あらすじ
異例の出世をした主水正に対する藩内の風当たりは強く、心血をそそいだ堰堤工事は中止されてしまうが、それが実は、藩主継承をめぐる争いに根ざしたものであることを知る。“人生”というながい坂を人間らしさを求めて、苦しみながらも一歩一歩踏みしめていく一人の男の孤独で厳しい半生を描いた本書は、山本周五郎の最後の長編小説であり、周五郎文学の到達点を示す作品である。
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幼いころ、下級武士だった父の卑屈な態度を見て、「出世してやる!」と誓った小三郎は、文武に努力を重ねて階段を上がっていきます。しかし、成長を重ねるにつれ、ライバルや師と出会い、社会への視野を広げることによって伸びる力を養い、才能を認めてくれる見えない力によって「人生の長い坂道」を一歩一歩上がってきたのだと気付くことになります。
若い藩主から絶大な信頼を受け、藩政改革の主役に躍り出た時、自分が何に支えられてきたのか、誰が自分をこの地位に押し上げたのかを振り返り、出会ったすべての人が自分の血となり骨となったことに気付くのでした。
私はこの小説と出会って、男は行動しなくちゃいけない!と思い、しかし、時には回り道も必要だと胸に刻んだのでした。
感情タグBEST3
Posted by ブクログ
大変な良作。エンタメ性も高い。子どもの頃に読んでいたら、ある種の感化を受けてたかもですね。題材自体は一藩の1人の偉人伝(途中)ですが、上下の長編で読ませても全く飽きが来ない。感服しました。
Posted by ブクログ
今ある状況の中で懸命に努力し、思慮深く、客観的に自分や周りを見る事ができ、他人の心を推し量る事ができる、目指すべき生き方の一つだと思う。
本当にながい坂であった。
Posted by ブクログ
評価は5.
内容(BOOKデーターベース)
異例の出世をした主水正に対する藩内の風当たりは強く、心血をそそいだ堰堤工事は中止されてしまうが、それが実は、藩主継承をめぐる争いに根ざしたものであることを知る。“人生"というながい坂を人間らしさを求めて、苦しみながらも一歩一歩踏みしめていく一人の男の孤独で厳しい半生を描いた本書は、山本周五郎の最後の長編小説であり、周五郎文学の到達点を示す作品である。
Posted by ブクログ
タイトル通り、ながい坂を重荷を背負って生きる主人公、三浦主水正。かの徳川家康もそういえば、そんなことを言っていた。人生は主にを背負うと歩くがごとし、急ぐな、みたいなこと。賛否両論あるようだが、ただただ、格好よろしい。人間には転機がある、悔しさ、これが一番の転機になるような気がする。しかし、悔しさをばねに伸びるにも限界がある。ある時点から、もはや自分との戦いになるのだろう。生きる、それも下々のものとして生きるのではなく、上のものとして正しく生きる、これがいかに難しいか。とりわけ、現代にも通じるような政治の泥に揉みくちゃになりながらも、正しく生きた主人公はエライ。しかし、ただ一つ、ある女性に同情を覚えた…それでよかったのかと。どの人間に感情移入するかで、評価は変わるかもしれない作品。
Posted by ブクログ
「人間とはふしぎなものだ」と主水正が云った、「悪人と善人とに分けることができれば、そして或る人間たちのすることが、善であるか悪意から出たものであるかはっきりすれば、それに対処することはさしてむずかしくはない、だが人間は然と悪を同時にもっているものだ、善意だけの人間もないし、悪意だけの人間もない、人間は不道徳なことも考えると同時に神聖なことも考えることができる、そこにむずかしさとたのもしさがあるんだ」
「人も世間も簡単ではない、善意と悪意、潔癖と汚濁、勇気と臆病、貞節と不貞、そのほかもろもろの相反するものの総合が人間の実体なんだ、世の中はそういう人間の離合相剋によって動いてゆくのだし、眼の前にある状態だけで善悪の判断はできない。おれは江戸へ来て三年、国許では全く経験できないようなことをいろいろ経験し、国許には類のない貧困や悲惨な出来事に接して、人間には王者と罪人の区別もないことを知った、と主水正は云った。」
「小太郎、と主水正は心の中で呼びかけた。この世には、人間が苦労して生きる値打なんぞありはしない、権力の争奪や、悪徳や殺しあい、強欲や吝嗇や、病苦、貧困など、反吐のでるようないやなことばかりだ、そんな事を知らずに死んだおまえは、本当は仕合わせだったんだよ、小太郎。
筍笠を打つ雨の音と、早朝の空の、まだ明けきっていないような、少しもあたたかみのない非情な光とが、主水正の感情をいっそう暗い、絶望的なほうへと押しやるようであった。
