あらすじ
昭和16年に執筆され、戦後の混乱期の中、未発表のまま保管されていた短篇小説「死處」。77年ぶりに発見された本作を収録した小説集、遂に刊行! 表題作「死處」のほか、伊達家先方隊として山中を進む武士たちとそれを追う女の恋を描く名作「夏草戦記」、戦場で手柄を立てない良人とその本当の姿を知る妻を心の繋がりを哀切深く描いた「石ころ」など、動乱の世に生きた人々の生き様を通し、人の在り方を問う全篇名作時代小説集
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お勧めです。
最近は時代小説が氾濫していますが、それでも「これは」という本に巡り合うのはなかなか難しく、久々に山本周五郎の作品
を読んでみることにしました。書かれた時代を反映しているせいか、近頃の作品とはまた違った味わいがあり、個人主義や
拝金主義の蔓延する世の中で、私たちが失ってしまった古きよき価値観みたいなものを感じました。とくに「石ころ」が気に
入りました。
Posted by ブクログ
77年ぶりに発見された未発表作(表題)を巻末に、その10ヶ月後に発表された同音異曲「城を守る者」を冒頭に、その他「石ころ」「夏草戦記」等、全て第二次世界大戦の戦中に発表された「戦国武士道物語」8篇を収める。山本周五郎の戦記ものは、もしかしたら初めて読んだ気がする。時はまだ真珠湾攻撃の勢いを駆って、世の中の戦記ものは信長、秀吉、家康を始めとして有名な英雄を主人公にした物語が多かった頃。しかし、此処に綴られる人物たちは、その下で働いた無名の者たちばかりである。
「どれほど多くのもののふが夏草の下にうもれたことだろう。その人々は名も遺らず、伝記も伝わらない、かつてあったかたちはあとかたもなく消えてしまう、だがそのたましいは消えはしない、われらの血のなかに生きている、われらの血のつづくかぎり生きているのだ。」(96p「夏草戦記」より)
ほとんどの読者は、戦争を体験、或いは身近に聴き知っている者ばかりだったろう。その者たちに向かい、1番心に響く言葉を周五郎は書いた。この部分だけ、周五郎はひらがなをおおくつかい、ぶんを「。」で止めなかった。まさに、無名のひとたちにかたりかけたのである。
「死處」は、最前線に出て勇猛果敢に死を賭して戦うことだけが死處ではない、他に選ぶ死處はあることを語った話である。しかし編集部に渡していた原稿が掲載される前に、雑誌が紙不足のために休刊して仕舞う。周五郎は原稿の返却を言わなかった。その不器用さは、ここに出てくる多くの登場人物たちの行動と似ている。そして、同じモチーフを使いながらもう一度別の作品を書く。私は「城を守る者」の方が完成度も、テーマ的にも優れていると思う。
戦後に吉川英治は一時筆を絶った。有名人だけを主人公に据え、忠義を追い求め、従軍作家にもなった吉川英治は、「新平家物語」を書くまでは再出発することができなかった。山本周五郎にそういう中断はなかった。蓋(けだ)し、周五郎再評価、宜哉(むべなるかな)。
Posted by ブクログ
戦国時代における日本人の死生観が感じられる短編集。
政治家やらが「命懸けで…」、「~生命を賭けて」というが、なんと浅薄なことか。
「武士道」を大上段に構えてモノ言う奴は俺は嫌いだ。
Posted by ブクログ
表題作「死處」は未発表の儘、七十数年振りに講談社の資料室から発見された作品との事。
乱世の名も無き武士の死に様にフォーカスした短篇集。彼らの名は歴史には残らない。然し恐らくはこんな人々が嘗ては居たのであろう。
彼らの人生と其の死に様は歴史の中に埋没した石礫のようだ。けれども、そんな石礫の一つ一つを取り上げ、磨き、彫琢し、作品に昇華した山本周五郎の筆致には得も言われぬ愛を感じる。「石ころ」作中の多田新蔵が石塊を愛でる姿には作者の姿がそのまま重なる。其の眼差しのやさしさを行間に幻視する思いであった。