遠田潤子のレビュー一覧
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Posted by ブクログ
『緑陰深きところ』が良かったので他の作品を読んでみたくなった。
読み始めて、『緑陰深きところ』と構成が同じでがっかりして、テンプレかと思った。
でも読み始めたからには読み切ろうと思い直してページを捲る。すると、1/3くらいから面白くなって、結果的に一気読みしてしまった。
内容はかなり突飛というか、なかなか居ない立場の登場人物ばかりに思えたけど、殺人事件や事故や自殺は頻繁に起こるのだから、私の周りで起こっていないだけで世の中には作品の中のようなことが多々起こっているのかもしれない。悲しいことだけど。
認めることと頼ることはとても大事だと改めて思う。 -
Posted by ブクログ
読んでいてつらい気持ちになるのに、ページをめくる手が止まらない。読む進んでいくと、どんどん泥沼にはまって行くような気がする。この先に救いはあるのかと不安になる。登場人物すべてに死亡フラグが立っているのだ。
クズのような人物でも、好きでクズになったわけではない。大人たちが彼らをクズにしたのだ。文章の端々に当人の繊細な部分が描かれていて軽蔑しれきれない罠を仕込んでいる。
ドライブインのオーナーの比奈子は大人である責任を感じて、行く当てのない子どもたちを守る。しかし過去の悲しい事件では実母を許せない自分の未熟さと葛藤する。
人間の煩悩が複雑に重なりあい悲劇を生んでいく。
それが最終的に吉と出るか凶と出るか・・・。 -
Posted by ブクログ
ネタバレまったくもって暗い。遠田潤子が紡ぐ物語はいつも凄絶で暗い。なのに吸い寄せられるように読みはじめてしまうのです。
病床の父親宛てに届いた手紙を無視できず、指定された場所に出向く息子。そこにはかつて父親と同じビルに住んでいた男たちが集まっていて、その全員が最上階に住む艶めかしい大家と寝ていたという。
大家の惚れ込む男をクズだと言うけれど、ほかの男たちだって負けないぐらいのクズ。大家の幼かった娘の心配をしたところで罪滅ぼしにはならない。
誰も好きになれないのに読むのをやめられません。自らを赦すために死のうとする男たち。償おうにも償う相手はこの世にもういないとは。苦しい。 -
Posted by ブクログ
通称たらしの家。
祖父と父が日々、代わる代わる女を連れ込む。
そんな家庭で育った主人公。
造園業を営む家系だが、祖父は親方として、父は上司として。仕事以外での会話はない。
ネグレクトの祖父、ネグレクトの父の元で育つ。
二十歳の頃から13年間、両親のいない男の子の面倒を見続ける。その男の子の祖母から屈辱的な日々を送る日々。
その裏にある贖罪。
登場人物は少ないが、それぞれが際立ち、構成も含め熱量が尋常ではない。
始まりから中盤までは、主人公の過去はまだ語られず、中盤からの展開が怒涛だ。
絶望した時に出る人間性、贖罪という詭弁、親切という偽善。善人が必ずしも正しいわけではない。
物語の中で語られる言葉の数々が苦しい。
子供の頃から食事はいつも一人勉強机で。
食べ終わった食器が吸い終えた煙草の灰皿代わり。
ある時に出会った女の子に「あなたは壊れてる」と。
何が悪いのかが分からない。教えられていないから分からない。分からないことが分からない。
仕事上では、礼儀正しく、また非常に勉強熱心だが、常識というあやふやだが社会生活上必要なことが分からない。
悪人と呼べる悪人は登場しないのだが、愛憎ゆえに、たった一つのボタンの掛け違いゆえに、壊れてゆく様は儚い。
主人公の設定が造園という生業が効いてくる。
物語の最後の最後まで気が抜けない一冊でした。
初めて読む作家でしたが、その他の作品も読んでみたい非常に興味深い作品でした。
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Posted by ブクログ
う~ん。ウ~ン。