『宗厳寺の和尚の気持がいまこそわかる』と彼は声に出して呟いた、『諸国を遍歴し、八宗の奥義を学び取って帰ると、一生なにもせず、酒に酔っては寝ころんでくらした、和尚にはわかっていたんだ、人間のすることのむなしさも、生きるということのはかなさも』
主水正はうなだれた。すると筍笠のふちに溜まっていた雨水が、しゃがんでいる彼の、眼の前へこぼれ落ちた。主水正の喉に嗚咽がこみあげてき、彼は呻きながら泣きはじめた。」
Posted by ブクログ
今まで山本周五郎は読んだことがなかったが、本書を読んで、長く読まれてきた理由がわかった気がする。読ませるストーリーなのはもちろんのこと、物語を通して「人生」を書いている。少し物足りなかった点としては、主水正と両親、特に父との関係についてだ。最後の「自分は父親違う」と思いつつ父親と同じ行動をとってしまっているシーンをもう少し掘り下げて書いて欲しかった。
ただ物足りない点があるとはいっても、それは些細なことにすぎない。折にふれて読み返すことになるであろう、数少ない書の1つになった。
Posted by ブクログ
主人公の心の成長が身に染みてきます
。自分に置き換えてみて、つい考えさせられます。奥さんのつると主人公との関係が不器用で、結構好感が持てます。
Posted by ブクログ
ながい坂を上り続ける主人公。
割り切った考えを持ちつつ、時折苦悶に襲われる場面が印象的だった。
つるや谷先生の変化ぶりにびっくり。
展開も面白く、人生というものを感じさせられた。
後味もいい。
Posted by ブクログ
どっかのレビューか評論で、この作品はめでたい小三郎の出世物語に過ぎない、後半は殿様のお家騒動に終始しており、当初の立ち向かうべき問題であった商人の独占と重役侍の癒着は、途中からうやむやになってしまった。
そんな批判が加えられていたが僕はこれでいいと思った。
人生はままならないもので、敵かと思っていたら別の問題が持ち上がることで味方になってしまう。どうにもならないと諦めていた問題が時間が経つだけで自然と解消してしまう。
どんな先が待っているかわからないが、手持ちの情報を元に当面の問題へ全力で対処する。情勢が変わったらまたそのときだ。思い通りにならないのが人生でそれが面白い。
自分の信じるままに、護りたいもののために懸命に生きればいい。
周五郎はそんなメッセージをこの作品に込めたように感じられた。
非情におもしろい作品だった。
Posted by ブクログ
かなり地味な小説ですが、この真面目な主人公の頑張りに心打たれるものがありました。がんばれば、いつか〜・・・。苦しい重荷を背負って、自分を立て直しながら前進していく姿。私もがんばらないと!
Posted by ブクログ
山本周五郎の長篇時代小説『ながい坂〈上〉〈下〉』を読みました。
『寝ぼけ署長』、『五瓣の椿』、『赤ひげ診療譚』、『おさん』に続き、山本周五郎の作品です。
-----story-------------
〈上〉
人生は、長い坂。
重い荷を背負って、一歩一歩、しっかりと確かめながら上るのだ。
徒士組の子に生まれた阿部小三郎は、幼少期に身分の差ゆえに受けた屈辱に深い憤りを覚え、人間として目覚める。その口惜しさをバネに文武に励み成長した小三郎は、名を三浦主水正と改め、藩中でも異例の抜擢を受ける。
藩主・飛騨守昌治が計画した大堰堤工事の責任者として、主水正は様々な妨害にも屈せず完成を目指し邁進する。
〈下〉
人間は善悪を同時に持っている。
一人の男の孤独で厳しい半生を描く周五郎文学の到達点。
突然の堰堤工事の中止。
城代家老の交代。
三浦主水正の命を狙う刺客。
その背後には藩主継承をめぐる陰謀が蠢いていた。
だが主水正は艱難に耐え藩政改革を進める。
身分で人が差別される不条理を二度と起こさぬために――。
重い荷を背負い長い坂を上り続ける、それが人生。
一人の男の孤独で厳しい半生を描く周五郎文学の到達点。
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新潮社から発行されている週刊誌『週刊新潮』に1964年(昭和39年)6月から1966年(昭和41年)1月に連載された作品… 山本周五郎の作品の中で『樅ノ木は残った』に次いで2番目に長い作品です。
憎む者は憎め、俺は俺の道を歩いてやる… 徒士組という下級武士の子に生まれた阿部小三郎は、8歳の時に偶然経験した屈辱的な事件に深く憤り、人間として目ざめる、、、
