池澤夏樹のレビュー一覧
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池澤夏樹(1945年~)氏は、北海道生まれ、埼玉大学理工学部中退の小説家、詩人。ギリシャ、沖縄、フランス(フォンテヌブロー)に在住経験あり。『スティル・ライフ』で芥川賞(1988年)を受賞したほか、多数の文芸賞を受賞。個人編集の「世界文学全集」、「日本文学全集」の刊行は話題を呼んだ。紫綬褒章、フランス芸術文化勲章オフィシエ受章。
本書は、小説のほか、書評・時評の執筆、翻訳、文学全集の個人編集など、文芸分野で幅広く活動する著者が、自らの知的生産術を綴ったものである。
章立ては、1.新聞の活用、2.本の探しかた、3.書店の使いかた、4.本の読みかた、5.モノとしての本の扱いかた、6.本の手放しかた、7.時間管理法、8.取材の現場で、9.非社交的人間のコミュニケーション、10.アイディアの整理と書く技術、11.語学習得法、12.デジタル時代のツールとガジェット、で、知的生産に関わるテーマは一通りカバーされているが、類書には無く、参考になった点は以下である。
◆本の新刊広告の表舞台は、新聞一面下段のサンヤツ(三段八割)。各出版社が出しているPR誌のページ左端には、新聞広告スペースを買えない小さな出版社のここでしか出会えない情報に遭遇することがあり役立つ。
◆ノンフィクションの場合、目次は本の内容全体を表しているので、本文を読みだす前に頭に入れておくと理解度が変わってくる。解説や翻訳本の訳者あとがきも、難解な本を読む場合には先に読んだ方がいい。
◆本は私的な所有物であると同時に公共財であるという意識があるため、いずれ手放すという意識で本を扱う。よって、マーキングは6Bくらいの鉛筆で、消そうと思えば容易に消せるように行う。それは、自分なりの本に対する敬意。
◆読書(本)は「ストックの読書」と「フローの読書」に分けて考える。フローの読書に当たる本については、「キャッチ・アンド・リリース」する、即ち、自らの知的レベル・好奇心に応じて、(蔵書を)随時「更新」していくことが重要。
◆海外を本気で旅する際(取材など)には、「地球の歩き方」、「ミシュランガイド」より「ロンリープラネット」が重宝する。
また、ハウツーの詳細のほかに、「はじめに」に書かれた次の件が印象に残った。
「しばらく前から社会に大きな変化が目立ってきた。人々が、自分に十分な知識がないことを自覚しないままに判断を下す。そして意見を表明する。そのことについてはよく知らないから、という留保がない。もっぱらSNSがそういう流れをつくった、というのは言い過ぎだろうか。ツイッターが流す「情報」をろくに読みもしないで、見出しだけを見て、「いいね」をクリックする。それで何かした気になって、小さな満足感を味わう。・・・ものを知っている人間が、ものを知っているというだけでバカにされる。ある件について過去の事例を引き、思想的背景を述べ、論理的な判断の材料を人々に提供しようとすると、それに対して「偉そうな顔しやがって」という感情的な反発が返ってくる。彼らは教えてなどほしくない。そういうことはすべて面倒、ぐじゃぐじゃ昔のことのお勉強なんかしないで、この場ですぱっと思いつくままにことを決めようよ。いまの憲法、うざいじゃん、ないほうがいいよ。さっくり行こうぜ。こういう人たちの思いに乗ってことは決まってゆく。この本はそういう世の流れに対する反抗である。反・反知性主義の勧めであり、あなたを知識人という少数派の側へ導くものだ。」
知性を否定する(「反知性主義」の本来の定義とは少々異なる)こうした風潮が、今や世界中を覆い、世界を動かしつつあることに、私は著者と同じく強い危機感を持っているが、著者の思いに反して、そうした人々に限って本書を手に取ることはないだろうと思うと、暗澹たる気分になる。
文芸分野でマルチな活躍をする池澤氏が、反・反知性主義を勧めるべく書き下ろした知的生産術である。
(2022年9月了) -
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新聞記者のヤスシ・キムラは、遠洋マグロ漁についてのレポート企画の準備をしているとき、誤って船から落ちてしまい、無人島に流れ着きます。彼は、自分が漂着した島を「アサ島」と名づけ、ヤシの実やバナナを食料に現代のロビンソン・クルーソーのような生活を送ります。しかし、周辺の島の探索をはじめた彼は、「ユウ島」と名づけた島に一件の家が建てられているのを発見します。そして、その家にアメリカ人の映画俳優であるマイロン・キューナードがやってきて、二人は出会うことになります。
彼は、文明社会へつながる導線を保ったままで島の暮らしをたのしむマイロンに、ときおり説明のできない反発をおぼえます。マイロンは、そんな彼の態度にロマン主義的な心情を見てとり、そのことを指摘しますが、彼にとってより大きな問題だったのは、マイロンに出会ったことでみずからの心情に説明がつけられてしまうことに対する疑いでした。やがてマイロンは島を出ることになりますが、彼はまだしばらく島に滞在すると告げ、自分自身の体験を記すことを決意します。
南洋での彼の生活は、文明と自然を対照する視座そのものを包むようなスケールを示し、彼はそれを前にして説明することばをうばわれながらも、表現を通じてその自然を包み返す試みへとつながるプロセスがえがかれているように感じました。 -
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ネタバレ
第二章 堀田善衛が旅したアジア 吉岡忍
p52
これはもう本当に堀田さんの『橋上幻像』の世界です。次々に国家から逃れて、どこに自分の居場所があるんだと探しているうちに、通過してきた言葉どれも自分のものではなくなっている。
第五章 堀田作品は世界を知り抜くための羅針盤 宮崎駿
p152
