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Posted by ブクログ
昭和二十年代の作品なので、現代の小説より重くて、読んでいて苦しくなります。それでも心が洗われる思いを得られるのが山本周五郎作品の良さだと思いました。
柳橋物語のほうは、最後にも救いがなくてどこまでも悲しくなりました。
おせんは優しい子だと思いました。幸太郎をどこまでも見捨てないし、不幸に落ち込む友人にも優しい。いつか幸せになって欲しい人物です。
むかしも今も、のほうは、最後に救いがあってやっとほっとします。1冊にまとまったこの本の最後がこちらで良かった、と思いますね。
どちらの女の子も、どうしてそんな男のほうを選ぶのか……、という残念感。
大事なことは目に見えない、そんな教訓が籠められているように感じます。
Posted by ブクログ
戦後の山本周五郎の江戸下町作品。
「柳橋物語」と「むかしも今も」の2作品です。
「柳橋物語」は主人公おせんの悲しい半生が描かれ、なぜここまで…、という感じがします。その人生の分かれ道となったのが、短い時間に庄吉と交わした約束から。その約束を守りとおしたが故の運命。登場人物のだれが悪いわけでもない。環境と巡り合わせにより逆らうべくもなく悲しい人生に落ちていくおせん。その中で、精神的な愛が描かれています。
「むかしも今も」も愚直な直吉の人生を描いたもの。最後まで読むとなんともいえないあたたかい感情が湧いてきます。
やっぱり山本周五郎の作品はいいです。
書評より
「作者は問うている。愚直さまで一途であり、一旦きめた約束を守り通そうとすることは、くだらないことであろうか。世俗的に見てたとえばかと思われようとも、そこにこそ人間の他の動物とは違う尊さがあるのではないかと。」
本文より
「『この頃の職人はなっちゃあいないよ、爺さん、一日に三匁とる職人が逆目に鉋(かんな)をかけて恥ずかしいとも思わない、ひどいのになると尺を当てる手間を惜しんでおっつけて鋸を使うんだ、そのうえ云いぐさが、そんなくそまじめな仕事をしていたら口が干上がってしまうぜ、こうなんだ』
『それは今にはじまったことじゃあないのさ』と源六は穏やかに笑う、『…どんなに結構な御時世だって、良い仕事をする人間はそうたくさんいるもんじゃあない、たいていはいま幸さんの云ったような者ばかりなんだ、それで済んでゆくんだからな、けれどもどこかにほんとうに良い仕事をする人間はいるんだ、いつの世にも、どこかにそういう人間がいて、見えないところで、世の中の楔になっている、それでいいんだよ』」
「『人間は正直にしていても善いことがあるとはきまらないもんだけれども、悪ごすく立ち回ったところで、そう善いことばかりもないものさ』」
Posted by ブクログ
今回、再読して逆に感じたのは、おせんが決して不幸な境遇だったとは思えなかったのです。 逆にこちらは少数意見かもしれませんね、とりわけ女性読者からはお怒りを買うかもしれません。 私は却って針仲間のおもんの身を持ち崩して行く姿がおせんよりも不幸なように感じました。 というのは、庄吉はこの物語の中ではどちらかと言えば悪役めいた役割を演じてますが、物語の初めの告白から江戸に戻ってくるまで、少なくともおせんに対する愛情は尋常なものではなかったはずだと私は確信しています。
そして男は結構疑い深いというか、本作にあるシチュエーションからして誤解が生じて当然だと思います。 まあそのあたり、作者の力量の確かさでしょうね。 いずれにしても、主人公のおせん、最後にはつつましくかつたくましく生きることを貫きます。 つつましさが“八百屋”を営むことによって描かれているところが作者の優しさなんでしょうね。 たくましさの源は死んだ幸太の愛情だけでなく、冷めきってますが過去の庄吉へのいちずな思いがそうさせたんだなと私は捉えています。 人を愛することって難しいけど素晴らしいことです。
もう一遍の「むかしも今も」 物語に“つき当たり”という言葉が出てきて重要な役割を演じています。 これは直吉とまきとが幼いころに遊んだ場所の名前なのです。 いわば2人の長年の愛情が築き上げられた場所として描かれています。 とりわけ直吉のやさしさは女性読者から圧倒的な支持を受けると思います。 そしてその優しさの根底は誠実さと義理堅さなのですね。 まきが失明した後も献身的に支える直吉の姿が印象的です。 これはなかなかできませんよ。 ラストが少しはっきりせずに読者に委ねている部分のあるのが作者の心遣いだと受けとめています。
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