遠田潤子のレビュー一覧
-
Posted by ブクログ
ネタバレ「二度目の恋」でらなく、「二周目の恋」って何? と思いながら手にとった。
恋愛小説のアンソロジー。
同じ人にもう一度恋をする、というより、過去の恋の色んなものを乗り越えて、振り出しに戻って新しい恋をスタートさせる、というイメージかな。だからといって、すべての話がそうとは決まっていない。
もうすでに「付き合ってる」ような感じだけど、明確にするために頑張る女子大生や、結婚を経験したのちに自分らしい恋愛をする女性。脱皮して一回り大きくなった人たちが出てくることは間違いない。
昔は居心地が良かったけど、新しい世界で生きていると、なんだか昔のことを違う視点から見られるようになっている、なんてことはよくある。憧れだったのか、恋をしてるふりをしていたのか、世間体を気にしていたのか。
登場人物たちは、縛られていた何かから放たれて過去を振り返らずに突き進んでいく。
一番良かったのは、一穂ミチさんの「カーマンライン」。空と宇宙の境界部分のことをカーマンラインというらしい。
時代設定が平成初期だけど、意外と良かったのが遠田潤子さんの「道具屋筋の旅立ち」。今も同じような男性はいるだろうな。どんな人もできるだけ自然な自分を出せる相手が何人かいるだけでずいぶん楽になると思う。
あとね、窪美澄さんって苦手かもって思ってたけど、ここでレズビアンの女性の話が出てきて、これが良かった。上手くどこがどう印象的だったのか分からいんだけど、幸せな気持ちになった。
目次
最悪よりは平凡 島本理生
深夜のスパチュラ 綿矢りさ
フェイクファー 波木銅
カーマンライン 一穂ミチ
道具屋筋の旅立ち 遠田潤子
無事に、行きなさい 桜木紫乃
海鳴り遠くに 窪美澄
そういえば、「フェイクファー」を読んでるとき、「ぬいぐるみとしゃべる人はやさしい」の小説を思い出した。
-
Posted by ブクログ
歌詞のない旋律を母音のみで歌う歌手として絶大な人気を誇る実菓子
実菓子は人間じゃない人間じゃない、外道だ!
容姿は吐き気がするほど美しい
その声も
まさに、美しいカラヴィンカ、迦陵頻伽だ
そんな実菓子が自伝を出すことになり、そのインタビューの相手として選ばれた多聞
二人は幼い頃同じ家で育ち、実菓子の夫は多聞の亡兄
インタビューのために多聞と実菓子は回想に入る
さぁ、ここから遠田ワールドの始まりだ!
いつの時代かと思わせる村社会のしきたりに、時代錯誤の家父長主義、妻妾同居
モラハラで暴君の父
我が物顔に振る舞う女
黙って耐える家族
無視される多聞
そして起きる事件
どんどん出てきます、辛く耐えられないような出来事が!
明らかになっていきます、おぞましく哀しい出来事が!
これぞまさに、負の連鎖の玉手箱やぁ〜♪
明るく言ってみましたが、遠田さんもういいんじゃないの、その辺で止めてあげてと言いたくなります
しかし、インタビューが進むに連れて、負の連鎖の玉手箱の真相が明らかになっていくのです
登場人物たちの隠していた秘密が次々と暴かれていき、
へぇーっ!とか
えぇーっ!とか
おぉーっ!とか
・・・・・・!?とか、ってなります
それらの秘密が分かったとき見えるであろう一筋の希望が!
聞こえるであろう鳴いて血を吐く迦陵頻伽の声が!
-
Posted by ブクログ
遠田潤子『月桃夜』新潮文庫。
第21回日本ファンタジーノベル大賞受賞作にして、デビュー作。新潮文庫nexから刊行された作品を加筆修正したようだ。
やはり、遠田潤子にはファンタジー小説は似合わない。遠田潤子の小説なら『アンチェルの蝶』『雪の鉄樹』などハードな小説の方が断然面白い。
薩摩の支配下にあった奄美で孤児のフィエクサは父親を失った少女サネンと兄妹の契りを交わす。二人は砂糖黍から砂糖を作る奴隷のようなヤンチェという身分だった。
やがて、フィエクサは囲碁を習い、その才能を開花させる。一方のサネンは美しい娘に成長し、薩摩の役人から妾になることを要求される。
二人を待ち受ける過酷な運命……
本体価格670円
★★★ -
Posted by ブクログ
再読。カレル・アンチェルとチェコ・フィルの9番を聴いた後で、改めて読みたくなったのだが、前回読んだときとは、また異なる思いを抱くことになりました。
藤太、秋雄、いづみ、この三人の人生は再読でも、とても痛々しく、思わず目を覆いたくなるような、筆舌に尽くしがたい悲しみに加えて、その要因が、それぞれの親なのだから、余計にやるせない。
しかし、それでも私は、アンチェルのあの出来事と、彼らの悲しみを比較するのは違うと思うし、それは、どちらがより辛いとかの概念ではなく、そもそも比べる事ができるような、そんな単純で軽いものじゃないでしょ、人生って。
ただ、それを生きる為の希望と感じられる事も、本書から読み取れて、おそらく、彼らの青春時代は、アンチェルの音楽(ドヴォルザークの交響曲第9番《新世界より》)で表現された、まさに『新世界』を夢見ていて、今はどれだけ悲惨な思いをしていても、いつかきっと、そんな世界に辿り着けると思っていたことでしょう。
前回の感想で、私は、藤太の最後の場面について、「僅かな晴れ間がのぞいたのだろう」と書いたのですが、今回の再読はそうではなく、実は誰よりも、潔く覚悟を決めていたのではないかと感じました。
そこにあるのは、その行為が、どれだけ人生に影響を与えるのかということで、それは、『どこにも行けず、袋小路を虚しくさまようだけの人生になる』と、藤太自身感じているように、そんな思いを、ほづみにだけは絶対にさせてはいけない、ここに、これまで逃げてきた彼の、償いを為さんとする、剥き出しの覚悟が窺えた気がしました。
新世界は、藤太たちにとって、『あの頃の俺たちのすべて』だったのが、次第に苦痛へと変わっていき、終いには『たどりつけない世界』へと感じられたのかもしれない。
しかし、私は、タイトルの「アンチェルの蝶」には、『新世界へと旅立つ蝶』の意味があると感じており、無事そこに辿り着けるのかは分からないけれど、それでも最後の蝶の旅立ちには、藤太、秋雄、いづみ、それぞれの夢がやっと動き出してくれた、そんな風に感じられたことが、本書を読んで、最も嬉しかったことでした。