山崎雅弘のレビュー一覧
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VUCA感がめちゃ高まっている現在
今、そしてこれからの世界をどのように生きていけばよいのか。
それを自分のために、そして若い人達のために知りたい。
そのような気持ちで本書を読みました。
執筆者は、内田樹先生セレクトというバイアスはあるので、ものすごい多種多様な意見という感じではないですが、それでも幅広い年代と専門分野にわたっています。
そしてみなさん暗くなりがちな話題にも関わらず、暖かで柔らかい前向きな文章を書かれており、こちらも穏やかな気持ちでページをめくり続けることが出来ました。
全体を通してある程度共通だと感じたメッセージは
•現在や過去(大人、制度、システム)を信じすぎないでね
•データは大事だけど私たちは人間だよ
•自分の頭で考えてね
•支え合うって、大事だよ
•いや、そんなシンプルで簡単にまとめられることばっかじゃないからね
ということです。
これに関して私は全面的に共感します。
このメッセージの先によい未来があると信じて、若い人達にそれを伝えたいし、伝え方を考えていきたいです。
と同時に若い人達には、このメッセージと全く関係ないような、私たちが予想もしない全く新しい素敵な未来を創ってくれることも、ちょっと期待しています。 -
Posted by ブクログ
主に戦時下において軍が一般市民を殺害した事例が7つ(ナチスの仕業と日本軍の仕業3例ずつ+広島・長崎への原爆投下)紹介されている。どの事例も読むだに、戦争的なもの、軍隊的なものって人を狂わせるなと思う。軍隊って国民を守るためでなく「国防」の名のとおり国を守るためにあるのか。そして国体を守るために、国民の命はないがしろにされる。
紹介されている事例のなかに、綿密に計画されたものというより偶然や予定外のことに端を発して起こっているのがけっこうあるのも何ともむなしい。ちょっとしたタイミングやいた場所の違いによって人の力……暴力で命が左右されるなんて。
巻末のまとめの論考では、ドイツと日本の戦後の反省の違いが述べられている。ドイツに比べ、何の省察も謝罪もしていない日本というのは確かだけど、ドイツをほめ過ぎな気も。ドイツはきっと自らまだ不十分であることを自覚しているだろうから。
それから、蛮行に至った理由を「命令されたから」「組織系統上、服従せざるをえなかった」などと言い訳することについても断じている。この点でもドイツ軍は理不尽な命令、人倫にもとる命令は拒否しなければいけないことになっているとか。そう確かに、命令を拒否することができたら、この本で紹介されているような事例だって起こらなかったかも。
「命令されたから」的なことって自分の日常でも、それらしきことあるよね。ちゃんとおかしなことにはおかしいと言えないといけない……のだけど……自分もまだまだ弱い。 -
Posted by ブクログ
大学は勉強するところではない。大学とは、知識を商品のように学生に売るところではありません。知とはデジタルデータではなく、身体と感情を持った人間一人一人が身につけ、実践し、対話し、試行錯誤する中でしか役立たない。
あらかじめ用意された正解をたくさん覚えることが優秀だというのは、いわば知識ベースの勉強です。しかし、非常事態に対処するには、そんな勉強だけでは限界があります。そこで力を発揮するのが、物事をいろいろな角度から観察し、今までに知った事実と組み合わせて、全体の構造を考えるという知性ベースの学びです。
まだ答えがない問題への対処については、先生と生徒の立場は対等です。 -
Posted by ブクログ
『鴻上尚史のほのぼの人生相談』での推しで読む。
歴史戦&思想戦に対する批判本。
歴史戦とは、大日本帝国による南京大虐殺や慰安婦などを擁護する産経新聞を始めとする論陣のこと。中国や韓国による歴史糾弾への戦いともいえそう。
それが大日本帝国による思想戦、政府主導のプロパガンダと同様だとする批判とともに、歴史戦を否定する。
被害者数や種々の事情の違いがあるにせよ南京大虐殺や慰安婦の不幸な事実から目を逸してはならないことは理解できる。しかし、日本側に歴史戦の論調が出てくる背景には、別の勢力からの歴史戦があるからではないだろうか。
歴史の動きには、それぞれの側に大義も事情もあるだろうから、一方の言い分だけが正解なはずもなく、不毛な論争を続けても折り合うとも思われないが、過去の過ちにはしっかりと向き合い、そうした過ちを再び繰り返さないために今後どうすればよいのかという視点は大切にしたいと感じた。
19-131 -
Posted by ブクログ
