あらすじ
徳川中期、時の先覚者として政治改革を理想に、非難と悪罵の怒号のなか、頑なまでに己れの意志を貫き通す老中田沼意次――従来、賄賂政治の代名詞のような存在であった田沼親子は、商業資本の擡頭を見通した進取の政治家であったという、新しい視点から、絶望の淵にあって、孤独に耐え、改革を押し進めんとする不屈の人間像を、時流に翻弄される男女の諸相を通して描く歴史長編。
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Posted by ブクログ
賄賂政治で悪名高い田沼意次を、幕府の経済基盤の再構築を目指す政治家ととして描いています。旧態然とした武家社会にこだわる松平定信と新しい時代に即した理想を掲げる意次の対立は、現代の政治に似たところがあって興味深いです。
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初めての山本周五郎、堪能できた。
田沼意次の政治を善しとして、逆に白河侯、松平定信を復古を目指す悪として描き出している点に特徴がある本作。
しかし、青山信二郎と河合(のち藤代)保之助を主人公(だと僕は解したい)として物語は進んでいく。この二人は「その子」という女性に人生を翻弄され、はじめは信二郎と「その子」が愛人関係にあったのだが、保之助が「その子」の婿に来たことにより、関係が引き裂かれてしまう。
保之助が藤代、つまり「その子」の家に婿に来たのは、田沼を糾弾するためであった。しかし、調べれば調べるほど、田沼の政治は良い政策ばかり。保之助は裏切りを決意する。
「その子」は自由奔放な性格で、いやなことはしない、という女性である。保之助という良人がありながら、浮気を重ね、それが保之助を苦しめることになる。
信二郎は、戯作家として、田沼を糾弾する小説を書いて大ヒットした。
この3人が核となって、物語は進んでいく。それぞれの人物の結末というか顛末についてはみなさんに読んでもらうことにして、一つだけ書いておきたい。
信二郎は、「その子」が保之助を迎えることになったとき、「その子」に言った。「自分の好ましいように生きる勇気がなければ、人間に生まれてきた甲斐がない」と。
それを物語の最後で再認識し、信二郎が「その子」を褒め称えている場面は山本周五郎作品の魅力を結集したところであろう。
田沼を核とした政治小説かと思ったが、これは人間ドラマである。
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ソンやらトクで物事を判断している限り、どんな情報も自分の血肉にはならない。
情報は、黄ばんだ白い、ブヨブヨとした脂肪に簡単にその姿を変えて、本当の自由を味わうだけの体力をあなたから奪う。
背骨は痩せ細るばかりだ。
「社会」は準備されているものではなく、自分の脳と体を駆使して、出来るだけ美しく作り上げていくものだと思う。
美しさは、善悪という概念を軽く飛び越える。
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『樅の木は残った』と言い、どうしてそこまで体制維持に腐心するのか理解できない面は否定できないが、本当に愚劣な、もとい正確を期せば「犬」のように世に阿る人間への怒りがこの作家を支える骨の一つかと。田沼意次を軸に据えるというのは余程性根が座っていないと出来ない芸当、かつ締め方も苦渋に満ちていて、この作家はどこまでも底を見つめ続けていると思われ。
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歴史上は悪評のある田沼意次が、評価の高い人物として描かれていて、しかも無理がなくしっくりくる物語となっている。自分の好きなことをしないと良い人生とは言えないとする一方、人との関わりの中で、また日常の環境の中で生きている、ということをモチーフとしている。13.8.13
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耐え忍ぶがテーマの根底にあるか。
通説の中にある悪評高き歴史上の人物に光を当て直し、人間的魅力を強く引き出す事を旨とした周五郎。本作品田沼意次の人間と生活に焦点をあてた筆者渾身の力作。武家生活が困窮を極める中経済政策を推し進めるため旧態依然の反田沼体制に追い詰められていく様を描く。時代を先取りした改革開放路線への強き信念。シビレル生き様♪~(´ε` )
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よく悪い政治家の代名詞として挙げられる田沼意次の話。現世の評価とは完全に違って、幕府財政の改革者として描かれている。案外こちらのほうが真実味があるかもしれない。
