山本周五郎のレビュー一覧
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ネタバレある一つの出来事をきっかけに自分の人生、世の中の不条理を変えようと一心腐乱に進む主水正があるとき、周りからの羨望・嫉妬、期待や仕事に対する重圧に耐えかね、恩師の谷宗岳に相談した時、谷から「お前が自分で進むと決めた道ではないか、その道へ進んだときからもう逃れることはできない」と言われた言葉が印象に残った。自分も普通の会社に終身雇用を期待して就職したのではなく、自分の力で仕事を得て、食べて行こうと決意し、その道を歩み始めた。今は日本の会社はいるが、あくまで契約社員としてのプロの自覚を持って行動するべきであると思う。辛いがそういう道を選んでしまったわけで自分も主水正と同じように後戻りはできないのだか
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Posted by ブクログ
ネタバレどっかのレビューか評論で、この作品はめでたい小三郎の出世物語に過ぎない、後半は殿様のお家騒動に終始しており、当初の立ち向かうべき問題であった商人の独占と重役侍の癒着は、途中からうやむやになってしまった。
そんな批判が加えられていたが僕はこれでいいと思った。
人生はままならないもので、敵かと思っていたら別の問題が持ち上がることで味方になってしまう。どうにもならないと諦めていた問題が時間が経つだけで自然と解消してしまう。
どんな先が待っているかわからないが、手持ちの情報を元に当面の問題へ全力で対処する。情勢が変わったらまたそのときだ。思い通りにならないのが人生でそれが面白い。
自分の信じるままに -
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ネタバレ主人公が子供の頃に、彼にとって山や川と同じように不動の存在であった橋が土地の所有者である城代家老の都合で取り払われてしまった。そして、その際、川を迂回するよう告げた小使いへぺこぺこしていた父親を見て小三郎は二度とこんなことのないよう決心し、学業に剣術に明け暮れ平侍の子にはない出世を果たしていく。
彼は同じ藩に暮らす人たちには心底親切でいい街づくりに明け暮れていく。自分の進む道を信じて突き進む。納得のいかないことも人から言われると客観的に考えてみる。しかし、実家の家族からの頼みごとはじっくり考えることなく甘い戯言と切り捨ててるように見える。
彼にとっては父親は進歩することを諦めた惨めな存在で -
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山本周五郎氏は有名だし、母も好きな作家だし、家にも何冊か本があったのにもかかわらず今まできちんと読んだ覚えのない作家さんでした。この間読んだ本に浦安市のことが書かれていて青べか物語にも触れていたので、ふと読んでみようと思い立ちました。
面白いけれどどこか物悲しい。さみしいお話なんだけれどもどこか滑稽。土地に根付く人とそこにやって来た異郷の人との見えるようで見えない、見えないようでしっかりと存在する境界線のような物を感じました。同じ国で同じ言葉を話していても異郷と言うのはこんなにもさびしいものなのか。文化や常識はこれほど違うものなのか。
ふるさとは遠きにありて思ふもの
そして悲しくうた -
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「生きる」ことは本当に大変なことだと思います。今この時も、「生きる」ことに希望を見いだせずにそれでも踏ん張っている人たちがいる。知りつつも何もできずに生きている自分がいる。
「赤ひげ医師」こと去定はいう『見た眼に効果のあらわれることより、徒労とみられることを重ねてゆくところに、人間の希望が実るのではないか。おれは徒労とみえることに自分を賭ける』と。『温床でならどんな芽も育つ、氷の中ででも、芽を育てる情熱があってこそ、しんじつ生きがいがあるのではないか。』と。
「死」を見つめて「生」を問い、弱さの直中にいる者へ何が出来るか? 何をすべきか?を問う。 -
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初めての山本周五郎、堪能できた。
田沼意次の政治を善しとして、逆に白河侯、松平定信を復古を目指す悪として描き出している点に特徴がある本作。
しかし、青山信二郎と河合(のち藤代)保之助を主人公(だと僕は解したい)として物語は進んでいく。この二人は「その子」という女性に人生を翻弄され、はじめは信二郎と「その子」が愛人関係にあったのだが、保之助が「その子」の婿に来たことにより、関係が引き裂かれてしまう。
保之助が藤代、つまり「その子」の家に婿に来たのは、田沼を糾弾するためであった。しかし、調べれば調べるほど、田沼の政治は良い政策ばかり。保之助は裏切りを決意する。
「その子」は自由奔放な性格で、