山本周五郎のレビュー一覧
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Posted by ブクログ
周五郎新潮文庫版短編集、木村久邇典氏解説には周五郎の短編ジャンルが大まかにわかるものを選んでいるとのこと。そうですね「×××もの」と分類できます。
再読ですが、ひさしぶりに周五郎ワールドにとっぷりと漬かりましたので、一編ごとの印象を。
「ひやめし物語」
武家の次男三男は跡継ぎになれない、養子に行くか部屋住みで終わるか、肩身が狭いのは現代のパラサイトも同じだけれど、甲斐性があれば何とかなるのであるという話。その甲斐性が古本集めというからおもしろい。
「山椿」
二組の男女のもつれあいというと、どろどろしているみたいだけれど、ここにはかしこい知恵とユーモアがあるのです。
「おたふく」
女性を信じるかどうか、男性はなかなかできないのでしょうか。清く生きているのに、切ないですね。でも明るい性格の姉妹だからか終わり良ければ総て良し。
「よじょう」
何にもしないことが有効になる?って噓からまことが。
「大炊介始末」
山崎豊子『華麗なる一族』を彷彿とさせる、武家もの編の苦しくにがい物語。
「こんち午の日」
このような一途な男性を描けるのは周五郎真骨頂なのだ。
「なんの花か薫る」
哀しい、悲しいなあ、世の中にはわかっているけど行き違いがあるんだね。
「牛」
天平ならず現代にもいる、あると納得の人間模様。
「ちゃん」
どうしょうもないおとうちゃんはどうしようもないんだよ。
「落葉の隣」
好きになるっていく過程の不思議さ、理屈じゃないの。
ようするに周五郎ワールドをほめっぱなしにしてしまうような短編集。 -
Posted by ブクログ
ネタバレ驚いた。
おそろしく面白い。
「時代劇」という形から、若干敬遠していた所があるのだけれど、
読み進めてみると先が気になり気になりどんどんと読んでしまう。
時代劇ではあるけれど、そこに描かれているのはいつの世も変わらぬ「人間」だった。
人が貫く「意志」だった。
こういう人になりたい、そう思える人間たちが多数登場し、基本的に善意が報われる世界観なのがまた染みる。
『雨あがる』『雪の上の霜』は同じ主人公が登場する。
伊兵衛という最強の侍、しかし恐ろしく人に優しくて損ばかりしている男がそれだ。
優しさゆえにトラブルに巻き込まれ、それをどうにか乗り越えていく清々しい物語。
伊兵衛さんの行動は、それ絶対後で問題になるやつ!
という感がハンパない。もう、物語の型として水戸黄門くらい確立された感のある、
旅→仕事獲得→トラブル→旅
というプロットが美しい。
もっと色々、伊兵衛さんの活躍を見てみたい気持ちになる。
暖かい、人間の物語。
その一言に尽きる。
ハマっちゃうかもしれない、山本周五郎。
【ネタバレあらすじメモ】
『深川安楽亭』
抜け荷を請け負うあぶれものの集まる安楽亭。
いつからか常連になった飲んだくれの客。
売られた想い人を追って借金を貯めた男。
拾った小雀。
安楽亭に集まる、どこにも行けない人たちが織りなす、人生の機微。
『よじょう』
料理係の武士である父が、滞在中の宮本武蔵の腕試しをしようと不意討ちをして斬られた。
息子はやぶれかぶれで乞食になったが、
それを世間は「仇討ちのため」と勘違いし、贈り物を沢山よこし…。
宮本武蔵という剣豪を裏側から覗いた一作。
『義理なさけ』
縁談が決まった侍・甲子雄の部屋に、女中が一通の文を届ける。
父がそれを見つけ読み上げると、甲子雄に手を出され子供が出来たという。
父はたちまち縁談を破断にし、息子に訳を問うが、甲子雄にはまったく身に覚えのない話だった。
甲子雄は自分で真実を探りにかかるが女中は失踪。
それからしばらくの後、噂に、嫁に貰うはずだった娘の不義が明らかになったと聞こえてきて…。
『雨あがる』
めっぽう強いが良い人すぎて士官先が決まらない浪人・三沢伊兵衛とその妻おたよの旅物語。
泊まった貧乏宿の人々を喜ばせるために伊兵衛は賭け試合をし、その金で人々に贅沢をさせる。
その後士官先が決まりかけるも、賭け試合が明らかになりまた流浪の身へ…。
夫婦の人柄の良さが清々しい。
『雪の上の霜』
伊兵衛とおたよの後日談。
病気になったおたよのために、道で荷物持ちの仕事をする伊兵衛。
街道の馬子たちとのトラブル、馬子たちに絡む武士とのトラブル、道場での働き口の獲得に、思わぬ展開。
そしてまた流浪の旅に出る夫婦。
相変わらず清々しい物語! -
購入済み
あだこ、おたふく……山本周五郎を、全て読んだワケではないですが
山本周五郎作品の中では、一番好きな短編でした
爺さんの持ってた本を読んだのは、はるか昔でしたが今読むと読めない漢字もあって
