山本周五郎のレビュー一覧
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タイトル通り、ながい坂を重荷を背負って生きる主人公、三浦主水正。かの徳川家康もそういえば、そんなことを言っていた。人生は主にを背負うと歩くがごとし、急ぐな、みたいなこと。賛否両論あるようだが、ただただ、格好よろしい。人間には転機がある、悔しさ、これが一番の転機になるような気がする。しかし、悔しさをばねに伸びるにも限界がある。ある時点から、もはや自分との戦いになるのだろう。生きる、それも下々のものとして生きるのではなく、上のものとして正しく生きる、これがいかに難しいか。とりわけ、現代にも通じるような政治の泥に揉みくちゃになりながらも、正しく生きた主人公はエライ。しかし、ただ一つ、ある女性に同情を
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昭和10年(1935)から17年(1942)の作品というから、
まさに戦時中である。
短編であるが、その物語の組み立て方は優れている。
心の転換点がうまく演出されている。
『講談』という手法を 今読むと新鮮である。
一つ一つを読みながら、その物語の余韻をあじわう。
彦次郎実記
主計介が憤懣やるかたない状況に追い込まれている。
乱暴狼藉を働いている。
たまたま彦次郎が 美人として名高い
雪が主計介にさらわれようとしているときに
直面し、助けることから、物語が始まる。
彦次郎の活躍ぶりがなんともいえず気持ちがいい。
そういうふうに、結末をつくるのか と彦次郎の想いに馳せる。
浪人一代男
幸 -
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「人間とはふしぎなものだ」と主水正が云った、「悪人と善人とに分けることができれば、そして或る人間たちのすることが、善であるか悪意から出たものであるかはっきりすれば、それに対処することはさしてむずかしくはない、だが人間は然と悪を同時にもっているものだ、善意だけの人間もないし、悪意だけの人間もない、人間は不道徳なことも考えると同時に神聖なことも考えることができる、そこにむずかしさとたのもしさがあるんだ」
「人も世間も簡単ではない、善意と悪意、潔癖と汚濁、勇気と臆病、貞節と不貞、そのほかもろもろの相反するものの総合が人間の実体なんだ、世の中はそういう人間の離合相剋によって動いてゆくのだし、眼の前 -
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「“人生”というながい坂を人間らしさを求めて、苦しみながらも一歩一歩踏みしめていく一人の男の孤独で厳しい半生を描いた本書は、山本周五郎の最後の長編小説であり、周五郎文学の到達点を示す作品である。」(裏表紙より)
一人の人間の行く道の重さ、苦悩が描かれていますが、それを完遂する要因とは何なのか?を学んだ気がします。
「『――なにごとにも人にぬきんでようとすることはいい、けれどもな阿部、人の一生はながいものだ、一足跳びに山の頂点へあがるのも、一歩、一歩としっかり登ってゆくのも、結局は同じことになるんだ、一足跳びにあがるより、一歩ずつ登るほうが途中の草木や泉や、いろいろな風物を見ることができ -
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戦後の山本周五郎の江戸下町作品。
「柳橋物語」と「むかしも今も」の2作品です。
「柳橋物語」は主人公おせんの悲しい半生が描かれ、なぜここまで…、という感じがします。その人生の分かれ道となったのが、短い時間に庄吉と交わした約束から。その約束を守りとおしたが故の運命。登場人物のだれが悪いわけでもない。環境と巡り合わせにより逆らうべくもなく悲しい人生に落ちていくおせん。その中で、精神的な愛が描かれています。
「むかしも今も」も愚直な直吉の人生を描いたもの。最後まで読むとなんともいえないあたたかい感情が湧いてきます。
やっぱり山本周五郎の作品はいいです。
書評より
「作者は問うている -
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下まで読んでしまったのですが、この主人公原田甲斐の生き方に深い感動を覚えずにはいられないです。最後の感想は下に書くとして、感動を受けた文を書いて終わり。
主人公原田甲斐に仕える丹三郎が、
「『自分の死は御役に立つであろう』と云った。主人のために身命を惜しまないのは、侍の本分ではあるが、だれにでもそう容易に実践できることではない。甲斐は丹三郎を知っているし、彼の性質としてそういうことを口に出して云う以上、そのときが来れば死を怖れないだろう、ということもわかっていた。
―ーだがおれは好まない。
国のために、藩のため主人のため、また愛する者のために、自らすすんで死ぬ、ということは、侍の道徳 -
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貧民街に生きる人々を描いた短編集です。
-そこではいつもぎりぎりの生活に追われているために、虚飾で人の眼をくらましたり自分を偽ったりする暇も金もなく、ありのままの自分をさらけだすしかない。-
現実の世界に「普通の」人間なんていないように、この物語に出てくる人物一人一人もまた個性的。
個性的なんだけど、読み進めていくうちに、出てくる人物一人一人に愛着を持たされてしまう。「自分をさらけだすしかない」この街の人々に憧れているのかもしれない。
苦しみつつ、なおはたらけ、安住を求めるな、この世は巡礼である
「よしよし、眠れるうちに眠っておけ」とそれは云っているようであった、「明日はまた踏んだり蹴 -
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ネタバレNHKのドラマを観て、父の本棚から拝借して再読し ました。 昭和39年9月25日発行
物語は天保五年、亀戸にあるむさし屋の寮が焼け落ち たところから始まります。 焼け跡から見つかった性別すら判別できない遺体は3 人。 そこで命を落としたとされるむさし屋の娘おしのが、 父を裏切り続けた母の不貞の相手たちの胸に銀の釵を 突き刺し、赤い山椿の花びらを残します。
序盤では、病の床に伏す父の命の炎がいよいよ消えか けている時に、何とか母を父の許へ!と奔走するおし のの焦燥感に引き込まれ、読者はこれから始まるおし のの復讐劇の動機を共有することになります。 しかし、この物語は決して復讐劇ではありません