小説は本当に起こりそうなことを書くフィクションだというけれど、この小説に出てくる、“酒”“暴力”“ギャンブル”に溺れ、子供を子供とも思わない最低な親は世の中に沢山いるかもしれないが、いずみちゃんほどひどい目に合い続ける子は本当にいるのだろうか。そう思う時点で、私は葉山和美弁護士のように世間知らずなのかもしれない。
舞台は大阪の南のほう。暖簾も壁も何年も掃除していない油ギトギトの場末の居酒屋<まつ>。店主は足を引きずり、客は堅気かどうか分からないような最低の客ばっかり。店主であり主人公の藤太は「どうせこんな店」「自分はいつ死んでもいい」と思いながら、生きるために、ずっと店をやり続けている。
そんなある日、店を閉めてからひと目で“負け”を感じてしまうような、小ぎれいな男が小5くらいの女の子を連れて訪ねて来た。「藤太、久し振りやな。」という。よく見るとそれは、かつて親友であったが25年間一度も会わなかった秋雄であった。
25年前に何かがあって一度も会わなくなったということは、彼らは60歳くらいなのかと思った。だけど「中学卒業以来一度も会っていない」という。そして、連れていた女の子は同じく彼らの同級生で25年間会っていない“いずみ”の子供の“ほずみ”だという。今や少年犯罪の件で有名な弁護士となっていた秋雄は何故かほずみの保護者となっており、「今俺は危ないことに巻き込まれているから、ほずみを預かってくれ」と言ってきた。
たった15歳の時に彼らに何があって25年間も会えなくなったのか。そして、それでも仲間の子供を預かるほどの彼らの絆って何だったのか?
そしてもう一つ謎だったのが、このような店でちょっと場違いに思われるような(失礼)、ドヴォルザークの「新世界より」……それもカレル・アンチェル指揮、チェコ・フィルのが彼らの拠り所になっていて、特に「家族全員がナチの収容所のガス室で虐殺された」というアンチェルの人生がキーワードになっていて、ますます訳が分からなくなった。
舞台は彼らが小5の時に飛び、藤太、秋雄、いずみの父親は麻雀仲間で酒とギャンブルに溺れ、子供に暴力をふるう飛んでもない親たちだった。その共通項で寄り添いあった彼ら三人は親友というより恋人というより家族のような絆で結ばれていた。
彼らとドヴォルザーク交響曲「新世界より」の出会いは、小学校の時の音楽のリコーダーのテストだった。一緒に「遠き山に日は落ちて」(「新世界より」第二楽章)を練習していた彼らは
「“遠き山に”って大阪には山なんかあらへんし、分からへんやん。」
「天保山があるやんか。」
「やっぱり本物聞かな分からんのちゃうかと思て、お母さんのレコード持ってきたわ。」
といずみの持ってきたレコードを秋雄の家のステレオで三人で聴いたのが、カレル・アンチェル指揮、チェコ・フィルのドヴォルザーク交響曲 第9番「新世界より」。
聴きながら、いずみは解説に載っているアンチェルの経歴を読んだ。ユダヤ人であったため、家族全員をナチの収容所で殺されたが、戦後チェコ・フィルの音楽監督となり………。
「すごいな。こんなつらい目に合ってもこんな素晴らしい演奏ができるんやね。」
「俺は、決めた。俺は新世界に行く。あんな親父に<まつ>を任せられへん。おれは、もっと料理を勉強して、店をきれいにして、<まつ>を一流の料亭にするんだ。」
「私も、一緒にやる。」といずみ。
アンチェルの「新世界より」は彼らにとって希望の音楽だった。
でも、まさかそれが彼らを一生苦しめる音楽になるとは…。
ちょっと書きすぎました。
貧しさ、苦しさ、悪い大人、純粋な子供、友情、愛、絆、希望、絶望…そんな色んな要素が“アンチェル”と“蝶”に反映されてうまく盛り込まれていたと思います。けれど、“盛り込まれすぎ”感もありました。あと登場する大人たちがどうしてこうも劣悪非道な者たちばかりなのかという点とその子供たちが良い子過ぎることと、小説を盛り上げるために、登場する子供たちを不幸にし過ぎている感に違和感を感じてしまいました。 -
ネタバレ 購入済み
分かるけど…
雅雪の気持ちは分かるけど、ちょっとそこまでするのは逆になぁ。許せないと言うのは娘夫婦が亡くなったことに対してじゃなくて雅雪のそこまでの態度に対してじゃないのかなぁ。