学問と武芸にはげむことでその屈辱をはねかえそうとした小三郎は、成長して名を三浦主水正(もんどのしょう)と改め、藩中でも異例の抜擢をうける… 若き主君、飛騨守昌治が計画した大堰堤工事の責任者として、主水正は、さまざまな妨害にもめげず、工事の完成をめざす。
身分の違いがなんだ、俺もお前も、同じ人間だ… 異例の出世をした主水正に対する藩内の風当たりは強く、心血をそそいだ堰堤工事は中止されてしまうが、それが実は、藩主継承をめぐる争いに根ざしたものであることを知る、、、
“人生"というながい坂を人間らしさを求めて、苦しみながらも一歩一歩踏みしめていく一人の男の孤独で厳しい半生を描いた山本周五郎の最後の長編小説。
下級武士の子に生まれた小三郎が、学問や武道等の実力や努力、そして強靭な克己心により困難を乗り越えて立身出世する展開… 上下巻で1,100ページ余りのボリュームですが、意外とサクサク読めました、、、
自ら求め選んだ道が現在の自分の立場を招く… 善意と悪意、潔癖と汚濁、勇気と臆病、貞節と不貞、その他もろもろ相反するものの総合が人間の実体、世の中はそういう人間の離合相剋によって動いてゆくもので、眼の前の状態だけで善悪の判断はできない… 江戸自体が舞台の物語ですが、現代の自分たちの生き方にも示唆を与えてくれる物語でした。
生き方や働き方について考えさせられましたね… 山本周五郎の人生観・哲学などが感じられる作品でした。
Posted by ブクログ
断絶した名家三浦の姓を継ぎ、三浦主水正と名前を変えた小三郎。
藩内で進められる野党による政権掌握の動きに順風満帆な青年期から一変して命を狙われ身を隠すことに。主水正は無事政権を藩主の元に戻し、 正当な政治に戻すことができるのであろうか、、、
最後まで目が離せない展開!!この一言に尽きる。
Posted by ブクログ
主人公が城内の密かなクーデターから逃れ、様々な職業に身をやつし、荒れ野での生活に耐え、表舞台に返り咲くまでが描かれる。堰堤を作る、という大志が実行されるところの手前で、あえて物語は終わっている。
上巻の感想に主人公の性格の誠実さ、と書いたけれど、全編を通してみると清濁併せ呑む人物になっていく姿が書かれていたように思う。物語としては面白かったが、時代柄か、各人物像、特に女性の描き方にはもどかしさも残るところ。
Posted by ブクログ
読み終わってうん、そうだね「長い坂」だったね。と思う。
主人公「三浦主水正(もんどのしょう)」が階級は低いが、志を胸に幼少の頃から学問に励み、周りからも認められ、藩の中で自分の役割を大きくして行く話。
最初はシーンの切替が多く登場人物が覚えられないのと、淡々と下積み話で読みづらいが、藩の仕事に携わってからはぐいぐい話に引き込まれる。しかし、つらい時期の話も長く、志高く生きるのは強い我慢が必要だよなとか、私も今のプロジェクトがうまく行っていないので、耐え忍ぶ時を共感する。
本著者は派手に良いという感じではなく、物語を積み上げ後半しみじみいいねと思わせる系話を書くのだねぇ。ラストも良かった。
Posted by ブクログ
(01)
普通には時代小説として読まれるだろう。また、文庫版の奥野健男の解説にあるようにビルドゥングスとして、また現代的にはサクセスのコツを含むビジネス小説として読まれるのかもしれない。
しかし、本書は文体論としても問題的なあり方をしており、驚きをもって読まれる。例えば、時系列あるいは空間系列に従うシークエンシャルな文脈の流れにあって、文脈から離れた回想や記憶の手がかりが、けっこう生々しい(*02)タイミングで突然に、普通のコンテクストからゆうとありえない角度からぶっこまれてる。こうした違和感のある文体、いってみればアバンギャルドな文体について、現代文学史の中では、川端康成の意想と比較しても面白いと思われる。
(02)
生々しさという形容から類推すれば、藩政時代の武家のエロスを会員制クラブあるいは秘密結社さながらの、魔窟な方面から描いてしまう件についても寡聞にしてちょっと知らない。戦国時代の女忍者や、中世の貴族、近世の町民や庶民(*03)といった典型ならあるあるなパターンであるが、そうではない時代と階級のエロスを描いている。主人公の夫婦関係や性愛のあり方についても異数(*04)といえるだろう。
(03)
匿名と顕名のありかたにも独特の徹底ぶりが発揮されている。つまり、名のない者が出てこないことの煩雑さのうちに物語が紡がれている。植物学の牧野富太郎が著者に範を垂れた雑木(*05)の有名性については有名なエピソードなのだろうか、本書での人名に対する偏執ぶりもかなり異様な部類に入るだろう。