前後関係で「ああ、そう読むのか!」などと、昔は普通に読んでた気がするので
最近の小説に慣れすぎて「忘れてるんだなあ?」……と、変な感慨がありました -
Posted by ブクログ
ネタバレ敗戦から5年後の1950年に発表された作品。
母を愛おしく思い大切にする父。母は病弱で早くに他界するが、父の深い愛に育てられた娘。その純粋な娘が自分を大切にしてくれる良人に恵まれる。とても幸せな日々が続くと思われたが。。。
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純粋な娘の心は良人の不貞行為で無残にも裏切られる。良人は即座に謝るも娘の心はずたずたに傷つき、動揺し、発狂寸前まで行ってしまう。
そんな娘を見かねた父は、病床から意外な事実を娘に打ち明ける。
良人の不貞行為は実は父自身の不貞行為であり、父の恥を隠すために良人が罪をかぶってくれていたんだ、と。
だから女中の中のお腹の中の子は、実は良人の子ではなく父自身の子なのだと。
夫婦である以上、良人も浮気ぐらいするかもしれない、そのときは堪忍してやってくれ、夫婦の間の間違いはお互いに堪忍しあい、お互いに労り、助け合っていかなくちゃならない、それが夫婦だよ、と。
そう言い残して他界した。
純粋な娘は泣いて喜ぶ。やっぱり信じてた良人はそんな人じゃなかった。父にも正直に話してくれてありがとう、と泣いて感謝した。父が事実を言ってくれなければ一生苦しむところだった。
娘は良人に言う、全部父から聞いたと、取り乱したりして堪忍して、と。二人は寄りを戻し、普段の生活が戻ることになった。
良人は、娘が寝沈んだあと、静かに義父の仏壇に向かい、お父つぁん、ありがとう、もうこれっ切りです、決してもうあんなことはしません、と言うのであった。
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時代背景が異なるが、僕は言いたい。
いつの時代も愛しい妻を裏切ったり苦しめたり悲しませたりしては絶対にいけない。お父つぁんの言う通り、お互いに労り、助け合っていくことが必要だ。
どの夫婦にも思いがけず様々な困難が襲い掛かってくるものだ。うちも思いがけない困難に何度も襲われた。
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「○○君そっくりの、目がぐりぐりしている子が欲しい」と妻は言った(うちは小学校からの幼馴染なので君付けで呼ばれています)。
長く辛い道のりを経てやっとの思いで懐妊したときの二人の喜びは、暗く長く出口の見えないトンネルの向こうに一筋の明かりが見えた気分だった。
その光もつかの間、急転直下、母体を守らなければならず緊急手術へ。。。
病室で麻酔から目が覚めた妻は僕に言う、赤ちゃんは?!返す言葉がなかった。二人で泣いた。
このような悲しい出来事が何度かあり、あるとき二人で話し合った。体の負担も相当なものだから、もうこれで最後にしよう、と。
残念ながらドラマのようには行かなかった。そこで僕たちは色々な選択肢を探ったが、最終的に二人で生きていく道を選んだ。
この他の困難など、他のご夫婦の方々と同様、数えきれないほどある。
でもその度に力を合わせて乗り越えてきた。夫婦とはそうして愛を深めあっていくものだと思う。
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妻思いのお父つぁんの言う通り、夫婦はお互いに労り、助け合っていかなくちゃならないと思う。そこに二人の思いが幸せとして積もり重なり、良い二人の人生へとつながっていくのではと思った。 -
Posted by ブクログ
上野千鶴子さんが東大の入学式の祝辞を述べて話題になり、僕は全文をネットで読んでとても素敵だなあとココロ動きました。
"がんばってもそれが公正に報われない社会があなたたちを待っています。そしてがんばったら報われるとあなたがたが思えることそのものが、あなたがたの努力の成果ではなく、環境のおかげだったこと忘れないようにしてください。あなたたちが今日「がんばったら報われる」と思えるのは、これまであなたたちの周囲の環境が、あなたたちを励まし、背を押し、手を持ってひきあげ、やりとげたことを評価してほめてくれたからこそです。世の中には、がんばっても報われないひと、がんばろうにもがんばれないひと、がんばりすぎて心と体をこわしたひと...たちがいます。がんばる前から、「しょせんおまえなんか」「どうせわたしなんて」とがんばる意欲をくじかれるひとたちもいます。"
素晴らしいですね。視点、そして分かりやすい言葉のセンス。ハラショー。
最近、山本周五郎を再読していて、山本周五郎の世界観というか主題というか通低音というか、つまりは、"がんばっても報われない社会" そういうことなのかもしれないな、と。
