法人に属する「最高機関」に位置するという学説です。
この学説は、当の天皇陛下自身が認めていたものでした。
しかし、この天皇陛下自身も認める正統的な学説に対して、当時の軍人や右派政治活動家は
「天皇陛下を『機関』などという無機的で世俗的な言葉で表現するとは何事か!」
「天皇陛下を『会社の社長』や『機械の一部』のように捉える考え方は、不敬ではないか!」
などと激しい批判や罵倒の言葉を投げつけます。
一部軍人や右派政治活動家は、天皇機関説だけでなく、美濃部に対する人格攻撃も繰り広げます。
「学匪」とまで罵られては、さすがに黙っていられない美濃部は、「一身上の弁明」として議会演説を行います。
この演説で美濃部は、天皇機関説を排撃する者たちが、実は美濃部の著書をほとんど読んでおらず、片言隻句を捉えて誹謗中傷していることを白日の下に晒します。
美濃部は演説の中で、皮肉も交えてこう述べます。
「菊池男爵(天皇機関説排撃の急先鋒=引用者註)は、私の著書をもって、我が国体を否認し、君主主権を否定するものであるかのように論じられていますが、それこそ実に同君が私の著書を読まれていないか、または読んでもそれを理解しておられない明白な証拠であります」
いつの時代にも、菊池男爵のような手合いがいるのだと思うと、暗澹たる気持ちになりました。
ところが、戦時色が濃くなっていくのと同時に天皇機関説排撃派は増長し、美濃部は徐々に窮地に追い詰められていきます。
当初は「自分は天皇機関説には反対だが、学説の話は学者に任せて、政治家が口出ししない方がよい」(岡田啓介首相)と冷静に対応していた政府も、ついには天皇機関説排撃派の突き上げに抗しきれなくなり、美濃部の著書の一部を発禁処分にし、さらには国体明徴声明(日本が他国よりも優れていることを示す独特の性質を認めてはっきりと証明すること)を発表するに至ります。
こうした排撃派の動きを、天皇陛下は快く思っていなかったそうです。
しかし、あろうことか天皇陛下の意向さえ無視して排撃派はさらに勢いを増し、立憲主義は実質的にその機能を停止し、ブレーキを失った国家権力は破滅への道へとひた走ります。
美濃部は、天皇機関説事件の前年に当たる1934年に雑誌「改造」12月号に寄稿した記事「国家主義の思想とその限界」で次のように書いています。
今という時代に大変に示唆に富んでいます。
また、個人主義や自由主義についても、実に簡潔、的確に書いています。
個人主義や自由主義は、最近極めて評判が悪いですが、批判する向きにはどうも勘違いしておられるのではないかという疑念があります。
美濃部の記事を読んで、共に勉強しましょう。
「個人主義と言えば、国家の利益や社会の福利を顧慮せず、各個人をして小我的な自利を主張することであるとか、あるいは何らの節制もなく個人のわがままな行動を放任することであるとするような傾向があるけれども、正統な意義における個人主義とは、各個人の人格を尊重し、個人としての生存の価値を認め、国家および社会の利益と調和できる範囲において、個人の精神的および物質的に自由な活動を容認するという主義に他ならない。個人の天与の材能(才能)を、その天分に応じて自由に発揮することを可能とし、各個人をして人間に価する(人間らしい)生活を営ませることは、実に個人主義の真髄の存するところである」
「国策としての国家主義は、その最も極端なかたちにおいては、国家を単に戦闘団体としてのみ観察し、国防すなわち国家の戦闘力を強くすることが、国家の唯一の目的であるとし、国家のすべての編制および活動をして、ひとえにこの目的を達するための手段にしようとするところにある。こういう考え方の下においては、国民は単に国家の戦闘力を構成する手段に留まる」