この煩雑な顕名性は著者のポリフォニカルな語り口との関連で読まれてよいだろう。数章の並びの中に挟まれる断章あるいは幕間劇についても、脚本の柱のように立てられたシーンの下に繰り広げられる対話という構成は、神話的な情景すら帯びさせるにいたっている。
(04)
地の文にも面白味があって、普通の文体であれば、主人公が、云々と思った、何々と考えた、という構文なるところを、本書の場合、鉤括弧を付けない地の文で、科白のように言いかけて、やっぱり止めた、みたいな寸止め口調として現れている。科白にもなっていない、地の文にした主人公の思いでもない、宙吊りともいえるような、言いかけでやっぱり思いとどまってしまうこの寸止めな言葉については、近代私小説を解く鍵のひとつとなるだろう。
ちなみにこの寸止め感が主人公夫婦の寸止めな営みに通じることは言うまでもない。
(05)
植生を含む地勢という歴史地理の問題も含まれている。坂を呈示する標題からして地形地勢的であるが、橋、水路、山林、くぬぎの雑木を植栽した屋敷の趣味なども興味深い。エピローグとみなされる章で主人公はこれまで認識の外にあった緩い勾配に衝撃される。この一点をもってしても衝撃的な小説である。
Posted by ブクログ
江戸時代の小藩の下級武士に生まれた主人公が、子供の時に遭遇した事件に憤慨し、長くつらい道を生きる決断をして成長するが、その後苦労する場面が続く。下巻では、上巻で登場した人物が、歳を重ねて登場するが、いろいろな生き方や価値観があるものだと改めて思い知らされる。この小説はとにかく重い。
Posted by ブクログ
一人の男の半生を丁寧に描いた作品。娯楽の時間をとしては良かったですが、少し主人公との距離ができてしまい、深く主人公の思考に耽るようなことはなかった。
Posted by ブクログ
下巻の初めは刺客から身を隠すために
新畠や長屋での生活を余儀なくされるものの、
後半はとにかく物事が良好に進む進む。
ただ、表立った危機を感じさせないのは
主人公である主水正の慎重かつ
機会を計る上手さ故であるともいえるだろう。
それ故、後半は切り合いのような物理的な戦いはなく、
政治的な駆け引きが続くばかりとなり、
スカッとする爽快感はなかった。
様々な苦労や経験をして成長していく主人公が、
親兄弟や子供に対する
シビアかつドライな考え方や
昔の恩師の死に目に素直に会いに行こうとしない
潔癖さを最後まで変えないのが
不完全さを出していて却って良い。
どうせ自分に報いが返ってくるだろうから
今後も苦しみ続けてください。
滝沢兵部の最後の顛末も個人的には良かった。
目に見えた努力をしている人だけでなく、
苦しみ続けている人がどこかのタイミングで報われる、
都合の良い話かもしれないけれど、
それを話として書き起こす著者は
優しい見方ができる人だと思った。
あと、途中から半永久的に続く奥さんのデレ期が異常。
Posted by ブクログ
周五郎。長編は久しぶり。
平日はなかなか時間なくて長編に手を伸ばしにくかったのだけど、
ゴールデンウィークを利用して読みました。
ストーリーの主軸はお家騒動。
武家物としてはよくある題材なんだけど、
さすがに周五郎を代表する長編の一つ。濃厚。
人生にどう向き合うのか、
何を考え、どう生きるのか
というようなことが周五郎小説の大きなテーマだと思うんだけど、
三浦主水正の半生、「ながい坂」を丁寧に描いているこの作品は本当に傑作。
就職直前には「天地静大」を読んだ。
社会に出て、挑戦していく若者たちの群像劇。
いま就職して4年目。このタイミングでこの本を手にとって良かった。
このながい坂は主人公の子ども時代から始まるけど、
特に下巻の中心は30代。いろいろ考えながら読みました。
人間的な成長とか、苦悩とか、人間関係の難しさとか素晴らしさとか、
あぁこれから俺もまだまだ坂を登って行くんだろうなぁ、と。
樅ノ木は残った、虚空遍歴あたりの長編も暇を見つけて読みたいな。
Posted by ブクログ
山本周五郎の晩年の作。そのせいか深みがあり、単純ないい話以上のものを感じる。善悪で事象を判断せず、人間のやることに大差はない、とするあたりや、単なる個人の成長物語とせず、年を経るごとに考え方が変遷していくあたりが、重厚感につながっていると思う。
Posted by ブクログ
平侍出身の三浦主水正が城代家老まで立身出世する物語。
生きること、仕事すること、男であること、親子や夫婦であること、様々なことを考えさせられる。
特に、
「人間はどこまでも人間であり、弱さや欠点をもたない者はいない。ただ自分に与えられた職に責任を感じ、その職能をはたすために努力するかしないか、というところに差ができてくるだけだ。」 (P489)
など仕事人としての行動指針を多く学んだ。