ですから僕が漫画を書いたり、何かを書く時にも、これはどういった意味を持っているのか、自分はどこまで見渡してこれを書いているのか、自分がどんなに善良にこれをやりたいと思ってやったことでも、その裏側にどういう意味があるのか、それが自分がどうしてやりたくなったのか、何によって自分は突き動かされているのか、突き動かされているものは本当にいいものなのか。
p157158
今もありありと覚えているのですが、『方丈記』をめぐって、企画検討会というのをジブリで開いた時に、「今はまだ、僕らは貴族の館の築地塀の中にいる。『どうもこの頃、給料の布をもらって売りに行っても、たいした粟が買えない』と、ぶつぶつ言っていたとしても、しょせん安全な築地塀の中にいる」と。「でも、そのうちだんだん築地塀が壊れるぞ。そうしたら舎人も持ち逃げするし、夜盗も入ってくる」などと話していたのです。
池澤夏樹さんと宮崎駿さんの章に興味を持ち、読みました。宮崎駿さんのは2008年の講演の一部を文字にしたものみたいです。
堀田善衛さんの著書は読んだことがありませんでしたが、『ゴヤ』は名前は知っていたくらい。ベトナム戦争中のベ平連の活動も今では想像もつかないくらい危険なものだったのかなと。
戦争を目の当たりにしてきた作家と現代の作家には大きな隔たりがあるようにも感じています。もちろんそれは平和が長く続いている証拠で恵まれたことでもあります。
昔、親戚の年配者の方と話しているときに「今の人間が戦争映画を作っても嘘っぽい。昔の戦争映画(戦争映画以外もですが)は全員が戦争なり空襲なり、飢えや貧しさを体験していた。だから目に宿っている光が違う。今の役者にあんな目はできない」と話していました。そのときはよくわからなかったけれど、今なら少しわかる気がします。
国内の小説をあまり読まなくなっているのは、現代の物語が偽物とまでは行かないまでも、私小説的な閉じた方向にあるからなのかなと思ったりもします。それがつまらないわけではありません。ただ、広く深い世界に触れたときの、言葉にできないような気づきが宿っている作品は確かに存在します。宮崎駿さんの言うところのハッとさせられる。救われるような感覚。各識者が敬意を持って語っている本でした。
内容はとても面白いのですが、2018年刊行のわりに、年代が年代なのか、対象のせいなのか、ホモソーシャルが過ぎる気もしました。 -
購入済み
佐々井と僕
バイト先で出会った佐々井という男。
世の中をどこか達観したような不思議な空気をまとった佐々井と僕の3ヶ月。
実体を伴わないような佐々井の存在感に不思議な魅力が宿っている。登場人物はほぼ二人だけだが、ほどよい距離感の二人の会話と、洗練された文体が心地よい。
短いので一日でさらっと読める。 -
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ネタバレ
人々が、自分に充分な知識がないことを自覚しないままに判断を下す。そして意見を表明する。そのことについてはよく知らないから、という留保がない。
はじめに より
キュウリに似たものを買ってサラダにしようと思ったら食べられない。友だちに聞いて火を通すのだと知った。それがズッキーニとの出会いだった。ギリシャ語では「コロキザキア」といい、アラビア語では「クーサ」と呼ぶ。
11 語学学習法 より
マクルーハンが「メディアはメッセージである」と言ったときに人々が気にしていたのは「テレビが出てきて映画はなくなるんじゃないか」ということでした。さらに前の時代で言えば、トーキーが盛んになったことで弁士たちが困り、一方では声があまりにひどいので生き残れなかった映画俳優たちもいた。
12 デジタル時代のツールとガジェット より
はじめに、に書かれている文章がすべてな気がします。自分のことを棚上げにして言うと、本を読んでいない人以上に、読めていない人がどこか悪目立ちするように見受けられる気がします。書籍に対して知識の塊、利用できる道具、くらいの感覚で接している。
頭の良い人はまあそうかもしれません。知識を溜め込んで、出世して、金を稼いで。でもそうじゃないと思うし、それだけじゃないと思う。
知性とは知識や学力とは別のものだと思うと同時に、その扱い方を間違うと転んで怪我してどうしようもなくなる。自己批判の欠如。
とは言っても、堅苦しすぎるエッセイではなく、普段のインプットやアウトプットの仕方や本の手放し方など。作家がかしこまってこういうことを書くのは、手の内をばらすようなもので面白かったです。真面目な顔してときどき茶目っ気のあるエピソードもちらほら出てきます。ネット以前の作家とネット以降の作家で大別できなくもないが、著者はその狭間にいるような気もします。全集の編集という偉業を成し遂げる作家の書と知に対する在り方を知ることができました。 -
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児童書、少年小説、SF、ミステリー、そして「作家の父を持つこと」について、父娘が初めて語らった対談集。
春菜さんが学校の図書室の本を読みきって「転校したい」と言った伝説を持つのも頷けるほど、二人の児童書知識がものすごい。私は岩波ようねんぶんこ及び岩波少年文庫とは縁遠く、挙げられている本のなかで読んだことがあるのはダールくらいだった。幼い頃から日本の作品より海外のものが好きだったというところは共感。子どもの本に詳しく、けれど読書傾向に口出ししない両親がいるのは羨ましい。
二人が今の職業に行き着くまでを語った最後の章も興味深かった。福永武彦と原條あき子のあいだに生まれ、女であるがゆえにキャリアを諦めなくてはならなかった母と叔母のことを常に考えながら仕事をしているという夏樹さんの思い。春菜さんが声優になった経緯や、変名でアニメの脚本にも関わっていることは初めて知った。穏やかな口調ながら、二人の闘いの記録を読むような気持ちになった。