1935年の天皇機関説排撃事件については憲法学や歴史学にかなりの研究蓄積があるにもかかわらず、一般向けの手ごろな単著がなかっただけに、その一点でも本書は価値があるが、排撃運動を今日の立憲主義の解体状況や排外的ヘイトスピーチの隆盛と重ね合わせようとする問題意識が鮮明な分、事件の前提となる明治憲法をめぐる分析視角に問題がないではない。
特にあとがきで、かつて久野収が提起した「顕教」としての天皇主権説と「密教」としての天皇機関説という視点をあえて採用しなかったことを明示しているが、この視角がないと排撃運動と大衆社会との関係が不明瞭となり、明治憲法の「通説解釈」が一部の反動勢力の卑劣な暴力によってつぶされたという「頭のおかしな連中の反逆の物語」としてしか理解されない恐れがある(むしろそれが著者の狙いかもしれないが)。美濃部学説自体は一種の「解釈改憲」の要素があり、帝大・旧制高校系のエリートの世界では多数説であっても(ただし肝心の東大の憲法学講座を主権説派が押さえていたことは軽視できない)、国民教育と密接に関わる軍学校や師範学校などでは一貫して神権的解釈が主流で(つまり学界の趨勢とは裏腹に一般社会では「通説」であったことがない)、しかも高等教育と無縁の圧倒的多数の人々には憲法を学ぶ機会すらなく、教育勅語しか知らない標準的な大衆からすると排撃派の主張の方が「常識」の範疇で、逆に天皇機関説は相当異質に感じられていた実状が見えにくい。大衆の反エリート感情と国家保守主義との連結という問題は、今日の日本の右傾化の構造を考える上で見落とすことはできず、天皇機関説事件を今日的に捉え直すならば、やはり久野説を無視するべきではなかろう。 -
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反憲法派の中心組織「日本会議」に関する著作が2016年に相次いで刊行されたが、本書は日本会議の刊行物や関係者(所属の政治家や言論人)の公表された言説の分析を通して、その思想と運動の特徴を抽出することに重きを置いており、ジャーナリストによる「内幕暴露」的な類書と一線を画している。
彼らの本質を「戦後」の全否定と戦時体制・国家神道体制への回帰とみなす視角は全面的に首肯しうるが、それに反駁するために、戦後の日本国憲法体制こそが「平和と繁栄」をもたらしたという認識を対置するのは、その「平和と繁栄」を享受できた世代・階層には通じても、そうではないバブル崩壊後に人格を形成した世代や繁栄から疎外された階層には通用しないのではないか。日本会議的な言説が若年ほど支持されているように見受けられるのは、平和主義やリベラリズム自体が「もてる者」=他者の専有物で、「もたざる者」=自己はそこから疎外されているという被害意識が、現実に戦前の受益を剥奪された国家神道勢力の被害意識とリンクしやすい(どちらも「戦後」に「奪われた」という認識が共通する)状況にあると思われる(トランプ現象に象徴されるようにそれは世界的傾向である)。憲法改定がいよいよ具体的な政治日程に組み込まれている状況ですでに遅すぎるが、日本会議に対抗するロジックの構築には政略的にもっと注意が必要であることを実感した。 -
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ネタバレこれからを生きていく人へ贈るメッセージ。
日本の現状に危機感を抱いた内田樹が,中高生へとメッセージを送るために様々な人へ文章を書いてくれるよう依頼をした。統一感はあるような,ないような。しかし,皆,日本の現状に(というか,現政権に)危機感を覚えている人たちである。出版されたのは2016年7月なので,書かれたのはその少し前とすると,その後,イギリスEU離脱が国民投票で決まり,トランプ大統領が誕生し,また日本は重要法案を急いで通そうとしている。危機は加速しているのでは。
戦後の,戦後すぐの平和主義がそろそろ機能しなくなっている,そう感じる。軍隊を持たない,平和を守る国でありたい,でも,他国に攻められたらどうするの? 尊い理念は尊い。でも,現実は。もっと話し合いをしたいと思う。相手の理論を叩きつぶすのではなく,全否定するのでもなく,落とし所を探る。それには時間がかかるけど。 -
Posted by ブクログ
目もくらむようなスーパー秀才エリートだった人たちが、声をそろえてもはや反対することができない空気があったと言っている。ドイツ語で日記を書けるような、言葉を自由自在にあやつることができるエリートたちが、一億人の運命を左右するような決めごとを、最後には言葉でなく空気を読んで身を委ねたと語っている。
福島の原発事故直後の危機を回避するための政府首脳の重大会議、40年以上も続いた政府の憲法解釈を内閣の形式的合議だけで大きく変えてしまった経緯、いずれも議事録が残っていない。それが僕たちの国の致命的な欠陥だ。これはもう病気と呼んでもさしつかえないと思う。かつて有名な政治学者はこれを壮大なる無責任体制と呼んだ。