なんだかんだ、ソレである以上は、現代性があるの無いのという以前に、普遍であり不変である訳です。悲しいかな。
例えば「人情」とかのコトバで位置づけて片付けてしまうのは、読書の愉しみとしては勿体無い。
これがまた書き手が人情なんてタイトルに入れちゃってると、かなり偏見と予断に晒されちゃう訳ですが。
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「人情裏長屋」。山本周五郎、新潮文庫。
チャップリンの映画「キッド」。しばらく見ていませんが、見るたびに涙腺が緩む傑作だと思っています。映画演劇小説漫画、兎角元来涙モロイのですが、40代に入って更に磨きがかかり。
山本周五郎さんの短編、この本の表題作、「人情裏長屋」も、同じくです。
初めて読んだのは、11〜12歳の頃で、かれこれ35年余の間に3〜4度読み返していますが、再読するたびに泣けます。困ったものです。
「キッド」系列の物語と言えば。映画なら「三人の名付親」「グロリア」「怪盗グルーの月泥棒」「依頼人」「スリーメン&ベイビーズ」などなど、どこまで解釈を広げるかで無限に人気のあるジャンルです。
考えれば「レ・ミゼラブル」も、バルジャンとコゼットですから。
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江戸時代。江戸。
青年の浪人者が、裏長屋で飲んだくれて暮らしている。気は優しくて腕が立つ。同じ長屋の気丈な娘が憎からず想っていたり。同じくうだつの上がらない浪人仲間で、妻に死なれ赤子を抱えて難儀中の者がいる。 主人公が面倒を見たら、ある日、赤子を主人公に預けたまま失踪されてしまう。「出世したら迎えに来ますからよろしく」と。
困り果てて、でも仕方なく赤ちゃん育てに格闘し、やがて情が移る頃には、主人公の暮らしぶりも健全になり。そんなある日、子を捨てた親が、なんと出世して迎えにやってきます。
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メロドラマ、卑怯といえば卑怯、ズルいと言えばズルい。エンタメです。万人受けです。センチメンタルだしある種おとぎ話だし。そもそも時代劇なんだし。
そうなんですけど、主人公が赤ちゃんに、桃太郎を話聞かせる段、矢張り何度読んでももう堪りません。泣けちゃうものは仕方ありません。こればかりは、読み手に子供がいるからとかそういう次元でも無いようです。
主人公や、彼女さんや、赤子の父や、皆のそれぞれの状況やら、こだわりやら、ヒネクレ度合いやら、やるせなさやら「がんばってもそれが公正に報われない社会」というペーソスに、それが一時的なモノぢゃァなくて考えたくもないくらい年老いるまで続いて行くというコトと、そのことに自尊心を鉋で削られながら耐えて行く以外の選択肢を実際のトコロ与えられていないという…、浮世、憂き世の具体的すぎるリアリズムに生爪を剥がされ突き刺し貫かれる痛みにキチンと書き手が自覚的だからなンですね。一文が長すぎますが。だから泣ける。かけそばがイッパイだからって泣けやァしません。古いけれど。
…とまあ、少年期以来のファンとしては周五郎小説の応援演説ならば雨ニモマケズなんですが。
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表題作以外も、いつもどおりどれも読ませます。個人的には「豹」「麦藁帽子」はイチオシ。ともに、(執筆当時の)現代劇。
「豹」は手塚治虫のブラックな短編を思わせる、男と女、心の闇にゾクッとさせます。「麦藁帽子」は、かつて想いあった男女の歳月や心のヒダ。まさに憂き世に虐められてきたヒトの傷口が、かくも痛いのに美しくなれるという。野菊の墓なショートストーリー。
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ちなみに、作品の初出年、よくわかりません。
新潮文庫から出ている、いちばん普通に手に入れやすい短編集です。このシリーズはどうやら、山本周五郎さんの没後(1967)、親交のあった人の手で編集されたもので、「町人もの」「女性もの」「武家もの」「現代劇」などが、固まらないように、どの一冊を手にとっても、山本周五郎の魅力を広く知れるように、という狙いで作られた。それはそれで考えようによってはブラボーなお仕事なんですが、短編ひとつひとつの初出年というのが割愛されていてあとを追いづらい。
全集とか読んだりすれば、あるいは研究者の方々は無論わかるでしょうが。誰でも気軽に見れる全データみたいなHPとか、ないかなあ。(無かったら作りたい)