歴史というのは権力者によって語り継がれていて、ある意味恣意的なものだと思うし、世に言う名君が築き上げた現代がこうして行き詰まっている。実際には今と違う未来を描こうとした人のほうが実際には名君と言われるべき人かもしれない。
また、いわゆる市民は政治には無関心で、何も変わらないと諦めているのはどこの世界でも不変だ。
国という単位を個人が実感することはまずないし、政治家もどこまで国のことを考えているか疑問だ。
そういった意味でも本作はリアルだ。
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タイトルと田沼意次のつながりがわからなかったのは自分の力不足。でも,やはり政治の世界は努力しても報われるものではない。でも,何とかしようとする気持ちが痛いくらいわかる。今の政治家には望めそうもない。
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山本周五郎の長篇小説『栄花物語』を読みました。
『日日平安―青春時代小説』、『松風の門』に続き、山本周五郎の作品です。
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非難と悪罵を浴びながら、意志堅く改革に取り組んだ老中田沼意次を描く感動の歴史長編。
徳川中期、農村が疲弊し、都市部の商人が力を持ち始めた転換点。
老中首座の重責を担う田沼意次は、貧者への重税、賄賂政治、恣意的人材登用と非難にまみれていた。
――悪政の噂は本当なのか。
出所はどこなのか。
絶望の淵にあっても、孤独に耐え、改革を押し進めた田沼意次という不屈の人間像を新しい視点から描く傑作歴史長編。
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読売新聞東京本社が発行する週刊誌『週刊読売』に、1953年(昭和28年)1月から9月まで連載された作品です。
江戸時代中期、老中田沼意次は金権政治家の汚名にまみれていた… 田沼批判の戯文を書いて出頭を命じられた旗本の青山信二郎は、意次と対面し、その清廉な人柄に引きつけられる、、、
しかし、失脚をもくろむ反田沼派の魔手はいたるところにのびていた… やがて、最愛の息子、意知が城中で斬りつけられ、意次は絶望の淵へと追いつめられてゆく―。
田沼意次曰く、「たとえゆき着くところが身の破滅だとしても、そのときが来るまではこの仕事を続けてゆく、いかなるものも、おれをこの仕事から離すことはできない」田沼意次父子を進取の政治・経済改革者として大胆に捉え直し、従来の歴史観を覆した名作! 経済小説の先駆でもある。
田沼意次は賄賂政治の代名詞のような存在という先入観、イメージがあったのですが… 本作品は、田沼意次、意知父子の視点だけでなく、田沼父子に関わることになる、下級武士の青山信二郎や河合(藤代)保之助、佐野善左衛門、一揆を率いた盗賊の新助(もとは人足の千吉)等の複眼的の視点から、その存在を見直し、商業資本の擡頭を見通した進取の政治家であったという、新しい視点から、絶望の淵にあって、孤独に耐え、改革を押し進めんとする不屈の人間像が描かれていましたね、、、
そして、田沼父子のことだけを描くのではなく、著者らしい市井のドラマ… 男女と友情、政争、思想と家族等も巧く織り込み、時代の流れに振り回される人々のドラマが重層的に展開するところが印象的でしたね。
新助が息を引き取る際に、信二郎が呟く、
「~前略~ 人間は生きている限り、飲んだり食ったり、愛したり憎んだりすることから離れるわけにはいかないものだ、どんなに大きな悲しみも、いつかは忘れてしまうものだし、だからこそ生きてもゆかれるんだ― ~後略~」
という言葉が印象に残りました… 当たり前なことなんだけど、改めてそうなんだよなー と感じましたね。
Posted by ブクログ
田沼意次とその息子を始めとする、武家や戯作者、花魁たちの群像劇。
この作品内の田沼意次は清貧という言葉がよく似合う。あと、ワーカホリックという言葉も(笑)
将軍が狩りに向かうくだりあたりから、役者も揃い場が盛り上がっていく感じだったが、後半は読んでいる側としては気分が落ちていった。
信二郎、保之助の幼馴染コンビと、田沼親子の間で悩む内容が多少異なるため、もう少し共通のテーマや対比があったほうが物語がまとまって気持ち良かったかと。(単純に読み込みが足りなくて見つけられてないだけかも…。)
Posted by ブクログ
田沼意次の政治を中心とした人間ドラマ。先鋭的な政策を打ち出すも、ことごとく排除されてついには諦めの境地へと陥ってしまう老政治家。転がるように人生を反転させて、しぐれの中ひっそりと息をひきとった二人。
当事者が複雑に絡み合い、それぞれの生きる目的・価値観を考えながら行動している。人間の心の内面を映し出している。