私はアニメからこのシリーズに入ったが、やはり小説のほうが作品のらしさが強く感じて、とても読み応えがあった。子供らしさと少年らしさと、老若男女に共通した人間らしさが、登場人物の言動とコミュニケーションから読み取ることができる。主人公は孤高の天才ピッチャー原田巧と、巧と出会った長倉豪のふたり。まだ12歳の、中学入学を目前にした小学6年生のふたりだ。
巧の野球にすべてをかけた姿勢は、自然かつ超然としていて、それに誰もが追いつくことはできないのかもしれない。しかし、巧自身はそれに深く悩むのではなく、それに追いつけないと、お前を理解できないとこぼす他者との関わり方に悩んでいるように見える。
巧の生い立ちとしては、父親の都合で転校が続き、ひとところに落ち着いた生活が出来なかった。巧の父親も自身の仕事や体調をどうにかするので精一杯で、弟も生まれつき身体が弱く今も体調を崩すことがしばしばで、母親はそれらを支えるのでいまも精一杯で、誰もが落ち着くことができず、彼が孤立するのもやむを得なかったのだ。
そんな彼らを家に住まわせたのは、巧の母方の祖父である。地元では名の知れた野球の指導者だが、巧の家族を受け入れながらも、どこか彼らとは一線を引いているような、なかば持て余しているような距離感を保っている。複雑な環境で育った巧は、揺るぎない実力と自信を持ちながらも、それをどう言葉や態度で表現して良いのかまでは、分からない。そんな不器用な巧を、つかず離れず接する祖父は、巧に期待しすぎず、しかし、家族としての愛情や信頼を注ごうとする。巧の才能をまるではかれないと思いながらも、しかし、その行く末がどうあれ、受け止めようとはしているのだ。
一方で、地元の大病院に生まれた豪は、野球でも勉強でも人間関係でも、自分の才能とそれを伸ばす努力のバランスを保ちながらも、将来は病院を継ぐという進路をどこか持て余している。そこに巧という天才ピッチャーを見出し、彼の球を受け止めるキャッチャーになりたいという夢を見つける。揺るぎない環境に生まれた豪は、その環境のために、現実的な進路を取らざるを得ないのだろうか? それもまた自身の現実と知り、ややもすれば退屈と感じながらも、巧というあまりにも現実離れした相棒ができたことで、ふたりで野球をするという夢を見ることができた。しかし、巧は物理的にはすぐそばにいるのに、精神的にはまるで遥か遠くにいるように感じるのだ。巧は野球の厳しさそのもので、まるで他者を受け付けないような人間で、とんでもない人を相棒にしようとしているのだと、豪はことあるごとに目の当たりにしてしまう。
巧には、豪のような人当たりの良さや要領の良さがまるでない。しかし、巧は他人のことをよく見ている。ただし、態度をまるで変えることができないのだ。なぜか?巧にはそんな手本となる人間が周りにいなかったか、いても学ぶ機会がなかったからだろう。余裕のない両親と生きるかどうかも分からない弟、野球にすべてを費やした祖父と過ごせば、豪のような人当たりを培う機会などなかったのだろう。そんな巧は、野球だけを大事にしようとするのも、やむを得ない。
1巻は、巧の生い立ちと非凡ゆえに周囲に馴染めない様子と、豪の巧とは対象的で、地元に根付いた生い立ちによる落ち着きながらも物足りない様子と、その2人の出会いを描いている。岡山県ののどかな様子や方言、山おろしの風の描写などは、大人でも子供でも読みやすく、ほどよい長さの表現が淡々と綴られていて、情景が思い浮かぶ。これはアニメもうまく表現できていたと思う。1巻で惹かれたなら、ぜひ6巻まで、続編であるラストイニングまで読んでほしい。ただし、評判通りにもどかしさが何かとつきないシリーズであることには注意してほしい。